いいわけ
今から1月ほど前。エルストレガまで残り1ヶ月を切り、学校内だけでなくキンリン王国全体が、今か今かと熱気を蓄えていた。
アルストとドロップは、1日の汗を流そうと風呂場へと歩いていた。風呂場は校舎や寮とは独立して置かれており、行くには必ず外に出なければならなかった。この季節、昼間の暑さはウソのように風が涼しく心地良く身体に当たる。しかし、長く当たり過ぎると身体の汗が冷たさを持ってしまいそうで、注意が必要だ。にもかかわらずその道中で急遽、ドロップは腹痛を訴えトイレへと戦線離脱してしまった。アルストはここにいても冷えるだけだとひとりで風呂場へと向かった。
そして、ドロップが無事激しい銃撃戦から帰還し、もう先に風呂に入ってしまっているだろうと思いながら、アルストの跡を追って風呂場に向かおうとしたその時。
何やら揉める声が耳に飛び込んできた。風呂場へ向かう足を止めずにいると、声は次第に大きくなる。どうやら、さきほどアルストと別れた場所から風呂場の方向へ少し歩いた場所で起きているらしかった。ドロップはその声の主の正体になんとなく見当をつけながら。本当は関わりたくないという思いを抱きつつ近づいていった。
「天才天才……五月蝿ぇなあ! 天賦の才ってのは、なにもしなくてももとから備わってる才能のことだろ? なあ、俺はなにもしてねぇやつに負けつづけてると。テメェはそう言いてぇのかよ。あ゛!?」
「う……違っ……そんなこと……」
「なぁ、ツバキのどこが天才なんだ? オイコラ言ってみろよ……あいつの“どこ“が天才なのか……言ってみろよお!」
予想的中。声の主はアルストであった。恐る恐る影から覗く。アルストが男子生徒の首ねっこを掴んで持ちあげていた。かなり怒っている様子が伝わってくる。ドロップでさえ、あれほどなににイラだっている彼を見るのは久しぶりだった。
しかしなんという剛力だろうか。アルストはその高い身長のせいで細く見られがちだ。実際は、かなり筋骨隆々な肉体をしている。それでも、相手は同年代の男子。それを軽々と持ちあげて、締めあげる余力まで残しているのだから末恐ろしい。
アルストの周囲には、誰がどう見ても今さっきアルストにやられたであろう者たちが鼻血を垂らしながら伸びていた。おそらく顔面を思いきり殴られたのだろう。アルストの親友であるドロップも、流石に口をおさえて引き気味だ。
「ツ……ツバキはっ……ぐああああ!」
聞くに耐えない唸り声が夜風に乗って広がる。「言ってみろ」と聞いといてこれである。今のところアルストに同乗のよちはなく、相手に全面的に同情してしまう。かくいうドロップもそのひとりであった。
「口開くんじゃねぇよ。ツバキが天才だあ? 俺にも勝てねぇ評論家どもがよ」
アルストの腕に血管が浮かびあがる。力が入っていることが、はたから見ても良くわかる。
「そういうのはなあ! テメェがあいつと同じだけの努力をしてから言え!」
大事なのでもう1度言う。「言ってみろ」と聞いといてこれである。少し間違えれば首の骨が折れてしまうのではないかと心配になる。案の定、そこから少しも待つことなく、締められている男は口から泡をふいて意識を飛ばしてしまった。
ドサッ
アルストは、相手が気を失っていることがわかると、そのまま丸めた紙を捨てるようにポイッと地面に投げ捨てた。
「うわあ……理不尽だあ」
「ドロップ、遅ぇんだよお前は」
ドロップのほうを見た素振りは1度もなかった。どうやら存在には、はなから気づいていたようで。できれば巻きこまれたくないのが本音ではある。これもアルストの親友である自身の運命かと観念して歩みよる。
「いやあ、ごめんごめん! 君の筋肉に見惚れちゃってさあ」
「……そんなだから、お前は周りから距離とられんだよ」
ドロップは、アルストのみたいな1匹狼的なポジションよりは、友達100人欲しいタイプだ。しかし、その生まれ持ってのテキトーさ。師匠譲りのポーカーフェイスによって張りついた笑顔が相まって、中々友達が増えないでいた。もはや順調に1匹狼ポジションに就いている。
そこを突いてくるアルストの嫌味も、ドロップは持ち前のテキトーさで難なくスルーする。そして、周りに伸びている彼らと話していた会話内容について言及を試みる。会話として成立してはいなかったが。
「アルストは、ツバキのこと嫌いじゃなかったっけ?」
純粋な疑問をぶつけてみる。ドロップだけではない。誰がどう見てもアルストとツバキの仲は最悪である。入学初日から今日まで、良好であった期間など1秒たりとも存在しなかった。
始め聞いた時、アルストは間接的に自身が弱いと言われていると感じたのだとドロップは考えていた。しかし、最終的な着地はどこか、ツバキを想っての行動であったふうにドロップは感じた。公式発表されている仲の悪さからは想像できない。だからこそ、ドロップは言及することにしたのだ。そして、それに対してアルストは頭を掻きながら、顔を顰める。
「あいつは関係ねぇよ。ただ、努力を才能で片づけるようなクソ野郎にムカついただけだ」
