第1章 -青い春-
数分後、同ビル地下一階駐車場。
「焔、お疲れ様でした」
任務を終えた焔を、先ほどのインカムの声の主が一台の黒い車の前で待っていた。
「ありがとう、京。報告書は…」
「あとで戻って私が提出しておきます。それよりも急がなければ遅刻してしまいますよ」
そういって後部座席のドアを開けてくれる。彼女の名は朱月京。
髪をショートカットに揃え、スーツとキリッとした顔立ちも相まって中性的な印象を受ける美女だ。
無表情で声の抑揚も少ないのでよく知らない人間からは怖い印象を持たれがちなのだが、実際にツンケンしており、焔以外に彼女の笑顔を見たことがある人間はそういない。
焔が車に乗り込むと、今度はトランクからクリーニングされたスーツを一式取り出し、焔に渡す。
よく見ると、それはスーツではなく燕尾服のような形状をした黒いのブレザーと白に近い灰色のズボンからなる制服だった。赤いラインが入っており、ボタンは金色だ。
「高速は混むので下道を使います。ここからですと1時間弱、校長室に寄ることを考えるとギリギリです。申し訳ありませんが着替えは車内でお願いします。朝食はそちらに」
京が指す方を見ると、パン屋のマークが描かれた紙袋と、ドリンクケースにはコーヒーが刺さっていた。
「ありがとう京。助かるよ」
そう言って微笑むと、京もまた「いいえ」と言いながら微笑し、軽く一礼してからドアを閉めて運転席へと移動していった。
京は焔の同僚で先輩に当たるのだが、彼女の言動は秘書のようだった。
そして実際に京は焔の秘書を名乗っており、焔もそれを公認している。
これは京が好意でやっていることで、ほとんど他人を信用しない京がここまでやっていることは、2人の特別な関係と出会った経緯からくるものだった。
この日は4月の1週目の火曜日。世間ではほとんどの学校が前日に入学式を終え今日から始業となる日だ。
「制服、似合っていますよ」
「よしてくれ。なんか変な気分だ」
バックミラー越しに後ろを見ながら京がそう言った。
おろし立てで折り目の跡がくっきり見える制服に腕を通した焔は、着慣れない制服の具合を確かめていた。
「たかが制服にしちゃ金のかかった代物だな。魔法コーティングでこのまま魔法を使っても燃えないし凍らない。当然だが」
「制服のまま実技の授業をするわけではないでしょうが、やはりトーナメントや行事のときはその服で魔法を使うことになりますから」
「俺が魔導学園の制服を着ることになるとはな……」
「本来はそれが普通なんですから」
京の言う通り、焔は16歳。同い年の少年少女は普通ならば高校2年生になる年齢だ。ましてや、
「魔法使いにとって魔導学園は義務教育。貴方や私が例外なんです」
「お前も着て見るか?」
「お望みならば個人的に。今夜にでも」
そう言われて思わず京の制服姿を想像し、顔を赤くしてなんとなく目を逸らしてしまう。
「ま、まあ、そのうち慣れるだろ。これも任務のためだ」
「任務、ですか……」
任務、である。本来学生で義務教育を受けていなければならない筈の焔は、魔導学園には通っていない。
今回協力者を通じて復学という形で魔導学園に通うことになったが、それは学問を必要としたからではなく、魔導学園に討つべき敵がいるからだった。
「思えば、この2年はそんなことすっかり忘れてたな」
「組織がここまでくるのに貴方は自分の青春を犠牲にしていたんですから」
「犠牲ってそんな。俺は自分の意思でもって…」
わかっています、と焔の言葉を遮り、しかし、と京は続ける。
