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唇歯輔車  作者: akisira
24/58

(四)ノ5

 西村が住宅街を抜けて、商業施設が立ち並ぶ表通りへと出た。

 ただ、今はまだそのほとんどが営業前で、光を灯す店はごくわずかだ。ガソリンステーションやファミリーレストラン、ファストフード店ぐらいか。

 先ほどまでの住宅街が眠りから目覚める前とするならば、こちらは夜更かしが過ぎて眠り損なった。そんな感じだ。

 まばらながら車の往来もあり、空気は動いている。なので鶴岡たちは、神経質に物音に気を使う必要が無くなった。


 やがて前を行く西村が向きを変えた。一つの店へと入っていく。そこは二十四時間営業でチェーン展開するコーヒーハウスだった。

 鶴岡と真奈はその店の前で立ち止まった。

「ここで、モーニングでも食べてから出勤しているのか?」

「朝の五時から?」

「その為に早起きして三時間も過ごす。そんなわけないか」

「まあ、とにかく中に入ってみようよ」

 歩き出そうとする真奈を、鶴岡は後ろから肩に手をかけて止めた。なに? と真奈が振り返る。

「利用客はまだ少ないはずだ。すぐに入ると西村の気を引くかもしれない」

 しばらく店の脇に身を潜める事にした。運良くすぐに、新たな客が店へと入った。派手な身なりをした若いカップルだった。

 さらに五分ほど待った。


「よし、行こう」

 間に一組挟む事で、西村にとっての鶴岡たちの存在を、可能な限り薄くしておきたかった。

 店内は見通しがきいて、一目で様子が知れる。外資系に多いスタイリッシュな店とは一線を画していた。

 控えめな暖色の照明。腰板貼りの壁。そして天井との境には、装飾された廻縁を施している。

 大正浪漫を感じさせるのが狙いなのだろうか。和モダンなテイストだ。

 テーブルは色合いを合わせて、二人掛け用と四人掛け用がそれぞれ十数組ずつ、程よい間隔で並べられていた。

 ただ、まだ夜も開けきらないこの時間、やはり利用客は少なく、数席が埋まっているだけだった。


 空いている席をご自由にと、タイトな制服に身を包んだ女性店員に促されたので、西村の後ろ姿が視界に入る位置で、なるべく遠くの席を選んだ。

 さほど待たされる事なく、注文したブレンドのホットコーヒーと、ホイップクリームの乗ったアイスココアが運ばれてきた。

 鶴岡は西村にさりげなく視線を送りつつ、コーヒーを一口啜った。


「どう?」と真奈が感想を求める。

「コーヒーにこだわるカフェの元店長さんとしては、こんな店の出すやつなんて飲めたもんじゃあない?」

「いや」鶴岡は首を横にふり、目を閉じて香りを愉しむ。

「美味いよ。バカには出来ないな」

 素直な感想を口にした。

 もちろん鶴岡とて、自分が淹れたコーヒーがこれに劣っていたとは思わないが、程よく控えめな酸味と、豊かで芳醇な香ばしさ。徹夜明けの体に、隅々にまで染み渡っていく。

 ただふと、気になる事があった。


「どうして、知っている?」

「なにがあ?」

 甘いものが好きなのか、真奈はクリームをすくったスプーンを口に運び、んふ、と頬を緩める。

「カフェをやっていたとは確かに話したが、特にコーヒーにこだわっていると言った覚えはないが」

「違うの?」

 スプーンを咥えたまま、キョトンとした顔で聞き返された。

「ん?」

「こだわってなかったの? コーヒー」

「いや、もちろんそれなりにこだわりはあったさ」

「だよね。ふつー、そういう人がカフェとかやるもんね。当たり前だと思ってたもんで」

 なるほど。言われてみれば、確かにその通りだった。

 鶴岡は自分がひどく間抜けな大人に思えて、視線を真奈から西村へと逃げるように移した。


 その西村は、雑誌をテーブルに広げてはいるが、そこに意識がいっていないのは雰囲気で分かる。しばらく眺めていたが、ページをめくる様子がない。

 何かを待っている。そう感じた。


 そしてその何かは、やがてやってきた。

 店内に新たな客として入ってきた若い女性だった。

 黒髪は重たい印象のボブで、水色のワンピース姿。何が入っているのか、肩から提げたキャンバス地のトートバックが、やけに膨らんでいる。

 女性客は西村とはテーブルを二つほど挟んで、蓮向かいの席についた。鶴岡はほぼ正面から、その女性の姿を見る事になった。


 肌は日に焼け、化粧っ気は少ない。地の表情なのだろう、口元がヘの字を描き、不機嫌そうな印象を受ける。

 二十歳には明らかに達していない。ひょっとすると高校生かもしれない。それくらいの幼さがまだ残っていた。

「なるほど、ね」

 真奈がつぶやく。

「センセは、あの子と待ち合わせをしていたのね」

 真奈も同じように感じたらしい。西村の雰囲気の変化で分かった。西村は明らかにその女性を意識している。

 つまり要するに、かつての由布子の代わりが彼女というわけだ。鶴岡の中に不愉快なものが込み上げてくる。

「いったん、出ようか。外で待ち伏せをしよう」

 鶴岡は感情の逃げ道をつくろうと提案した。

 真奈は素直に頷いた。ココアの残りを一気に飲み干して席を立った。

 そして、当然のように真奈が会計を済ませる。鶴岡また、後ろめたさを感じた。

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