後悔先に立たず
ピスケの街並みが遠くに見えはじめる。ピスケというのは、大介たちが今向かっている街の名だ。
キンリン王国は、数ある国の中でも最南端に位置する国だ。キンリン王国の南側には、巨大な森林が広がっている。この森こそが、大介が5000年間を過ごした場所だ。キンリン王国は、その他の三方も山で囲まれていた。国としての防御力はかなり高い部類であるといえた。
大森林には1度入ったら最後、2度と出られないという話が伝えられていた。しかし、森には様々な恵みが豊富に採れ、貴重な資源が多く眠っている。そのため、特別に整備されて地域に限定して、限られた者のみが入ることを許可されていた。
ピスケは、そんなキンリン王国の最南端に位置する街だ。比較的のどかな街である、いわゆる田舎町だ。
「思ったよりも発展してないな。5000年以上栄えてんだよな?」
ピスケは、高い防壁に囲まれているわけではなかった。遠くからでもその雰囲気は眺めることができる。木造の建物が並んでいる。防壁ではないと思われる低い壁も見とめる。家と家を区切るためのもののようだ。特別、外敵を気にして造られている様子はなかった。所々に木々が植わっているようで、緑が多かった。
5000年も昔。病院の窓から眺めることしかできなかった街の景色。かすかに記憶が残っているかも定かではない。それでも、この街よりは発展していたように感じる。
「基本、この世界は魔法でなんでもできちゃいますからねー」
「確かに。まあ、発展にも色々あるか。高層ビルが乱立するだけが、発展じゃないよな」
「なに1人で話してるの?」
アマナツからの呼びかけに、大介はハッとして振り返る。よそから見れば、独り言に見えてしまうのも無理ない。大介が話していた相手は、他の者には聞こえない声で話す守護天使なのだ。それをすっかり忘れていた。これまでずっと2人きりで過ごしていたのだ。天使を人ととらえるかはわからないが。普通の声量で話してしまっていた。
「あ、いや。街を初めて見たから興奮しちゃってさ」
頭を掻きながら、ヘラヘラと笑いかける。
「無理もないよ! ダイスケはなんにも知らないからな!」
アマナツの言葉にアマクサも加わる。茶化しているようだ。しかし、べつにバカにしているというわけではないようだ。ただ事実を述べている。そして、面白がっている。
この2人に、世間知らずのおのぼりさんと思われるのは少し癪ではある。しかし「今俺、天使と喋ってたんだ!」なんて言えるはずがない。そんなことをのたまえば、とんだ電波野郎だと思われてしまう。そっちのほうが損害が大きい気がする。なので、ここは前者を選ぶ。自分の軽率な行動が招いた結果なので仕方ない。
「もうすぐだよ」
優しい声が馬車前方から聞こえてくる。手綱を引く父ハッサクの声だった。待ち遠しいと思われたらしい。依然として顔は正面を向いていてわからない。しかし、その声からはにこやかに笑っているだろうと推測できる。
「そう言えば、ダイスケ君。学校行きたいんだっけ」
アマナツが前のめりになった。最初の自己紹介の時のことを覚えていたらしい。
「長年の夢だからな。この街には学校ある?」
「あるよ。ピスケ魔法学園ていうのが。ダイスケ君は17歳だから、通うなら高等部になるね」
ピスケ魔法学園は、第一から第四までの計4校ある魔法学園の総称だ。校内は、初等部・中等部・高等部の3段階に分かれて校舎が存在しており、闘技場や寮も存在している。
その他にも、生活に必要な物はある程度学校内で買い揃えることが可能となっている。それぞれ、かなり大規模な敷地面積を誇り、極端にいえば1つの社会を成していた。
初等部・中等部・高等部はそれぞれ、6歳〜12歳・12歳〜15歳・15歳〜19歳の少年少女が在籍しているのが基本だ。初等部・中等部までは一般教養を学び、高等部になるとそこに魔法学が入ってくる。この学校体系ば、ピスケだけでない。どの学校もほぼ同様の体系をとっている。
アマナツは17歳で高等部2年生、アマクサは16歳で高等部1年生である。
「俺たちは、第三に通ってるんだ」
「おお! じゃあ俺もそこに!」
「でもね?」
突然アマナツの顔が曇る。どこか申し訳なさそうにチラチラと見てくる。それを見たアマクサが、アマナツが言おうとしていることを代わりに話し出した。
「実は試験があるんだ。編入試験……」
「え!? そんなのあんの!?」
驚く大介に、やっぱりといった感じで、2人はハァとため息。文字通り、頭を抱えてしまった。それを聞いていたらしいハッサクとキヨミ。
「やっぱりか」
小声で苦笑いを浮かべた。頭を抱えたまま、指の隙間から、弟アマクサが大介を見る。
「筆記と実技。実技は何とかなりそうだけど。問題は筆記だよ……ダイスケ、学校に行ったことないんだろ?」
「お、おう」
学校に行ったことがないという話は、馬車の中で早々に終わらせた内容だった。引かれるかと身構え大介だったが、言った瞬間。「だからか!」とむしろ安堵された。正直、納得はいっていない。
「ま、まぁ。試験で言っても簡単に実力を見るためのものだし。よっぽどのことがない限りは多分! きっと……! 恐らく、大丈夫だと思う……気がするけど……」
「まじかい」
和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気が、一気にお通夜ムードに変化した。馬の蹄の軽快な音だけが鮮明に聞こえてくる。
大介も頭を抱える。規模や歴史は違うようだ。しかし、この星も地球であることに変わりはない。建物の様子も。人間の見た目も。懐かしさを感じる。つまり、変わりはないはずだ。ならば、魔法学以外の勉強は前の地球とほとんど変わらないのではないか。大介は、学校にこそ行ったことがないが、病院内で多少の勉強はしていた。時間だけはあったのだ。しかし、人間が5000年も前のことを憶えているのか。しかも、やったといっても限度がある。多少やってきたことを思い出せるのだろうか、いや無理だ。こんなことならば、守護天使にこの世界について色々聞いておくべきだった。嘆けども、時すでに遅し。
大介は、良くも悪くも5000年間退屈しない日々を過ごしてきた。寝る間もないほど退屈しない日々だった。目の下にクマができるほど、眠れない日々だった。目の前のことで精一杯だった。
しかし、原因はそれだけではなかった。実は大介。始めの頃に守護天使から「街について聞かないんですかー?」と聞かれたことがあったのだ。しかし大介はその問いに対して、一丁前に答えたのだ。
「いいのいいの。街に着くのはずっと先なんだから。それに、何も知らない方が楽しみも増えるだろ?」
そのせいで、それから守護天使は、街に関して一切なにも言わなくなった。律儀な守護天使だ。本当に、良いやつだ。
「フッフッフー。偉いでしょー? 」
「偉すぎるよ……」
ガクッと肩を落とし、うつむく。大きなため息が、馬車内を駆けめぐった。
「うん、えらいこっちゃだね全く。でもなんとかなるよ!」
アマナツはまた前のめりになっていた。両手をグッと握っている。どうやらまた独り言だと思われたようだ。
「そうそう。俺らも手伝うからさ! 頑張ろうぜ!」
言いながらアマクサが身を乗り出し、右手の親指を立ててグッドのサインを出す。なにもグッドなことはない。しかし、それでもやはり2人の言葉は大介にとっては心強かった。
「ありがとうなあ……」
前途多難だ。