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第1話 放心

「…う…」

 耳元で聴こえた呻き声に、ぼくは目をさました。木香が染み込んだ霧の代わりに、埃っぽい空気にぼくはむせかえる。うっすら開いた目に飛び込んできたのは、仄かに灯るランプと薄暗い天井だった。

 身を起こそうとして触れた布団の感触に、自分がベッドに寝かされていることに気付く。辺りを見回してみると見覚えのない部屋。誰もいないことから、ぼくは自分の声で目をさましたんだなと思った。

 見た目のわりに軽い布団を跳ね上げて、ぼくは起き上がる。なんだよ、こんな狭くてぼろっちい部屋なんて知らない。自然と浮かんできた感想にぼくは違和感をおぼえた。


 ぎしりとかすかな床板の悲鳴がきこえる。誰かきた。ばっと顔をあげるとそこには、子供。切り揃えられた前髪に半分隠れた目が、みるみる見開かれていく。

 重そうな本をばさりと落とすと、彼…だか彼女だかわからないけど、その子はぱたぱたと去っていった。

 なんだよ、ひとの顔見て逃げるなんて失礼だな、と思って頬を膨らませていると、あわただしい足音が聞こえてきた。

「目を覚ましたのか!」

 のれんをくぐって現れたのは、ぼさぼさ頭の男のひと。羽耳族の男のひとだ。彼はベッドの傍らにあるイスに腰かけると、ぼくのおでこに手をやる。

「うん、体温は安定したみたいだな」

 慣れた手つき。そして横目に入ったよれよれの白衣に、このひとの職業が予想できる。


 『ばにら、お医者さまを連れてきたわよ』


 姉の声が脳裏に甦る。そっか、ぼくは病院に入れられたんだ、となんとなく理解した。

「ここは……」

「ここは森の診療所。そして、おれは医者だ」

 柔和な笑みを浮かべて彼は言う。ぼくを安心させるためだろうが、その笑顔は彼を幼く見せて、ぼくをいささか不安にさせた。笑わなくても彼は童顔だった。くたくたな白衣に似合わず。いったい何歳なんだろう。

 怪訝な顔で彼を見定めていると、あるものが目についた。

 白くて丸っこい小動物。この世界にありふれた小動物で、グミとかいう名だっけ。それが彼の襟元からひょこっと顔を出している。

 ぼくははっとした。そして、服を上からくまなくぱたぱたとはたく。

「おいる! ぼくのおいるはどこ?」

 おいるは、ぼくのペットのグミだ。物心ついた頃から一緒にいて、ぼくの……一部だ。比喩じゃなく、文字通りに。

「まて、まて、大丈夫だから」

 ひどく狼狽するぼくを、医者は軽く宥める。

「ちょっと預かってるだけだ。すぐに返すよ」

「はやく、はやく返してよ、はやく」

 あまり急かすと、妙に思われちゃうかな。そう思いつつも、ぼくは逸る気持ちを抑えられない。

 対して、医者は相変わらずのんびりとこう言った。

「その前に、ひとつ質問に答えてくれるか?」

「なんだよ」

 なんでもいいからはやく返して、そう目で訴えていると、彼は口を開く。

「君の、名前……」

「……え?」

「君の名前を、教えてくれないか」


 ぼくの、なまえ?

 なにをいってんだろ。名前なんか姉に聞かなかったの?

