第5章 -無敗の女王-
始業式から3日、この日から1年生は研修会という名の懇親旅行に出発しており、週明けまで学園には2年生と3年生だけが残っている。
焔は昨日の志乃の件はまだ瑞乃には報告せず、一時的に伊織の症状が治まったことだけを伝えていた。
泳がせておいて仲間を釣る目的もあったが、瑞乃が真相を知れば志乃を許すことはないだろう。
証拠不十分の状態で自ら出向いて暴れるようなことになれば、立場が危うくなることは避けられない。
瑞乃の正義感の強さを否定する気はないが、今後の計画に瑞乃が欠けられては困る。現状、学園内部で渦巻く不穏な空気に冷静なのは焔の方だった。
生徒会長が模擬戦を行う。
そんな噂を耳にしたのは昼休みのときだった。
「それが何だ?トーナメントに出場する生徒は、みんな模擬戦くらいやるんだろ?」
今日も6人でテーブルを囲い、昼食を取っていた。
焔は不定期発売の学食の人気メニュー、本場インドカレーのカレーパンを頬張りながらミラとハークからその話を聞いていた。
「そうだけど、そうじゃないのよ」
「ウチの生徒会長はこの前話した通り、学生にしてSランク認定をされてる、日本語で言うと、超高校級?」
「無敗の女王の二つ名は伊達じゃないわ。入学当初から試合での瞬殺記録は数知れず、多くの生徒が触れることさえ叶わず沈黙してるの」
「文武両道、才色兼備、絵に描いたような完璧超人。でも、それが逆効果になって、挑む人間がどんどん減ってるんだ」
「京太郎みたいな奴でも、会長と戦るのはお断りだって言ってたしな」
「あとは、ちょっとした噂がね…」
「噂?」
「そう。そんな会長に惚れ込む奴が後を絶たなくて、私たちが入学した頃はもう毎日のように誰かしら告白してたわ。でも、会長は『心に決めた相手がいる』の一点張りで、誰一人振り向いてもらえなかったのよ」
「んで、いつだったか、新聞部が会長の取材で特集組んで学内新聞を作ったことがあったんだけどな、そのインタビュー記事の中で『私の男は私よりも強い』って書いてあって」
「私の男、って、生徒会長って女なのか?」
「そうよ。言ってなかった?」
「いや、まあなんとなく口調からしてそんな気はしてたけど…。んで?」
「それが、いつの間にか『会長に勝てば会長と付き合える!』って話が広まりだして…」
「はぁ?」
「まあその反応はわかるけどな、当時はそれで学園中が燃えてたんだよ」
「へ、へえ…」
「もうみんなして会長に挑みまくってたわ。それがどんどんエスカレートして、マナーの悪さと、生徒会の仕事にも支障が出るようになって…」
「先生方はカンカンよ。今では、自分から会長に模擬戦を申し込んではいけないっていう暗黙のルールみたいなのがあるの」
「会長も弁えてるから、自分から誰かに挑むと、贔屓してチャンスを与えてるって思われるから、誰とも模擬戦をしなくなってたのよ」
「そんなことがあったのか…」
焔は、若干この学園に引いていた。
「それが急に昨日の放課後に、生徒会長主催で明日フリー参加の模擬戦が行われるって、生徒手帳に連絡が来たのよ。見てない?」
「ん、と……。充電が切れてる……」
ガクッ、と5人がずっこける。
「充電はしておいた方がいいぞ。大事な連絡も来るから」
「そうだな」
「放課後16時から、第一競技場のリングで、来た順に連続試合を行うそうよ」
「百人組手みたいなもんか」
「もうその話でみんな持ちきり。会長が振られたとか、新しい恋人を探してるとか、恋人になるなは俺だとか、そんな話ばっかり」
「いや、そういうんじゃないと思うのは俺だけか?」
「俺たちも観戦しに行こうぜ。きっと面白いぞ」
「参加するんじゃないのか?」
「いや、トーナメントで勝ち上がれば、会長とは嫌でもぶつかることになるさ」
「私たちは別に会長と付き合いたいわけじゃないもの。むしろ、ここで手の内を分析して、後で一泡吹かせてやるわ」
「なるほど。まあ、ミーハーなイベントだしな」
「それに、やっぱりこの企画の意図がわからないのよ。別に会長を疑うわけじゃないけど、ここは様子見」
