この世界の人間
「ふぅ……」
風呂に入る気がせず、夕飯を食べた後は《身体洗浄魔法》と《保湿魔法》を自分にかけ、アルミリア達が風呂に入っている間、ゆっくりすることにした。ついでに、今日分かったことも整理する。
「アルミリアさん、強かったな……」
『あんたが油断したせいでしょ』
実体をもって姿を見せたピクシルが、寝転んだボクの胸の上に座って言う。
「それもあるねえ……何せ、アルミリアがリミッターを外すのなんて想定外だもん。でも、これでボクだけが特別じゃないって証明された……感謝だね」
正直、ルーシアだけが特別なのかと思っていた。
でも、アルミリアがリミッターを外したおかげで、この世界の人は全体的に地球人とは違う力を持っていると、確信が持てた。
『その、りみったー? ってなんなのよ』
「ボクが勝手にそう呼んでるだけだよ……簡単に言うと、この世界の人間の出す力を抑制する、まあ、そんな無意識みたいなもの」
『相変わらず、人間って面倒なことしてるのね。そんなものとっぱらってしまえばいいものを』
「いや、これはあった方がいい。もしないと、普段から必要以上の力を使って疲れやすくなるし、それこそ物の壊れる頻度が上がる。このリミッターは、そういった事を防ぐために備え付けられてるんだと思うよ」
まあ、知らんけど。進化の過程で勝手にそうなったんだろうし、それこそ人間の筋肉や神経関係の可能性もある。
「でもまあ、そのリミッターを外せば、その封じられた力を解放できるってこと。ボクの元いた世界にも火事場の馬鹿力っていう、ピンチに陥るとすげー力を発揮する、みたいな諺があるけど、まあ……うん、その上位互換みたいなもの」
『ふーん……あんたの世界は魔力がないんだっけ。そんなの気にしたこと無かったけど、関係あるのかしら?』
「どうだろうね。でも、ボクの見たところ、この世界とここの人間、そんで元いた世界とそこの人間の差異は、それしかないと思う」
ボク自身、既に何度も人間離れした動きを実体験している。十メートル跳んだことも、今日のあの衝撃波を生み出すような剣戟も、あんなのどれだけ極めた超人だろうと、地球人には成し遂げることは出来ないだろう。少なくとも、今の科学技術では無理だ。
『その、魔力の無い世界を見たことがないから、私にはどうも想像が付かないのよね。あんたら、どうやって生活してるのよ』
「もし想像がついたなら、その世界にピクシルはいないよ……まあ、この世界で発達したのが魔法技術とするなら、ボクの世界は科学技術が発達したんだよ。自然の摂理を解明し、それを自分達の都合のいいように色んな方法で捻じ曲げる。ただまあ、知識量は今のボクさながら、この世界の数百年分は先に行ってるよ」
『確かにそうね。あんた、七千年近く生きた私ですら知らないこと、たくさん知ってるもの。いくらこの世界の研究が長らく滞ってるからって、有り得ないくらい差があるわ』
この一年でこの世界の進歩具合いをピクシルから色々聞いたが、知識に関しては、地球の中世にも劣っているかもしれない。なんと言うか、まるでそういった研究が、まるっと一度白紙に戻ったかのように。
地球ではソクラテスやらアリストテレスやらの哲学者が、様々なことを解明していった。だが、この世界では哲学者みたいな人も、宗教すらもほとんど聞かない。
世界が停滞しているかのごとく。
「にしてもまあ、この世界の人間は少なくとも、ボクの世界とは違う進化の道を辿ったのは違いない。適応していくものだしね、進化は」
『進化ってあれよね。生物がいきなり違う姿で生まれたりする』
「あー、うん。まあ、それでほぼ合ってると思う」
これはまだ推測でしかないが、独自の進化を辿った原因は、地球に存在しない元素などもあるだろうが、主には魔力という特殊な物質だろう。
もしかしたら最初は普通の、地球と同じ人間だったのかもしれない。しかし、生理反応の如く魔力を利用している魔物がいるこの世界で、人間は不利だったのだろう。そこから生まれたのが、魔力器官を持つ人間だった。
魔力器官についてまだ謎は多いが、魔力振動で自分の体内を見て、既にその実態を見ていた。
以前ピクシル劇場で見たが、実際に見てみると確かに、心臓の下にビー玉くらいの地球人にはない臓器があった。前後に伸びる管が吸収放出の器官だ。ちなみに、チルニアとパミーのはボクのよりちょっと小さく、アルミリアに関しては目視できないレベルだった。
それ以外の臓器に関しては、地球の人間との違いはなかった。少なくとも、ルーシアの身体と地球人との差は、その魔力器官のみだ。
その地球とは違う独自の進化の中、魔法に耐えるために身体が強化されたのかもしれない。それが、リミッターを外した際に一切が解放され、あれだけの力を出すことができる……あくまで推測だ。しかし、ボクとしては、かなり納得のいく話だった。
「独自の進化、か……」
『あんたにとっては独自かもしれないけど、私達からしたらこれが普通であることをお忘れなきよう』
「ああ、うん。そうだね」
確かにそうだ。この世界にとって異端はボクであり、ボクの常識はこの世界からしたら非常識。そのことはちゃんと心に留めておかないと。
「ピクシル。一つ聞きたいんだけど、人間が魔法を使うようになったのは、いつ頃から?」
『人間が魔法を使い始めたのは、私達妖精族が人間達に請われて教えたからよ。そうねえ、私が三千歳くらいの頃だったかしら』
