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唇歯輔車  作者: akisira
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(八)ノ7

 観音山のその姿を外から眺める事はあっても、実際に足を踏み入れたのはこれまでなかった。

 それは鶴岡だけでなく、目の前を歩く真奈も含めて、おそらく多くの人がそうであろう。登山道らしきものはなく、藪山と言えた。


 雑木林は傾斜面に堆積した落ち葉で足元が滑りやすく、地表に這う木の根を覆い隠して、つま先を引っ掻けようと罠を張る。

 とにかく歩きにくかった。鶴岡はランチボックスのバックを手に提げての登山を早々に諦めた。

 どうせ誰も来ないだろうと、木の根元にバックを置き、帰る際に取りに戻る事にした。


 登り始めた最初のほうこそは鶴岡が先行して、真奈が付いてくる形であったがやがて、ほれ、ツルちゃんしっかり、と追い立てられる様になり、そして結局は抜かれた。

 先を行く真奈の足取りは軽快そのもの。付いて行くのがやっとの状態。鶴岡は彼女の背を見ながら、若者の体力を心の底から羨んだ。


 頂上近くに到達すると、今度はそのまま尾根から山を下る。ここからは鶴岡が先行した。

 途中、今にも木々に飲み込まそうな枯れ沢らしきものがあり、それを辿って進んだ。

 ねえ、と真奈が背後から声を掛けてきた。

「まだ着かないの?」

「たぶん、もう少しだと思うぞ」

 鶴岡は前を向いたまま応えた。

「いいかげんにさ」と、真奈は鶴岡の背中のシャツを、ぐいっと引っ張った。

「どこに行くつもりなのか教えてよ」

「土居薫が埋められている所さ」

 鶴岡は立ち止まって、背後へと振り返った。虚を突かれたのだろう。真奈は『お』を発音する形で口を半開きにした。

 登山は距離が大した事なくとも体力を奪う。さすがの彼女も、顔に疲れの色で化粧を施していた。前髪が汗に濡れて額に張り付き、頬は秋を迎えたイロハモミジのように赤く染まっている。