「そうか。ところで、こいつはいったいどうしたんだ?」
と、ここまで一言も発していない燿子に目を向ける。
燿子は「ほわぁ〜」と、ずっと幸せそうな顔で弁当を食べている。
いつもキリッとしていて、ここまで笑った顔も見たことがなかったので、とても異様な光景だ。
「あぁ、まあ、なんていうか…」
「後でわかるよ。嫌でも」
「なんだその不安な前置きは」
一人トリップしている燿子を尻目に、絶品カレーパンを残さず堪能した。
「焔、急げよ!」
「そ、そんなに焦らなくても…」
放課後、終業のチャイムが鳴ってすぐに多くの生徒が我先にと第一競技場へ走り出す。
「16時からなんだろ?まだ20分もあるぞ」
第一競技場は収容人数が星宙学園の中で一番多い野外競技場だ。トーナメントの上位戦は専らここで行われるといい、観戦席の数も十分なはず。
ましてや、今回は一年生不在の上に、挑戦者側の生徒も多いはずなので、そこまで席は埋まらないだろう。
「たぶん、なるべく前で見たいからとかなんだろうけど、本当流されやすいっつーか……」
「え?なんだって?」
「なんでもない」
このくらいは年相応の反応の範疇であり、生徒たちにとってはそれほどのイベントなのだが、たった3日でこのノリに慣れるには、焔の学校生活にはブランクが長かったようだ。
そして、到着した第一競技場。
既に入り口には列が形成されており、挑戦者側は一人一人名簿に名前とクラスを記入していたが、焔たちは走った甲斐あってか、スムーズに競技場内へ入ることができた。
今回使用されるのは大型のドーム競技場で、天井の開閉が可能な造りになっている。
内部は流れ弾を防げるよう、壁、天上全て抗魔素材で出来ており、観客席とリングの間には魔法を遮断する魔法障壁を張ることができる。
更には、ドーム内には魔力幻想転換装置が設置されている。
この装置の範囲内で魔法を使用すると、魔法によって生じる物理的衝撃を全て無効化することができる。
但し、体が怪我をしないだけであり、脳はダメージを受けたと錯覚する。
これにより、死ぬほどの攻撃を食らっても気絶で済むという、魔法の訓練には欠かせない安全装置だ。
6人は、最前列の席を確保し、試合開始を待つ。
「で、生徒会長ってどんな奴なんだ?」
「え?今更?」
「けっこうあちこちにポスター貼ってあるよ?」
「マジか」
「なんか、鬼城君て意外に抜けてるとこあるわよね」
「そうかな?」
「ん〜、一言で言うと、美人ね」
「いや、まあそうだから人気があるんだろうけど…」
「でも、これがまた桁違いなのよ。なんていうか、魔装じゃなくて、美の女神がそのまま降臨したような」
「同じ女子にそこまで言わせるってのはすごいな」
「確か、会長の実家がそういう家らしいんだ。あらゆる分野の天才が集まってて、全員容姿端麗。なんでも、そういう人間を選んで結婚して繁栄してるとか」
「………」
実は、焔は最初に生徒会長の話を聞いたときに、ある知り合いを思い浮かべていた。
一つ歳上で、最後に会ったときから考えると、今はもうSランク認定されていてもおかしくない実力者。
おまけに美人で、社交界ではかなり有名な人物だった。
しかし、彼女がここ日本にいるという確証はなく、焔も積極的に彼女を捜してはいなかった。
だが、今の話を聞いて、恐らく間違いないだろうと考える。
『ワーーーーーーッ』
と、一斉に会場から歓声が上がる。
焔たちから見て左側の選手入場口から、生徒会長らしき人物が入場してきた。
その神が造ったような美しさ、見るものを圧倒する美貌と、誰もが羨む抜群のプロポーション。
金髪金眼の白人。煌めくようなロングヘアは、こめかみから前に垂らしたふた房がカールされている。
170㎝後半くらいの身長で、スラリと伸びた脚は真っ黒のストッキングに覆われている。
優雅で、それでいて堂々とした佇まいは、一分の隙もなく、周囲の空気を染めていく。
「フェリシア・エイゼルステイン……」
「何よ、知ってるんじゃない」
「あぁ、そうだな。知ってた」
「?」
予想的中。まさしく彼女だ。だとすれば、自分はここにいていいのだろうか?