 ぼくはすぐに答えようとして、口を開いた。

「……、………………」

 あれ。どうしたんだろう。

 ぼくの口からは言葉が出てこなかった。

 ぼくの名前、という項目をぼくの辞書で引いたなら、当然書いてあるようなことで。いつもなら条件反射で答えられるようなことなのに。

 なぜだかぼくの口から出てくることはなかった。

 みるみる表情が曇っていくぼくを、医者は寂しげな顔で見ていた。

「あ、あの……ぼくは、ちゃんと覚えてるんだ、だけど、」

 ぼくは慌てて言い訳をする。おいるを返してもらわないと。その思いはぼくを焦らせて、さらに訳のわからないことを口走る。

「すぐに出てこないだけなんだ、ちょっと待って……」

 医者は、寂しげな顔のまま微笑し、ぼくの肩に手を置いた。もういいよ、という風に。

「大丈夫、焦らなくても。そのうち答えられるようになるよ」

 慰めるように肩を数回叩くと、彼は立ち上がった。

「……きみのグミはひどい怪我をしていて、今は治療中なんだ。だから、返すのは治ってからでいいかな」

怪我? どうして。ぼくの疑問に答えるように、ある風景がフラッシュバックする。浮遊感と、恐怖と、迫る床、そして、なにか柔らかいものを潰したような感触。

「階段……。階段から落ちたときかい? そのときの怪我?」

「……うん、そうだよ」

 そっか。おもいきり潰しちゃったもんな。

「ひどいのかい?」

「いや、命に別状はないよ」

 ぼくはほっとする。おいるにもしものことがあったら大変だ。怪我に気づかないぼくのもとにいるより、ちゃんとしたお医者に預かってもらう方が安全かもしれない。

 なんだか肩の荷が下りたような気がして、ぼくはおおきなあくびをひとつした。

「もう一眠りするといい。時間はいくらでもある」

 言われるまでもなく、ぼくは布団に潜り込んでいた。なんだか聞いたことのある台詞だな、と思い始めた頃には、もう意識の向こうに足を突っ込んでいた。




 ちちちち……


 どこからか聞こえる小鳥のさえずりでぼくは目をさました。勢いよく日の光が飛び込み目を細める。

 もう日が高いのか……うすぼんやりとそう思った。それの意味することに気がついてぼくはガバッと身を起こす。

「今何時?!」

 ぼくは自宅生だから、朝はちょっと早くでなきゃ学校に間に合わない。準備とかを加味すると、さらに早く起きないといけない。それは大抵日が上る前のことで、こんなに日が上った時間なんてもってのほかで。

 普段やるように枕元をまさぐるが、そこに置いてあるはずの時計がみあたらない。

 そのうちに頭がはっきりしてきて、部屋の異常に気が付く。四方には木目がむき出しになった壁、同じくなにも敷いてないむき出しの床に機能性のみを重視したタンスやら椅子やらが置かれている。不潔、とは思わないが古ぼけていて、掃除の行き届いたぼくの家に比べたら埃っぽい。

「そっか」

 ぼくは独りごちる。病院に入れられたんだっけ。

 起きなくていいんだ、と思うと、ほっとしたのと同時につまらない気分になった。

 ぼくはどこも悪くないのに、どうして入院なんか。そう思い、ベッドから下りようとして足に違和感を覚える。

 ぼくは、何気なく布団をまくってみた。

「うわああああ!!」

 絶叫が、狭い室内に響きわたる。


 そこにあったのは、予想もしなかった光景。ぼくの両足のあるべき場所には、包帯でぐるぐる巻にされてだらしなく横たわる2本の棒があった。およそ足と言える形ではなく、虫にでも齧られたように歪な棒。包帯には血ともいえないなにかどす黒い色がこびりついている。

 激しい痛みに襲われてぼくは身をよじった。

 布団をかけてその嫌なものを隠すと、不思議と痛みは薄れていく。

 ぼくは荒い息を整えながら考える。あれは、なに? 幻覚? もう一度確認しようかとも思ったけど、焼けるような痛みを思い出して手が止まる。


「どうした?!」

 バタンと派手な音と共に、小柄な男が飛び込んでくる。この診療所の医者だ。

「あの、あし、あし……」

 ぼくは目に涙を溜めながら布団を指差す。

「患部を見たのか」

 医者はあっさりと答える。その穏やかさに、ぼくは少し落ち着きを取り戻す。

「これ……階段から落ちたときの……?」

「そうだよ」

 またもあっさりと返ってくる答え。ぼくはどんな落ちかたをしたんだろう。包帯巻きの足を思い起こす。普通、骨折とかヒビ入ったとか、そんなんだろ? でもぼくの脳裏に浮かぶそれは、肉がこそげ落ちたような欠損を予想させた。

「こんなひどい怪我だって知らなくて……すごく痛くて」

「今も痛むのか?」

「ううん、隠すと痛くないんだ、なぜだか」

 医者は腕を組み、考えるような素振りを見せる。ぼくは不安に駆られた。なにかおかしなことが起こっているのかな。

 その視線を感じたのか、医者は柔和な微笑みを向けてくる。

「大丈夫、すぐに良くなるさ」

「でも、すごく悪そうだし、すごく痛いんだよ……?」

「大丈夫、痛いってのは治ってる証拠だからな」

 あっけらかんに言い放つ医者の様子に、ぼくの不安は洗われていく。意外と大したことないのかな、なんて思い始めたとき、医者はさらにこう言った。


「ところで、お腹すかないか。朝飯用意したんだが、食卓で一緒に食べないか」

 ぼくはギョッとする。なんてことを言い出すんだ。この足を知っていながら。

「こんな怪我で歩けるわけ……」

「大丈夫大丈夫、見えないと痛くないんだろ?」

「そうだけど」

 ちょっと軽すぎやしないか、この医者。安心を通り越して不信感が募り始めたぼくをよそに、彼はなにか名案を思いついたらしく「少し待ってて」と言い残して部屋を出ていった。

