(四)ノ1
光南高校の正門前を、鶴岡は真奈と見張った。日は傾き、辺りは明るさのトーンを薄っすらと抑え始めている。
グラウンドからは声変りを終えたばかりの、まだ幼くも勇ましい掛け声が絶え間なかった。
野球部のようだ。金属バットでボールを叩く音が甲高く響いた。
同時に校舎のほうからも、吹奏楽部の音楽になっていない音出しが、鶴岡たちの耳を楽しませた。
それらは若者たちだけが発せられる、強い生命力。学校全体がそんな雑然とした活気で満ちているのが肌で感じられる。
鶴岡にとっては、遠い昔の懐かしむべき空気だった。
やがて空の端から赤みが滲み出した頃、西村が出てきた。今朝にしっかりと記憶に刻みつけた男の姿。
真奈が鶴岡の腕を軽く引っ張った。鶴岡は頷いた。それを合図に、二人で尾行を開始した。
碁盤の目状に区画された、住宅街の小道を進む。
周囲は、まだ黄昏前の明るさを保っている。交差点の数で二つほど離れて、西村の後を追った。
西村は今朝と変わらずに背筋を伸ばし、規則正しく一定のリズムで歩みを進めている。
その背中を、鶴岡はじっと見つめた。ざわりと感情が波立つ。
これまでは考えないようにしてきた。それなのに西村という男を意識するようになった途端、こうしてただ見ているだけでも、憎しみが募っていく。
人はつくづく感情に支配され易い生き物なのだと、鶴岡は身をもって実感した。
「ねえ、この方向って」
真奈がつぶやく。
「ああ、そうだな」鶴岡も小声で言った。
「奴の自宅だな」
初めての尾行は、僅か十五分ほどで終了した。西村が自宅の玄関ドアの向こうへと姿を消す。
「寄り道なし、か」
「そう、ね」真奈が頷く。
「帰り着いちゃったね」
「ああ」鶴岡は口先で応えた。
そうそうに都合よく事は運ばない。それは分かっているつもりだ。
だが意気込んでいただけに、こうもあっさりと終わってしまうと、さすがに肩透かしを食らった感は否めない。
「特に、これといった収穫はなかったな」
鶴岡は西村の家を見つめながら口元を歪め、ため息を鼻から抜いた。
すると真奈が、「そうでもないよ」と否定してきた。
「どういう事だ?」
「今日は西村センセは真っ直ぐに帰宅した。それがいつもなのか、たまたまなのか」
「一日つけただけでは分からない、と」
「うん、もし今日みたいに真っ直ぐに帰るのが常ならば、これからどんどん日は長くなって明るいままだし、住宅街で人の往来もそれなりにあるわけよ」
「つまり、帰宅時を狙って行動を起こすのは難しいって事になるな」
「そう。ワタシたちがこれからどう計画を立てるのか。その上で得られた大事な情報だと思うよ、これは」
「なるほど」
鶴岡は感心して、真奈へと目を移した。その視線に気付いた真奈も、鶴岡のほうを見上げる。そしてニヤリと笑った。
同じ結果でも、見ようによっては、まったく違う捉え方も出来る。ならば真奈の言うように、前向きに考えるべきだった。
それになにより、まだ始まったばかりではないか。これから先、必ずどこかで西村の隙を見つけ出せるはずだ。
「よし」と鶴岡は言った。そして歩き始める。
「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ?」
真奈が慌てて呼び止めた。鶴岡は立ち止まり、ん? と首をかしげた。
「どこって、いや、帰る、だろ?」
「帰る? なにバカなことを言ってるの」
「なにがさ」
「尾行の次は張り込みよ。今夜はここで一晩過ごすの」
「はい?」
「なに間抜けな顔をしているのよ。夜の間に何かあるかもしれないでしょ。大事なのはセンセの生活パターンの把握。そう言ってるでしょうに」
「しかし、もう、あとは飯食って、風呂に入って、テレビ見て、寝る。だけじゃあないのか?」
「そうかもしれないし。そうじゃあないかもしれない。ねえ、いったん家に帰った後、これから食事に出かける可能性は?」
「ない、とは言えない」
「例えば食事は家で家族と済ませて、夜にこっそりと一人で飲みにでる。そんな中年男性って世の中にはいないの?」
「いや、結構多いと思うぞ」
「そう」
「ああ」
真奈は、ふうん、とつぶやきながら細い腰に手をあてた。何やら凄みを感じさせる薄い笑みを携えて、鶴岡を見上げる。
「よし」と、鶴岡は言った。気持ちを切り替え、道沿いの塀に背中を預ける。
「今夜は張り込みだ」
「そうね、それがいいわ」真奈は頷いた。
「しかしなあ」鶴岡はすぐに、ゲンナリとした声をだした。
「なによ」
「一晩中ここで、かあ」
「あのね」真奈はため息をついた。
「なんで昼間を寝て過ごしたと思っているのよ。ここでの体力を温存する為でしょ」
鶴岡は「ああ」と、言った。
「なるほどね」




