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前章

 雨の降る日だった。一人の少女が街中を歩いていると、小さな、雨音に掻き消されそうな声が聞こえてきた。


 その声は、意味を伴っていなかった。勿論、それもそのはずだ。少女が近寄って見たところ、声の主は生まれて一年と経っていない、赤ん坊だったのだから。


 縦長の布で巻かれており、その下には申し訳程度の衣服が着せられていたが、どちらも雨に濡れていた。いくら木の下にいたとはいえ、冬も近付いてきたこの季節では、木の葉も大半が落ちている。


 木箱の中には、赤ん坊の他に一枚、羊皮紙が一切れ置かれていた。そこには「ルーシア」と書かれていたが、学問を受けていない少女に分かるはずもなく、しかしそのまま見捨てることもできず、少女は雨具を木箱に被せて、家まで走った。


「ママっ!」


「おかえりなさい、ミリア……どうしたの、そんなに濡れて? 雨具は着て行ってたでしょう?」


「この子、拾ったの! びしょ濡れで……お湯、用意できる⁉︎」


「この子……分かったわ、すぐに用意するから。あなたも、冷えちゃう前に体を拭いちゃいなさい」


 ミリアは赤ん坊を母親に渡し、自分はいつも体を拭く時に使っている布を取り、服を脱ぎ、濡れた体を拭いた。


 母親は平民の中では珍しく魔法が僅かばかり使えたため、水を創り出し空中で球体にして維持し、何年も練習して出来るようになった二属性同時使用を駆使して、火魔法によって水を熱した。


 火魔法に限界を覚えた母親はそれを消し、水の温度を確かめる。気温よりは遥かに温かくなった水に頷き、それを桶に移す。


 木箱に入った赤ん坊の衣類を脱がせ、そのお湯に浸ける。弱々しい呼吸が徐々に安定しだし、肌の温度も徐々に上がる。


 お湯を肩に掛けながら様子を見ていた母親は、震えが止まったのを触って確認し、安堵の溜息を吐いた。


「ママ、どうなった……?」


「もう大丈夫よ……それで、この子をどうするつもりなの?」


「妹にしたい」


 ミリアは迷うことなく即答した。


 母親にミリアが小さい頃使っていた衣類を着せられ、安定した呼吸を繰り返す赤ん坊を優しい目で眺めながら。


「そうね……それじゃあ、そうしましょうか」


 二人はこの時、気付いていなかった。赤ん坊の右手の甲に、まだ塞がったばかりの傷跡があることに。


 そしてその傷痕は、この世界では忌み子を示していることに。



 七年。それだけの年月が過ぎた。


 ミリアは十三歳に、ルーシアは(恐らく)七歳になっていた。


 茶髪茶目のミリアに対し、白髪赤目のルーシアは、よく本当の姉妹かどうか疑われた。


 でも、ミリアは心の底からルーシアを妹と思っていたし、ルーシアも自分が拾い子などと知る由もなく、心の底からミリアを姉だと思っていた。


 ミリアは家庭の経済的な理由により学園に通うことは出来ず、家業の手伝いをしていた。


 二人の家は三世代前から宿屋を営んでおり、二人はこの宿の看板娘だった。


 思春期に突入していたミリアは少々恥ずかしがるが、純真無垢なルーシアは客からすごく甘やかされた。


 そして、ルーシアはなんと、魔法が使えたのだ。しかも、母のサーレフよりも創り出す水の量も、火の維持時間も長かった。


 そして、ルーシアは魔法の才能があるということもあり、十歳になると冒険者学園に通うことになっていた。


 冒険者と言っても、全ての人がそう呼ぶわけではない。あくまで、呼び方の一つだった。他にもハンターだの戦闘員だの、様々な呼び方が存在する。ただ、冒険者と呼ばれることが多いために、そう呼ばれているのだった。


