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白銀の風が隠すこと

 庭の桜の蕾は、月の光を宿して宵闇に灯っているかのようだ。花が咲けば、薄紅に月光を混ぜた色になるだろう。

 夜は、星が煌めく音が聞こえそうな程に静かだ。

 

「う、うぅ……」

「……?」

 

 ちょうど通りかかったその部屋では、澄が眠っているはずだった。声がするということは、目を覚ましたのだろうか。様子を見るために、夕詩はそっと障子を開けた。

 

「おい?」

「嫌だ、やめて。氷雅は……関係ない。だから、僕だけを……」

 

 澄の目は固く閉ざされていた。手当てこそされているものの、身体中にある傷が痛々しい。通常であれば数日で治ったであろう怪我は、力が弱まっているせいか、未だに塞がっていないものさえあった。そんな理由もあってか、どうやらまた魘されているらしい。

 氷雅が語った、澄が襲われたという時のことだろうか。しかしそれならば、何故そこで氷雅の名が出てくるのだろう。あの場に彼はいなかったという。

 

「違う。僕は、努力して……強くなっただけ、なのに」

 

 びくり、と澄の方へ伸ばしかけていた手が震えた。こうした動揺を表に出すのは、夕詩にしては珍しい。澄の言葉は、それだけの衝撃を夕詩に与えたのだ。

 それは、いつかの夕詩が思わず洩らした想いにとてもよく似ていた。誰にも知られることなく隠していたそれを、優しく聞いていてくれたのは春雪だった。

 動きを止めた夕詩の前で、澄が目を開けた。近くで見たその瞳は、黒のようでいて夜空の紫を秘めた色だった。

 

「あ、君は……」

「星影 夕詩。あんた、大丈夫か?」

「うん……。もしかして、僕何か言ってた?」

「……ああ」

 

 少し迷った末、夕詩は正直に答えた。

 聞かれて困るということは、自分からは話したくないことなのだろう。それを澄に語らせてでも、あの言葉の想いを知りたかった。

 

「あの雪鬼から聞いてる。襲われたって。けど、それだけじゃないんだよな?」

 

 烏天狗ながらも、かなりの力を持っているという澄。彼が抵抗もせずに、ただ襲われたとは考えにくいらしい。

 普通ではない何かがあった。親しい仲である、氷雅にも話せないような。いや、親しいからこそだろうか。もしそうならば、一つの可能性に辿り着く。

 

「人質、か?」

「……っ!」

「いや、あいつに話すつもりはねぇけどさ。おれが、あんたの話を聞きたいだけだ」

 

 後半こそたどたどしくなったものの、夕詩の真剣な眼差しには説得力があったらしい。慎重に探るように目を向けていた澄は、あまり悩む素振りを見せずに頷いた。

 

「まだ出会ったばかりだけど、君は約束を破るような人には見えない。だから、信じるよ」

 

 

             *

 

 

 所持している力で序列の決まる、天狗の一族。澄は烏天狗だが、弱い鼻高天狗よりも強かった。そんな彼を良く思わない者は多い。しかし、どうしたって澄には敵わない。

 力がなくとも、悪知恵だけは働くらしい烏天狗たちは、数の力で襲う計画を立てた。それだけでなく、ある補強要素を加えて。

 

 それが、氷雅の存在だった。同族に馴染めなかった澄の、雪鬼の友だ。彼もまた力のある妖だが、実際に氷雅に手を出す必要はない。口先だけでも、澄の性格ならば動きを封じるくらいはできると思われたのだった。

 

「急に呼び出したりして、何の用? しかも、君たちは僕のことを嫌ってるはずだよね」

「あたりまえだろう? 烏天狗のくせに、調子に乗りやがって」

 

 普段は仕舞っている黒い羽を広げ、澄が身構える。本来ならば、他の天狗たちなど寄せ付けもしないはずだった。

 

「動くな。これが何か、わかるよな?」

 

 そう言って左手に持った物を示したのは、大将格の天狗だ。彼の手には、よく氷雅が好んで作り出す氷の花があった。

 写実的で繊細な美しさの花は、陽に透けてきらきらと輝いている。雪の妖によって作られた花は、しばらくは溶けずにその形を保つ。澄が綺麗だと褒めると、氷雅も嬉しそうに笑ったものだ。

 

「オトモダチに手を出されたくなきゃ、大人しくしてろ。抵抗すれば、同じだけそいつに返してやる」

 

 ぴたりと澄が止まり、纏っていた風の気配も消え失せる。

 相手の実力はわかる。彼らごときが、氷雅に手を出せる訳がないのだ。しかし澄の頭に、万が一の事態が過った。

 

 その隙が見逃されるはずもなく、風が澄を切り裂いた。怯んだところへ、さらに畳み掛けられる。一つ一つは弱くとも、集まれば倍になる。

 倒れ込んだ澄を、大将格の天狗が蹴り上げた。

 

