第4章 -魔法陣-
翌日、焔は始業のチャイムギリギリの時間に登校していた。
「ふわぁ…」
欠伸が出る。昨日はあの後2回目で京にマウントを取られていいようにされ、お返しとばかりにまた攻めに回って、ということを繰り返していたらいつの間にか空が白んできており、結局あまり眠れていなかった。
とはいえ、男冥利に尽きる話なのでまんざらでもなかったが。
と、教室の前まで来たところで、何やら中が騒がしいことに気づく。
「?」
何事かと思い、後ろの扉をそっと開けて中を覗いてみると、伊織の席の前で伊織を庇うようにして瑛里華が立ちはだかり、1人の男子生徒と言い争っていた。
男子生徒は坊主頭にオシャレな曲線を入れ、制服を雑に着崩し耳にはジャラジャラとピアスを付けていて、いかにもガラが悪い。
瑛里華の両脇にはミラとハークが控えていて、男子生徒の後ろには連れと思われる男子生徒が2人と、女子生徒が3人いた。
いずれもチャラチャラとした格好をしており、どうやら彼ら6人が伊織に何かしらのちょっかいを出し、瑛里華たちがそれを諌めているようだった。
「焔」
「燿子。おはよう」
教室に入った焔に燿子がすぐに気づき、こちらへやってきた。
「おはよう。面倒なときに来てしまったな」
「何だあれ?」
「あいつは砕牙京太郎。見ての通り、つまらないことをする輩だ」
「有名なのか?」
「有名というか、去年同じクラスでな。1年の頃から何かと伊織に突っかかっているんだ。まあ、チャイムが鳴る前には帰るだろう」
だが、瑛里華の後ろにいる伊織は調子が良くなさそうだ。京太郎もなかなか引こうとしない。
(今はマズいな)
「ちょっと行ってくる」
「おい、何をする気だ?」
「大丈夫、心配ない」
そう言うと、焔は遠巻きに見ている生徒たちの間を縫って近づいていった。
「ハッ、相変わらず根性がねえな、お嬢ちゃんよ」
「ギャハハ、顔色が悪いぜ?生理か?」
「いい加減にしなさい!ほんっと、成長しない男ね」
「おやおや、かわいい幼馴染がお怒りだぜ」
「じーーー」
「お前ら、他にやることないのか?伊織だけじゃない、みんなに迷惑だ」
「光の騎士様まで守ってくれるのか。こりゃあ手強いな」
「あんたみたいなクズと伊織が話すことはないわ。帰りなさい」
「じーーー」
「ちょっと遊びに来ただけじゃねえか。いつも仲良し…ってうおっ⁉︎誰だお前⁉︎」
「え!」
「焔!」
いつの間にか間近で話しを聞いていた焔に、皆がぎょっとする。
「なんだテメエ!いつからそこに」
「ちょっと前から」
「お、おい焔、今は…」
「見たことない顔だな?誰だテメエ」
「昨日この学園に来たんだ」
「昨日?お前が噂の転校生か」
「転校じゃなくて復学だけどな。……噂って?」
「じゃあ優しい俺様が教えといてやる。すっこんでろ新入り」
「まあそう言うなよ、狂死郎くん」
「京太郎だ!」
「焔、大丈夫だから、今は下がっていて」
ミラがそっと肩に手を置いてそう言ってくるが、
「なんだクイーン、もう転校生に腰振ったのか?」
「ギャハハ」
京太郎は余計に挑発する。
「おい」
「あ?」
その一言にイラっとし、焔は声を低くして京太郎を睨みつける。
「お前がわざわざ訪ねてくるのは勝手だけどな、マナーくらいは弁えろよ。レディの扱いもロクにできない坊やが」
「なんだとテメッ…」
京太郎が焔に掴みかかろうとした瞬間、京太郎の腕が伸びるよりも早く、焔の右手が高速で動く。
ドドドッ!
「うぅ…⁉︎」
「京太郎⁉︎」
「てめ……、なに……」
京太郎はまるで縛られているかのように体が硬直し、声も満足に出せない。
「経穴を3ヶ所突いた。このまま意識を奪うことも、有名な漫画みたいに身体を爆散させることもできる」
「‼︎」
「いいか、俺はまだこの学園で右も左もわからないが、お前に対してこれだけは言える」
「……っぐ」
瑛里華たちからは見えないが、焔は底冷えするような目で京太郎の目を覗き込む。
「すっこんでろ」
ドッ!