フェリシアが自分に気づいたら、どんな顔をするのだろうか。
周囲とは対照的に、焔にはなんともいえない気まずさがあって、歓声を上げる気分にはならなかった。
その一方で、
「きゃーーーーーっ!」
燿子が目をハートにして手を振っていた。
「えええええ⁉︎」
「フェリシアせんぱぁ〜い!」
「嘘ぉ⁉︎誰だこいつ⁉︎」
下がったテンションが一気に上がる。
「燿子は、フェリシア先輩の大ファンなのよ」
「え、じゃあ昼休みのアレは…?」
「久しぶりに先輩に会えるから、幸せだったんでしょうね」
「勝てば恋人に慣れるっていう噂が流れたときは…?」
「速攻で挑んでたわ。負けたけど」
「うわぁ……」
開いた口が塞がらない。
「燿子って普段はちょっとキツいけどな、こういうとこ見てると、なんか面白い奴だなぁ、って」
「面白すぎるだろ」
人間、わからないものだ。
「お姉さまは完璧だ。あの美しさがわからない奴は人間ではない」
「お姉さまとか言うな」
「せんぱぁ〜い!頑張って〜!」
「その『フェリシアLOVE』って書いた団扇、どっから出したんだ?」
視線をフェリシアに戻す。彼女の両脇には、2人の女子生徒が控えていた。2人とも日本人だ。
1人は、フェリシアのように優雅な雰囲気を持ち、微笑を浮かべている。
背中には矢筒を背負い、左手には弓を携えている。
彼女は久遠院刀那。エイゼルステイン家の従者であり、フェリシアの側近だ。
もう1人は、黒マフラーで口元を隠しているが、刀那と瓜二つの容姿を持つ少女だ。
だが目つきは鋭く、ストレートの刀那と違って、燿子のように髪をポニーテールで括っている。
彼女は久遠院刹那。刀那の双子の妹で、同じくフェリシアの側近だ。
腰に忍者刀を刺しており、手足にそれぞれ手甲と足甲を着けている。
フェリシア自身は長剣を二本、腰に刺しており、騎士と弓兵と忍者という、傍目には異色の3人組だ。
焔は3人ともよく知っていた。
『みんな、急な開催だったが、集まってくれてありがとう』
フェリシアが、刀那の差し出したマイクを受け取って挨拶をする。
『今回は嬉しいことに多くの挑戦者が集まってくれた。しかし、競技場の貸し出し時間の関係上、挑戦者は先着の100名で締め切らせてもらった。断ってしまった諸君は申し訳なかった』
それでも、1人で100人を相手にするということだ。
『通知の通り、試合の形式は入れ替え制の連戦だ。私はノンストップでリングに立たせてもらう』
フェリシアの宣言に、会場からは「おぉ〜っ!」という声と拍手が上がった。
『では、そろそろ入場してもらおう』
フェリシアが入場してきた入り口とは反対側の入り口が開き、ぞろぞろと生徒たちが出てくる。
制服の者もジャージの者もおり、魔装で武器を召喚できない生徒は、皆自分の獲物を握っている。
生徒たちはゼッケンを着ており、その番号順で試合を行うのだろう。
『さあ、はじめようか』
フェリシアは刀那にマイクを戻し、フェリシア1人を残して2人はリングを降りる。
向かい側からは1番のゼッケンの生徒がリングに上がった。槍を構えた男子生徒だ。
『それでは、模擬戦をはじめます。試合開始!』
刀那がマイクで叫ぶと、刹那がゴングを鳴らす。
無敗の女王は静かに微笑を浮かべた。
試合開始7分、フェリシアは既に10人目を倒していた。
1人42秒計算、誰1人として1分以上リングに立ってはいなかった。
10人目、ハンマーを武器に向かっていった女子生徒も地に伏した。
最強の生徒会長が相手だ。参加者は全員当然のように魔装を使いこなす。
対してフェリシアは魔装はおろか、まだ剣を抜いてもいなかった。
倒された女子生徒は魔装が解け、地面に激突することなく影に飲まれる。
そしてリングの外でまた影から浮き上がり、担架で運ばれていった。
敗北した生徒をリングから回収しているのは刹那だ。
影魔法をリング全体に張り巡らせ、迅速に試合が運ぶよう敗者を回収している。
11人目、今度は大剣を構えた男子生徒が勢いよくリングに飛び込む。
