子どもは風の子大人は火の子
闇夜にまぎれて動く人影は、なまじ常人の身のこなしではなかった。地面を踏んでも音がしないうえに、吹きぬける夜風よりも脚が速かった。今まさに向かいから歩いてくる男女の横を通りすぎるも、人とすれちがったことを気づかれる様子はない。男女は少し強く夜風が吹いたと感じたのか、「今日もまた寒いねー」などと言いあっている。
人影の数は21。その全てが、遠近感を失うほどに黒いコートに身を包んでいる。所々にスレた跡があり、黒が浅黒くなっている箇所があった。先が破れているものもある。なにかのシミが付着しているものもあった。年季のはいったコートだ。一方で、シワ1つなく、黒はもとの光沢を維持したままであるもの少数だが存在していた。着用しているのは、ロンユと歳のいった男。手入れが行きとどいている。
先頭を走るのは、アンチミュート。コートはひときわボロボロであり、シミをいくつもつくっている。他の追付いを許さない貧相さであった。
彼らは、明日に行われるレオナルド魔導学院3年生の進級試験。その会場である、ピスケにある山に向かっていた。しかし、彼らは決して試験を受けるために向かっているわけではなかった。その目的はただ1つ、試験を受ける生徒たちを捕らえること。それが、今回彼らに課せられた任務であった。
現在、キンリン王国の至るところで、生徒が誘拐される事件が多発していた。いまだにその目的も犯行の形跡さえも見つけることができておらず、捜査進展のあまりの遅さに、神隠しなのではないかと触れまわる者までいる不穏な騒動である、事は、国の最高戦力である魔導騎士団までもが動く事態となり、今世間を大きく震撼させていた。
そして、彼らこそが、その事件を引きおこしている張本人たちであった。レオナルド魔導学院の学生を捕らえる任務は、その集大成。すべては、この最終任務のための布石にすぎなかった。
「わざわざ真横通るとか……気づかれたらどうするんだよ……」
「あんなドモブの一般人に気づかれてたら、それこそ『どうする』だ」
「これからデカい仕事が待ってるんだ。これくらいの“遊び“はご愛嬌だよなあ!?」
彼らが拠点とする場所から、目的地まではそう遠くない。進級試験の会場は、毎年ランダムに選ばれる。しかし、彼らは当初から今年の会場となる場所に見当をつけていた。
「だいいち、『受けたら合格』とか、ずいぶん楽な試験だよなあ。そんな形だけの試験を襲撃とか、気も緩むってもんだろ」
アンチミュートの口はまったく動いていなかった。彼はテレパシーを使って言葉を仲間全員に伝達する。アンチミュートは斜め後ろを走る男を横目で見た。あんたなら答えられるだろという意味を強くこめて。男はその意図に気づいたらしかった。
「レオの試験は毎年変わらない。試験前に生徒たちに過度にプレッシャーを与え、ふるいにかける。そのうえで、実践的な試験を行うのが常だ」
直後、その男から全体へテレパシーが送られた。アンチミュートは、納得がいかないと顔をしかめながら返答する。
「その実践的な試験てのは、やる意味あるのか? 合格はもう決まってんだろう?」
「やる意味はある。もちろん、受けた時点で合格は決まっている。だが、途中で棄権する者が出ないとも限らない」
「たしかに。脳内シミュレーションと現場とでは、勝手が違うだろうからな。まして、現場も知らないガキどもなら、なおさらだろ」
唐突にテレパシーの中に入ってきたのはトリトルテであった。今日一日で、彼女は口が悪いと感じてはいたが、やはり口が悪いと再認識する。この女とは、絶対に口喧嘩だけはしないでおこうという意志も再度固める。
「そういう者をあぶり出すために、見せかけでもやる」
「先生は、“レオ“についてずいぶん詳しいよな? 試験受けたことでもあるのか? それとも……」
「珍しいじゃないか。君が、人の過去を気にするなんて」
「定型的な疑問だろ。あれだけ詳しけりゃ気にもなる。……言いたくないなら、別にいいが」
「言いたくないわけではない。言うまでもないことだから言わないだけだ」
と言いつつも、やはり言おうとしないことに少しの違和感を抱く。しかし、アンチミュートは直後に、彼が過去を語ろうが語るまいがどうでもよくなってしまった。
「ふーん。ま、言いたくないなら、別にいいが」
男は苦笑いを浮かべながら、少しあさっての方向を向いた。アンチミュートは、やはりなにかあるのだろうと感じながらも、やはりどうでもいいやと男から目線を外した。
「そろそろだよ」
ロンユ君の落ちついた口調が、脳に直接響く。彼の声を聞くと、どうでもよかったことがもっとどうでもよくなるような感じがする。イケボというやつか、癒される。
遠くに森が見えてきた。目的の山である。木々が茂る自然豊かな山だ。身を隠すのにはもってこいである。
「仕事がしやすそうないい場所だ」
ふと、なにげなくまた斜め後ろに目を向けた。すると、そこにはどこか哀愁の漂う表情を見せる先生の姿があった。アンチミュートは何事かと眉間に軽いシワをつくる。
「こういう場所は、恐怖を煽るのに丁度いい」
懐かしげな、それでいて哀しそうなその声も表情も、また忘れてしまうのかと思うと、もったいなく感じてしまう。それだけ、男の顔が良くも悪くも綻ぶ姿は貴重であった。
ありがとうございました。これからもちまちまほそほぞやっていきますので、よろしくお願いします。