強くなる理由
道場のお披露目兼掃除から一日。今日から本格的に特訓を始めることにした。と言っても、まだアルミリアに関しては初心者だ、基礎から教えなければならない。
「では、授業を始めます。起立、礼」
「……何ですか、その、起立、礼というのは」
「……何でもないです」
この世界に授業の最初と最後に立って礼をするという軍隊じみた習慣はないため、残念ながら通じなかった。ボクは気を取り直してレイピアについて説明を始める。
「まず、注意喚起です。今から教えることは、ボクの曖昧な知識と経験から推測されたものなので、あくまでボクの持論です。事実とは異なる可能性があります」
「強くなれるのであれば、何でも構いません」
「分かりました……それじゃあ、チルニアとパミーは準備運動も兼ねて、森からこれいっぱいに落ち葉を集めてきて」
そう言って、学園でもらっておいた麻袋を手渡す。袋のサイズはかなりデカい。Lサイズのゴミ袋位はあると思う。
「はーい」
「チルニア、ルーシア先生のことだから急がないと怒られるかもよ。急ごう」
「よし来たー!」
「あ、でもいきなり走ったら!」
「ふぎゅむ」
パミーが言ったそばからチルニアはバターンと倒れた。歳の割に大きめな胸から倒れたおかげか、膝を擦りむくことすらなかったようだが、衝撃が胸に集中したせいで少し少女らしからぬ声が漏れていた。
「もぅ……いつも言ってるでしょ、転けるから急には走らないって。学習しなさい」
チルニアは頭を掻きながら「えへへ、ごめんごめん」と謝っている。
「では、今度こそ行ってくるね!」
「チルニアは私がしっかりと見張っておくので、お二人は特別訓練、頑張ってください」
胸に拳を当てる騎士のような敬礼をしたチルニアと、ちょっと不安そうな表情のパミーは、そう言い残して道場を出ていった。
「……あの二人って、姉妹みたい」
「その場合、チルニアさんが妹ですね」
「違いない……それじゃ、始めますか」
「分かりました」
アルミリアが腰の剣帯に通した、鞘に入ったレイピアの柄を握る手に力を込める。目には鋭い眼光を宿し、強くなることへの執着を強く感じた。
「まず、レイピアはスピードと手数で勝負をします。大剣や直剣のような、一撃必殺の短期決戦型に比べ、レイピアは刺突を中心に敵の弱点を狙いながら、相手のミスを誘い、そのミスを確実に突いて勝ちにいきます。つまり、長期戦です」
「体力面では少し心許ないですが……機能面では私に適しているように思えますね」
「まあ、その通りです。そして、レイピアの刀身は、軽く、鋭く、細い。中にはただの円錐型のレイピアもあるそうです。そして、その特徴をもって刺突を中心とします。軽いので狙いがブレにくく、鋭いので貫通力があり、細いので相手からは点が迫ってくるように見えます。試しに、そっちに立ってみてください」
アルミリアが頷く。ボクはアルミリアが正面に立つと自分の直剣を抜き、胸の前で剣先がアルミリアに向くように構える。勿論、剣の間合いより離れているから、アルミリアにダメージが入ることはまずない。
「試しに、直剣でやってみますね。あと、ボクの最高速度で」
最高速度か。ホブゴブリンと戦った時も、アルミリアを打ちのめした時もかなりの速度だった。でも、正直に言うとまだその先があるように思える。それこそ、神速と言ってもいいくらいの速度が、出せるように思える。
魔力振動を起こすときのように、集中力を高める。周りの音が遮断され、無駄な情報が削ぎ落とされる。
「シッ!」
細く息を吐くと共に、体の捻りが入った一撃目、引いての二撃目、三撃目、四撃目、そして、五撃目。五連撃を終えてかかった時間は、およそ二秒。アルミリアは目を点にして、剣先が貫いた空間を眺めている。
「ふぅ……どうです?」
「……速くて、全く見えませんでした……ほんの少し、線が迫ってくるような感じはしましたが……」
