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唇歯輔車  作者: akisira
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(八)ノ4

 夜も明けきらぬうちから、鶴岡は観音山公園のベンチにいた。遊歩道を挟んだ先で、池が黒く広がっている。

 ただ、眺めていた。

 手には由布子が残した遺書、のようなもの。封筒の中は手紙など彼女が書き残したものは入っていなかった。

 それを期待していた鶴岡は、その正体が何であるかに気付いた時、なんだ、と拍子抜けした。

 香苗にはなぜこれを送ったのか、その意図が伝わっているようなので、彼女に対しては何かしらの手紙があったのだろう。だがそれは抜き取られていた。

 そして封筒に残ったのは、四つ折りの紙切れが一枚。広げると、機械で印字された文字が並んでいる。


『お二人の相性度は―100%―

 運命に結ばれたカップルです』


 見出しにそう書かれている。見覚えがあった。

 時々、二人で遊びにいった地元のボーリング場。そこは時代に取り残された感のある古びた施設で、併設されたゲームコーナーにも懐かしさを覚えるようなアーケードゲームばかりが並んでいた。

 由布子はそこのメダルゲームで遊ぶのが割と好きだったようだ。

 スロットのさくらんぼの柄が揃わないと悔しがり、玩具の馬が最後の直線で差しきると手を叩いて喜んだ。

 実際のギャンブル趣味はなかったので、遊びでの小さな勝負事に張り切る性格だったのだ。


 そしてゲームコーナーの片隅で、肩身を狭くしていた相性診断機。物は試しだと由布子は鶴岡を手を引っ張った。

 鶴岡は最初、嫌がって抵抗した。これが高校生ぐらいのカップルなら初々しく、傍から見ても微笑ましい。

 だが二人ともいい年した大人なのだ。恥ずかしかった。


 結局、それはいつものように鶴岡が観念する事になる。

 二人のイニシャルと生年月日を入力して、イエスかノーか、簡単な質問にいくつか答える。それだけだ。

 そこから、どのようなアルゴリズムで導き出されるのか、アニメーションによる数秒間の演出の後、二人の相性度が数値化されて画面に踊った。


 結果は最高だった。たかが遊びごと。それでも悪い気はしない。由布子とその場で両手のハイタッチを交わし、思わずはしゃいだ。

 プリントアウトされたA四サイズの紙を彼女は、捨てるのもなんだしさ、とあまり気のない風を装いながら、大事そうにバッグに仕舞っていた。


 鶴岡が目にするのはそれ以来だ。四年ぶりぐらいにはなるのだろうか。こうしてまたお目にかかるとは。存在そのものをすっかりと忘れていた。

 言葉にするのが照れ臭かったのか、由布子は代わりに、これを自分の思いの形としてこの世に残したかった。だから、大事に保管してほしいと香苗に託した。

 誕生日にプレゼントしたピアスでもなく、旅行先で肩を寄せて一緒に写った写真でもなく、この相性診断の結果を。


 正直に言えば、彼女の言葉がほしかった。昨夜、香苗からこれを手渡され、最初に見た時はそう思った。今もそれは変わらない。

 だが、一晩の間に幾度となく繰り返し眺めているうちに、これはこれで彼女らしいといえば彼女らしい、そんな気にもなってくる。


 言葉は本当の遺書として僅か三行。それだけで充分だったという事なのだろう。

 あとは自分の思いの形として、この相性診断の結果を残した。

 だったらこれは、彼女の胸の内を百の言葉を尽くすよりも雄弁に語っているのかもしれない。

 由布子は、自分を深く愛してくれていた。その心をしっかりと伝えてくれたのだから。


 ダメになっちゃった……。あの夜、雨に濡れそぼった由布子は、そうつぶやいた。その時は相手の男との関係だと思った。

 しかし勘違いだった。今は分かっている。あれは由布子自身の心の事だったのだと。

 やっとだ。

 でも、いまさらだ。遅すぎる。どんなに後悔しても、取り返しはつかない。

 無念さが、こうしてさざ波のように静かに、そして何度も何度も押し寄せてくる。これは一生、残り続けるものだと知っている。

 ただ今はもう、悲観はなかった。由布子の死を過去のものとして、心のどこかに感情の落としどころが見つかりそうな、そんな気がしている。

 だからもう、これで充分なのかもしれない。


 未来を――


 前を見て歩けるだろうか? 少なくとも、その思いが芽生えてはいる。心の中に確かに感じる。

 そしてそこには、こまっしゃくれの少女がいる。

 同じように過去に捕われているあの子も、今は前を向こうとしている。そして一緒に歩みたいと言ってくれた。

 店をやろうという申し出は、正直に嬉しかった。やれたら本当にいい。その道の先に、そんな未来が望めるのなら、辿ってみたい。本気でそう思った。


 やれるだろうか?

