(六)ノ4
「お父さん、お母さん……、お姉ちゃん……」
真奈はつぶやいた。込み上げてくるものを堪えようとしていた。
いきなり、立ち上がった。店の入り口近くまで早足で歩いていく。
そのまま屋外へと出るつもりかと一瞬思ったがそうではなく、その手前でくるりと体を反転させて、また戻ってきた。
どうしてなんだろう、と親指の爪を噛みながら、店内を右に左にとウロウロし始めた。
時折「ねえ、どうしてだと思う」と、鶴岡に顔を向けてくる。だがその実、鶴岡に問い掛けてなどいない。
「ワタシ、独りだけになっちゃった」
じっとは、していられないのだろう。受け止めきれないこの現実を、体を動かす事で少しでも紛らわそうとしている。
そんな少女の姿を、鶴岡はやるせなく目で追った。
「キミが殺した――。根拠は真奈だけが残ったから。無責任で心無い誰かが、学校でそんな噂を広めた。学校に来なくなったのはその噂のせいで居づらくなったからじゃないかって、その親切な男の子は心配していた」
「そんなのはどうでもいいのよ」真奈は、苛立った様子で首を横にふる。
「クラスの子や先生に好奇の目を向けられても、引き取らざるをえなかった叔父さんや叔母さんが、胸の内でどう思っていようと――。ホントにどうでもいいの。ワタシには」
そうか、と鶴岡は頷き、言った。
「西村を殺し、復讐を遂げる。それだけで頭の中がいっぱいだからか?」
せわしなく店内を歩き回っていた真奈の動きが、ピタリと止まった。そしてすぐに、なんで、と怒気を込めた目を鶴岡に向けてきた。
「なんで知っているのよ。ワタシ、言ってないよ。誰にも言ってない。絶対に知るはずないのに」
「知っていたわけじゃあないさ。ただ、そう思って言ってみただけだ」
「カマをかけたって事?」
「違う、気付いたんだよ。少し考えれば当たり前の事なんだ。まったく面識のなかったこんな草臥れた男の為に、縁もゆかりもない誰かを一緒に殺しましょうなんてね。まず普通にありえない。最初からそれが目的だったんだ。真奈が本屋でオレに助けを求めてきたのはたまたまなんかじゃあない。仕組んだんだ。キミがね」
そう思い返せば、あの時の三人の男子学生の微妙な態度も理解出来た。彼らは訳も分からぬままに、真奈の思惑にいいように利用されただけなのだろう。
「何の為に?」
真奈は距離をずいと詰めてきた。鶴岡のすぐ脇に立つ。椅子に座る鶴岡よりかは少し彼女の方が高い。挑むような目で見下してきた。
鶴岡は、その目を見返した。
「オレを利用する為さ」
少女の強い目が一瞬、揺れた。それで鶴岡は確信した。自分の考えは的を得ている。
「当てて見せようか? キミの狙いを。オレの生活に入り込み、唆してその気にさせたかったのだろ? 由布子の死は西村のせいだ。あの男を憎め、殺してしまえってね。何故そんな真似を? だって真奈、キミは西村を恨んでいるから。それこそ殺してしまいたいくらいに」
鶴岡は間を設けて、反論する機会を与えた。だが真奈は、ただ睨むだけで何も言い返してはこなかった。
つまりは肯定という事だ。
鶴岡は息をついて、話を続ける。
「真奈、キミは中学生の女の子だ。常識的に言えば、その細腕で大人の男を殺すには無理がある。だからとにかく、何か手はないかと西村を調べた。調べるうちに、奴がかつて由布子という女性と不倫関係にあったのを、そしてその陰で捨てられた哀れで間抜けな男の存在を知ったんだ。この男なら使えるかもしれない。そう思った。違うか? キミの事だ。オレの前に姿を見せる以前から、利用する価値があるかどうか、調べていたのだろ?」
だから知っていた。鶴岡が本屋に通う事も、公園の芝広場でただ寝て過ごしているだけの生活をしている事も。
そしてその中年男は、めでたく少女の御眼鏡に適い、利用されるだけとも知らずに、あっさりと懐柔されてその気になった。それがここまでの話だったというわけだ。
真奈は、鶴岡の傍から一歩、二歩とよろめきながら後退りした。
クックッと、喉を鳴らす音が静かに聞こえた。そして少女の表情がいびつ崩れた。
それから真奈は、声を上げた。
笑っていた。真奈は笑いながら乱暴に頭をかきむしった。綺麗に梳かれていた髪が無残に乱れる。
「あーあ、バレちゃったか」真奈は、居直ったように言った。
「そうだよ、その通り。ご明察。ツルちゃんをその気にさせて、ワタシ自身の復讐を果たすつもりだったの。そう、あたりまえだよね、誰かの為に人を殺すなんてさ。普通、ありえないもんね」
「キミは、オレと会う以前から西村の事も知っていた。本来なら必要もないのに、情報を仕入れに行くふりをして、あたかも今しがた知ったかのように演じていたんだ。そしてその情報を小出しに与え、そうする事でキミはオレを信用させた。自分の存在価値を高めた。西村の家の前で一晩中、張り込みを朝まで強行したのは生活パターンの把握の為なんかでない。キミはあの時点ですでに知っていたんだ。西村が時折、早朝に出かけるのを。だから無理に朝方まで粘らせた。オレにその事を教える為に。その時は無茶苦茶な理屈だと思ったよ。でも結果的に西村が東野恭子と逢引きしているのを知った。キミの言い分が正しかったと認め、オレはキミに依存した。これも計算にあったのだろう? 見事だよ。キミは将来、何があってもそのペテンで渡っていけるよ」