「うあっ!」

 

 息が詰まり、うずくまって咳き込む澄を、大将格の天狗は嗜虐的に見下ろした。

 

「いい様だなぁ、天風。けどな、これだけで済ますには、お前は目障り過ぎるんだよ!」

 

 黒髪を掴まれて起こされ、殴り飛ばされる。今度は澄が転がった先にいた天狗が、風を纏った拳を叩き込む。

 これまでは手の届かない場所にいた澄が、引きずり下ろされてきたようなものだ。憂さ晴らしにはうってつけだったのだ。

 

「何が天才だ。たかがそれだけで、こっちを下に見やがって」

「……がう。僕は……くして、……強く……」

 

 確かに、澄には才能があった。だがその力を伸ばしたのは、他ならぬ澄自身の努力なのだ。他の天狗は気が付かなかった。氷雅だけが気付いてくれた。

 ここにいる天狗たちは皆、努力をしたことなどなかった。怠惰に日々を過ごし、目障りだから、ただ目についたから澄を襲った。それだけだった。

 

「何ごちゃごちゃ言ってんだ。もう口もきけなくしてやるよ。……おい、やれ」

 

 呼ばれて前に出たのは、底意地の悪い笑い方をする烏天狗だ。

 

「へへ。試してみたかったんだよな。陰陽師が使う、呪いってやつをよ」

 

 本来呪いといった機密性の高い術は、陰陽師の師匠から弟子に受け継がれるものだ。

 だが最近この山を通りすがった陰陽師が、その手順を書いた紙を落としたらしい。それは部分的なものだったが、力業により無理を通した呪いは澄にかかってしまった。

 静かな山の一角で、悲痛な叫びが響いた。

 

 その直後、声に気付き氷雅が駆けつけた。囲んでいた天狗たちを難なく退け、澄を助け出したのだった。

 

 

             *

 

 

 吹く風が障子を揺らし、隙間から冷えた空気が入り込む。

 語り終えた澄は、わずかに首をかしげて困ったように笑った。聞いていて良い気分のする話ではない。夕詩に気を遣ったのだろう。

 

「続けてくれ。なんであんたは、まだ苦しんでるんだ?」

「……夢を、見るから。あの場に氷雅がいて、傷つけられる。ありえないってわかってても、また……」

 

 澄が恐れていたのは、自分が襲われた記憶ではなく、友人が傷つけられたかもしれない可能性だ。何度も見る夢の中でまた自分を差し出す程、氷雅は澄にとって守りたい存在なのだ。

 

「僕、氷雅を信じられないのかな。友達なのに、こんなのまるで見下してるみたいだ」

「それは……違う、だろ」

「え?」

 

 先程とは違い幼い仕草で首をかしげた澄に、夕詩は言葉を探る。

 自分の思ったことを口にする機会は少なかった。春雪のように的確に、咲羅のように優しくというのは、夕詩には難しい。

 

「あんたは、心配……だったんだよ。それは信頼してねえからじゃなく、大切だからなんじゃねえか? おれもよく、仲間に言われるんだ」

 

 お人好しな仲間たちを思い出し、夕詩は不慣れな笑顔を浮かべる。

 

「おれも、あんたと同じこと思ってた。おれは天才なんかじゃねえ、努力の積み重ねで強くなったんだって。だから今でも、信じるってのは苦手だ」

 

 周りの評価と合わない自身の認識。捨て子という過去も、夕詩には他人も自分も信じられない要因にしかならなかった。

 

「僕たち、少し似ているんだね。だけど、大丈夫だよ。僕を、僕以上に信じてくれる友達がいるように、君にもそんな仲間がいるんでしょう」

 

 今度は澄が、柔らかい口調で語る。それは、堅い結び目を交互にほどいていくことにも似ていた。

 ひとりではよりきつくしてしまう結び目も、似た者同士、ふたりでならば解ける。

 

「……そう、だな」

 

 今は違う。一年前春雪に救われて、少しずつ夕詩は変わった。

 出会ったばかりの頃から信じてくれた春雪。屈託なく距離を詰めて、打ち解けた咲羅。よく共に鍛練をする琥珀は、対等な相手として認めてくれていた。灯毬や黒莉も、早くも慕ってくれている。

 昔ならば疑ってかかっただろうが、今は素直に受け止められる。

 

「友達になろう、夕詩。僕は君のことをもっと知りたい。仲良くなりたいんだ、他でもない君と」

 

 澄の好意も、友情も。

 まだ普通には程遠くとも、新たな縁の糸が確かにここにあるのなら、この手からすり抜けてしまう前に掴みたい。

 

「ああ。宜しくな。……澄」

 

 ぎこちない動きで夕詩が伸ばした手を、澄が握り返す。空に吹く風と、同じ温度のはずの手は暖かかった。

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