魔装は黒い軽装甲の鎧で、馬を模した鎧だ。フェリシアはその一撃を舞うように躱し、呼吸一つ乱さずふわりと着地する。
男子生徒は今度は大剣を下段に構え、振り上げる動作でもう一度突進する。
しかし、フェリシアの左手から発せられた氷で大剣は腕ごと地面に縫い付けられ、突進は止められてしまう。
男子生徒は影魔法を使い、地面の自分の影から鋭い触手を伸ばし、腕を覆う氷を攻撃するが、氷が破壊されるよりもフェリシアが冷凍する方が早く、徐々に触手ごと動きが止まっていく。
そして、男子生徒が氷に手間取っている間に、フェリシアは空いていた右手から爆炎を放つ。
氷魔法と炎魔法の同時発動。これこそがフェリシアを無敗たらしめている力だった。
【二重魔法】
魔法とは、体内の魔力を自然現象として変換し、体外へ放出する現象のことである。
一種類の魔法を発動しているとき、体内の魔力がその属性に染まることで、自分の発動した魔法で傷つくことはない。
複数の属性の魔法を習得していても、別の属性の魔法を発動する場合は、一旦発動を停止してから再度魔力を練らなければならない。
2種類を同時に使おうとすれば、体内で異なる色の魔力がぶつかり合い、魔法を実体化することができない。
しかし、エイゼルステイン家の魔法使いは、長年魔法に秀でた者と交配を重ね、エルフに匹敵する魔力量と、二種類の魔法を同時に操作する天賦の才を持ち合わせる。
理論上は実証されているが、世界でこの一族だけが使いこなす矛盾の力。
フェリシアもまた、この二重魔法の使い手だった。
炎に飲まれた男子生徒は、そのまま気絶し、リングに倒れる。
そして、刹那がそれを素早く回収する。
「ふぅ…」
フェリシアは試合をしながら、周囲の観客を一人一人確かめていた。
12人目、斧を振り上げながら巨漢の男子生徒が向かってくるが、軽くあしらってやり過ごす。
実は、挑戦者などはじめから大して認識はしておらず、人を集めるのがフェリシアの目的だった。
(何処だ。何処にいる)
始業式でも、新入生歓迎会でもその姿を見つけることはできなかった。
一挙手一投足に注目が集まる自分では、迂闊に別の学年のクラスを訪ねれば、周囲が騒ぎ立てて目的を果たせない。
雄叫びを上げて突っ込んでくる男子生徒を雷魔法で吹き飛ばし、次の生徒が挑んでくる僅かな間に視線を巡らす。
すると、その金色の瞳が1人の男子生徒を捉える。
探していた相手は思ったより近くにいた。灯台下暗し。彼の性格を考えて、無意識に遠くから探していたのだが、その少年は最前列にいた。
(いたっ!)
鼓動が早鐘のように高まる。
前に会ったときよりも背が伸び、体格もガッシリとしている。
いつも大きな世界を見ていたその瞳が、今は自分を捉えている。
「っ!」
遂に訪れたその瞬間に、フェリシアは息が詰まるほど胸が高鳴る。
リングの外にいる刀那にアイコンタクトを送り、彼を見つけたことを伝える。
刀那は驚いた表情で小さく頷き、刹那にもそれを伝える。
「これで、もう君たちに用はない」
フェリシアは誰にも聞こえない声でそう呟く。
そして、腰に刺した2本の剣を抜刀する。
13人目の挑戦者だった、ライフルを構えた女子生徒はギョッとして足を止めた。
「今、逢いにいくぞ、焔」
1分1秒でも早く。頭の中はそれでいっぱいだった。
「おい、見たか!今フェリシア先輩がこっちを見ていた!私と目があったぞ!」
「お、落ち着けって燿子」
(今、目があったな…)
焔もまた、フェリシアに気づいていた。少し視線を動かすと、刀那と刹那もこちらを確認したようだ。
(会わないわけには、いかないよな…)
フェリシアに会うのは実に3年ぶりだ。その間、一度も彼女に会わなかったのには理由があったが、焔は理由も含めてそのことを後ろめたく思っていた。
何を話すべきか。いったい何を言われるか。
歓声の中、フェリシアを目で追いながら、自分の伝えるべきことを考える。
その後、試合は更に加速し、剣を抜いたフェリシアによる本格的な蹂躙が始まった。