「私たち大人がそれを許してしまった。貴方に甘えてしまった。いくら貴方が強くても、それは私たちの責任です」
「京……」
「本当に目的を果たしたらすぐ学園を去ってしまうんですか?」
「あぁ」
「しかしそれでは…」
「わかってるよ、京の言いたいことは。でもな、俺みたいな奴に普通の生き方はできないし、自分で望んで、自分で決めて戦ってるんだ。それ相応の責任もある。それを投げ出したりはできない」
「そうですか……」
京は安堵したようにも、残念そうにも取れる返事を返した。
「私は貴方の決定に従います。異存も不満もありません。ですが」
そこで赤信号にかかり、車が停車する。そのタイミングで京が後ろを振り返りって焔を見据える。
「ですが、できることなら、学園生活を楽しんできて下さい。普通の学生のように」
私にはできなかったことですから。そう小さく続け、再び前を向いた。
相変わらず無表情で抑揚の少ない声だったが、京の優しい眼差しに焔も自然と穏やかな表情になる。
「あぁ、わかった。そうさせてもらうよ」
京はコクリと小さく頷くと、再び車を発車させた。
都心を出てから約一時間後、2人は東京都の端まで来ていた。
星宙学園都市。世界に6校ある魔導学園の内の日本校、星宙魔導学園を中心に発展した学園都市である。
ここは、第2次魔法大戦の後に驚異的な復興を遂げた日本がその経済力と技術を結集して創り上げた、魔法使いの聖地となっている。
学園は世界中で唯一魔法使いではない一般の生徒も通える普通科を設けており、生徒総数約3千人というマンモス校だ。
その広大な敷地は校舎はもちろん、複数の体育館に演習用の野外競技場を始めとした様々な敷地、約80%の生徒が住まう寮も存在し、総面積は200haにもなる(1ha=10000平方メートル)。
校舎は都市の一番高い位置を中心に広がっており、更に学園を囲むように街が出来上がっている。
学園の敷地及び街並みはヨーロッパ建築に強い影響を受けていて、日本国内でありながらその街並みはほとんどヨーロッパのようである。これは、最初の魔導学園である英国校を意識しての設計だという。
そんな魔導学園の幾つもある門の内、車の停めやすい正門とは真反対の裏門に京は停車した。
「お疲れでした」
「送ってくれてありがとう。助かったよ」
京にドアを開けてもらい、トランクから鞄を取り出して軽く中を確認したあと、改めて京に向き直る。
「さて、普通の16歳に見えるかな?教室に入ってすぐ殺し屋だとバレなきゃいいが」
「ふふっ、大丈夫ですよ。あ、ネクタイが曲がっています」
そう言って服装を整えてくれる。
「ふぅ、少し寂しいですね」
「なんだよ急に。夕飯にはまた会うだろ」
「そうですが、むしろこんなに長い期間貴方と過ごせることの方が珍しいですが、その……」
「?」
少し俯きながら京は言う。
「ここ2ヶ月はずっと私が1人締めしていましたから。セリーナもサフィも口を尖らせていました」
「ははっ。次会うのが怖い……」
「どうせ貴方のことですから、同年代の彼女の2,3人ホイホイ作ってくるんだろうな、と思うと…」
「俺を何だと思ってんだ」
「女たらし」
「………」
「まあ仕方ありません。焔、バックアップの準備はいつでも万全です。私たちはいつでも要請に応じます」
「あぁ、そうだな。頼りにしてるよ」
焔は学園の校舎を一瞬睨みつけ、そこにいるであろう敵を思い出す。
「じゃあ行ってくる」
「御武運を」
そう言うと京はすっと背伸びをし、2人は唇と唇が触れ合う程度の軽いキスを交わす。
