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唇歯輔車  作者: akisira
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(八)ノ6

 サンドイッチは二人共に三切れずつを食べた。空腹というスパイスがなくなると、これ以上は手が出にくい。

 鶴岡はひたすらコーヒーを啜った。パックの豆で全自動の機械任せ。鶴岡が腕を振るう余地はまるでない。それでも味は良かった。


 真奈はコーヒーの味にまだ慣れていないのだろう。半分ほどが残ったカップを置いたまま、それ以上は手を付ける気配がなかった。

 彼女は先ほどから、あさっての方に顔を向けている。


 どこを見ているのだろうか。鶴岡は視線の先を追ってみた。

 芝広場の中央付近では、幼い男の子とその父親らしき男性がフリスビーで遊んでいる。さらにその向こうの遊歩道でジョギングする女性。遠くからでもその体形から中年である事は伺い知れた。

 だがこれらを見ているわけではなさそうだ。

 遊歩道のさらに奥にある、大池に意識が向けられている。


「ねえ」と、真奈は池の方を見つめたままに言った。

「あいつって、七十キロくらい?」

 聞き返すまでもなく、あいつとは西村の事だ。痩躯で背は鶴岡よりもやや低い。ならばその程度か、以下といったところだろう。

「ワタシとツルちゃんの二人でも運べるよね。それぐらいなら」

 その言葉で、真奈が何を考えているのか察しがついた。

「池に沈めるつもりなら、あまり賛同は出来ないな」

「なんで?」

 真奈は鶴岡へ振り返った。

「五年くらい前かな? 雨がまったく降らずに干ばつになった事があっただろ。覚えてないか?」

「ああ、あったね。夜は断水で、小学生ながらに大変だぞって思った」

「その時にこの池は完全に干上がっているんだ。今後もそんな事態になれば、確実に見つかる」

「でもさ、見つかっても溺れたとかって思わないかな?」

 それは無理だ、と鶴岡は首を横にふった。

「溺れたからと、人は水には沈まない」

「そうだっけ?」

「時代劇とかは――、見ないか。ほら、ドザエモンが川べりに漂着しているシーンとかがよくあるのだが」

「なんか、小さいころに見たような気もする」

「人は死ぬと腐るだろ? 腐敗していく過程で体内に発生した大量のバクテリアの出すガスが、強力な浮力を生むと聞いた事がある。人を水に沈めようとするなら、ガスを逃がす為に腹を切り裂いて、さらには相当な重りも必要になるんだ。そんな死体を見て、溺れたなんて思うか?」

「そりゃあ、まあ、思わないよね」

「あの時ほどの干ばつはそうは起こらないだろうが、日照りが続く事はよくある。その際、池の水位は案外簡単に下がるんだ。沖に出るボートを用意出来ないのなら、池のほとり付近に沈めるしかない。多くの人目に晒されるこの場所だ。あっさりと発見されてしまうと思うぞ」

「うん、分かった」真奈は頷いた。

「ツルちゃんの言うとおりだ。池に沈めるのはやめたほうがいいね」


 真奈はうつむくと、「浅はかだったな」と小さくつぶやいた。

 落ち込んだのだと気付き、鶴岡は後悔した。少し無下に言い過ぎたようだ。

「いや」と、鶴岡は口調を柔らかくした。

「正直に言えば、実はオレもまったく同じように考えていたんだ」

 真奈は顔を上げ、弱々しい目を向けてきた。

「そう、なの?」

「ああ」鶴岡は、池の方に顎をしゃくった。

「あそこに沈めてしまえ、ってね。今朝も、オレはこの公園に来たんだ。池を眺めながら本気で考えて、実際にそうしたらどうなるか、ずっと考えてた。だから無理だと結論を出せた。もしもその時に真奈が傍にいれば、オレも同じ提案をしてみただろうな」

 実際はそんな事を考えていたわけではないが、これで慰めになるだろうか?

 見ると真奈は、曖昧な笑みを口元に浮かべていた。やはり嘘が下手だ。気遣っての発言だと大方見抜いたようだった。


「でも、じゃあ、どうしようか?」

 立てた両ひざを抱えて、その上に顎を乗せながら真奈は意見を求めた。自身も眉根をよせて考え込んでいる。

「一つ、思っている事があるのだが」

 鶴岡の言葉に、真奈はその姿勢のまま、どんなの? と目だけを向けてきた。

「あ、そうだ、真奈。今、スマホ持ってるか?」

「ん? そりゃあ、持ってるけど」

「ちょっと、貸してほしいんだが」

 えー、と真奈は不服そうに顔を歪めた。

「いやだ」

「個人的なものを覗きたいわけじゃあない。少しネットを使いたいだけだ」

「なに? ツルちゃん、ネット使えるの?」

「オレをなんだと思っているんだキミは。いいから貸してくれ」


 変な所は触らないでよ、とくれぐれも念押ししながらも、真奈は認証ロックを解除させてからスマートフォンを手渡してくれた。

 鶴岡はアイコンを指先で押してインターネットの地図を呼び起こした。内蔵されたGPS機能が、今自分たちがいる近郊を最初に表示させた。

 地図はスイッチ一つで簡単に航空写真に切り替えられる。その写真を指先で操作しながら、拡大縮小を繰り返して探した。

 脇から覗き込んできた真奈は、「へえ、ツルちゃんスマホ使えるんだ」と完全にバカに仕切った感じだ。

 当たり前だ。以前はスマートフォンぐらい持っていた。そこまで前世紀の遺物ではないつもりだ。


 これ、かな?

 鶴岡は、自分が思っていたそれらしきものを見つける。今朝、本屋で地図を見て、よもやと気付いた事だ。

 少し広角にして位置関係を確認する。

 やはり条件にはまっている。行って確かめてみる価値はありそうだ。


「ありがとう」

 鶴岡は真奈にスマートフォンを返す。

「もう、いいの?」

「ああ、いや、これから実際に行って確認しようと思う。真奈も付き合ってくれるか?」

「それはもちろん。けどさ、どこに行くのよ」

 あそこだよと、指さす。その先にはこんもりと樹木に覆われた低い山がある。

「観音山?」真奈は聞いた。鶴岡は頷いて見せた。

「確認したいって、そこで何をするのよ」

「それは着いてから話すよ」鶴岡は言い、それよりも、とサンドイッチの入った容器に視線を落とす。まだ二切れが残っていた。

「これ、食べてしまってもいいか?」

「いいけど、別に無理しなくていいよ」

 いいや、と鶴岡は容器を引き寄せて、サンドイッチをつまみ上げた。

「実はまだ、腹が減っているんだ」

 言いながら頬張った。その様子を傍らで眺めていた真奈がやがて、小さく笑った。

「ねえ、ツルちゃん?」

「ん?」

「次はちゃんと聞くから。だから、また教えてね、作り方」

 ああ、いいぞ、と鶴岡は応じた。

 真奈は地面に置いたカップを手に取り、真剣な表情でその中身を見つめた。そして覚悟を決めると、残ったコーヒを一気に飲み干した。

 カップから口を離した真奈は、とても苦そうにしかめた顔になっていた。

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