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唇歯輔車  作者: akisira
26/58

(五)ノ1

 西村の不倫相手の事を知る必要がある、と真奈は言った。彼女は西村に付け入る隙になるのだからと。

 鶴岡もその意見に異存はなかった。

 相手の身元をはっきりとさせたい。光南高校の生徒というその推測が当たっているのか。まずはそれだけでも確認しておきたかった。


 ただその女性は今、西村とホテルの中である。逢瀬を終えて出てくるのを、まさかこのまま中学生の女の子と待ち伏せるわけにはいかない。

 鶴岡は、ここは自分に任せてほしいと真奈に申し出た。

 なんでよ、と唇を尖らせる真奈に、また学校に潜入してもらう事になりそうだからと、説得した。

 西村の不倫相手が光南高校の生徒と確定すれば、そこから先は真奈の出番となる。だから先に部屋に戻って寝ておくべきだと、半ば強引に追い返した。


 こうして鶴岡は、独りで待ち伏せる事になった。

 ただ、ここはホテル街の一角。時間の経過とともに人通りが目につくようになると、なんだか居たたまれなさが募ってくる。

 それでも、やはり真奈が傍にいるよりかはマシだった。中学生の女の子と一緒では、場所的に色眼鏡で見られるのは避けられない。その羞恥を思えば、今のこれはなんでもないはずだ。


 やはり西村は一人で出てきた。鶴岡は独りになって一時間以上、辛抱して同じ場所に留まり続けた。

 西村は顔をうつむけ、周囲の様子を気にしながら足早に去っていった。

 ただ鶴岡の今の標的はこの男でない。それからさらに二十分。ようやく相手の女性が姿を見せた。

 彼女もまた、顔を伏せていた。


 鶴岡は女性の尾行を再開した。もし誰かが鶴岡の動向を見ていれば、完全な変質者と思うだろう。だが気になどしていられない。

 彼女はホテルに入るときと同じ水色のワンピース姿で、それは真奈の予想通りに、途中の公園のトイレで制服へと変わった。

 そして鶴岡は、その制服に覚えがあった。先日に真奈が着て見せてくれていたからだ。

 だからもう、間違えようもなかったが、念の為に彼女が光南高校の正門を潜るまでを見届けた。


 これでとりあえず鶴岡は自分の役割を果たした。あとは部屋で寝ているであろう真奈に報告するだけだ。

 真奈はまた光南高校に潜入して、あの女性の情報をしっかりと掴んできてくれるはずだ。


 鶴岡はアパートに戻った。しかし、部屋に真奈の姿がなかった。

 誰もいないガランとした室内。座卓の上に、メモが置かれていた。

『制服をまた借りに行ってくるね。もしコウナン以外だったら連絡ちょうだい』とあり、下に彼女の携帯番号が記載されていた。後は昼食代に千円札が一枚。

 鶴岡は座卓の脇で胡坐を組んで座った。

 千円札をつまみ上げ、窓の光に透かして見た。中心部分の楕円の中に、髭面の中年男性の肖像が浮かび上がる。

「あ、本物だ」

 当たり前の事を独りつぶやく。何をやっているのだろうか。

 心の中でわだかまりがまたも渦巻いた。中学生に食事の世話になる。それも現金で貰う始末だ。

 本当に、何をしているのだろう。

 鶴岡は盛大にため息をついた。そしてのっそりと立ち上がり、浴室に入った。


 シャワーを終えた鶴岡は、千円札をポケットの中で握りしめながら外に出た。徹夜明けだが、寝る気にはなれなかった。

 特に空腹感もなく、何をすべきか思い浮かばないまま、とりあえず本屋へと足を向けた。


 店内に入ると、迷いなく海外作家の書架からいつもの本を取り出した。そして続きを読み始める。

 前回は、家族の中に自分の居場所を失った青年兵士と、緊急隊員の恋人を持つ若い女性が出会ったところまでを読んだ。

 その続きが気になるところだが、テレビ番組のCMの入り方のように場面は突然切り替わり、今度は徴兵忌避により、獄中の少年の話だ。


 少年は色が白く、愛らしく整った顔立ちをしていた。そしてひ弱だった。

 彼は至極当然に、他の囚人たちの慰み者となった。抵抗するにはあまりに非力で、そして意味のない事だった。

 劣悪な獄中生活。そうなるはずだった。だが違った。

 少年には素質があった。そして見た目とは裏腹に逞しかった。

 閉鎖されたこの独特の環境下で、自分の容姿が武器になると気付いてからは、実に能動的dった。


 少年は看守の男を自ら誘惑した。虜にするのは簡単だった。そして生活は劇的に改善される。

 重労働は免除され、煙草を融通された。監査室に呼ばれ満足させてやれば、あとはご褒美の時間だ。

 熟れた果物に缶詰のハム。甘えた声一つで、よく冷えたコーラが飲める。少年の魔性はこうして磨かれた。


 少年が看守の相手をするのは、それは自分に利があるからだ。だが他の囚人たち対しては別だ。乱暴だし得になるものが何もない。

 だから少年は嫌がった。しかしその態度ですら、囚人たちの嗜虐性と性的興奮を刺激してしまう。

 数人掛りで押さえつけられ、力のあるものから順番に犯してきた。その度に少年の自尊心は踏みにじられ、体は屈辱に震えた。


 少年は考えた。そして囚人の中で、誰が一番の力を持っているのかを見極めた。

 その男に、媚を売った。

 少年の武器はこれしかなかったが、ただとても強力でもあった。自分でも怖いくらいに、あっさりとその囚人を陥落させた。

 看守との関係は秘密にしていたが、この男は隠そうとしなかった。それどころか健気にも、他の囚人たちが手をださないように睨みを利かせるほど、男は少年に惚れ込んでいた。


 やがて二人の関係は、看守の耳にも入る。ただこれも、少年の計算の内。

 詰問してくる看守に、少年は怖くて逆らえなかったと、嘘の涙を流して演技した。

 看守は嫉妬に怒り狂った。その囚人に因縁をつけて懲罰房に押し込めると、執拗にリンチした。


 傷だらけの虫の息で出てきた囚人に少年は寄り添い、あの看守はヒドイ奴だ、自分もあいつに無理やり犯された。一緒に復讐しようと囁いた。

 囚人の目に怒りの炎が宿った。すぐにその気になった。


 さて面白くなってきた。これからどうなるのか、少年は楽しかった。

 看守も囚人も自分よりずっと強い男たちを手玉にとる。手のひらの上で躍らせる。なんと愉快であろうか。この獄中こそが、自分の居場所だ。そう思った。


 だが一方では理解もしていた。この居場所は所詮は仮初だと。

 いずれ自分は破滅する。分かっていたし、その覚悟はもう出来ていた。

 ただその時はみんな一緒だ。この獄中内すべてを巻き添えにして、滅茶苦茶にしてやる。

 少年はどうすればそれが実現できるか、そればかりを考え、そして生きがいとなっていた。

 そんな彼のもとに、面会人がやってくる。彼の兄だ。

 その兄は、家族の中に居場所を失ったあの青年兵士だった。


 ここでこの章は終わる。

 先の頁を少しだけを斜め読みすると、どうやら青年兵士の視点に移り、様子の変わった弟との面会中のやり取りでこの続きが進むようだ。

 居場所を壊そうとする弟の元に、居場所を失った兄がやってくる。

 なんとも皮肉な展開だ。興味をそそられるが、ただ鶴岡は徹夜明けだ。もうこれ以上は、読み進められそうになかった。

 今日はここまでとした。

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