「この剣が特別薄いのはありますけどね……レイピアになると、この剣の薄さかつこの剣の半分ほどの幅になると考えてください」
「……確かに、防御しづらいですね。フェルメウス騎士団の騎士長に、私は運動能力も動体視力もいい、と言ってもらいましたが……それでも、見えませんでした」
アルミリア、確かに筋力や体幹はまだ弱いが、この前の戦いでも運動神経や動体視力はいいように思える。ボクは回避行動のみとっていたとは言え、戦闘の最中にあそこまで正確に狙えるのは、並の初心者では無理だろう。
「アルミリアさんはレイピアを初めて振るので、腕だけで攻撃するのをお勧めします。慣れてきたら体の捻りを加えて、威力を増してもいいですけど……狙いが狂いやすいので。アルミリアさんはまだ、体幹がしっかりしていないですし。あの二人が帰ってきたら、筋トレと体幹トレーニング、ランニングはしてもらいますが」
「う……わ、分かりました」
うん、分かるよ。ああいった地味なトレーニングって、つまらないくせに疲れるしキツいもんね。すごく分かる。ボクも体育でやらされてた時すごく嫌だった。
でも、ボクにあれだけ言われた後だ。アルミリアもその大事さは、自分なりに決着を付けているらしく、文句などは言わなかった。
「それじゃあ、まずはアルミリアさんの感覚でやってください。直すところがあれば随時言っていくので、形からまずは整えていきましょう」
「分かりました」
鞘から剣を抜き、さっきのボクと同じように、胸の前で剣を構えた。そして、五回剣を前へと突き出す。感覚で測ったところでは、一秒間に一点二回ほどだ。一秒の間に突き出し、戻せてはいるものの、やはりまだ慣れないからか、次の突き出しに僅かな遅れがあった。
「どうですか……?」
「そうですね……まあ、予想通り狙いはかなり正確です。一点を狙うことが出来ていますし。ただ、スピードはまだ全然足りてないですね。完全に引き戻してたら隙に繋がるので、戻す途中で突き出す……っていうのを、少し意識してみてください。あと、もっと呼吸を整えて、意識を集中させてください」
「な、成る程……やってみます」
♢
平民ズの二人が帰ってきて、筋トレやその他トレーニングを終えた。
とりあえず、アルミリアがどこまで出来るようになったのか、休憩を挟んで二人にも見てもらうことにした。
ひゅひゅひゅん
少しずつコツを掴み出したアルミリアは、三連撃までならさっきのボクに及ぶ速度で打ち出すことができるようになっていた。アルミリアに戦闘の才能があるという、フェルメウス騎士団の騎士長のお墨付きがあるのも頷ける。
「おお〜」
「ほとんど見えません。凄いですよ、アルミリアさん!」
かなりの重量だったらしい、葉の大量に入った袋を持って走って帰ってきたから、筋トレの際に腕を吊っていたチルニアも、既に回復してアルミリアの剣技に感心していた。
でも、この速度なら地球の人間でも出来る。ボクはこの世界の人間は、地球人と比べて全体的に能力が高いと踏んでる。更に言えば、もう一段上の能力が使えるのではないか……とも考えている。
「アルミリアさん、少し、レイピアを貸してください」
「え? ええ、構いませんが……」
アルミリアからレイピアを受け取る。深呼吸をして意識を整える。
アニルドを助けたあの日、ボクは高さ十メートル近いジャンプを、魔法すら使わずに跳んだ。例えあれが火事場の馬鹿力だとしても、ボクが為したことに変わりはない。
閉じていた目を開く。下ろしていた剣を胸の前で構える。
「な、なんかすごい……」
「空気が重たい気がします……」
「……これが、ルーシアさんの、本気……でしょうか?」
ボクにその声は届いていなかった。
深く息を吸い込む。僅かに腰を落とし、重心を定める。
深く、もっと深く……底まで落ちろ。落ちて、落ちて……深淵の境地まで!
集中が限界まで達した瞬間、鋭く息を吐き出しながら、レイピアを突き出す。
シュバーンッ!
