エピローグ
エピローグです。
前話から、かなり時が流れています。
彼とは、それきり逢えなかった。
彼が裏切ったわけではない。
私と別れた後、暫くして彼は戦死したのだ。
彼の妻の父が、私にささやいて教えてくれた。
嘘だ、と叫びたかった。
でも、彼の妻の父の目を見た瞬間、私は覚っていた。
本当の話だ、と。
それと相前後して、私は彼の子を身籠っているのに気づいた。
皮肉なことに、彼の妻の父が、私を庇護してくれ、北イタリアの地で、私は無事に息子の出産にこぎつけられた。
私は出産した際に、産まれた子のお尻の上の部分が青くなっているのに、私は本当に驚いた。
だが、臨時に産科医を務められた軍医の方は、平然としていて、驚く私に、
「大抵、5歳までには消えますよ。ところで、この子の父は白人ではありませんな」
と断言した。
後で、私は知ったのだが、日本人というか、黄色人種の子だと、蒙古斑といって、産まれた子に青あざがあるのが珍しくないらしい。
一方、白人だと、そんな蒙古斑は、まず無い。
だから、軍医には、息子の父が白人以外だと分かったらしい。
彼の妻の父は、軍医から、私の子に蒙古斑があるのを聞いて、鼻を鳴らして、無言のまま、軍医を追い払った、と後で人づてに私は聞かされた。
その際に、彼の妻の父は、私の子が、彼の子でもある、と確信したのだろう。
そして、私は乳飲み子を抱えて、そのまま雑役婦として働くことを、彼の妻の父に許された。
そして、海兵隊の雑役婦として私は働き続け、世界大戦が終わるまで、海兵隊と共に、私と息子は欧州を転々とした。
南フランスから北イタリアに行き、また、フランスに戻り、といった感じで、最終的に私が終戦を迎えた土地はベルギーだった。
戦争が終わり、海兵隊は日本に帰国することが決まり、私は雑役婦を解雇され、退職金を渡された。
他の者より気持ち多い額だった。
おそらく、彼の妻の父が、配慮してくれたのだろう。
更に、労をねぎらうという名目で、彼の妻の父に、私は退職前に特に呼ばれもした。
「不出来な義理の息子を迎えたものだ。幾ら君に泣きつかれても、悪いが、君の子をわしの義理の孫にするわけにはいかん。お断りさせてもらう」
私を自分の目の前に立たせ、彼の妻の父、岸三郎提督は、冷たく私に言い渡して、言葉を継いだ。
「退職金の一部は、君との縁切り金だ」
はい、はい、いつかはあなたに言われると覚悟はしていましたよ。
岸提督に、私は内心で感謝しつつも、毒づいて言い返した。
岸提督は更に言った。
「あの男め。わしの娘や君以外にも、子どもを産ませていたとは、言語道断の話だ。お蔭で、我が家は大騒動だ」
それを耳にした私は、驚いた。
だが、その一方で、彼らしい、とも思った。
何しろ、あの人はね。
私が音を上げる位の人だったからね。
案外、他にもあの人には子どもがいるかもしれないわね、私は更にそう思いを巡らせた。
「ともかく、君とはこれきりにさせてもらう。2度と私や娘、孫の前には現れないでくれたまえ」
岸提督は、私を半ば追い出そうとし、私は頭を下げて、岸提督の前を辞去した。
それから20年程が経った。
息子は、立派に成長して、フランス陸軍士官に任官しようとしていた。
欧州は再び戦火に覆われようとしていた。
また、サムライ、海兵隊が欧州に来ることになるのだろうか。
そうしたら、息子の異母兄弟も来るのではないだろうか。
私は、40歳以上になり、中年になった姿で想いを巡らせた。
岸提督の前を辞去した後、私は色々な職場を転々とした。
彼と出会う前にしていた街娼の(精神的な)後遺症もあり、ここには書かないが、色々と苦労する羽目になったのだ。
皮肉にも、あの極限ともいえる海兵隊の雑役婦として過ごしていた日々の方が充実していたのでは、と私自身が半ば錯覚するような想いさえしたことがある。
だが、息子、アランがそれを少しずつ癒してくれた。
アランは、髪や肌、目の色は私に似ていながら、顔全体や姿は本当に彼に似ていた。
アランの顔、姿を見るたびに、彼の事を想い出し、気を取り直すことが私にはできたのだ。
その分、アランに私は負担を掛けたようで、アランは、年の割に老成してしまった。
私に少しでも苦労を掛けまいと、アランは気負ってしまい、フランス陸軍士官学校を目指すと言い、独学では無理だろうと私は思っていたが、本当に合格してしまった。
やはり、この親にしてこの子、この主人にしてこの従者というわけか。
頭脳の面では、あの人に似て、本当に良かった。
でも、異性を泣かせるのは、あの人に似ないでね。
お願いだから。
今になって、岸提督の最後の捨て台詞に、私も共感するようになっていた。
私もそれだけ年を取り、人の親になったということだろうか。
そして、本当にサムライがフランスに来ることになり、あなたの異母兄弟とあなたが、お互いに知らずに巡り合えて、兄弟だと気が付いたなら。
私は、そこまで夢想して更に思った。
アラン、その子と私を引き合わせて。
あの人の子、私の義理の子に、下手だけど心ばかりの手料理を私は振る舞いたいの。
そして、その子は、料理を食べながら、あの人の日本での話を私に聞かせて。
彼が生きていたら、その子に私には絶対に話すな、という話がどうにも多そうだけどね。
そう思いながら、彼の顔を思い浮かべると、何故か私は微笑んでしまった。
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