ヤンキーと天才
即座に振りかえり、時間を確認する。目覚まし時計は、ベッド横にある棚の上に置いてある。廊下の明かりにやられて、部屋の中は暗すぎてなにも見えなかった。しかたなく、部屋の電気つけて再度確認する。
時計の針は、18時40分を示していた。夕食の時間を10分ほどすぎている。少し長居してしまったようだ。早く食堂へ行かなければと心の中でつぶやいた。
「天才ともなると、時間感覚もなくなるのかあ?」
さっきまでずっとツバキの頭の中を巡っていた天才という言葉。この男の言う「天才」は、しかし他のものとは違っていた。これでもかと強調してツバキにぶつけてくる。
おそらく彼は、ツバキが自分を天才と呼ばれることを嫌がっていると知っているのだろう。どのようて勘づかれたのかは知る由もない。しかし、正直なところツバキにはどうでも良かった。たとえどんな理由だろうとも、癪に触るのだから。
きっと彼は今、片方の口角を異常に上げて、眉毛を左右反対に移動させているに違いない。腕なんかも組んで、開かれたドアに身体を預けていることだろう。見なくてもツバキには容易に想像できた。
そして案の定、アルストはまんま想像どおりの格好で立っていた。1つだけ違うところがあったとすれば、ツバキの考えていた以上にムカつくということくらいであった。
なんて腹の立つポージングだろうか。なぜ、自分が見おろされなければいけないのかとツバキはと顔を顰めた。ツバキの身長は、170センチメートルある。女性の中では比較的高身長の部類であった。しかし、アルストはそれをはるかに超える190センチメートル越えの長身なのである。否が応でも見あげる形になってしまう。
「というか、なんであなたなの?」
仲の良さなど、いわずもがな。普段よく話すわけがなかった。そんな彼がなぜ自分の部屋に来たのか、ツバキには理解できなかった。今も、なにかあるのかと疑いの目をむけている。すると、アルストは、頭を掻きながら口角を下げた。
「テメーの取り巻きどもが、五月蝿くってしょうがねえ! 男連中も呼びにいくとか言いだして揉めてやがんだ!」
「はあ?」
心底嫌そうな顔である。ツバキが、アルストと対面する時よりも不機嫌そうな表情をしている。そして、ツバキは「男連中」という部分に引っかかった。
「女子寮は、男子禁制なの知らねぇのか!?」
「あなたも男子でしょ」
レオナルドの女子寮は、当然ながら男子が入ってはいけない。アルストの話から、ツバキを呼びにいこうとした女子たちに、男子がどさくさに紛れて着いていこうとした。といったところだろうが。アルストも男である。
着痩せするタイプではあるが、筋骨隆々な男だ。共同スペースだろうがどこでも上半身裸でうろつく。自分の肉体美をこれでもかとアピールしてくる男だ。
「それに! 彼らは友だち、取り巻き呼ばわりはやめて」
すると、アルストは小馬鹿にするように鼻でフッと嗤う。
「へえ〜……で? その友だちに泣かされたのか」
「え……」
ツバキは硬直した。なぜだ。いや、泣いていない。泣いてはいない。暗がりで良くは見えなかったが、ツバキは一応自分の顔を鏡で確認してからドアを開けた。絶対に違うと言いきれる。この男の出まかせだとハッキリわかる。全くもって、泣いているわけがないと。
一瞬鏡の前へむかおうとした足を、寸前でとめる。身体も少し左へ傾いてはいるが、他人に気づかれるほどではなかった。
「泣く理由が、ないわ」
ツバキ自身、声が小さくなっているとわかった。さっきまでの威勢がないことが我ながら良くわかった。その様子を見たアルストは、軽いため息をつく。
「まあ。どうでも良いが……」
じゃあ聞かないで欲しいとぼやく。
「とにかく。お前が来ないと、落ちついてメシも食えねぇからさっさとしろ」
どうやら食事は静かにしたいらしい。この男は、行儀が良いのか悪いのか理解に苦しむ部分がある。
しかし、今はどうでもいい。その命令口調に、ツバキは我を取りもどすことができたのである。ツバキは、息を吸う間もなくすかさず言いかえす。
「うっさい! クソトサカ消えろファッ」
バタン
勢いよくドアが閉められる。ドアの向こうから、足音が聞こえてきた。音は徐々に小さくなっていく。ツバキは、震える身体を抑えこむように、静かにうずくまる。握りしめられた両手はプルプルと震えていた。
