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唇歯輔車  作者: akisira
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(七)ノ6

「香苗ちゃんから聞いたんだな、ヨシは」

 鶴岡は、視線を今は見えなくなった香苗の背中に向けたままに尋ねた。

 ああ、そうだよ、と弟の義行は顔を鶴岡へと向け直し、頷いた。

「思い余った香苗からその話を聞いた。俺も悩んだよ。でも、やっぱり我慢出来なかった。人を殺した女性と兄貴が一緒になるなんて。それに、そんな人を『義姉さん』と、俺が呼べるとも思えなかった。何食わぬ顔なんて……。俺は器用じゃあない。だから兄貴とは別れてくれって」

「だが、それは十年以上も前の話だったんだぞ」

「時間が経てば許されるのかい? ましてやその罪を認め、償いを果たしたわけでもない。彼女は兄貴にこの事を告白した? 黙ってたんだろ、ずっと。兄貴は騙されていたんだ」

「言い辛い話だ。白状したくとも、どうしても勇気の持てない事だってある」

「じゃあ、兄貴は良かったのかよ? 俺はイヤだね。何食わぬ顔で兄貴の恋人面して。これから俺たちの家族になろうとしていたなんて。はっきり言ってさ、すごく腹が立ったんだ、俺は!」

「オレはっ! それでも良かったんだ!」

 徐々に加熱する弟につられるように、鶴岡も一言だけ荒げた。

「由布子が、傍にいてさえくれれば、それで……、それだけで良かったんだ」

 心の底からの思いだった。失ってなお、いや、失ったからこそかもしれないが、それでもこの思いは、愛おしさは、他の何ものにも代えられはしなかった。


「そうだね」義行は、一気に声のトーンを落とした。

「確かにその通りだった。俺が間違っていた。由布子さんがいなくなって、おかしくなった兄貴を見て。思い知らされたよ。――こんな事になるなんて」

 ゴメン、と義行は深々と頭を下げた。そして、下げたままの頭を上げようとしない。

 鶴岡はそんな義行の姿を見つめた。

 本人が認めたように、義行は間違えたのかもしれない。だから鶴岡は、それを責める事も出来た。

 香苗から由布子の話を聞かされた時、義行は兄に打ち明けるか、もしくは素知らぬふりを決め込むべきだった。


 しかしそうはしなかった。いや、義行の性格からしてそれは出来なかったのだ。

 心根が優しく、兄思いの弟だと鶴岡は兄として言い切れる。

 義行が由布子に鶴岡と別れるように迫ったのは、兄思いの弟が兄を思っての行動だったのだと察してあまりある。

 義行にしても、ここまでになるとは思っていなかったはずだ。今のこの状況を決して望んだ訳ではなかった。

 苦しかっただろう。自分のせいだと自責しながら壊れた兄を見続けるのは。

 それでも目を逸らさなかった。この二年、逃げずに何とか支えようとしてくれていた。

 分かっている。伝わっている。


 鶴岡は義行へと手を伸ばした。

 複雑な感情は確かにある。余計な真似を、と罵ってやりたい、殴ってしまおうかと、そんな衝動にも駆られる。

 それでもやはり、どうしたって弟は嫌いになれそうにない。

 憎むなどとても無理な話だ。大切な家族。たった一人の可愛い弟。

 鶴岡は握りかけた拳を開き、下げたままの義行の頭に、ぽんと手を乗せた。そして弟の髪を目一杯にグシャグシャにかき回した。


「これで、勘弁してやる」

 それをきっかけに、ようやく頭を上げた義行は、「えっ?」と言った。

 意外そうに見開いた目に、鶴岡は頷いて見せた。

 やがて義行は、静かに目を伏せた。乱れた髪を手で撫で直しながら「ヒドイな」と、微苦笑を浮かべた。

 鶴岡も小さく笑った。二人の間にあった何かが、ふっと緩んだような、そんな気がした。


「ただ、やはり聞かせてくれ。なぜ由布子に嘘をつかせた? 人を殺めた事実ではなく」

「彼女がそれを望んだからだよ」

「由布子が?」

「ああ。兄貴と別れるよう迫ったとき、彼女の方から承諾の条件として頼まれた。自分が人を殺した事や、西村という教師との過去の関係を兄貴には内緒にしてほしいと」

「なぜ、由布子はそんな事を」

「さっき、兄貴も庇っていたじゃないか。彼女にはどうしても言えない事だったんだよ。知られたくなかった。兄貴の中にある自分を壊したくなかった。幻滅されるのを恐れたんだ。だから、他に好きな人が出来たという、そんなありきたりな嘘を選んだのだと思う」


 例えその事実を知ったところで、由布子への愛情をなくしたりはしないと思えるのは、それは彼女を失った今だからこそなのだろうか?

 あの時、彼女との未来を当たり前のように描いていた当時、いきなりその事実を突きつけられて、果たして今と同じ思いでいられたか?

 そう問われれば、自信を持ってそうだとは答えられない気がした。

 だから鶴岡は、小さく息をつき、そして頷いた。秀美に香苗、そして義行の行為も、由布子の選択にも納得はしていない。なぜ、誰もかれもが自分の知らないところで勝手に――

 それでも、理解ぐらいなら出来そうだ。


 ブランコの周囲は、背の低い鉄のパイプで囲われている。鶴岡は義行と肩を並べてそのパイプに腰を掛けた。

 そして高校生だった由布子に、何があったのか、その話を聞いた。

 義行は知っている事のすべてを口にした。香苗が由布子を詰問し、白状させた時のものだ。

 もっとも義行にしてもその場にはいなかったので、香苗からのまた聞きだ。

 だから、そこに情感などはなく、話はただ淡々としたものだった。

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