花冷えの午後
吹く風の暖かさに、春の訪れを感じられるようになった頃。空気は冷たく、桜の蕾が綻ぶにはまだ早い。
妖退治を生業とする寄合『立春』の縁側にて、星明かりのように美しい白銀の髪を風になびかせた人が、同じ風に揺れる梢を眺めていた。淡い緑の瞳は、芽吹いたばかりの葉によく似た色合いをしている。
冬から春に移ろう、まさに今の季節を表したかのような春雪という名を持つ彼こそが、この『立春』の管理人――寄合における最高責任者がこう呼ばれる――だ。
そんな彼の元へ、歩み寄っていく影一つ。屋内から出てきたというのに何故か学生帽を被っているせいで、目元が隠されている。
「春雪さん。暦の上では春になったとはいえまだ冷えますから、これでも羽織っていてください」
学生帽に合わせてか、藤色の書生服を纏った青年が紺の羽織を差し出す。
「では、ありがたく使わせてもらうとしよう。琥珀は細やかな気遣いが出来るな」
琥珀は、つい最近『立春』に所属したのだ。彼は一見人の姿をしているが、その正体は方相氏――かつての節分では鬼退治の役目を担っていたのだが、時代が下るにつれ、その力を恐れる人間に追われる側となってしまった妖である――と呼ばれる存在だ。
腰に紐でくくりつけているのが方相氏の面で、金の四つ目が印象的だった。
「咲羅がうるさく言うからですよ。別に、僕の性格は関係ありません」
「そう謙遜せずとも良い。しかし、これは……」
春雪が広げた羽織の裏地には、黄緑の背景の中で梅に似た花が咲き乱れていた。派手な柄ではあるが下品ではなく、むしろ粋だった。
元はこの羽織は紺の無地だった。梅の花柄の生地は、縫い合わせたものなのだろう。しかし、それとは気付かせない程度の技術で縫われている。
「何ですか、これ。いつの間に」
「ふむ、咲羅であろうな。この羽織がほつれていたので、繕うと申し出てくれたのだが、悪戯心でもおこしたというところだろう」
困ったようではあるが、それ以上に微笑ましげな様子で春雪は羽織に袖を通した。
「彼女が繕った服を確認する必要が出てきましたよ。まったく、油断も隙もありません」
「今自分がしたいことをできるというのが、楽しくて仕方ないのであろうな」
咲羅は数ヵ月前まで、とある資産家の屋敷で暮らしていた。地位を約束されている跡取り娘だったのだが、家庭教師に来ていた春雪に頼み込み『立春』に所属したという来歴を持つ。
普通の生活を過ごし、自身の力で生きていく。それが咲羅の憧れたことだった。
今や咲羅は、元より人数が少ない『立春』になくてはならない存在の一人だ。
「満喫している、ということですか。彼女はいつも楽しそうではありますが」
「性格は元からだろうが、これほどはしゃいでおるのは『立春』に来てからだな」
『立春』の中では春雪だけが、跡取り娘だった頃の咲羅を知っている。それを言われれば、琥珀には想像することくらいしかできないのだ。そうでなくとも、琥珀にとって人間というものはよくわからないものだった。
琥珀を追われる「鬼」にしたのは、他ならぬ人間だ。未だに『立春』の面々にさえ、時に警戒して武器を向ける琥珀が人を受け入れる日は、まだ遥か遠いのだろう。
「春雪さーん、琥珀ー。ただいま!」
「おや、噂をすれば影だな」
正面からでなく、縁側の方へ出るよう裏口から来たのだろう。同じ年頃の少年と共に買い出しから帰ってきた少女が佐保風 咲羅。
今日もフリルがたっぷりあしらわれたワンピースに羽織を合わせた、和洋折衷な服装だった。服の裾と、横で一つに纏めた栗色の髪を揺らして駆けていく。
荷物持ちとしてついていった少年は、この『立春』の主力である剣士、星影 夕詩だ。
天才剣士としても有名で、この寄合の名を広めるにも一役買っている。普段は一振の刀を携えた和柄の洋装姿で、十四歳にも関わらず警戒心が強い。
「あ、春雪さんこの羽織着てくれたんだ。どう?」
「よく出来ておるぞ。ますます腕を上げたな、咲羅」
「そうやって春雪さんが甘やかすから、彼女もこんな悪戯をするんですよ」
ごく小さな声でぼそりと呟いた琥珀の言葉に、すかさず咲羅が反応して桜色の瞳を向ける。
「琥珀うるさい。あんまり軽口叩くなら、琥珀の服に何か可愛い刺繍するからね」
「それは勘弁願いたいものですが、ご心配なく。自分の物くらい、自分で繕いますから」
「もう、可愛くないわね。夕詩も何か言ってよ」
手際よく買ってきた物を選り分けていた夕詩が、半ば面倒そうに振り返る。