「それは、どうだろうね」
やけくそ、といった様子で、真奈は言葉を吐き捨てた。皮肉めいて片頬を吊り上げる。ただその表情は、この少女の本来のものではなさそうだ。まるで似合っていない。
「間抜けじゃない? ここまで見透かされたペテン師ってさ」
つまり鶴岡の話を、大筋で正しいと認めた事になる。予想していたとはいえ、やはりショックはあった。
思い返せば、真奈は当初からやたらに鶴岡を誘うかのようだった。自分の容姿の良さも利用するつもりであったのだろう。
たまたま鶴岡に少女性愛の趣味がなかっただけで、彼女は文字通り自分の体そのものを掛ける覚悟をしていた。
それほどまでに強く西村を憎み、復讐の一念のみで鶴岡に近づいてきたのだ。
でもね、と真奈は言った。
「そうだよ。そうなんだよ。でも……。やっぱり、違う」
頭を左右に激しくふる。そして、違う、違う、と何度も繰り返した。
「最初はそうだった。そのつもりだった。でもツルちゃん、泣いてた。初めて会った日。ああ、こんなにも傷ついてるって思った。同情したのよ。本気で。この人もそうなんだって。ワタシと同じ。だから違うよ、やっぱり。ワタシ、ツルちゃんの無念も一緒に晴らさせてあげたいって、だから――」
「それを、オレが信じると思うか?」
鶴岡の強い言葉に、真奈は動揺したのだろう。一瞬だけ、悲しそうな目になった。そしてすぐに卑屈な笑みをもう一度作り直して、その表情を無理に上塗りした。
「どうだろうね。でもこれがワタシの本音。もう、そうとしか言えない、かな」
鶴岡は頷いた。彼女が垣間見せた表情で察した。この子の今の言葉は確かに本心だった。そう信じられると思った。
つい、笑った。吹き出すような笑い方になった。場にそぐわないその笑いに、真奈は非難の目を向けてくる。
「いや、すまなかった。確かにそうだな。同じなんだなって」
真奈は非難の色を消さずに黙する事で、続きを促してきた。
「オレにキミを責めるなんて出来ない。オレもね、実は真奈を利用していた。まあ、言い訳をすれば、無意識ではあったが」
「利用? ワタシを」
「ああ、利用していた。オレが西村に目を向けるきっかけを作ったのは、確かにキミだ。それが狙いで近づいてきたぐらい、少し考えれば分かるはずの事だった。だがオレは考えるのを怠った。気が付きたくなかった。もし、うかつに真奈の真意を知って、その結果、キミが去っていったなら、また独りになってしまう。それが怖かった。オレは西村を殺す。もう引き返す気などない。だがその為には真奈が必要だ。オレにはキミのような周到さも、行動力も度胸もない。何一つ、及ばない。真奈の狙い通りだ。キミに依存にしている。だから失うわけにはいかなかった。真奈があくまでも気まぐれで協力する家出少女を演じるのなら、それでいい。それで事を成せるのなら、気付く必要なんてない。たぶん、そういう事だったんだ」
「だったら、なんで今日はワタシの事を調べたわけ? ここで待ち伏せまでされたらワタシ、言い逃れ無理だもん。もう、そんなフリ出来なくなる」
「それも、今のキミの感情に近いものだと思う。真奈は先ほど、オレの為という思いもあると言ってくれた。オレもそうだ。キミは無為に時間をやり過ごすだけの自閉したオレの手を引っ張ってくれた。感謝している。本当だ。西村を殺す事が真奈の為にもなるというのなら、喜んで力になろう、そう思うようになった。だから、このまま曖昧な関係にしておくのが嫌になった。知りたくなった。オレの傍にいてほしい。真奈を受け止めたい。キミをちゃんと知りたいんだ」
「なんか、愛の告白をされてるみたいで、テレちゃう」
両手に頬をあてて、いやん、と冗談めかすその姿に、いつもの真奈の調子が戻っていた。その感情の切り替えの早さは、多感な年ごろならではといったところか。
「茶化すな、バカ」
鶴岡は腕を伸ばし、真奈の額を小突いた。
「オレは本気で言っている」
「うん、分かってる」
小突かれた額を指で撫でながら、どこか嬉しそうに真奈は頷く。
「そうだね、分かった。うん、いいよ。話すよ、全部」
「すぐでなくてもいい。時間が必要か?」
ううん、と真奈は首を横にふる。
「ワタシね、ちょっとキツくなってたんだ。独りなのは。胸にしまいこんだままでいるのは。だから、吐き出させて。大丈夫だから。ツルちゃんになら、ワタシ話せられるよ」
だから付いて来て、と真奈は告げ、くるりと背を向けると、そのまま店の奥へと向かった。
鶴岡は立ち上がり、後に続いた。