もう一ヶ所突くと、京太郎は糸が切れたように姿勢を崩してへたり込んだ。
「さあ、チャイムが鳴るぞ」
「ぐっ、い、行くぞお前ら!」
信じられないというような顔をしている取り巻きたちを連れて、京太郎は逃げるように7組を後にした。
と、ちょうどそこでチャイムが鳴り、悠が教室へ入ってくる。
「ほら、ホームルームの時間だ。席に着け〜」
未だ、目の前で起こった出来事に呆然としながら、皆慌てて席に戻る。
「焔、貴方いったい…?」
「ほら、席に戻ろうぜ。近衛先生に怒られる」
去り際にチラッと伊織を見ると、まだ少し苦しそうにしている。
(1週間、持たないかもな…)
放課後、焔は瑞乃と密会していた。
案の定、休み時間にはまたミラたちから質問攻めにあったが、何とか誤魔化して煙に巻いてきた。
ちなみに、経穴を突いて京太郎の動きを止めたことは「漫画で読んだ」で押し通した。
「なるほど、今その魔方陣が発動しないのもギリギリの状態か」
「流石に自力で解除できるほどの魔力操作はできないだろうな。魔獣の召喚陣でほぼ間違いないと思うが、だとすると体内に根を張っているはずだ。残念だが、あの様子じゃ発動させてから分離させるしかない」
「むしろ、よく今も抑えられているなと思うくらいだ。生徒にそんな危険が迫っていることに気づかないとは…」
ここは第3校舎1Fにある茶道室。小さな日本庭園造りの中庭に通じており、目立たず、滅多に人も来ない場所だ。
茶道部も存在するが、別の校舎にもうふた回り大きな和室があり、ここは現在宿直室の一つとして、ある教員が普段は管理をしていた。
「狙いはほぼ間違いなくこの学園だろう。犯人がどのくらいの計算で発動時間を想定しているのかわからないが、伊織は犯人が思っているより長く耐えているはずだ」
「それでもあと1週間も持たない、というのがお前の見解か?」
「恐らくは」
「いったい何が狙いだというんだ」
「さあな。不審者については調べたのか?」
「3月の終業式から遡って監視カメラ、魔力センサー、わかる限りの記録を見直したが、不審な様子はない。とすると、考えたくはなかったが……」
「内部の人間の犯行、か」
「しかし、魔法科と普通科の生徒、教職員、食堂のおばちゃんたちまで数えたらこの学園には6千人近い人間が普段から出入りしている」
「なんで伊織に目を付けたかだな。怨みを買うようなタイプじゃないとは思うんだが、話した通りヤンキーに絡まれてる」
「しかし、私はエルフの豊富な魔力に目を付けてのこだと思うがな。その程度のいざこざはどこにでもある」
「じゃあますます犯人の絞り込みが困難だな。怪しいと思う人間はいないのか?」
「真っ先に思い浮かぶのは奴だが……」
「そりゃもちろん俺もだが…。だが、俺は何か実験的な意図を感じる」
「実験?」
「そうだ。魔獣の召喚は、召喚後も自立するための魔法供給が必要だ。魔法使いだらけのこの場所で、まずエルフを使って十分安定した状態で召喚をし、その後で周囲の生徒を食わせて魔力を持続させる。常套手段だ」
「卑劣な……!」
やはり耐え難いのか、瑞乃は血が滲むほど拳を握る。
「何の実験なんだ?」
「明確にはわからない。新種の魔獣のテストかもしれないし、別のターゲットがいて、混乱に乗じて殺害する気なのかもしれない。要は、この学園でそんなことをする確固たる理由はないのかもしれない、ってことだ」
「…やはり、悠には伝えるべきかもしれない。私は一番信頼できるし、彼女ならいざというときでも生徒を守れる」
「俺の仲間には事態は伝えているが、動けるのは俺と京だけだ。公安に伝えれば伊織が消されかねない」
「想定される被害に対して、打つ手があまりに少ない。何より気づくのが遅すぎた」
「仕方ないさ。遅かれ早かれ、こういうことは起きていたかもしれない」
「まず、櫻君に直接話を聞かなければ」
「そこなんだけどよ。なんで伊織は誰にも相談しないんだ?」
「なに?」
「信頼できる友達もいる。腕の立つ教員もいる。なのに、解決手段を放棄して、何故あいつは一人で耐えてるんだ?」
「それは…」
「さっきの話、内部の犯行ってやつ。それが正解だと仮定すると、ある程度信頼を得ている人間が犯人で、誰に相談していいかわからず疑心暗鬼の状態なんだろう。加えて、内部の人間なら伊織の交友関係は簡単に調べがつく」
「人質、か」
「ただでさえあいつの精神は摩耗した状態だ。昨日は落ち着いているときに話ができたが、今日のあいつはほとんど喋らなかった」
「加えて朝の騒動のストレス…」
「あんたが焦る気持ちはわかるが、今の状態で話を聞けるとは思えない」
「ならばどうする?」
「とりあえず、応急処置はできる」
「応急処置?」
「あぁ」
焔は懐からスマホを取り出すと、あるアプリを開いて画面を見せる。
「ウチの衛星が伊織を見張ってるんだ。あいつはまだ下校してない。どうやら保健室で寝てるみたいだな」
「衛星て、そんなものまで…」