アルストは、思い出しても腹が立つと拳を握る。それとは対照的に、ドロップはまるで子どもを眺めるような穏やかな表情だ。内心では、正直なところあまり興味がなかった。また先生に呼びだされて連帯責任をとらされるだろうと思い、悟りを開いているだけであった。
「努力をすることは才能かも知れねぇ。だが、努力をして得た高度な技術も強靭な肉体も、それに費やした時間も、“才能“なんかじゃねぇんだ。“才能“なんかで片付けていいもんじゃねぇんだよ、絶対に!」
「そっか〜」
「興味ねぇなら聞くな」
アルストは、ドロップから顔を背ける。暗がりに灯る風呂場にアルストのピアスが反射して輝く。ピタリと止まった夜風に反して耳のピアスが揺れていた。
✳︎
「アルストには“魔力がない“からさあ? 色々思うところがあるんじゃない?」
ドロップの言うように、アルストには魔力がない。魔力量が少ない人間は数多くいる。それでも少ないというだけでゼロではない。そして、イチとゼロ。有ると無いでは雲泥の差なのだ。少しの魔力もなければ、物を動かすことも、防御魔法を唱えることも叶わない。みんなが普通にしていることがアルストにはできない。それが理由で、幼いころから苦労が絶えなかったであろうことは、想像にむずかしくない。アルスト本人は、自身の過去の話をしない。しかしその性格の曲がり方から、なんとなく普通の生活ではなかったと想像がつく。
✳︎
鬱陶しい目覚ましの高鳴り。ツバキは、眉間にシワを寄せながら時計に目をやる。時刻は、6時を示している。2度寝をしてしまわないうちに、半身を起こす。とくになんの意味もなく、部屋を見渡す。室内は薄暗く、下半身にいまだにかけられている布団も相まって、気を抜けば今にも眠ってしまいそうだ。ま
「よし……!」
日光を入れるために、カーテンを開ける。ふと遠くに人影が見えた。特徴的な髪型は、遠目からでもわかる。アルストだ。
まだ薄明るい場所で。ほかにはだれもいない所で。彼は、木刀を振っていた。時間的に外もまだ涼しいだろうに、上半身は裸であった。
彼は肩で息をしていた。ときおり、木刀を置いて両膝に手をつきゼェゼェとつらそうな表情を浮かべる。良く見ると、彼のいる地面は汗が滴りおちてシミをつくっていた。
いったい、彼はいつからそうしていたのだろうか。ツバキはまだ起きたばかりである。対して、彼はとめどなく流れる汗を拭っている。だれにみられるでもなく、ひたすら彼は木刀を振っている。
「昨日は走ってたっけ」
気づけば、時刻は6時10分になっていた。こうしてはいられないと、ツバキは部屋着に手をかけた。
✳︎
ツバキは知ってる。アルストの努力など、とっくに知ってる。誰よりも早く起きて、毎日鍛えていることなんて、遥か昔から知っている。
だからこそ負けたくなかった。自分の努力など誰にわかってもらえなくても良い。けれど、努力で負けたくはなかった。認めたくもなかった。彼の努力を認めることは、たとえ実力で勝っていても、負けなのだ。なのに。それなのに。
「わかってたの……?」
視界が歪む。まさか蜃気楼だろうか。蜃気楼だな。昼間使用した魔法がまだ解けてないんだと決めつける。きっとそうだと言い聞かせる。
「天才だって……バカにしてたクセに……」
なんで目頭がこんなにも熱いのだろうかと考える。頭が上手く回らない。きっと自分が灼熱のツバキだからだという結論に辿りつく。絶対にそうだと確信する。
目から火が出る特訓なんてしたことはない。これがまさか天賦の才というやつなのだろうか。我ながら末恐ろしいと身体を震わす。
「なんの役に……立つんだろ……」
どうして涙が溢れてくるのだろうか。目もとに力を込めて、止めようと試みる。しかし、涙は頬を伝うことを止めない。
「あ……そっか……」
おそらく、これは闘いで出た水蒸気。残っていたのだ目の中に。見たこともない量の水をかぶったから。入りこんでいてもなんらおかしくはないはずだ。それを、帰ってからシャワーも浴びずにずっと放置していたのが良くなかったようだ。
いつの間にかドロップはいなくなっていた。暗い部屋から一歩出て、明かりが灯る、ここは女子寮の廊下。誰が来てもおかしくない。しかしなぜだか今日は誰もいなかった。みんな、食堂にいるのだろう。行かないといけない。みんなが待っているはずだ。
ツバキの思考とは裏腹に、崩れ落ちた身体は錨を下ろした舟のように動かない。時々、波に揺られてグラつくが、やはり立ちあがれない。今ならどんな荒波が来ても転覆しない自信がある。身体は重くその場から離れようとしない。決して行きたくないわけでは、ない。
寮にも廊下にもツバキ以外は誰もいない。背後には明かりもつけずに過ごした自室が開けっぴろげになっている。時計の秒針の音がかすかに聞こえてくる。
王国で1番強い女子高校生。その華奢な腕は、身体を抱きしめて離さなかった。冷えた床にへたり込んでいるのに、なぜかどこも冷たくない。つしろ暖かさすら感じていた。炎は使っていないのに。ツバキには理解できなかった。今までひたすら勉学と鍛錬にあけ暮れてきたツバキでも、わからないことがまだあった。
「きっと、試合の疲れだ……」
絶対に。




