忘れるのはもう少し先
遠くで見たときは気づかなかった。しかし、こうして目の前に立つとわかる。見上げるにはだいぶ首を曲げなければならないほど、大きな木々が映えている。ここは、キンリン王国の最南端に位置する街、ピスケの中にある山。より正確にいえば、山の前である。
「中には何人いる?」
アンチミュートの後方に立つ男から声がかかった。アンチミュートは、彼を一瞥する。さきほどしていた、なんとも言えない表情は、鳴りをひそめていた。真っ直ぐと向けられた視線は、「お前ならわかるのだろう?」と語っている。信頼という言葉にかこつけて、こき使うのがこの男である。
「5人はいるな。あとは、森の中に入ってみないとわからない」
アンチミュートは、首を傾けて森の中を凝視しながら答えた。
「事前の警備兼試験の敵役の教師だろう。1人残らず捕らえるとしよう」
口調には抑揚がなく、平坦で簡素な雰囲気を感じる。
「“殺し“は?」
物騒な言葉が、聞き慣れた女性の声にのせて聞こえてきた。振りかえらなくてもわかる、声の主はトリトルテだ。
アンチミュートは、鼻を鳴らして身体を翻した。トリトルテの顔を見ながら、眉毛を片方だけあげた。
「物騒な女だ。不要な殺しなんて、そりゃセンスがない証拠だぜ? 仕事は無駄なくコンパクトにこなさなきゃなあ」
「俺も、血を見るのはあまり好きじゃない」
ロンユの、低くよく通る声が響いた。ロンユが殺しをしたがらないことは、この場の皆が知っていることだった。すると、トリトルテが「はははっ」と乾き気味の笑い声を出した。
「ロンユ君は人が良すぎる。私はべつにどっちでもいい。重要なのは結果だ」
「“それ“は各々の判断に任せる。が、我々の信条は忘れないように」
男が周りをぐるりと見る。その忠告に対して、集団の中に声を出す者はいなかった。しかし、全員が首を上下に1度だけ動かす。それを見ながら、男も「よし」と聞こえるか聞こえないかという小声で応えた。
しかし、ここに1人だけ首を縦に振らず、首をかしげる男がいた。先頭に立つアンチミュートだ。
「信条てのはなんだ?」
アンチミュートは、自分たちの掲げる信条というものを知らなかった。信条などという、いかにも重要そうなことを自分がメモしていなかったことも気がかりであった。
「お前は知らなくていい」
「ああ?」
トリトルテを睨む。しかし、彼女の表情は思いのほか穏やかであった。アンチミュートは少し面食らった顔をする。
アンチミュートは思念する。よく考えれば、自分が書いていないということは、その程度のことなのだろうと思いいたる。知る必要もないようだからいいかと考え、身体をまた山のほうへ向けた。
「よっしゃ行くぞ。場所は俺が指示する。現場の指揮はロンユ君よろしく!」
ロンユは「はいはい」とため息をついた。
「殺すにしても捕らえるにしても、そのあとはどうする?」
「埋めるか? 頭だけ出しときゃ死にはしないだろう」
「見つかったら計画がおじゃんだろバカ」
今度はおそらく生意気な表情を浮かべていることだろうから、アンチミュートはもう振りかえらないことに決めた。これから、いつもより少しだけ長い1日がはじまる。いや、もうすでにはじまっている。今夜は寝る予定がないから。今日のことを忘れるのは、このこの仕事が終わってからになるだろうから。
ありがとうございました。