「く、こんにゃろおお……」
少しして気分が落ちついてきたところで、鏡にむかう。一応、本当に一応の確認を、念のためにとる。
やはり涙など一雫も流れていなかった。流れた跡もないうえ、眼球が赤くもなっていない。清潔な純白であった。いつも通りの顔だ。髪の毛も乱れていなかった。服は少しヨレている。それはベッドでゴロついていたのだから、逆にこれくらいで済んでいることを褒めていただきたい。
「やっぱり出まかせね!」
服を伸ばしつつ、髪の毛を指で軽くとかす。前髪をパッパといじると、すぐに部屋の明かりを消した。
✳︎
もうすぐ19時になろうとしていた。食堂は基本的に19時半にラストオーダーとなるため、まだまだ余裕がある。食堂全体の賑わいはまさにピークを迎えようとしていた。
「またなんか嫌味言われたんでしょ?」
「え!?」
「だってずっと怖い顔してるし。さっき女子寮からアルスト出てきたの見えたし」
思いかえせば、黙々とご飯を食べいた。いつもならば、もっと話しながら食事をとっている。隣に座っている女子生徒は、心配そうにツバキを眺めていた。
「ツバキを怒らせるのはいつも彼だわ」
また別の女子生徒は、呆れながらアルストを顎で指す。ツバキとアルストの仲の悪さは周知の事実であった。
「またアイツか。ツバキに負けまくってるからって妬んでんだよ!」
男子生徒が言うことは事実であった。
レオナルド魔導学院は、数多くの魔導師を輩出している国内トップの名門校である。そんなレオナルド魔導学院では、実戦形式の訓練におもきを置かれていた。
人間とは、見て聞いたことを身体で覚える生き物である。そのうちの、身体で覚えることをここでは第1に考えているのであった。
実践形式の訓練の中に、模擬試合というものがあった。生徒同士で戦い、どちらかの戦闘不能または降参によって勝敗を決する。もちろん、教師が判定員として付きそうことが絶対条件である。戦闘不能といえど、最悪の事態は皆無といって差しつかえなかった。いわば、エルストレガの学内版ともいえる。
ツバキは、模擬試合で負けたことがなかった。それは、アルストも例外ではなかった。
「今回だってアイツ、素行の悪さで大会出場停止くらったんだろ!?」
アルストは決して弱くない。むしろ同学年の中でもトップクラスの実力者であった。だからこそ、学内で2名のみが選ばれるエルストレガの代表選手になることができたのだ。しかし、その実力以上に素行の悪さが目立っていた。
「素行が悪いのは昔からでしょ」
フォローなどするつもりは毛頭ない。ツバキの箸を持つ手に力が入る。
「『校則第1条・生徒間の私闘の一切を禁じる』、これを破ったからでしょ」
✳︎
今から1ヶ月ほど前のことだ。アルストが生徒数人に怪我を負わせるという事件が発生した。それが授業中の模擬試合ならば、大した話ではない。怪我自体もそれほどのものではなかったし、試合中の怪我など日常茶飯事であったからだ。しかし、今回の事件は極めて個人的な理由であり、日常の中で起きた暴力であった。
「カスどもがビャービャー五月蝿ぇから黙らせた」
悪びれることもなく。明後日の方向を向きながら。頭を掻いて、あくびまでしていたらしい。隠すこともなく堂々と教師陣と被害生徒の前で言ってのけたのだという。
当然、アルストは決まっていた大会への出場は反故にされ、その他にも数多のペナルティが科せられていた。
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「校則の1番最初に書かれてるものを破るって、正気の沙汰じゃないわ」
全国の実力者がそろう学校である。生徒1人1人が、一般的な威力を超える魔法を扱える。3年生ともなれば、その実力の平均値は他校とは比較にならない。私闘の禁止は風紀と生徒の安全を守るうえで欠かせなかった。それを破った男が、歴史ある大会に出場できるわけがない。
チラリと広い食堂のはしを見る。そこには、例の男が、友人と2人で夕食を食べている姿があった。腐っても名家の出である。ピンと伸びた背筋と、食事を口へと運ぶ仕草には品格さえ感じられる。首から上に目を向けなければ、ずいぶんしつけの行きとどいて見えた。
ツバキはいったん目を閉じて、目の前の夕食に視線をもどす。イラだちの原因について考えることはやめにした。