咲羅が声をかけるため、琥珀との口論に巻き込まれるはめになるからだ。夕詩としては、琥珀とは近い考え方なので話が合うが、それを咲羅が一緒くたに扱うのは困りものなのだ。
「おれもあんたに縫い物頼む時は、よく考えてからにするぜ」
「ちょっと、もう!」
中に上がった咲羅が夕詩に迫ろうとした途端、正面の方から呼び鈴の音が響いた。
「おお、そうだ。今日は来客があるのだったな」
「来客? 依頼人か?」
「いや、新入りだ」
ぴたりと動きを止める、春雪以外の面々。まだ発足したての寄合ということもあってか、これまで正式に『立春』に加入した者はいない。
夕詩は発足前から春雪と共におり、咲羅も頼み込んで所属した身。琥珀は行き場がなく、咲羅の強引な説得で居候に近い立場でここにいるだけだ。
「は?」
「妖退治を生業とする寄合を探しておったのだが、何処も取り合ってくれなかったらしい。これも何かの縁と、勧誘したのだ」
「この、お人好し陰陽師め……」
呆れることも多いが、夕詩も春雪のそんなところに救われた。そのため、強く言うことができないのだ。
琥珀もまた似た状況で右に同じく。咲羅は師匠である春雪に似てお人好しなので、困っている人を助けられるのは良いことだと屈託なく笑う。
「今に始まったことじゃねえしな、まあいいか。取り敢えず、客待たせてるだろ。早く出てやれよ」
「ああ、そうしよう」
正門へ向かって、数分後。一人の風変わりな少女を伴って、春雪が戻ってきた。
千鳥格子の膝丈スカートにブラウスを合わせ、カーディガンを重ねているその洋装はごくありふれている。しかし頭上には片方が白、もう片方は黒の狐耳があり、スカートからは茶色のしっぽが覗いていた。ぴこりと動く耳もゆったり揺れるしっぽも、何処からどう見ても本物だ。
「私の独断で加入させることになったが、宜しくしてやってくれぬか」
春雪が促すと、一歩前に出た少女が一礼して名乗った。
「美津稲 灯毬、宜しく。……『なあ灯毬、もういいだろ? 早くしてくれよ』」
灯毬と名乗った少女の口が、少女のものではない声を発した。
「『こら、ちゃんと大人しくしてなさい!』『飽きた。挨拶も済んだし、狭いからもう出たい』『押さないでよ。二匹共声大きい』……人の中で喧嘩しないで。出てっていいから」
灯毬の他に三つの声が口論したかと思うと、最後に本人が何かの許可をする。途端、灯毬から丸く小さい光が離れ、足元には三匹の狐がいた。
茶色、白と黒の三匹は喧嘩の続きをしているようだが、毛玉が可愛らしくじゃれあっているようにしか見えなかった。
「それぞれ三種、白葉、黒莉。使い魔。あたしの家、狐憑きの家系。妖退治が仕事」
「そっか。それで妖退治をしてる寄合を探してたのね」
初対面の相手だろうと臆することのない咲羅は、灯毬にもごく普通に話しかける。だからこそ、琥珀とも付き合っていけるのだろう。
「うん。けど、狐憑きは駄目って断られた。確か『五星』って名前」
「むしろ、断られた方が良い。あの寄合、評判程にもねぇからな」
この辺りの妖退治を請ける寄合として、最も有名なのが『五星』だ。主に所属しているのは陰陽師で、仕事自体の評判は良い。
しかしそれ以外の部分では、実力不足の者は所属させずに門前払いをしたり、原因を調査せずに妖を滅したりするため、依頼者以外からの評判はすこぶる悪い。
春雪もかつては『五星』に所属する陰陽師だった。しかしその方針に違和感を覚え、独立して『立春』を設立したのだった。
ごく小さな寄合の『立春』だが、その名を知らない者はいないと言わしめる程大手の『八百万』と親交があるため、着々と認識されつつある今日この頃だ。
「宜しく、灯毬ちゃん。同僚ってことだけど、友達になれたら嬉しい。わたし、女の子の友達いたことないの」
「うん。ええと……?」
「佐保風 咲羅よ」
「咲羅。宜しく」
早速灯毬の手を引いて、咲羅が『立春』の中を案内する。人懐っこい咲羅に、灯毬も人見知りはしない方らしい。警戒しているのか、琥珀はいつの間にか姿を消していた。
立ち尽くしたままの夕詩に、二人の後を歩いていた春雪が振り返る。
「夕詩」
「……ああ」
名を呼ぶ声に、夕詩はついて往くのか往かないのか、どっち付かずだった問いに答えを出す。
迷った時に背を押すのは、春雪になりつつあった。一年前の冬の終わり、春雪が夕詩を救ってくれた、あの日から。