「帰らず保健室にいるってことは、たぶん寝てるんだろう。どこに監視の目があるかわからない。俺一人で行く」
「わかった。私はそろそろ戻らなと怪しまれる。悠には、話していいか?」
「あんたが信用するなら任せるが、俺のことは言うな。それと、くれぐれも慎重にだ」
「わかった」
立ち上がり、茶道室を出ようとする焔を、もう一度瑞乃が呼び止める。
「焔、私は生徒を守るためこの地位を得たが、逆に足枷となることも多い。お前に負担ばかりかけるが…」
「よせ。親子だろう?」
「あぁ、そうだな」
瑞乃は少し微笑んで、焔を見送った。
【魔法科授業棟 第2保健室】
伊織はそこで午後の授業の途中から仮眠をとっていた。
ベッドに横たわり寝息を立てているが、うっすらと汗を浮かべており、寝心地が良さそうではない。
カーテンで区切られたベッドの向こうには、女性の養護教諭が机に向かっていた。
彼女は大塚志乃。この第2保健室を受け持つ教員だ。
伊織が眠るベッドの横に、黒い影がまるで意思を持つかのように密集し、人が一人通れるくらいの大きさの円を描いた。
すると、その影の中から音もなく人間が浮かび上がってくる。
影の中から出現したのは焔だ。影魔法の移動技、影に潜り別の場所から出現する。Fランクの魔法使いにはとてもできない魔法だ。
焔は眠っている伊織の額にそっと右手を置くと、魔力を志乃に探知されぬよう、ゆっくりと魔力を伊織に送り込む。
魔力とは個人個人に波長と色があり、通常他人の魔力とぶつかると反発が起き、激痛が生じる。
しかし、焔は小手先で魔力の質を伊織の持つ魔力に合わせ、痛みどころか悟られることもなく干渉する。
と、さっきまで顔色の悪かった伊織の呼吸が正常に戻り、額の汗も引いていく。
これは、伊織の中に溜まった不純物を焔が浄化しているためである。しかし、
(やっぱり身体の芯まで根付いている…)
予想はしていたが、この治療も一時凌ぎにしかなりそうにない。
焔は、今度は伊織のワイシャツにそっと手をかけ、肌を露出させる。心臓の辺りに、直径10㎝ほどの魔法が刻まれていた。
(これは、グリードか)
【召喚型人工自律魔法生物 - グリードタイプ】
本来、日本では魔法生物の製造は法律で禁止されており、召喚用の魔法陣の作製、及び持ち込みも禁止されている。
しかし、魔法科学の発展から、制限とは裏腹に魔法生物の製造は容易になっているのが現状だ。
それこそ、簡単なものなら夏休みの自由研究でも生み出せてしまう。
伊織の身体に埋め込まれていたそれは、たった1体の生物を召喚するためのものだった。
人工の魔法生物には繁殖機能がなく、魔力が切れれば消滅してしまう使い捨てだ。
しかし、魔法生物自ら覚醒後に魔力を補給することで、外的要因のない限り半永久的に稼動を続けることができる。
強欲の名の通り、莫大なエネルギーを消費し、その分の餌を求めるタイプのこの生物は、尽きることのない食欲で獲物を求め続けるタチの悪い生物兵器だ。
コストパフォーマンスが悪く、召喚にも莫大な魔力を必要とするため、普通は使用されることはない。
(術式のオリジナル要素が強い。ブラックマーケットに出回っているものじゃない。これは、制御用のカスタマイズか?)
と、コンコンと扉をノックする音がした。
『失礼します』
「はい、どうぞ」
(瑛里華の声だな)
焔は伊織のシャツのボタンを閉めると、再び影に潜っていった。
「大塚先生、伊織はどうですか?」
「まだ寝てるわ。一度も起きてない」
「失礼しますね」
瑛里華がカーテンを開けると、ちょうど伊織が目を覚ました。
「伊織」
「瑛里華…。待っててくれたの?」
「もう、心配させるんだから」
「ごめんごめん」
「櫻君、調子はどう?」
「はい、だいぶスッキリしました」
「そう。じゃあ動ける内に帰宅しなさい。家に帰ったら、ちゃんと安静にすること。いいわね?」
「はい、ありがとうございます」
「ほら、靴履いて。先生、ありがとうございました」
「はい。さようなら」
志乃は笑顔で2人を見送り、保健室の扉を閉めた。
と、途端に険しい表情になり、悔しそうに親指の爪を噛んだ。
「何故なの?体調がよくなってるわけがない!」
志乃は伊織が寝ていたベッドに駆け寄ると、枕の下から紫色の小さな宝石を取り出した。
「おかしい、発動を加速させてたはずなのに…」
それは、魔力の波長を乱す魔法石の一種で、魔法陣の発動を抑えている伊織を苦しめるものだった。
こんなものが仕込まれていたベッドで寝ていて、具合が良くなるはずがない。
志乃は机の上のスマホを取ると、何処かへ電話をかける。
「私よ。ええ、今さっき帰ったわ。……いいえ、失敗した。……私にだってわからないわよ。まるで体内の魔力が浄化されたみたい。……いいえ、魔法陣は消えてなかったわ。……え?でも……ええ、わかったわ。週明けに。ええ」
その志乃の様子を、影の中から焔は見つめていた。
(思わぬところで尻尾を掴んだな。しかし、複数犯か?もう少し泳がせてみるか…)
焔は、そのまま音もなく消えていった。