すぐに離れると京は一歩下がり、姿勢を整えて一礼しながら焔を送り出した。
「行ってらっしゃいませ」
約10分後、星宙魔導学園校長室。
「今日は復学初日だ。渡す書類とその説明、学園の案内をするから早く来いとあれほど言った筈だが?」
「堅いこと言うなよ。授業には間に合っただろ」
「始業式はすっぽかしたがな」
「あれ?」
「そして今日は初日だ。授業はない」
「あれ?」
「はぁ〜。全く、我が息子ながらなかなかの大物だよ……」
校長席に座って呆れた顔で焔と話している女性は星宮瑞乃。この学園の校長にして焔の書類上の母親に当たる人物だ。
校長職に就くにはいささか若すぎる年齢で、焔にとっても母親というよりは姉という存在だった。
かつて学生時代に天才として名を馳せ、その驚異的な能力で将来を期待されていた彼女は、当時あらゆる魔法騎士団をはじめとする組織からのヘッドハンティングを全て断り普通の家庭を持つことを望んだ。
しかし、あまりに才能が勿体無いからと国が必死に頭を下げ、かつ彼女の個人的な思惑を満たす条件が揃ったことで、現在の彼女の夫になる人物と相談を重ねた結果、この職を引き受けることを決めて現在に至る。
教師としても魔法使いとしても抜群の才能を持つ若き校長に、はじめこそ懐疑的な教師はいたが、現在は彼女なくしては学園は回らないほどである。
「まあいい。これとこれとこれ、あとこれもだ。持って帰ってよく読むように。こっちの2枚は判子を押して提出だからな」
「ん」
(こいつ、忘れるな…)
目も通さず鞄に書類をしまう焔に瑞乃は半眼になり、後で自ら回収しに行こうと心に決める。
「あと学園の見取り図、というか案内用のパンフレットがあるが、いるか?」
「あぁ、貰えると助かる」
椅子立ち、壁際の棚からパンフレットを一部取り出すと、それも焔に渡す。
「本来なら理事長にも会ってもらうところなんだが…」
「いいぞ。今すぐ倒してやろう」
「よせ。まだ裏は取れていないんだ」
瑞乃の思惑、焔の任務、2人が親子であること、これらは偶然から始まり、今は必然と化している。
2人だけの空間で教師でも生徒でも親子でもない、騎士と兵士がそこにいた。
「わざわざ戻ってきて学生としてここにいるんだ。今はまだ動くときじゃない」
「わかってるよ」
2人は一瞬交わした殺気を解き、何事もなかったかのように話を戻す。
「この後は?」
「今日は各クラスでレクリエーション、その後またプリントが山ほど。授業はそれまでで、新入生歓迎会が行われる」
「そうか。俺のクラスはどこなんだ?」
「あぁ、そのことなんだが…」
コンコン。
瑞乃が焔のクラスについて話そうとしたそのタイミングで、校長室のドアがノックされた。
「お、いいタイミングだ。どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは日本人の女性教師だった。髪を簡単にアップにまとめ、メイクもほとんどしていない。
京と同じくらいかそれ以上かもしれないというくらいに目つきが悪く、かつ美人には残念すぎるフルジャージ姿だった。
ジャージの上からでもわかるほど主張の強い抜群のスタイルで、体型がわからなくとも焔にはかなり鍛えていることが少しの動作から見て取れた。
「え」
「校長、復学するという生徒を迎えにきました」
「うん、ありがとう」
焔が驚きで一瞬固まる横で、その復学する生徒などまるで視界に入っていないかのように女性教師は瑞乃に話し掛ける。
(おい、俺のクラスってまさか…)
(悠が担任だ。仲良くやって…ぷっ!)
(あんたさてはわざとだな!)