まるで、空気を割くかの如く勢いで打ち出されたレイピア。空気がビリビリと帯電したかのように音を発し、地震でも起きたかのように床が震える。
音や見た感じでは、一撃のように感じるだろう。しかし、実のところ、最初と同じ五連撃である。
「……今の、何回打ち出したんですか?」
アルミリアが目を見開いて聞いてくる。息を整え、集中を解いてから答える。
「五回です。多分、これが、ボクの限界ギリギリかと」
あくまで、この世界の……ではあるが。
全身から力を抜き、一度長い息を吐く。全身の緊張が解け、空気の緊張も軽くなった。無理をしたからか、右腕に僅かな痛みがあった。
「あ、これ、返しますね」
「は、はい……」
アルミリアが、さっきまでの空気のせいか、僅かに震える手でボクからレイピアを受け取る。
「で、どうしますか? アルミリアさん。初日にいきなり何時間もするのは無茶が過ぎると思うので、早いうちに切り上げた方がいいと思いますけど」
「そ、そうですね……お二人は、どう思います?」
アルミリアに問いかけられたことで意識を取り戻したチルニアとパミー。
「ま、まだ暗くなるには早いですけど、夕飯前にお風呂に入ってしまいたいので!」
「私も、汗かいちゃったから!」
二人が捲し立てるような早さで答える。おっと、驚かせてしまったのかな。確かに、ボクもさっきのを見る側だったら、かなり意識を削がれていると思う。
「では、帰るとしますか」
「分かりました」
時刻は夕方五時半前。ボク達は、今日のところは切り上げることにした。
♢
その夜。満月が頂上にさしかかろうかという頃。
ボクは尿意に目覚めていた。
今日は昨日までと比べて気温が低く、上着を羽織って寝たのだが、やはり完全には防寒できていなかったらしい。寒さで催したんだろう。
「はあ……トイレ行こ」
ベッド横のブーツを履き、外に出ようとしたところで気付く。アルミリアのベッドが無人であることに。
「……冷たい」
ベッドはヒンヤリとしていて、人が寝ていた気配はなかった。
少なくとも、ボクが寝るまではアルミリアもベッドにいた。しかし、ボクが起きるまでのおよそ二時間の間に、アルミリアはどこかに行ったらしい。
「……ついでに」
お手洗いのついでにアルミリアを探すことにし、部屋を出る。
未だに僅かながら罪悪感のあるお手洗いを済ませ、今度は寮の出口へと向かう。
扉を開けた瞬間、ぶおぉと日本の北風の如く冷たい風が吹き付けた。
「寒……っ。低気圧でも来てんのか? 今時期的に秋だろ、プチ氷河期かよ……」
上着の襟を左手で閉じて、寮の扉を閉める。この上着は、鎖骨あたりまでしかボタンがないから、首周辺はかなり寒い。襟はそれなりに高いから今のように手で閉じれば、多少はマシだが。
寮入り口付近にはアルミリアはおらず、探すためにこの寒い中を歩き回るのも嫌だから、あれを使うことにした。
「魔力振動……寝起きだけど行けるか」
冷たい空気を肺に取り込み、呼吸を整える。心拍が安定してきたところで、魔力振動を起こす。
直後、周囲が白く靄に囲まれたようになる。この白い靄が、魔力だ。今はただ漂っているだけだが、魔法を行使したり、魔力を体内に取り込んだりしている間は、この魔力に流れが見て取れる。
「……どこかな」
ボクを中心に、見えない手を伸ばすかのようなイメージで周囲を探る。視界を使わないのは、まだ完全なコントロールが出来なくて、見えちゃダメなものまで見えるかもしれないから。プライバシーは守るよ、うん。
見えざる手を伸ばしていくと、寮の裏手で人の体温を感じ取った。
魔力に乗せた触覚により、魔力振動が起きている範囲内に存在する物質の温度や触感など、──勿論、揉んだり摩ったりなどは出来ないが──触覚により感じ取れるものは、全て感じ取れる。
今度は視覚を操り、その体温の位置を見る。違いなく人間のそれではあるが、アルミリアかどうか確認するには、これが一番確実だ。
ウェーブのかかった金髪、防具を着けていない実技用の服、手に持つ見覚えあるレイピア。確実にアルミリアだった。
「っ!」
慌てて魔法を消滅させる。理由は簡単、アルミリアの色々が、二つの意味で透けて見えたのだ。
まず、汗で肌に貼り付き、白くて薄い麻製のため透けた運動着から見えた、胸当て。そして二つ目は、魔法によってスカートが透けて見えた薄ピンクの下の肌着。
「アルミリアさん、フリルの薄ピンクなんて可愛いの着るんだ……って、これじゃあボクがおっさんみたいじゃないか」
