(三)ノ7
朝食を終え店を出ると、鶴岡は真奈と一緒に観音山公園へと寄った。園内の池沿いの遊歩道を、二人で肩を並べて歩く。
気温は高くなっていたが、ただ湿気がなかった。開けた土地で風が抜ける為か、今日は心地良さを感じた。
池を望むと陽光に誘われてか、ほとりの花菖蒲たちが紫に縁取った白い顔をちらほらと覗かせ始めている。
「ねえ、さっきお店の中では話がそれたけどさあ」
真奈は立ち止まると、木の柵に手をかけて池の向こうへと目をやった。
視線の先を追って見れば、観音山は相変わらずで、こんもりとした稜線で空を切り取っていた。
「ああ、どうやったらバレないかって事か」
「うん、やっぱり捕まるのはイヤだもん」
「まあ単純に、背後からいきなり襲って、財布を抜き取るとか」
「物取り目的の、通り魔の犯行を装うわけね」
真奈は整った顔を、池から鶴岡へと向けてきた。鶴岡は頷いて見せる。
「そうやってさ、ツルちゃんが一秒で思いつくような手口。とっても優秀な日本の警察だって当然疑うよね」
「ああ、まあ、そうだな」
鶴岡は苦笑いを浮かべた。真奈は頷き返して、また歩き出した。
「だったら」鶴岡は、真奈の背中に言葉をぶつけながら後に続いた。
「既成事実を仕立て上げればいいんだ」
「仕立てる?」
「通り魔の犯行だと、疑いようがないようにすればいい」
歩きながら後ろを振り向いた真奈は、どうやって? と目で問いかけてきた。
「目撃者がいればいいんだ」
「危険よ、そんなの。ワタシたちの姿を誰かに見せるなんて」
「違う、違う。目撃者はキミだ。真奈が事件の目撃者として証言するんだ。オレとは正反対の犯人像をね」
「ああ」と、真奈が言った。
それから、うーん、と唸りながら遊歩道を逸れて、芝の広場へと足を踏み入れた。
平日ではあるが好天の為か、いくつもの家族連れや、若いカップルの姿があった。
青草の香りが、鼻孔から体内へと広がる。すっかりとなじんだ匂いだ。
そのまま巨大なクスノキの、いつもの指定席へと向かう。
「いい手かもしれないけど……」真奈は迷った声でつぶやく。
「キミは西村とはまったくの無関係だ。ましてや中学生の女の子。警察は真奈を善意の第三者と疑わないはずだ」
「でも、さっきワタシ、西村センセの家のそばで見られちゃったよね。近所の人や、それに西村の家族にも。記憶に残っていないかな? そこからさ、ボロがでる可能性は?」
「――ない、とは言えない」
「うん、万が一って事もあるもんね。ワタシが証言するのは危険だと思う」
「なるほどな」鶴岡は頷いた。確かにその可能性があった。
それに考えてみれば、明らかな殺人事件となれば、たとえ通り魔の犯行に見せかけたとしても、やはり警察はしっかりと捜査するはずである。真奈の証言に矛盾に生じでもすれば、もはや素人の浅知恵が通じる相手ではなくなる。これは愚策だった。
「だったら、自殺か事故に見せかけるしかない、のか」
鶴岡が言うと、真奈は「うん、まあ、そうかも」と同調した。
「でも、どうする? そこが問題だよね」
「ビルの屋上から突き落とす」
「どうやって、そこまで西村を連れていくの?」
ふむ、と鶴岡は腕を組み思案する。が、思いつかない。真奈が小さく息をついた。
「却下です」
冷たい声で、思考を遮断される。
「だったら」さらなる提案を試みる。
「毒物を飲ませるか。青酸カリとか、なんか聞いた事があるが」
「その青酸カリとやらは、どうやって手に入れるの? 入手いかんによってはそこから足がつくかもね」
「まあ、な」
それに、と怜悧な声色に、今度は冷めた視線も加わって返ってくる。
「毒物を使った場合、他殺のほうが疑われると思うよ。西村センセに自殺するような明確な動機がない限り」
「おっしゃるとおり」
「はい、却下」
二人はクスノキの元へと着いた。その麓の陰に入ると、澄んだ空気が体にまとわる。
芝の上に、二人で並んで腰を下ろした。
「後はそうだな」
鶴岡は足を投げ出す。両手を背中より後ろで地面について、上体を支えながら言った。
「駅のホームから突き落とすか」
「あのね」
真奈は両ひざを立て、しかめた顔を隠すようにしてうずめた。そして盛大なため息を吐き出す。
「西村センセが電車通勤とお思いで?」
「違うのか?」
「センセの家からガッコ―までって、歩いて十分程度じゃない? あそこからならさ。しかも駅は反対がわ。すぐに分かりそうなものだと思うけど」
顔を上げた真奈は膝に顎を載せ、それに絶対誰かに見られるでしょうに、と小声でブツブツと続けた。
どうにも鶴岡の建策は、照準が合っていない散弾銃のようなもので、真奈の的からあさっての方向に飛んでばかりのようだ。
ただここまで無下にされると、さすがに面白くはない。鶴岡は少しムッとして声を尖らせた。
「キミはさっきから、オレの意見を批判してばかりだな」
「最初のはまあ、悪くないかもとも思ったよ。でも後のは、ちょっとね。もうヒドイとしか言いようがないもん」
「じゃあ真奈、キミならどうする?」
「分かんない」
「おーい」
「こんな大事なこと、どうすれば正解なんて、簡単には見つからない。人生がかかっているのだもの。慎重さが何よりも大事。なのに思いついた傍からポンポン言う人がいたら、ワタシはその安直な神経を疑っちゃう」
「なるほど」鶴岡は憮然とした声で頷いた。
「そんな奴いたら、確かに恥ずかしいな」
「でしょ?」
真奈は「まあ、さ」と上体を倒し、芝の上に仰向けに寝転がった。目を閉じて、両手を腹の上あたりで組んだ。
「どっちにしても、ターゲットをもう少し知る必要があるよね。でなきゃ、いい手なんて思いつかない」
「情報集めか?」
「うん、とりあえずは尾行かな。生活パターンの把握ね」
「平日の日中は学校の中。帰宅時を狙う、とか」
「まあ、そうね。だから、夕方から尾行の開始でいい、かな。それまでは何もせずにのんびり過ごしましょ。たまにはそんな時間の使い方も悪くないよ」
「オレはいつもそうやって過ごしているんだが」
真奈は片目を開き、鶴岡の顔を見て薄く笑う。
「独りで、でしょ? 誰かと一緒にというのはまた違うはずよ」
鶴岡は、フンと鼻を鳴らした。真奈と頭を並べて横になる。
目を閉じると、枝葉をかいくぐって頬にあたる陽光が、微かな存在を感じさせる。
涼風が、前髪で瞼の上をくすぐり、同時に傍らの真奈の存在をそよがせた。
すぐ傍に感じられる気配。ああ、と鶴岡は思った。
確かに違った。独りでいるのと、誰かとの時の流れ方が。
ゆっくりと思考が鈍くなり、意識が遠のいていく。