第1話
「ねえ、ちょっと」
街角に立った私がそう声を掛けて、流し目をするだけで、大抵の男は、足を止めて、自分の方を向く。
後は、商談だ。
大体、1時間、男と過ごすだけで、1日は悠々と食べられる金が手に入る。
もっとも、こんな生活もそう長くは続かないのは分かっている。
だから、私は1日の内に何人もの男と過ごす。
それが、私の今の商売だ。
「止めといた方がいい、ジャンヌ」
私はマリー姐さんと呼び、大抵の街娼はマリーの姐御と呼ぶ、マルセイユの街娼の顔役のマリーは、私が街娼になると言った際に言った。
マリーは、ユニオン・コルス(コルシカ島出身者が中心のいわゆるマフィア)の大幹部の情婦だ。
最も単なる情婦ではない。
私の耳に入る噂では、マリーは、マルセイユ市街で働いている街娼の約半分を握っている。
街娼のいわゆるケツ持ちをしてやる代わりに、上納金を収めさせ、大幹部に渡しているのだ。
その上がりは大したもので、大幹部が組織内で羽振りを聞かせていられるのも、マリーからの上納金があるからだと、私は聞いている。
その代り、大幹部は、マリーが支配下に置いている街娼のケツ持ちをする等、庇護している。
街娼一人一人からの額は、そう大したものではない筈だ。
私からの上納金にしても、月に20人程相手にしたとして、その内の1割になるか、ならないか程度だ。
だが、人数が多くなると、その額は馬鹿にならない金額になる。
マリーは、その金で、ある意味、大幹部を飼い慣らしていた。
大幹部にしても、マリーの声望が無いと金の大部分を失うのが分かっている。
マリーの体を大幹部が楽しめることもあり、大幹部とマリーは共存共栄していた。
私には、歳の離れた兄がいた。
私は10歳になる頃に、流行病で両親を失っており、兄が唯一の肉親だった。
両親を失った時に、20歳になるかならないかだった兄は、フランス軍に志願し、その収入で私を養おうとしてくれた。
とはいえ、兄が兵から下士官になっていったとはいえ、私が貧困に苦しまねばならない状況は変わらず、花等の物売りで、10代の頃の私は小金を稼いだ。
それを見ていたマリー姐さんは、当時の私に好意を寄せ、ちょくちょく私から物を買ってくれた。
マリー姐さんは、過去の話を決してしないことで有名だったが、マリー姐さん自身、今の立場になるまでに、かなりの苦労をしており、私に同情してくれたのだろう。
そして、戦争が起こった。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで暗殺されたことから、私には理由がさっぱりわからないが、ドイツはフランスに攻め込んできて、戦争が起こった。
兄は、エラン・ヴィタールと叫び、クリスマスまでに勲章をもらって、凱旋してくる、と私に手紙を寄越してきたが、それは結果的に大嘘となり、兄は戦死してしまった。
そして、私の知っている周りの若者も相次いで戦死していった。
天涯孤独の身になった私は、こういった状況から捨て鉢になった。
「街娼になるって」
「ええ、少しでもいい暮らしをしたいから」
「止めときな。あんたには向かない」
捨て鉢になった私が、街娼になると決心して、マリー姐さんの下を訪ねて相談したら、マリー姐さんは言下にそういって、切って捨てた。
「あんたは、きれいすぎる」
マリー姐さんは、吐き捨てるように言った。
「自分じゃ汚れたい、と今は思っているだろうね。でも、私には何となくわかるのさ」
マリー姐さんは、何百人、いや何千人も街娼を見てきたからだろう、確信して言っていた。
「あんたは汚れた後で、絶対に後悔する。そして、一生、悔やむのさ」
マリー姐さんは、私に言い渡した。
「そうなると分かっていて、あんたを街娼にするわけにはいかないよ」
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