「三千……」
現在のピクシルは約六千八百歳。つまり、約三千数百年から四千年前。それだけ前から魔力器官を持つ人間は存在し、その存在に気付いて妖精にその使い方のレクチャーを求めたのだ。まあ、もしかしたら逆かも知れないが。それは、今を生きるボクには分からない。
「……そっか。この世界も、色々あるんだな」
『そう言えば、あんた、何が目的でこの世界に来たの?』
そういや、一年一緒にいて話したこと無かったっけ。
「目的……と言えばまあ、この世界をボクの望む通りの世界にする、かな。まあ、ここに来たのは結構偶然だろうし、そもそも前の世界で死んだから、ここに来たんだけど」
『……この世界を望む通りの世界にする……ってことは、世界を変えたいってことでいい?』
「そうだな。言っちゃえば、そう言うこと。最初はこれといって最終目標はなかったんだけど、今は全ての人を幸せにするってのが目標。前世じゃ、知識の無駄遣いばかりして、苦しんでる人の一人も助けなかったからね……だから、今たくさん苦しんでいる人がいるこの世界を、幸せに満ちる世界に変えるつもり」
『……そう』
ピクシルが何か考えるかのように顔を陰らせる。六千八百年も生きているピクシルだ。色々と悩むこともあるのだろう。気にしないでおこう。
『……今日は休憩するわね。考えたいことがあるから』
「分かった。相談してくれたら、乗るよ」
『必要に応じてするわ。それじゃ、また明日』
「ん、おやすみ」
ピクシルの姿が消える。実体を収納魔法にしまい、自身も魔力だけの存在として空中に漂っているんだろう。
多分、今目を凝らせば、ピクシルである魔力の塊が見えると思う。まあ、今日はもう疲れたからやらないけど。
目を閉じて、今日の出来事を思い出す。
フルドムとの戦いは、楽しかった。新しい戦い方で、他の生徒の時には出せない本気を出して、戦えた。やはり経験の差というものはあるが、それでも勝てたのは、これまでのルーシアの努力と、愛斗としてのセンスがあったからだろう。
そして、アルミリアとの戦い。この戦いでは、多くのことを学んだ。まず、ボクは自分でも分からないところで、慢心的なものが存在することを自覚した。油断はしないつもりでいたが、最悪の想定を欠いていた。それが、ルール上の引き分けに繋がった要因の一つだろう。
「……ボクは、アルミリアにちゃんと教えれたのかな。……ちゃんと、向き合えていたのかな」
教える立場というのは、ただ教えるだけではない。教える相手と向き合い、時に対立し、互いに刺激しあってこそ成長する。果たして、ボクにはそれが出来ていただろうか。
人に教えるのは初めてのことだったが、自分の中では、よくやった方だと思う。しかし、やはりどこか至らぬところもあっただろう。リミッターの件は、単にアルミリアが秘策として特訓していたのだろうから、今日まで知ることはなかっただろうが。
微睡みの中、ボクはこの半年のことを鮮明に思い出していた。
♢
「……さん、……シアさん……──ルーシアさん」
「……!」
肩を揺すられ、鼓膜を穏やかな音色で刺激されたことにより、起き上がる。どうやら、いつの間にか寝落ちしていたらしい。
「あ、アルミリア……」
「全く。戦っている時の、あの消えたやつを教えてもらおうと思っていたのに、なかなか起きないんですもの」
「あ、ああ……そう言えばそうだった。ごめん、ちょっと、疲れすぎかな」
「まあ、私も人のこと言えないんですけどね……」
アルミリアが視線を逸らす。ボクの知らないところ、風呂の中で何かあったのだろうか……
「アルミリアさん、お風呂で寝てましたからね」
「そうそう。急に私の肩に乗りかかってきてさ、何かと思ったらお湯の中にドボーンだもん。慌てたことありゃしないよ」
「い、言わないでくださいまし!」
そういうことだったらしい。まあ、ボクがこれだけ疲れているんだ。リミッターを外し慣れていないアルミリアが、疲れないわけが無い。
「おほん……それで、話してもらえますか? 私、ルーシアさんのあの臨機応変な戦い方、もっと学びたいんです。騎士とは違う、冒険者のような我流な戦い方。私は形式になぞらうよりも、そのような戦い方の方がしっくりくるように思います」
「……一つ、聞いてもいい?」
「? 何ですか?」
急に真剣な表情をしたボクに、アルミリアが首を傾げる。
「アルミリアは、ボクに剣を教わって、良かったと思う?」
一瞬、アルミリアは驚いたような顔をした。そして、すぐに綻ばせて微笑みを浮かべた。
「当然です。騎士団で教わっていた時は、身を守るため、ということしか考えていませんでした。でも、ルーシアさんに教えてもらい、分かったんです。人に教わるのって、こんなにも楽しいんだな、って。ルーシアさんは、私のダメなところは指摘して、いいところは褒めてくれました。すごく、楽しかったんですよ?」
……どうやら、ボクの心配は杞憂だったらしい。アルミリアは本心からそう思っているのだろうし、ここで否定しては、ボクの人として疑われる。いや、ボク自身が疑ってしまう。
「それなら良かった」
「では、教えてください、あの時何をしたのかを」
「分かった。あれは、ミスディレクションって言う技術なんだけど──」
心の底で思った。ボクは、この世界でなら、本当のボクになれるかもしれない。と。