私、捨てられました!
目を覚ました時、ソフィは今の現状を理解するのに数秒かかった。ギャウ!ギャウ!と村の外から聞こえてくる、獣特有の奇妙な鳴き声がいつもよりずっとずっと近いことに気づいた瞬間全身から震えが止まらなくなった。
農作業と牧場で牛飼いをしていた少女、ソフィ・アイスランドはある日親から捨てられてしまったのだ。
村では午前中に牛の世話を、午後は親が作ったパンを破格の安さで売買をして生計を立てていたソフィ、口減らしの名目で捨てられてしまった。
「そんな、なんで……?」
両親と二人の姉と一人の兄がいたソフィ、牛飼いの腕と人あたりの良さから村でも割と評判がよかった、しかし両親はその二つの長所よりも一番力が弱くて幼いソフィを捨てることにしたのだ。
「ここってダモ山? うそ……どうしよう……!」
あたりを見渡すも森、森……森! 腐った倒木や朽木、あちこちに生えているのはキノコ、不気味な毒キノコ!ここはダモ山と呼ばれるこの場所は、村でも邪悪な“魔物”が巣くうとして禁足地とされている。
実際には邪悪な魔物の存在より森のあちこちから噴き出す毒ガス、触れるだけでもアウトな毒植物が生い茂る事が立ち入り禁止の理由だろう。
そんなこと以上に捨てられたことがショックだったソフィは涙目で森の中を走りまわった。村に戻る以前にここは山のどのあたりなのかもわからない、そもそもここは本当にダモ山なのか? 周りに生い茂る鬱蒼とした木々や植物、煙でここがダモ山と一瞬で無意識に判断したが似たような山かもしれない。
「ソフィ、お前都会へ行きたいって言ってたな?」
「うん、行ってみたいけど、一番近い都会に行くにも一週間はかかるんだよね」
「……お前も12歳を迎えたことだ、都会へ行って新しい服でも買ってやろう」
「えぇ! いいの!?」
「……あぁ」
ある日の朝に父が急に言い始めたあの言葉、今思えばなにやら含みのある言い方だった、どんな楽な道を使ったとしても一週間、天候に左右された場合10日ほどかかる場合もある、行商人やキャラバンの人間、旅人のような彼らですら村に訪れたのは12年の間にたった3回ほどしか見たことがないぐらいだ。
おそらくあれはソフィを村の外へと連れ出し、そして山で捨てるための口実だったに過ぎない、村で寝ている間に山へと運べばすぐに村へと戻ってきてしまうし、途中で起きてしまうから、村から離れたところで態と違う道へと進み、そしてそこで寝かせてから更に道なき道を進み捨てたのだろう。
『村どころか明かりすら見えない!!』
山の斜面を滑り降りながらもソフィは冷や汗をかきながら何度も周囲を見渡した。背後からはなにか得体のしれない、悪魔の様な視線をビンビンに感じる。
今の気温は5度もない、寒くて寒くて仕方がないけど今はそんなことを言ってられない!
滑り降りながら尻もちをつき、そこから数メートル転がってしまった。自慢ではないが村は極貧、都会へ行くという事で用意した服だが、残念ながらそれは一般人からしたら古臭くてボロボロの衣類、腐葉土やトゲがむき出しの倒木まみれの斜面で転べば無事では済まない。スネや太腿、頬、わき腹……いたる所を切りつけて泥まみれになり、更にはもんどりうって胸をしたたかに打ち付けてしまった。
「えっ――」
汚い草木を突き破るかのように抜けた瞬間、不自然なほどに体に対する抵抗感がなくなった。
どれぐらいの間だろうか、崖から放り出されたソフィは呆気にとられて崖下の太い大木の枝に思い切りたたきつけられてしまった。
小さな悲鳴を上げたと同時に左腕と右足に激痛が走る、まるで電流が流れたかのような痛み。骨が折れた痛みであった。
木の上から地面へと転げ落ち、全身が汚泥と擦り傷、切り傷まみれになってしまう。泥にたたきつけられた顔で、もう村へと戻る手立てがないことを悟った彼女は小さく咳き込みながらも涙を流した。
どれぐらい突っ伏していたのだろう、周りはもう真っ暗、先ほどよりも獣の鳴き声や時折恐ろしい羽ばたき音も聞こえてくる。折れた腕を庇いながら、そして同じく折れている足を地面に触れないようにゆっくりと起き上がる。真っ赤な血が体中から流れ落ち、咳き込んだ衝撃が骨折している個所へと響き渡った。
『早くここから逃げなくちゃ』
気が付けば先ほどの視線が更に多く、そして力強くこちらを見ていることに気が付いた。恐怖と寒さで震える口からカチカチと歯の当たる音が聞こえてきたような気がする、片足立ちでその場から離れようとソフィは小さく跳ねるも、同時に骨折している足へ激痛が走る。
徐々に徐々にと木々の間から野生の獣が鋭い目をこちらへと向けているのが視界の端にチラチラと映るようになってきた。最初こそ恐怖でそれを見ないようにしていたが、そんなのは一時的な現実逃避であり、目の前の木の陰にも何頭もの姿が見て取れた。
『なんで!?』
ソフィはこの後自分がどうなるのかすぐに理解した。
『なんでこうなるの!?』
痛みと疲労で息も荒くなる中、全身汗まみれになりつつ背後へと振り返りつつ、現状出せる全速力でその場から立ち去ろうとする。
『私ちゃんと言われたことやってたよ!酷いよお父さん――』
前へ向き直ったとき、ソフィの目の前には大きな獣がとびかかってきた。
『こんなのってあんまりだよ!!』
巨大な猿が鋭い爪でソフィの右肩から胸元を大きく切り裂き、その場から吹っ飛ばす。肉がはじけ飛んだかのような衝撃でソフィの視界が一気にぼやけた。
仲間と思しき他の猿がソフィの折れた腕をがっしりとわしづかみにし、そのまま更に遠くへ放り投げる。
逃げる体力と気力があるソフィを、おもちゃのようにその獣は何度も何度も痛めつけた。相手がただの猿ならまだ逃げきる可能性は少しはあった、本当に少しだが……しかし今ソフィを嬲っているのはただの動物でも何でもない、村で言われている危険な存在の“魔物”と呼ぶ畏怖の存在であった。
「……もう」
ぐちゃ、ぐちゃと、泥まみれの山の泥を踏みながら大猿がこちらへとやってくるのを、虚ろな目をしたソフィは見据えながら小さく声を漏らす。
「もう……いいや……」
折れている個所なんてもう二か所や三か所ではない、肋骨も折れてるし反対の腕も折れている、なんなら体の一部なんてもげているのではないか?
ソフィがすべてをあきらめ、目から大粒の涙をこぼした瞬間、最後に目にしたのは大猿とは別の、更に大きな一頭の――――