慌てて瑞乃に小声で詰め寄った焔は、これが瑞乃の仕業だと知り額に青筋を浮かべながらそっと振り返る。
「………」
焔を迎えに来た教師、近衛悠は、機械のように無機質な、しかし眼の奥に負の感情が渦巻いているような恐ろしい眼で焔を睨んでいた。
そしてそんな悠に頬を引きつらせる焔を見ながら瑞乃は必死に腹と口を抑えて笑いを堪えている。
「き、鬼城焔デス…」
「近衛悠だ」
悠は当然、事前に焔の事を知っている。もっと言うと、焔も悠のことは知っていた。
約2ヶ月前、焔は再入学ではなく復学という形を取るにあたって、2年生相当の学力と魔力を示すための特別試験を受けていた。
そこで最初の担当教官を瞬殺した焔に理事長がぶつけたのが、悠だった。
魔導学園卒業後に実際に魔法騎士として騎士団に所属していた悠は学園の教師の中でも折り紙付きの実力者であり、誰も彼女の負けなど想像していなかった。
更に言えば、教師たちは最初の教官がやられたのも、彼が怪我で休学ということになっていた焔にゆる〜く試験を行おうとした結果、まぐれでノックダウンされたのだと思い込み、焔が調子に乗らないように悠が出てきたという経緯があった。
しかし、焔は魔法を一切使わず、更には剣を持つ悠を素手で制した。
呆気に取られる教師陣を余所に、焔は膝を着いた悠を見下ろしながら、思わず小声で「大したことないな」と呟いてしまった。
悠が騎士として十分な実績を持つ魔法使いだということ、そして非常に負けず嫌いでバトルマニアだと聞かされたのは、試験の合格通知を受け取ったときだった。
その後復学届を提出に来た際、偶然会った悠に親の仇を見るような眼で見られたことで、焔は自分の失敗をようやく後悔したのだった。
焔は再び瑞乃を捕まえて小声で話す。
(俺が良く思われてないのは知ってるだろ)
(まあそう言うな。悠は私とあいつの後輩だ。今は何も知らないが、いざとなったら味方になってくれるさ。ちゃんと考えての事だ)
(あんたと師匠の?)
(あぁ。当時の悠はあいつにぞっこんだった)
(なるほど…)
ごほんとひとつ咳払いをし、焔は悠に向き直る。
「というわけで鬼城君、近衛先生の受け持つ2年7組が君のクラスになる。ちなみに担任を持つのは近衛先生も今年がはじめてだ。新米同士仲良くしてくれ」
「はい」
「どうも」
まだ少しニヤけている義母に若干の不満を感じつつも、焔は悠と共に校長室を後にした。
「………」
「………」
廊下を歩く悠の後ろを、武士の妻のように3歩離れて焔も着いていく。
普通なら歩きながら教室の説明なり緊張感を和らげるなりしてくれてもよさそうだが、黙って速足で歩き続ける悠に焔も話し掛けられなかった。
(やっぱ気まずい…)
「教室に入る前に」
「!」
唐突に話しかけられ(前を向いたままだが)思わず身構えてしまう。
「これを渡しておこう」
そういって懐ろから何かを取り出し投げて寄越す。
それは裏側に校章が描かれたスマホのような機械だった。
「生徒手帳か」
「そうだ。ただの生徒手帳じゃないぞ。それで自分のランクや順位の確認、トーナメントの予定や結果の速報、図書館の貸し出し記録に競技場の予約状況、学食の日替わりメニューも見ることができる」
起動するとトップページでスキャニングが始まる。どうやら持ち主の魔力を照合してロックがかけられる機能があるようで、魔力の登録をしているらしい。
そしてすぐに登録が終わり、ホーム画面が呼び出される。
そこには確かに悠の説明した事柄がアイコン別に分けられている。
裏側を見ると下の方に小さく
“Roosevelt Industry”のロゴが入っている。
「ロック画面は各自の生徒情報だ。落としたときに誰のものかわかるよう、変更はできない」
そう言われて一度起動ボタンを押してロック画面に戻ると、手続きの際に提出した写真付きで焔の生徒情報が表示された。
「お前がいかに自分に自信があろうと、真面目に試験に望まなかった学園がお前に下した評価はそれだ」
そこにはこう表示されていた。
氏名:鬼城 焔
順位:トーナメント未登録
ランク:F
Fランク、つまり、魔力を持っているだけで使えない子供と同格。新入生にもほとんどいない落ちこぼれである。
実技試験の際、魔法を使わなかった焔は魔力の測定ができず、しかし筆記試験の結果は抜群で、かつ教官2人を倒したことから入学の許可自体は降りたのだった。
「せいぜい励むことだ」
悠はそこではじめて振り返り、勝ち誇ったような意地の悪い笑顔を見せた。
(どんだけ負けず嫌いなんだよ……)
苦笑いしか出てこなかった。
「ここで待て。呼んだら入ってこい」
【2-7】
いつの間にかクラスに着いていたらしく、悠はそう言い残して教室に入って行った。