表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
唇歯輔車  作者: akisira
16/58

(三)ノ4

 アパートのドアが開き、「ただいまあ」と真奈が陽気な声を上げる。

 続いて「わっ、真っ暗」と言ったかと思うと、直後に大きな物音が響いた。

「痛ったあ」真奈が喚いた。


 部屋にいた鶴岡は驚いた。急いで腰を上げて駆け寄った。玄関先でうつぶせに倒れ込んだ真奈の姿が、暗がりに見て取れた。

「おい、大丈夫か?」

「痛いって! なんなのよ、もう」

 どうやら玄関の框に足を引っ掛けて転んだようだ。部屋が暗く、足元の段差が認識出来なかったのだろう。

 とりあえず肩を抱いて起こしてやる。


「どこか擦りむいたか?」

「絶対、膝やった」

「案外トロくさいんだな」

 少しだけ皮肉めいてみる。

「こんな真っ暗な部屋に馴染んでるそっちが異常だっつうの。コウモリか! アンタわ」

 完全な八つ当たりが返ってきた。派手に転んだ気恥ずかしさからか、それとも思わぬ痛みに襲われた苛立ちからか、言葉使いが随分と乱暴だ。

「立てるか?」

「ん、大丈夫」

「待ってろ」

 鶴岡は真奈のそばを離れ部屋に戻ると、座卓の上の懐中電灯を手にして照らしてやる。


 よろけながら真奈が部屋に入ってきた。そして鶴岡の胸元に、「ほい」と手に掲げていたビニール袋を突き付けた。

 その袋には有名な雑貨屋のロゴがプリントされており、中に入れられた箱により、二十センチ角に、そしてその倍ほどの高さの立方体となっていた。


「なんだこれは?」

「開けてみ」

 促されるままに受け取ると、その場に腰を落としながら、袋から箱を取り出した。箱の一面が透明で、一目で何であるかが分かった。

 それはランタンだった。

「懐中電灯じゃあ、不便だし、不経済でしょ?」

 真奈は鶴岡の傍らに座り、片膝を立てて痛みがあるらしい膝頭を見つめながら言った。

 鶴岡は懐中電灯の光を真奈の膝へと当てた。擦りむいて赤くなっているが、血は出ていない。大した事はなさそうだ。

「それ、災害用なの。だから電池は不要」

 その言葉に、鶴岡は改めて箱を確認した。

「ああ、なるほど」

 ランタンにはハンドルがついており、それを回すことで充電出来る仕組みになっていた。確かに乾電池が必要な懐中電灯より経済的だ。


 早速箱から取り出す。円柱状の小ぶりなもので、チープな作りに見える。三千円はしないものだろう。

 とりあえずスイッチを入れて、ハンドルを回してみた。すると、すぐに光が灯り始めた。

 部屋全体を明るくするにはまるで力不足だが、それでも周辺の様子を知るには問題はなさそうだった。

 直線的に限られた範囲を照らす懐中電灯と違って、ランタンを中心に白くぼんやりと明るく、雰囲気も悪くない。


「これ、どれくらい持つんだ?」

「たしか、一分間回したら三十分くらいイケるって書いてあったよ」

「随分と効率がいいんだな」

 鶴岡は感心した。興が乗って、ハンドルを回す勢いが増してくる。見た目はおもちゃみたいでも、中々どうして大したものだった。

「ね、それよりもさ」

 真奈は立ち上がると、「見て」とモデルのようにポーズをとって見せた。それで気付いたが、彼女は学生服を着ていた。

「それは?」

「コウナンコーの制服。ツテを頼って手に入れてみました。これさえ着ていれば、たとえチュー坊でも高校生に見える。でしょ?」

「なるほど、確かに」

 鶴岡は頷いた。何の為にそんな恰好をしているのか。理由はすぐに分かった。

 真奈は今日、西村の情報を求めて光南高校に潜入してきたのだ。

 当たり前だが、私服より制服のほうが校内では溶け込みやすい。中学三年の真奈なら学年で言えば一年しか違わないし、どちらかと言えば彼女は大人びているので、違和感はなかったはずだ。