 今年の夏も、毎年のごとく暑かった。


「リアー、暑いよー」


「いつも言ってるじゃない、シアってば。そんなに暑いなら、魔法の練習がてら氷結魔法でも使ったら?」


「えー、だってあれ疲れるもん。何かない? こう、涼しい風がヒューって吹いてくるもの」


「あったら私が欲しいわよ。みんな暑いんだから我慢してよね」


「いてっ……むぅ」


 デコピンを喰らったルーシアは、額を押さえながら唇を前へと尖らせ、唸った。ミリアはそのまま宿へと戻った。


 しかし、七歳のルーシアがそれ以上考えてもいい案が浮かぶわけもなく、服の襟を掴んでパタパタする他になかった。


「あ、グルおじさん、今日のお仕事終わり? まだお昼過ぎたばっかりだよ?」


 月に何度か宿に泊まるグルベスターにルーシアが話しかける。ルーシアに気付いたグルベスターは近寄って頭を撫でながら、


「今日は休養日なんだよ。この前までちょっと長旅してたからなぁ」


「そっかぁ。えへへ……」


 頭を撫でられてにへらとはにかみながら、ルーシアは答えた。


「じゃ、ルーシアちゃんも怪我しないように気を付けて遊ぶんだぞ」


「私そんなにドジじゃないもん!」


 頬を膨らませながら文句を言うルーシアをハハハと笑いながら、グルベスターは宿に戻っていった。


「──あっ……」


 その時、スーッと涙が頬を伝い、文句を言う時の癖である、胸の前で両手を握る、を行なっていた右手の甲に落ちた。そして、右手の甲にある浅黒い傷痕を眺める。


「ほんと、なんなんだろ、これ……」


 サーレフに聞いても何も教えてくれなかった。何か、言っちゃいけないようなものなのかな、などと思うが、分からないものは分からない。


 早々に考えるのをやめて、いつもぼーっとする時に使っている切り株に腰を下ろす。


「今日も空は青いなぁ……」


 友達と遊んでいない日は、こうして空を眺めていることが多かった。


 理由は定かではないが、こうしているとぽや〜っとしてきて、なんだか気持ちいいのだ。


 何時間、そうしていのだろうか。ぽや〜を通り越して寝てしまっていたらしいルーシアは、気付かないうちに宿の中に入れられていたらしい。


「剣を使える者は戦え! 女子供は優先的に逃げろ!」


「村を守れ! 絶対に侵攻を許すな!」


 外が騒がしい。今日は三ヶ月に一度の避難訓練の日ではないはず。


 ならば、なんなのだろうか。臨時の訓練だろうか。たしかに、村の大人は訓練は突発性の方が効果があるとか言っていた記憶はルーシアにもあったが。


「ルーシアッ!」


 部屋の扉がノックもされずに開けられた。それも、かなりの勢いで。


「……どうしたの、リア?」


 ミリアの顔は汗だくで、呼吸も荒かった。


「外、うるさいんだけど、何が起きてるの……?」


「……魔物が、魔物の軍勢が……いいから、逃げるよ! 私達は優先的に逃げさせてもらえる。それに、ルーシアは魔法が使える。絶対に乗せてもらえるから。馬車が行く前に行くよ!」


「え、ちょ……」


 強引に手を引かれた。ミリアの左手に引かれるルーシアは、その右手に一振りの剣を持っていることに今更ながら気付く。


 しかし、それを聞く余裕はなかった。自分の倍近い年齢の差のあるミリアに付いて行くには、相当本気で走らないといけなかったから。


「サーレフ、あんたも逃げろ!」


「わたしも魔法が使える身……それに、あの人に護身法くらいは教わってます。宿は問題ごとが多いですから……」


「しかしな!」


「それに、宿にはまだ二人がいるんです。お願いです、私も戦わせてください」


「……分かった。危険だと判断したら、すぐに逃げるんだぞ!」


 サーレフが残っている……? ルーシアはその事実を聞いた瞬間、意識が僅かに遠のきかけた。しかし、今足を止めることもできず、気持ちばかり後ろに取り残されながら走り続けた。


 どのくらい走ったのか。顔中が汗まみれ。いや、体中の方が正しいか。服が張り付いて気持ち悪い。


 呼吸は絶え絶えで、まともに出来ない。いつもそれなりに暴れて遊んでいるのに、体力がもう残っていない。視界が霞む。


「はふっ……」


 そして、急に止まったミリアに突進した。しかし、ミリアはそれでも倒れなかった。はっきりした声で、何かを言う。


「ミリア、ルーシア、乗ります!」


「よかった、無事で……サーレフさんは?」


「ママは……魔法が使えるからって、残って戦ってます」


 それを聞いた瞬間、ルーシアに戦慄が走った。やはり、あの会話は空耳ではなかったのだ。


 ミリアの左手に繋がった右手の震えに気付いたのか、ミリアが心配そうな顔で「どうしたの?」と聞いてくるが、答える余裕がない。


 そして数分後、サーレフの乗らない馬車数台は、ルーシアとミリアを乗せて村を発った。

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