 鶴岡はその場で周囲の様子を伺った。

 樹木が鬱蒼と空を覆う。曇天の下にいるのと変わりなく、暗く陰気な景色が続いていた。気温は高くないのだが、風も遮られて蒸し暑い。

 額の汗を腕で拭う。湿った髪を両手で無造作に後ろへと流した。

 もう中腹あたりまでは下っている。目的地に到着する頃合いのはずだった。もう少し先だろうか。鶴岡は真奈を促し、また歩みを進めた。


 すると、木々が開けた場所が見えた。空から差し込む光で、ハイライトに浮かび上がっている。薄暗さに目が馴染んでいたせいか、その場所がやけに明るく感じた。

 ここだ。ようやく到着した。航空写真で見たのはこの辺りだ。

 鶴岡は、着いてみて何の場所であったのかを知った。

 やや開けた土地に、古く朽ちかけた墓石が十数基。ここは古い墓地だった。


 鶴岡は立ち止まって、肩で息をしながら、山からの下界の景色を眺めた。予想通りの建物があった。

 見つけた。やはりそうだ。

 遅れてやってきた真奈が隣に並び立つ。鶴岡は腕を伸ばし、自分が今見ているものを指し示した。

「あれって」真奈は上がった息のまま尋ねた。

「光南高校だ」

 鶴岡は応えた。ああ、ホントだ、と真奈が小さく驚いた。


 観音山公園と光南高校。普通に道を歩けば、距離は七、八キロ程に離れている。だがそれは、観音山の広がった裾野と大池を避ける為に、ぐるりと回り道になっているからだ。

 俯瞰で見ると、観音山を挟んで公園から反対の位置に学校があり、直線距離ならば随分と近くに二つはあったのだ。

 今朝、本屋で何気なく眺めた地図で気付いた事だった。


「真奈」鶴岡は問いかけた。

「何度か、あの校舎の中に入った事はあるね」

 うん、と真奈は頷く。

「東野恭子を探して、三年の教室にも行ったはずだが、校舎のどのあたりか、ここから分かるかい?」

「分かるよ。手前側の建物の三階。たしか、あの辺」

 指さした先を確認し、鶴岡はやはりな、と頷いた。あの位置からなら、ここが見えるはずだ。

「由布子は友人の土居薫を学校の裏山に埋めたと、そう告白したらしい。光南高校から見て、この山がそれに該当すると思うんだ」

「来る途中でツルちゃん、そんな感じの事を言ってたね。で、それがここになるのの?」

 ああ、そうだ、と鶴岡は応えながら数歩その場を離れて、小さな墓石の前にしゃがんだ。

 そして、野草に埋もれた地面をそっと撫でる。

「おそらく、ここら辺に埋めたのだと思う」

「なんで、そう思うの?」

「死体は墓の下ってやつだよ」

「単純すぎじゃない?」

「かもな」鶴岡は短く笑い、「でもな」と口調を改めた。

「由布子は当時三年生で、そして教室から土居薫を埋めた場所が見えると怯えていた。そうなると範囲は限られてくるんだ。樹木に覆われた所とは考えにくい」

 真奈は、「ああ」と小さく二度、頷いた。

「教室から見える位置で、木で隠れてない場所。それをさっきスマホで探していたんだ――」


 鶴岡は、そうだ、と応え、目の前に羅列する墓に目をやった。墓石は小ぶりなものばかりだが、その大きさも形もばらばらだ。

 長方形に成形されていたり、自然石をそのまま墓石にしたようなもの、幼子を埋葬したのか、お地蔵様のような彫刻が施されたものもある。

 どれも古く、長年の風雨に角は取れ、表面は荒れている。文字が刻まれた形跡は認められるものの、判読が出来る代物ではなかった。

 年代にもばらつきはありそうだが、一番新しいものでも昭和初期以前か、おそらく相当に古いものだと伺い知れた。そして、とうの昔に放置されてしまっている事も、見れば明白だった。


「しかもおあつらえ向きに、ここには古墓地があった。墓には人が埋葬されているものだ。ならば万が一誰かに見つかっても変じゃあないだろ?」

 うーん、いやそれは、と真奈は首を傾げた。

「さすがにどうだろ。お墓とはいえ、そんな古臭いところから、真新しいのが出てくれば、いくらなんでもこれはおかしいってなるよ」

「昔はね、真奈はもちろん、オレも生まれるずっと前は、土葬が一般的だったんだ。今のように火葬して骨壺に入れて墓の下に収めたりはしなかった。おそらく以前は麓の学校があったあたりが村か何かだったのだと思う。そして亡くなった者は耕作に向かない近くの山に埋めていたはずだ」

「それが、そのお墓って事?」

「たぶんね」

 鶴岡はそう返しながら立ち上がった。そして、真奈を正面に見据える。

「十年だ。十年、隠し通そう。それくらいの時間が経てば、殆どの物が分解され、あとは大きな骨が土色となって残るだけだ。万が一掘り起こされたとして、でもそんな骨なら墓の下から出てきても、おかしいとは思わない。おかしいと思わなければ厳密に調べられたりはしないはず。西村はそう考えたのではないか?」


 真奈はすぐには返事をしなかった。鶴岡から視線を離し、校舎を見下ろした。

 それから少しの間、考え込んだ。やがて、静かに頷いた。

「それ、その通りかも。そんな気がする」

「もちろん可能性の話だ。だが、決して低くはないはずだ。正直に言ってしまえば、もうほとんど確信している」

「掘り起こして確認してみる?」

「いや」鶴岡は首を横にふった。

「それこそ十年以上経っているんだ。掘り起こしたところで、それが土居薫であるかどうかなんてオレたちには分からない。それは埋めた本人にやってもらおう」

「それって、どういう……、って、あ、まさか、ツルちゃん」

「この場所を知っている者がいる。奴にそう伝わればいい。そうすれば心配になって確認せずにはいられないはずだ」

「来る、かな?」

「来るさ。奴にはもともと、東野恭子との逢引きで早朝に出かける習慣がある。動くならその頃だろう。その時間帯にここで張っておけば、きっと姿を見せる」

「来たら、そしたら?」鶴岡へと見上げる目が、不安気に揺れていた。

「穴を掘りはじめる。土居薫の骨が無事がどうかを確認しようとする。やるならそこだ。穴掘りに夢中な所を背後から襲う。そして奴が掘ったその穴に埋めてしまえばいい」

 じっと見つめてきていた真奈の目が、やがて伏せられた。彼女はうつむき、そのまま鶴岡のすぐ傍へと寄ってきた。うなだれた頭を鶴岡のみぞおちあたりに押し当てる。

 真奈は、うん、と頷いた。そうだね、と言った。

「それなら人目のつかない場所にさらう必要もないし、隠し場所も確保出来る。いいよ、ツルちゃん。私はツルちゃんを信じる。だから、そうしよう」

「決まりだ」

 うん、と真奈は、もう一度小さく頷いた。鶴岡は彼女の細い両肩を抱いた。

「土居薫を埋めた場所に、今度は西村自身を入れてやる。十年以上見つからなかったんだ。ここから後さらに十年、隠し通せればいい」

「十年か」真奈はつぶやく。

「長いね」

「耐えられるか?」

「うん、大丈夫だよ」

 真奈は笑ったようだった。

「独りじゃあないもん」

「ああ」鶴岡は頷き、毅然と言った。

「一緒だ。二人で耐えよう」

 うん、と応えた真奈の体が小刻みに震えた。彼女の肩を抱いた両腕から、それが鶴岡へと伝わった。

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