結局、誰1人として触れることすら叶わず、40分に及んだ試合はフェリシアの全戦全勝で幕を降ろした。
「いや〜、凄かったな〜」
「やっぱ会長には勝てねえよ」
「100人を40分で。しかも抜刀してからはほとんど瞬殺」
「今年も1位は会長だろうな」
生徒たちは興奮の冷めやらぬまま会場を後にする。
実は、フェリシアは競技場の利用申請を2時間で提出していたのだが、観客も参加者もそのことは知らない。
ミラたちはこのまま今の試合の感想を話そうと、カフェテリアに向かうことを決めた。
「さて、どうやって攻略したもんかな」
「あぁ、フェリシア先輩。はぁ」
「あれ?焔は?」
「え?」
生徒たちが帰ったドームの控え室を焔は1人訪れていた。
試合が終わる直前、自分の影に『地下1Fの選手用控え室にきて』とメッセージが浮かんできたのだ。恐らくは刹那の仕業だろう。
焔はひっそりとミラたちから離れ、気付かれないように地下へ降りた。
控え室のプレートにはフェリシアの名前が書かれている。
利用申請をすると、控え室を自由に使えるよう、生徒にはこのネームプレートが貸し出されるのだ。
焔はひとつ呼吸をしてからドアをノックする。
『どうぞ』
中から返事があった。
ドアノブを回し、中へ入ると、試合の疲れも見せずにしっかりと制服を着用したまま、フェリシアがベンチに座って水を飲んでいた。
焔は中へ入って後手にドアを閉めると、何と言っていいかわからず、微妙な笑顔を浮かべてフェリシアを見つめる。
正面から向かい合うとドギマギしてしまうその美貌は、3年前よりもずっと綺麗になっていた。
「あ〜……」
何か言わなければ、と思って口を開きかけた瞬間、勢いよく立ち上がったフェリシアがこちらに飛び込んできた。
「フェ、フェリシア、おい」
「焔。会いたかった!」
焔の返事も聞かず、フェリシアは焔の唇を奪う。
「んむっ⁉︎」
びっくりする焔に構うことなく、フェリシアは高まった気持ちを伝えようと熱烈なキスを浴びせる。
焔もそれに応えるよう舌を動かし、長い長いキスの中でようやく自分のペースに持ち込み、フェリシアが落ち着いたと思ったタイミングでゆっくりと唇を離した。
唇を離してもこちらを強く抱き締めたままのフェリシアはとろんとした表情で焔を見つめている。
その顔を見て覚悟していたことが杞憂だったと悟り、笑みを浮かべてそっとフェリシアのシルクのような髪を撫でながら声をかける。
「久しぶりだ。座って話そう」
「あぁ」
フェリシアは幸せそうにそう頷き、2人はベンチに腰を降ろした。
2人はハの字になる形で斜めにベンチに座る。落ち着いたようだが、フェリシアはまだ焔の右手を握ったままだ。
「……まさか本当に日本にいたとはな」
いきなり謝るのも変かと思い、気になっていたことを聞いてみる。
「もちろんだ。あのときそう言っただろう?」
「でも、あのとき既にイギリスの魔導学園に行くって決めてたじゃないか」
「まあな。父と母は事情を知ってたから許してくれたが、それ以外は大騒ぎだった。特に、事件の後でなぜそんなことを言い出すのか、と毎日聞かれたよ」
「そりゃそうだ」
「ふふっ」
「刀那と刹那も元気そうだ」
「2人もお前に会いたがっていた。今は人払いと会場の後片付けを頼んでいるんだ。後で会ってやってくれ」
「そうか。そうしよう」
「なあ焔」
「ん?」
「お前は、私がこの学園にいることを知らなかったんだよな?では何故ここに?」
「……お前に話さなきゃいけないことがある。謝らなきゃいけないことも」
「この3年、お前に何があったんだ?」
3年前、当時焔は、今は別行動を取っている師匠と共に、スイスで行われたセレブたちの集まるオークション会場を訪れていた。
もちろん、焔はセレブなどではない。
当時は修行と称して派手に各地で暴れており、その噂に興味を持ったエイゼルステイン家の当主、フェリシアの父親から娘の警護を依頼されたのだ。
