(九)ノ3
「どこに隠れている? 出てきたらどうだい?」
古墓地の前に立つ男は、あさっての方を向きながら声を張った。それはつまり、待ち伏せを想定した上で姿を見せたという事だった。
傍らの真奈が顔を上げて、鶴岡へと目を向けてきた。どうしようかと訴えていた。鶴岡は迷った。
だが、すぐに立ち上がった。
不意をつく。土居薫の遺体を確認しようと掘り起こすところを背後から襲う、という目論見は最早成り立ちそうにない。
ならば、面と向かって対峙するしかないのだろう。腹を決めた。
「行こう」と、鶴岡は真奈に告げ、その手を取って体を引っ張り上げた。
雑木林を抜け、古墓地へと出る。
鶴岡と真奈は、男とは距離を残して立ち止まった。男は山に入るの備えたのか、普段のジャケット姿ではなく、トレーニングウエアを上下に身に付けていた。
気配を察したらしい。男がこちらへと振り返った。
薄らいだ空を背景に、不敵に浮かべた笑みが、頬に濃い影を落としていた。
「やはり、キミだと思ったよ」
西村の目が真奈へと向いた。視線を受けて、射竦められたかのように真奈は体を固くした。
つまり西村は、真奈が待ち伏せしていると分かっていた。それで鶴岡は、己の失策に気付いた。
考えてみれば、真奈の素性は既に西村に知られていたのだ。東野恭子を通じての鶴岡の伝言を、西村は真奈からのものだと捉えた。
匿名で『土居薫』を持ち出して焦燥感を煽るつもりが、最初から西村は真奈と対峙する気で、ここに来たのだった。
真奈抜きでやろうと行動を焦ったせいだ。鶴岡は自分の浅慮さを罵った。
「それで」と、西村の目が今度は鶴岡へ移った。
「隣の御仁はどなたかな? お父さ……、いや失礼そんな人はもういなかったんだね」
鶴岡はその煽りを無視した。名乗りもしなけければ、この期に及んで由布子の名前を出す必要性も感じなかった。
この男と話す事などもう、何もない。
今、目の前に西村と相対して、鶴岡は不思議と冷静だった。
憎む感情はもちろんある。ただ、由布子の本当の心を知って、どこか一区切りついたような、そんな思いがあるのも、また確かだ。
だが、だからといって殺意が霞んだわけでない。この場で西村を殺す。その事になんの迷いもない。
ただそれは、もう己の復讐の為なんかではなかった。
鶴岡はゆっくりと前へと歩み出た。
近づきながら、さりげなく手を背中に回す。そして隠していた包丁の束を握った。
そのまま距離を詰める。
西村は訝りながらも、鶴岡を見据えたまま動かない。近づく男の意図が見えずに、出方を伺っているようだ。
だから、もう少しだけ距離を詰められそうだ。
あと少し。そうしたら一気に突進して、この包丁を突き立てよう。
場所はどこだっていい。一度で仕留める必要はないのだから。とにかくまずは逃がさぬように動きを止める。
鶴岡は、首を絞めて終わらせようと決めていた。
真奈の姉、小山理沙は親に首を絞められて死んだ。そして由布子もまた、そうやって土居薫を殺めてしまった。
この男は、その場で見ていた。
首を絞めても人は即座に死んだりしない。ましてや女性の力だ。止める時間はいくらであったはず。
なのに、この男はそれをしなかった。
西村は自分の代わりを由布子にやらせたのだ。由布子に土居薫を殺させた。由布子を殺人者にしたのはこの男だ。
だから土居薫が眠るこの場所で、彼女とそして理沙がされたのと同じやり方で殺してやろう。それがこの男に相応しい最後だ。
さすがに緊張が高まった。視野が極端に狭くなる。目の前の男以外は目に入らない。
その西村が、何かを口走った。
なんと言ったのだろうか? 心臓の音がうるさく聞こえない。
まあ、いい。このまま……
どこを見ている?
絡み合っていた西村の視線が逸れた。横に動くものを追っている。
何を?
不意に、背中に回していた方の手に痛みが走った。
その衝撃の理由を確認する間もなく、すぐ横を彼女が駆け抜けた。
「真奈っ!」
視野狭窄が解かれ、鶴岡は叫んだ。真奈は両手で包丁を握っていた。今しがたもぎ取られたのだ。
西村めがけて突進していく。
だが、駄目だ。まだ距離がありすぎる。
西村は驚愕の表情を浮かべながら、「うわっ!」と叫んだ。腰が抜けたようにしりもちをついた。
それで包丁の切っ先が躱される。目一杯の空振り。真奈も体勢を崩して倒れ込んでしまった。
喚き声が、響いた。
叫んだのは、西村だった。西村は真奈が倒れたのを認めると、本能的に攻勢に転じた。
すぐに真奈の体の上に馬乗りとなり、細い首に両手を巻きつけた。
鶴岡は咄嗟に駆けだした。そのまま西村に体当たりを見舞う。二人してなだれ込んだ。
勢いが余って鶴岡は、すぐそばの墓石に頭を打ちつけた。激しい痛みに目が眩み、うめき声が口から漏れた。
西村が体を起こした。そして転がっていた包丁に飛びついた。その目が、首を押さえて苦しそうに咳き込んでいる真奈へ向けられた。
「しまった!」
声にならぬままに叫んだ。頭の中で衝撃がこだまして視界が歪む。体がいう事をきかない。
それでも懸命に力を振り絞ると、鶴岡は駆け転がりながら、真奈に覆いかぶさって抱き止めた。
下から空を見上げる。目の端に、包丁を掲げた西村の姿が映った。
鶴岡は地面を蹴った。真奈を抱きながら地面を転がり、振り下ろされた刃先を、寸前で躱した。
ふっと、重力が抜けた。そう感じた途端、体が急加速に地面へとめり込んだ。音を立てて、生い茂った藪へと飲み込まれていく。
反射的に真奈の体を包み込むように庇う。直後に強い衝撃が背中を襲った。うっ、と息が詰まる。
平坦に見えた地面の一部が、急傾斜の崖になっていたのだ。藪に隠れて気付けなかった。
激痛に顔を歪めながら、周囲を伺う。生い茂った藪に包まれて視界が効かない。
三、四メートルほど下に落ちたらしい。それでもその藪がクッションを務めたようで、大事には至らなかったか。
「大丈夫か?」
真奈に問いかける。ん、と真奈は小さく返事をした。反応があった事にまずは安堵する。
「けがはないか?」
「それよりも!」
気を取り直した真奈が、鶴岡の胸の上で顔を上げて、視線を崖の上へとやった。
すると頭上で、笑い声が響いた。
崖の縁に立ち、見下ろしてくる西村は、顔を醜く歪めていた。笑っているようであり、泣いているようにも見えた。いろんな感情が入り混じったものだった。
西村の甲高い声が、鶴岡の感情を刺激する。
「くそっ」
鶴岡は言葉を吐き捨てた。崖の下。これではどうする事も出来ない。
しばらくして、西村の笑い声が止んだ。