「でもさ」真奈は、鶴岡を挑発するかのような笑みを浮かべた。

「思ったよりスカートが短いんだよね、これ」

 指先でスカートの裾をつまんで、軽く持ち上げる。

「それで、どうだったんだ?」

 鶴岡はそれには興味を示さず尋ねた。チュー坊の太ももよりも、西村の件のほうがずっと気になる。真奈はつまらなそうに口をすぼめた。

「ま、中は短パン穿いてますけどね。みたいな」

 遠慮なく裾を捲りあげ、デニムのショートパンツを堂々と見せつけた。それを見て鶴岡は、小さく笑った。

「真実は知らないままのほうが神秘的だったな」

「あーつまんないの」


 真奈はストンと腰を落とした。思惑通りに鶴岡を揶揄えなかったのがご不満のようだ。

 むくれ顔のまま、先ほどのとは別のビニール袋から薄いプラスチックの容器を取り出し、鶴岡に手渡してきた。

 今度はコンビニ弁当だった。玄関先で転んだからだろう。中身が随分と片側に寄っていた。


「お腹、空いたでしょ? ごめんね、またお弁当なんだけど」

 コンビニ弁当であることに問題はない。しかし、またエビフライ弁当なのはどうにかならなかったのだろうか。

 一瞬そんな思いがよぎったが、もちろんそれを言えた立場でないのは百も承知だ。

 よほど真奈がエビフライが好きなのだろうかと思ったが、弁当はどうやら一人分しか用意していないようだ。

 それを訝ると、真奈は「ワタシはもう食べてきたから」と言った。

「そうか」

「うん、校内で男子をナンパしたの。それで放課後にカラオケ二時間。ゴハン、オゴってもらっちゃった」

 鶴岡は息を飲んだ。それが何を意味するのか。食事などもうどうでも良くなり、手にした弁当を脇の座卓に置いた。

「まさか、つまりそれは、西村は今も光南高にいた――、のか?」

 放課後にまで相手したという事は、その男子生徒が西村を知っていた。そういう事だ。

「うん」

 真奈が頷くのを認めると、鶴岡は体がジワリと熱くなるのを感じた。

「意外、だな」鶴岡は興奮を抑えながら言った。

「てっきり、とっくの昔に他校に転勤になっているかと思っていた」

「だよね。あっさりと分かっちゃってワタシも拍子抜けした。なんかいっぺんどっか違う学校に行ってたみたい。けど何年か前にまた戻ってきたんだって。家がね、一軒家らしいんだけど、コウナンコーから近いから希望してたとか、って、どうしたの? ツルちゃん」

 よほど呆けた顔をしていたのだろう。真奈の視線に気付き、鶴岡は気恥ずかしくなって表情を引き締めた。

「いや、昨日の朝まで名前も知らなかったのに、こう、なんていうか」

「急すぎて、なんだか現実味がない感じ?」

 真奈が鶴岡の言葉を引き継いだ。

「まあ、そんなところかな」

 鶴岡は微苦笑を浮かべながら気を取り直して、続けてくれ、と先を促した。真奈は頷くと、それでね、と言った。

「数学の教師だってさ、あいつ。現在四十歳。ツルちゃんの一個上かな? 割と厳しいらしいけど、生徒の評判は、まあ悪くないみたい。顔も見たよ。素材の良さならツルちゃんの勝ち。清潔感では向こうの圧勝」

「会ったのか! 西村に」

 鶴岡は驚きの声を上げた。

「うん、と言っても遠くから見ただけ。んで、もう一個、収穫があるよ」

 真奈が言い、鶴岡は目だけで先を促した。

「西村の住んでいる家も分かった」

「すごいな、キミは」

 鶴岡は、心底感心して言った。


 今も光南高校に勤めているとは思っていなかったのもあり、正直、真奈の情報収集にはさほど期待していなかった。

 それがまさか、たった一日でここまで分かってしまうとは――

 まさに予想外の展開だった。

「まあ、ワタシの色香に惑わされた男子に教えてもらっただけだけどね。そのお礼にカラオケに付き合ってあげたんだから、彼らにしても役得もんでしょうけど」

 真奈は冗談めかして笑い、それで、と言葉を続けた。

「どう? ツルちゃんも相手の顔を拝んでおきたくない?」

「ああ」鶴岡は頷いた。

「もちろんだ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