(四)ノ5
西村が住宅街を抜けて、商業施設が立ち並ぶ表通りへと出た。
ただ、今はまだそのほとんどが営業前で、光を灯す店はごくわずかだ。ガソリンステーションやファミリーレストラン、ファストフード店ぐらいか。
先ほどまでの住宅街が眠りから目覚める前とするならば、こちらは夜更かしが過ぎて眠り損なった。そんな感じだ。
まばらながら車の往来もあり、空気は動いている。なので鶴岡たちは、神経質に物音に気を使う必要が無くなった。
やがて前を行く西村が向きを変えた。一つの店へと入っていく。そこは二十四時間営業でチェーン展開するコーヒーハウスだった。
鶴岡と真奈はその店の前で立ち止まった。
「ここで、モーニングでも食べてから出勤しているのか?」
「朝の五時から?」
「その為に早起きして三時間も過ごす。そんなわけないか」
「まあ、とにかく中に入ってみようよ」
歩き出そうとする真奈を、鶴岡は後ろから肩に手をかけて止めた。なに? と真奈が振り返る。
「利用客はまだ少ないはずだ。すぐに入ると西村の気を引くかもしれない」
しばらく店の脇に身を潜める事にした。運良くすぐに、新たな客が店へと入った。派手な身なりをした若いカップルだった。
さらに五分ほど待った。
「よし、行こう」
間に一組挟む事で、西村にとっての鶴岡たちの存在を、可能な限り薄くしておきたかった。
店内は見通しがきいて、一目で様子が知れる。外資系に多いスタイリッシュな店とは一線を画していた。
控えめな暖色の照明。腰板貼りの壁。そして天井との境には、装飾された廻縁を施している。
大正浪漫を感じさせるのが狙いなのだろうか。和モダンなテイストだ。
テーブルは色合いを合わせて、二人掛け用と四人掛け用がそれぞれ十数組ずつ、程よい間隔で並べられていた。
ただ、まだ夜も開けきらないこの時間、やはり利用客は少なく、数席が埋まっているだけだった。
空いている席をご自由にと、タイトな制服に身を包んだ女性店員に促されたので、西村の後ろ姿が視界に入る位置で、なるべく遠くの席を選んだ。
さほど待たされる事なく、注文したブレンドのホットコーヒーと、ホイップクリームの乗ったアイスココアが運ばれてきた。
鶴岡は西村にさりげなく視線を送りつつ、コーヒーを一口啜った。
「どう?」と真奈が感想を求める。
「コーヒーにこだわるカフェの元店長さんとしては、こんな店の出すやつなんて飲めたもんじゃあない?」
「いや」鶴岡は首を横にふり、目を閉じて香りを愉しむ。
「美味いよ。バカには出来ないな」
素直な感想を口にした。
もちろん鶴岡とて、自分が淹れたコーヒーがこれに劣っていたとは思わないが、程よく控えめな酸味と、豊かで芳醇な香ばしさ。徹夜明けの体に、隅々にまで染み渡っていく。
ただふと、気になる事があった。
「どうして、知っている?」
「なにがあ?」
甘いものが好きなのか、真奈はクリームをすくったスプーンを口に運び、んふ、と頬を緩める。
「カフェをやっていたとは確かに話したが、特にコーヒーにこだわっていると言った覚えはないが」
「違うの?」
スプーンを咥えたまま、キョトンとした顔で聞き返された。
「ん?」
「こだわってなかったの? コーヒー」
「いや、もちろんそれなりにこだわりはあったさ」
「だよね。ふつー、そういう人がカフェとかやるもんね。当たり前だと思ってたもんで」
なるほど。言われてみれば、確かにその通りだった。
鶴岡は自分がひどく間抜けな大人に思えて、視線を真奈から西村へと逃げるように移した。
その西村は、雑誌をテーブルに広げてはいるが、そこに意識がいっていないのは雰囲気で分かる。しばらく眺めていたが、ページをめくる様子がない。
何かを待っている。そう感じた。
そしてその何かは、やがてやってきた。
店内に新たな客として入ってきた若い女性だった。
黒髪は重たい印象のボブで、水色のワンピース姿。何が入っているのか、肩から提げたキャンバス地のトートバックが、やけに膨らんでいる。
女性客は西村とはテーブルを二つほど挟んで、蓮向かいの席についた。鶴岡はほぼ正面から、その女性の姿を見る事になった。
肌は日に焼け、化粧っ気は少ない。地の表情なのだろう、口元がヘの字を描き、不機嫌そうな印象を受ける。
二十歳には明らかに達していない。ひょっとすると高校生かもしれない。それくらいの幼さがまだ残っていた。
「なるほど、ね」
真奈がつぶやく。
「センセは、あの子と待ち合わせをしていたのね」
真奈も同じように感じたらしい。西村の雰囲気の変化で分かった。西村は明らかにその女性を意識している。
つまり要するに、かつての由布子の代わりが彼女というわけだ。鶴岡の中に不愉快なものが込み上げてくる。
「いったん、出ようか。外で待ち伏せをしよう」
鶴岡は感情の逃げ道をつくろうと提案した。
真奈は素直に頷いた。ココアの残りを一気に飲み干して席を立った。
そして、当然のように真奈が会計を済ませる。鶴岡また、後ろめたさを感じた。




