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唇歯輔車  作者: akisira
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(七)ノ4

 日はすっかりと沈んでいた。早朝から動き回っていた鶴岡は、抱き付かれた疲労感に体が鉛のように重くなっていた。

 しかし今日はまだ終われない。とにかく気持ちが足を止めるのを許さなかった。


 この辺りは、住宅を建てるのに必要最低限の大きさで区画された敷地に、乳歯が抜けた子供の歯並びのようなまばらさで、建物が並んでいた。

 そんな中に、弟の義行の家がある。

 白い壁に黒い方形屋根。個性や見栄えより、とにかく効率を求めた真四角の総二階建てで、変に凝らずに割り切った分、その潔さに好感が持てる。そんな家だった。


 鶴岡が着いた頃にはもう、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 夕食時といったころか。このタイミングで訪れるのは少々気が引けるが、構ってはいられない。

 鶴岡は家の前に立ち、心を落ち着かせようと一つ息をついた。

 緊張を拭えぬままにインターフォンを押す。応答したのは、弟嫁の香苗だった。

 突然の珍客の訪問に驚きながらも、中へどうぞ、と香苗は迎え入れようとしてくれた。

 ただ鶴岡は、それを固辞した。家の中には二人の子供や、鶴岡兄弟の母親もいるはずで、そこではこの話は出来ない。

 用があるのは香苗だけだ。彼女に話があった。弟の義行にではなく、由布子の同級生だった香苗に。


 だから鶴岡は、香苗に表へ出てくれないかと頼んだ。香苗は、要領を得ぬままに応じて、すぐに出てきてくれた。

 部屋着の上から、とりあえずといった感じで羽織った薄手のジャンパー姿。セミロングの髪を無造作に束ねている。

 まだ三十を二つ越えただけのはずだが、外灯に照らされた顔は化粧気がないせいか、以前の記憶に比べて、やや若さが鳴りを潜めたかのような、そんな印象を持った。


「お義兄さん、どうしたの?」

 香苗は、戸惑いを隠そうともせずに声に乗せた。

「急にすまない。少し、聞きたい事があって。――由布子の件だ」

 その名前を口すれば、当然のように香苗の態度は変化する。神妙といった表情で頷く。


 このまま家の前で立ち話というわけにはいかない。香苗に先導され、近くの公園へ移動した。

 公園といっても、観音山公園のような大規模なものではなく、住宅街の中にある申し訳程度の小さなものだ。

 ネットフェンスの味気なさを少しでもごまかそうと、ツツジの植え込みでぐるりと外周を覆い、狭いグランドの端のほうに砂場と滑り台、ブランコに鉄棒といった基本的な最低限の遊具が備わっていた。

 野球やサッカーをするのは無理でも、おかげで小さな子供を遊ばせるには適している。香苗もここによく、自分の子供を連れてきているそうだ。


 香苗はベンチにではなく、四台が並んだブランコの一つに腰掛けた。時計塔の外灯の光が及び、頼りないながらも、彼女の表情の硬さが伺えた。

「ユーコの何を?」

 香苗はブランコを小さく漕いで、傍らに立つ鶴岡へと顔を向けてきた。地面に描かれた影が、ゆらゆらと形を変えて揺れる。

「香苗ちゃんは、由布子とは学生時代からの付き合いだったね。つまり光南高校の生徒だった」

「ええ」と、香苗は頷く。

「もう、随分と昔の事だけど」

「その頃の学校の七不思議は覚えているかい? その中の一つに、夕刻の神隠しというものがあったと思うのだが」


 意外な話の内容に、軽口とでも思ったのだろう。香苗は「え? 七不思議って」と、表情を緩めながら聞き返し、傍らに立つ鶴岡を仰いだ。

 だがそこに鶴岡の真剣な顔を見つけ、香苗もすぐに表情を引き締め直した。

 そして、しばらく記憶を遡っていたようだが、やはり思い至らなかったのだろう。諦めたように首を横にふった。


「七不思議って、一つ二つを耳にしたりはあるけれど、神隠しなんてのは聞いた事が無かったと思う。でも、それが」

 なに? という目を向けてくる。

 鶴岡は一つ頷いた。真奈の姉、理沙が調べた通り、やはり香苗の高校時代には神隠しの話はなかったようだ。

「今はね、あるんだ。そういう話が。そしてある子が、最近になってその神隠しについて調べた」

「う、ん?」

 香苗は要領を得ぬままに頷く。

「神隠しの話の元になったのが、ある女子生徒の失踪だと、それがその子が導き出した答えだった」

「そう、なんだ」

 やはり香苗の中でまだつながっていない。


「土居薫」鶴岡は言った。

 えっ? と香苗が声を上げた。

「失踪した女子生徒の名前だよ。土居薫。香苗ちゃん、彼女を知っているよね?」

 香苗は地面に足をついて、ブランコを止めた。まさか、ここで聞かされる名前とは思っていなかっただろう。息を飲むのが伝わった。

 それは動揺といっていい。そんな狼狽えた態度を香苗は示した。

「そして、七不思議を調べていたその子は、土居薫と仲の良かった由布子、そして教師の西村にも話を聞こうとした」

「そ、そう、それで?」

「残念ながら、いろいろあって、話は聞けずじまいだったようだが」

 香苗は、ほうと息を吐いた。少し体の強張りを解いたようだ。彼女のその様子で、鶴岡の中である疑念がより強くなった。


「香苗ちゃん、由布子をオレの店に紹介してきた時、余所から地元に戻ってきたと言っていたね。なぜ戻ってきたのか」

「それは、お母さんが体調を崩されて、看病の為って」

 そうだったね、と鶴岡は頷く。確かにその通りだった。

「でも由布子は、そもそもなんで地元を離れたのだろうか」

「就職先が、県外だったから……」

「しかし由布子がそこで働いていたのは、小さな不動産屋の事務員だ。それなら地元にだっていくらでもある。なぜわざわざ県外に?」


 香苗は応えなかった。鶴岡の追及を躱そうとしてか、地面を軽く蹴り、再びブランコを揺らし始めた。

 うつむいて揺れる自らの影を見つめる。

 張りつめた静寂のなか、ブランコの鎖がきしむ音が一定のリズムで控えめに響いた。

 鶴岡は息を吸った。代わりに答える事にした。


「地元にいたくない何かがあったから。だから高校を卒業してすぐに離れた。違うか?」

 やはり秀美は黙った。だが、否定もない。

「そうなんだな」

 鶴岡は強い意思で香苗を見つめた。その視線を意識しているのは分かる。香苗は絶対に鶴岡と目を合わすまいと、地面へと顔をうつむけたままの姿勢を貫いた。

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