そしてそのオークション会場で1週間に渡りフェリシアを警護し、開催最終日に焔たちは各国の要人を狙ったテロに巻き込まれた。
魔方陣を使用した魔獣の召喚による、大量無差別殺人である。
そこで焔、フェリシア、刀那、刹那は窮地を共に脱し、お互いを認め合った仲なのだ。
そしてその事件後、命の恩人である焔にフェリシアはすっかり惚れてしまい、焔にこう宣言した。
『私がお前と共に生きる。私がお前を幸せにする。だから、結婚してくれ!』
これ以上ないくらい、格好良いプロポーズを受けてしまった。
慌てた焔は「俺にはまだやることがある」とか「ボディガードは依頼人とみだりに関係を持ってはいけない」とか、どこかで聞き齧った台詞を言って、誤魔化そうとした。
するとフェリシアは、焔の故郷、すなわち日本で焔の帰りを待っている、と言い残し、そのときは別れたのだ。
「……あのときの俺は、恋とか、愛とか、そういうものが全然理解できなくて、お前に結婚してくれって言われたときも、嬉しい気持ちはあったけど、そんな未来はまるで想像できなかった」
「何でも器用にこなす割に、人とコミュニケーションを取るのは苦手だったな」
「まだガキだったんだよ。それに、あんな状況だったから、そのときの盛り上がりで、お前に人生を棒に振ってほしくなかった」
「焔……」
「でも、まさかずっと待っていてくれたなんて、思ってなくて。本当にすまない」
「焔はそう考えると思っていた。だから日本にいたんだ。お前が帰ってきたとき、すぐに見つけてもらえるように。日本にいればなるべく私と噂が耳に入ってくるよう、わざと目立つようなこともして」
「いろいろと聞いたよ。すごい生徒会長がいる、って」
「その様子だと、それも若干空振ったようだがな」
「う……」
「私の気持ちは今も変わらない。実を言うと、お前の動向が気になって調査員を雇っていたんだ。どこにいるかわからないことも多かったが」
「そ、そうなのか」
当時は連絡ツールを持っておらず、旅の行き先は師匠の気紛れで決めていた。
「そしたら、お前と別れた半年後のことだ。お前が死亡したという報せがきた」
「そう、か。あのときはやっぱり、そんな噂が流れたのか」
「それからしばらくは行方が全くわからなかった。でも1年くらいして、ある噂を耳にした。滅茶苦茶な強さの傭兵団が、世界各地で暴れている。その中に東洋人の少年がいて、どうもその少年が率いているようだ、と」
「で、その傭兵団を調べた?」
「そうだ。そして、お前が生きていると確信した」
「噂は怖いな」
「あのときは嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。相変わらず世界中を飛び回っていたようだが、改めて日本でお前を待つことにしたんだ」
「………」
なんと言っていいかわからない。ただ待たれていただけじゃない。本当に、自分のような人間を心から信じていてくれたのだ。
「……あの事件の半年後、俺が死亡したっていう噂が流れた頃、俺はお前のことを裏切ってしまった」
「どういう、ことだ?」
「スイスの時と同じように、依頼を受けて警護の仕事をしてたんだ。そこで、1人の女の子に出逢って、彼女に惹かれて、恋人同士になった」
「………」
「人生で初めての恋人だ。彼女は俺を人間にしてくれた。戦うだけの怪物から、1人の人間にしてくれた。それなのに俺は、彼女を守れなかった」
「まさか……」
「彼女は、俺の腕の中で死んだんだ」
焔はそのときの状況を詳しくフェリシアに話した。そして、その後どう過ごしていたのかも。
恋人を亡くし、大怪我を負い、それでも再び戦うことを決意し、仲間を集めて力を付けた。
その中でまた幾人かの女性と知り合い、関係を持っていること。
今日本にいるのは、この学園に潜む標的を始末するためであること。
ときどき相槌を打ちながら、フェリシアは最後まで話しを聞いてくれた。
「フェリシアのことを忘れていたわけじゃない。もしかしたら、とは思っていたんだ。でも、お前に好きだと言われたときには理解できなかった気持ちを他の相手で理解して、そのくせ何も守れなかった自分が、今更どの面して会いに行けばいいのかわからなかったんだ」