中身はまだ大学すら入っていないはずの十七歳だ。見た目に至っては、少し成長が遅れている十歳女子。あまりおっさんじみたことは言わない方が良さそうだ。
見てしまったこととものは墓場まで絶対に持っていくと神に誓い、アルミリアのいる場所へと歩みを進めた。
「無理は禁物ですよ、アルミリアさん」
しゅっ、しゅばっと音を立ててレイピアを突き出していたアルミリアが、目を点にして動きを止めた。
「る、ルーシアさん……どうしてここに?」
「トイレ行きたくなって目が覚めて、いなかったので探しに来ました」
「そ、そうですか……」
怒られるとでも思ったのか、安堵の溜息を零している。ふむ、怒っても良かったかもしれない。
「アルミリアさんはもっとハードなのをご希望かぁ……明日からはもっとビシバシ行きましょうか?」
「……それも、いいかもしれませんね。その方が、早く強くなれるかもしれません」
また、強く……か。何度目の強くなりたい、だろうか。
「気になってたんですけど、アルミリアさんって、なんでそこまでして強くなりたがるんですか? 冒険者になって世界を救ってやろう! みたいな野望があるわけでもないですよね?」
ボクがなるべく重くならないように尋ねてみると、アルミリアは僅かな逡巡をもって話し始めた。
「……私は、ずっと比べられているんです。兄様や姉様、領内や周辺域の同年代の貴族の子や、今となってはクラスメイト。生まれてこの方、比べられなかったことなんてありませんでした。上級貴族たるもの、全てにおいて勝っていなければならない……全てにおいて、一位でなければならないと、教え込まれたんです」
アンダルドよ、アルミリアは悩んでいるぞ。あんたが教えたのかは知らないけど。
「だから、一位になるために?」
「いえ、私は一位になることなど、興味はないんです……ただ、私は憧れているんです」
「お姉さんに?」
「はい。なんでもできて、綺麗で、みんなから愛されている姉様に、憧れています。私が失敗しても、姉様だけは優しく、一緒に頑張ろうと言ってくれました……私は、姉様の隣にいたいんです。何か、一つでもいいから、姉様と同じ……超えるような何かが欲しい。姉様は私が隣にいると言ってくれるかもしれません……でも、私は、誰が見ても隣にいると、超えていると言われるようなものが欲しいんです」
ああ、強いな、アルミリアは……ボクなんて、スッポンだよそれじゃあ。アルミリアは月だ。
越えられないかもしれない壁があれば、人は越えるか諦めるかの選択を迫られる。ボク──愛斗は、前世で人間関係において、ヒマラヤ山脈よりも険しい、人間関係という壁に突き当たった。そして、その壁を越えることを諦め、一人山奥に閉じこもって、最後は人知れず死んでいった。
しかし、アルミリアは姉という越え難い壁がありながら、その壁のてっぺんに立とうと、越えようと努力をしている。ボクに出来なかったことを、やり遂げようとしているのだ。……しかも、レイピアにおいて、アルミリアは既に頭角を現し始めている。
「出来ますよ、アルミリアさんなら。ボクが、しっかり手助けします」
「ありがとうございます」
アルミリアは、きっと素晴らしい笑顔で笑っていることだろう。暗闇の中、誰が見るわけでもないのに、涙を浮かべて笑っているのだろう。ボクは、例え戦いによって生まれたものだとしても、この笑顔を守りたい。
「でも、無理をし過ぎるならなしにします。個人で特訓するなら、ボクに伝えてください。基本的に許可は出しますけど、体を壊されては、ボクがどんな目に遭うか分からないので」
アンダルドに殺される。
「分かりました、そうします」
父親のことを言ったのが分かったのか、少し苦笑を漏らしながら言った。
「あと、ちゃんと汗は流してくださいね。アルミリアさん、花みたいにいい匂いですけど、どんな人でも汗臭いのは臭いので。お湯が必要なら言ってください」
「では、お湯をお願いします。お風呂場に向かいましょうか」
アルミリアはレイピアを持って、寮の入口へと歩き出した。
ボクも、負けてられないな……アルミリアを、皆を幸せにする為にも、立ち止まってはいられない。壁を殴り壊す勢いで行かないと。
爪がくい込むほど、強く拳を握った。
そして、この悲しみに、苦しみに満ちた世界を、変えてやる。
「早く来てください! 汗で気持ち悪いですから!」
「……あまり大声出さない方がいいですよ。あと、汗の件は自業自得ですよね?」
決意を他所に、ボクはアルミリアを追いかけた。