 店は今は誰のものになっているのだろう。そんな現実的な事をつい考えてしまう。

 彼女を引き取った親戚がいる。

 真奈の両親が、どれほどの遺産を残していたのか。お店の建物と土地が、真奈の養育費として、あてがわれるかもしれない。

 ただ、家族を失ってから今日まで、電気や水道は止めらずに、そのまま住み続けられる状態になっていた。

 その親戚が、真奈の為に残してくれているような、そんな気がした。

 だとするならば、なんとかなりそう気がしてくる。

 真奈はまだ未成年なので、たとえ相続権が残っていたとしても、その親戚が成人までの後見人となり、一時預かりという形になるだろう。

 ならば家賃を支払う形で鶴岡が借りられれば、店を再びやる事も夢ではないのかもしれない。

 都合良く、考えすぎだろうか?


 随分と長く、思いふけっていたようだ。気が付けばいつの間にか、辺りが明るくなり始めていた。

 東の低い空が、熟れ始めの果実のようなグラデーションで色づく。そして池の水面が朝日を写し取って、キラキラと揺らめいた。

 その向こうの観音山。逆光で影となり、稜線を黄金色に縁取って輝く。

 ああ、と鶴岡は思わず声を上げた。

 初めてその姿が、神々しく映った。


   *


 それから鶴岡は、開店時間まで待って本屋に向かった。

 こうしてここに通うのは、これが最後になるかもしれない。そんな気がした。だから今日は、多少時間がかかっても結末まで読みきってしまうつもりだ。

 いつもの書棚で、先日までの読みかけの本を探す。


 だが、なかった。

 そんなはずはない。目を凝らす。誰かが場所を入れ替えたのだろうか。指で辿りながら、背表紙のタイトルを一つずつ確認していく。

 見つからない。どうしても探し当てられない。


 鶴岡は一つ、息をついた。

 考えてみれば、これが当たり前なのだ。ここに置かれている本は、すべて売り物なのだから。

 売り物である以上は、やがて誰かが買っていく。

 たとえこの本屋に限ればあまり人気のなさそうな海外作家のコーナーに、平積みにもされずに書棚に収められていたものだとしても。


 一冊しか置かれていなかった本が持ち去られ、続きが読めなくなってしまった。

 どんな展開が待っていたのだろうか?

 私情を挟み、救えたはずの命を見捨てた緊急隊員。そんな彼への愛情に憎しみを塗り重ねてしまった恋人。

 青年兵士も居場所を残してくれなかった家族に対して同様の感情を抱き、それは彼女と同調しようとしていた。

 そして少年は、檻の中からすべてを壊そうと己の身体を武器に画策する。

 そんな彼らがこの先、どういった結末を迎えるのか、それを知る術を失った。


 予想外の肩透かし。鶴岡は感情を持て余した。今さら新たな本を読み始める気にはなれない。

 しかしこのまま立ち去るのは名残り惜しかった。だから鶴岡は、とりあえず店内の書棚を見て回る事にした。


 小説コーナーをぐるりと巡る。人気作家や著名人の本は入口近くに、奥の歴史物を通り過ぎると、自己啓発や教材系の本が並ぶ。さらに世界各国の旅行ガイドブックへと続いた。

 もう随分と旅行に行っていないな、などと思いながら、背表紙に並んだ国名を眺める。アジア諸国が多い。なかには聞いた事もない名前もあった。

 それから道路マップの全国版。その横には地域版。鶴岡の住む地元だけの地図もあった。


 なんとなくだった。別に何か思う所があったわけではない。

 ただ、その一冊を手に取った。短冊状にたたまれた地図を広げていく。新聞紙ほどの大きさになった。

 さすがに一つの市だけを扱ったものだけあって、道路や施設が綿密に記載されている。

 観音山公園は、やはりかなりの広さだ。その公園で大きな存在感を示すため池。『大池』という安易な名がついている。初めて知った。

 そして観音山。等高線が麓と山頂付近との高低差で二百メートルほどである事を示し、やはり低山ではある。だが、上からみると案外とすそ野が広い。


 そして、気付いた。

 心の中で、あっ、と思った。

 長年住んでいる地元の町でありながら、知らない事は多いものだ。

 地図を見ていて、意外な発見がそこにあった。

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