話し終えて顔を上げると、フェリシアは大粒の涙を流して嗚咽を堪えていた。
「お、おい…」
慌てて側にあったタオルを渡そうとするが、フェリシアはその手を強く握ってくる。
「大切な人を目の前で失う気持ちは、痛いほどわかる。焔は、その娘が自分を人間にしてくれたと言ったが、私にとってはお前こそが私を人間にしてくれた存在なんだ」
「フェリシア……」
「裏切られたなどと思うものか。よく、生きることを諦めないでいてくれた。もう一度戦う決意をしてくれた。今、もう一度お前に会えて、私は本当に幸せだ」
フェリシアの熱が伝わってくる。この2年、ずっと自分を許せなかった焔の心が、このとき少しだけ軽くなった。
「怪我は、もういいのか?」
「後遺症はない。こっ酷くやられたが、今は色々発達してるからな」
「そうか」
フェリシアはこちらの胸に顔を埋めてくる。
「なあ、焔」
「なんだ?」
「改めて、私はお前が好きだ。待っていて本当によかったと思っている。でも、お前がまだ自分の気持ちを割り切れないのも、今大切な使命を抱えているのも理解した。だから」
今度は顔を上げて、真っ直ぐ目を見て、想いを伝えてくる。
「今抱えている問題が解決したら、そしたら、今度こそ私を側に置いてほしい。協力できることは何でもする。他に愛を語らう女性がいても構わない。私は自力で焔の1番になってみせる」
「そんな、いや、そりゃあすごく嬉しいけど、他に女がいるっていうのは…」
「きっと、彼女たちとも沢山のエピソードがあるんだろう?それを否定するほど私は狭量ではない。それに、私と共にあるということは、刀那と刹那も相手にするんだぞ?」
「う……」
そうなのだ。この3人はスリーマンセル、魂のレベルで繋がっている。
3年前のスイスでも焔はフェリシアから熱烈なキスを受けたが、そのときに刀那と刹那ともしているのだ。あの2人は絶対についてくる。
「……フェリシア」
「うん」
ポリポリと頬をかきながら、言葉を探す。
「昔より、ずっとずっと綺麗になった。さっきの試合も驚いたよ。君は本当に魅力的な女性だ」
昔の様な我儘な女の子とは違う。多くの人間が虜になるだけの強さと美しさを持った一人の女性だ。
「沢山待たせたけど、もしよかったら、俺に待たせた分の埋め合わせをさせてくれないか?これからずっと、長い時間をかけて」
「…私を、側に置いてくれるのか?」
「あぁ、居てほしい」
今度は、静かに涙を流す。さっきとは違い、口元には笑みを浮かべている。
「はい。喜んで」
きっと、彼女のこんなに素敵な笑顔を見たのは自分だけだろう。
焔とフェリシアは、離れていた時間を埋めるように唇を重ねた。
「焔!」
「…焔」
キスの後、すっかり待たせてしまっていた刀那と刹那を呼び寄せ、2人とも再会を分かち合う。
先ほどフェリシアに話したこれまでの3年間を正直に話し、2人は同じように涙を流してくれた。
そして、フェリシアと今までの埋め合わせをしたいと話すと、もちろん自分たちも一緒にと言ってきた。
「な、言った通りだろう?」
「そうだな」
思わず苦笑する。
「…焔」
「ん?むっ!」
刹那に呼ばれて振り向くと、いきなりキスをされる。
活発な姉とは反対に自己主張が少なく、あまり感情を表に出さない刹那から激しく唇を奪われる。
「あ〜!ちょっと刹那、抜け駆け禁止!」
今度は刀那に引っ張られ、背後に倒れたところを覆い被さられる形でキスをされた。
「…ふぅ」
「いつも思っていたが、刹那は焔の話をしていると目の色が違ったな」
「ぷはっ。全く、油断の隙もない」
「お、お前らちょっとな…」
流石に恥ずかしい。
「で、焔。埋め合わせはいつからしてくれるんだ?私たちはもちろんいつでも構わなぞ?」
刹那に右腕を、刀那に左腕を抱かれ、フェリシアはシャツのボタンに手をかけようとしてくる。
「ちょ、ちょっと待て。そうしたいのは山々なんだが、今は緊急事態なんだ」
3人を落ち着かせると、焔は今この学園に迫っている危機を話す。
伊織に刻まれた魔方陣が発動すれば、甚大な被害がもたらされる。
魔獣によるテロで苦い経験のあるフェリシアたちは、真剣に話を聞いてくれた。
「……なるほどな」
「その櫻君て子は、今は?」
「もう帰ったかもしれない。さっきまで一緒に試合を観てたんだ」
「昨日焔が応急処置はしたんでしょ?それでどのくらいもつの?」
「今日は苦しんでいる姿は見なかった。でもすり減った精神も消費した魔力も戻ったわけじゃない。来週がリミットだったとして、再来週に伸びた程度だろう」
「…人気のない場所に連れ去って、発動させてから退治すればいい」
「ダメだ。危険すぎる」
「…学園で被害が出るよりマシ」
「本人が喰われる可能性が高い。連れ去るんじゃなくて、何とか信用を得て本人にきちんと対処法を伝えたい。それに、瑞乃さんもいた方がいい」
「そうね。私たちだけでも、まあ勝てるでしょうけど、倒して終わりってわけにもいかないしね」
「大塚教諭の動向も気になるところだ。少なくとも1人は仲間がいるはず」
「伊織には監視を付けてる。3人にはバックアップと警戒、万が一の時には生徒たちを守ってほしい」
「もちろんだ」
「その間に櫻君の信用を得られる?」
「なんとかするさ。できれば周囲は巻き込みたくない。特に瑛里華は、伊織が危険だと知ったらショックは大きいだろう」
「わかった。任せよう。そのグリードタイプ、私たちは実物に遭遇したことがない。できる限りの情報がほしい」
「後でウチが持ってる限りの記録を送る。伊織の魔方陣はカスタムだったから、どの程度通用するかはわからないが…」
「3年前、私たちはあまりに無力だった。もうあんな思いはごめんだ」
「あぁ。狙いがなんでも構わない。絶対に阻止してやろう」
「星宮校長先生と、近衛先生も知ってるのよね?」
「話しているとは思うけど、俺のことは口止めしてある」
「不足の事態に対応できる人間は限られているな」
「今私たちにできることある?」
「教職員の資料がほしい。パンフレットに載っているようなものじゃなくて、もっと細かい奴だ。出身、経歴、属性、魔装」
「…大塚の協力者は教員の中の誰かってこと?」
「その可能性が高いと思ってる。生徒と情報を得て、発動のタイミングを監視し、魔方陣が発動したらすぐに動ける立場の人間は、教員が一番都合がいい」
「わかった。生徒会室には教職員の名簿とプロフィールがある。すぐに用意しよう」
「頼んだ」
頼もしい味方を得ることができた。本来なら他人を巻き込むべきではないが、同じ痛みを知るフェリシアたちの協力は大きい。学園内での信頼と、実家を通じて社会的な対応もできる。
「悪いな、急に色気のない展開になっちまって」
「焔が謝ることじゃない。今迫っている危機を乗り越えたら、ゆっくりと今後の話をしよう」
「あぁ、約束だ」
焔は3人ともう一度軽くハグを交わし、連絡先だけ交換をして、一応別々にドームを後にする。
「京になんて説明すっかなぁ…」
勢いに任せたなどとは言いたくないが、家で待つ秘書を宥める言い訳は必要になりそうだった。
少し時間を遡り、生徒たちがこぞって第一競技場に集まっていた頃、志乃は保健室でこの計画を共に進める相手と善後策を話し合っていた。
「で、どうするのよ。ただでさえ計画が遅れているのに」
「こいつを使う」
相手は男だ。スーツの内ポケットから、紫色の液体が入った小瓶を取り出した。
「それ、足が着いたらどうするのよ!」
「あの人に認めてもらうためだ。失敗は許されない。どうせ全員死ぬことになるんだ。目撃者と証拠は全て消す」
「……わかったわよ。いつやるの?」
「明日だ。獲物は多い方がよかったが、もう贅沢は言ってられない。教師も4分の1が不在だ。今がチャンスだ」
「いよいよね」
「あぁ。我々が世界に知らしめる」
「全部壊して全員殺す…」
学園に迫る悪意は、もうそこまで来ていた。