 戻ってきた彼の手には、大きな布切れが抱えられていた。

「これを履くといい」

 渡された布を広げてみる。丈の長いスカートのようだった。

「母のなんだが、それなら足まで隠れるだろ?」

 そういう問題なのかなぁ。疑問に思ったけど、きらきらした目でぼくをうかがう医者の期待を裏切るのも気が引けたので、とりあえず履いてみることにする。

「どうだ?」

 床に下り立ったぼくの足は完全に隠れて見えない。足踏みしたり跳ねたりしてみたけど、特に痛みは感じなかった。

「平気そう」

「よかった!」

 医師は朗らかな笑顔を浮かべると、手招きをして言う。

「じゃあ、行こう! 裾を踏まないよう気をつけてな」

 さすがにコケたりしたら大変だろう。ぼくは身震いして神妙に頷いた。

 食堂は扉を出てすぐ向かいにあった。ぼくの病室とおなじような薄汚れた小部屋に、小さなキッチンとテーブルがある。四つのイスが詰め込まれていて窮屈そうだ。

 テーブルには三人分の食事の用意がされていた。医者はそのうちのひとつの席にぼくを誘導し、伏せていたお茶碗にご飯をよそってくれた。

「ぷてぃー! ごはんだぞー」

 残りのお茶碗にもご飯をよそいながら、彼は声を上げる。しん、と静まった廊下から僅かなきしみが聞こえてきて、ドアがゆっくり開く。


 現れたのは、子供だった。たしか、初めに目が覚めたとき見た子だ。彼だか彼女だか、中性的な雰囲気のその子は、部屋に踏み入ろうとして、ぼくと目が合う。切りそろえられた前髪から覗く大きな瞳を見開いて、その場に固まった。

「おはよう」

 ぼくは照れ笑いを浮かべながら挨拶した。その子はビクッと体を震わせると、脱兎のごとく逃げ出してしまった。

「あ、こら、ぷてぃ!」

 医者の叱咤に応えるように、遠くでバタンと扉を閉める音が聞こえる。

 ずいぶん嫌われてるなあ。ぼくは肩を落として呟いた。

「ぼく、そんなに怖いかな」

「いや、そうじゃないんだ。ぷてぃは、おれの妹なんだが、ちょっと人見知りで……ごめんな、気を悪くしないでくれ」

 長い耳を垂らして詫びる兄の憐れな様子に、ぼくは逆に申し訳なく思った。

「妹さんなんだ」

 弟かと思った、と言うのは失礼かなと思ってぼくは口をつぐむ。

「うん、二人いるうちの小さいほうだ」

「三人兄弟なの?」

「そうだよ」

 ふぅん。

 ぼくと同じだ、と思った。ぼくの兄弟構成はどうだったかな、と思い出そうとしてやめた。そんなことはぼくの頭の中の辞書に書いてあることだ。思い出す意味のないこと。


 ぼくは目線を下に落とす。

 黄茶けたご飯と、おかずが一品。野菜炒めかな。緑暗色の惣菜は食欲をそそらない。いただきます、と一礼してから箸を付ける。

 ……味がない。素材の味さえ消えている。食感くらいは楽しめるかと思ったけど、野菜から出た汁により台無しになっていた。

「ずいぶん質素なごはんだね」

 ぼくの口からそんな言葉がこぼれる。

「こんな貧しい食事は生まれて初めてだよ」

 自然に出た言葉ながら、ぼくはなんだか得体のしれない違和感を覚えていた。

「きみはお金持ちの家の子だからなあ」

 あははと自虐的に笑う医師に、ぼくはさらにたたみかける。

「黄色いごはんとか初めて見たよ。食べれるのかい、これ」

 ぼくはぶつぶつ不平をいいながらも休むことなく箸を進める。次から次に、溢れるように出てくる言葉のどれも、違和感ばかりの不満だった。

 ぼくは、この食事をまずいとは思っていないようだった。貧しいとも思っていないようだった。ぼくはこの食事が充分なものであると知っている。入院だかなんだか、どういう経緯かは知らないが、急に家庭に転がり込んできて、特に何も役にもたっていないぼくに暖かいご飯を用意してくれたことに感謝している。ぼくはご飯一粒も残さずきれいに平らげ、野菜の汁まですすり飲み箸を置いた。

「ごちそうさま」

 おいしかったよ、と続けようと思ったけど、なんだか変だと思ったのでやめておいた。医者はぼくのお皿を見て嬉しそうに笑ったので、ぼくの言いたかったことは少しは伝わったのだろう。

 医者は食べるペースが遅い人らしく、まだ半分ほどしか減っていない。

 彼が入れてくれたお茶をすする合間に、ぼくは所在なくあたりを見渡していた。

「そうだ」

 医者のつぶやきに、ぼくは視線を前に戻す。

「診療所の中を案内しないとな」

 彼は箸を置き、席を立とうとしていた。

「食べ終わるまで待ってるよ」

 ぼくが暇そうにしていたから気を使ってくれたんだろうと思って、そう断った。でも、彼はゆるく首を横に振る。

「後で食べるからいいよ、行こう」

 でも、と言いかけたが、彼の意図がわかって押黙る。そっか、妹さんと一緒に食べたいんだな。ぼくがいなくなったほうがいいのか、と納得して席を立った。

「ここが風呂」

 食堂を出て、廊下の突き当たりのドアを開ける。中は小さな洗面台と、奥にさらにドアがあり、その中には小さなバスタブとシャワーがあった。

「浴槽が壊れてて使えないんだ。使うときはシャワーだけで頼むよ」

 うへぇ。でも、まあ、こんな窮屈なバスタブなんか使う気も起こらないし、それ以前に

「この怪我じゃ入れないだろ」

「うん、まあ、そうだな。しばらくは無理かもな」

 医者は苦笑してドアを閉じた。洗面台には歯ブラシやらコップやら、山積みのタオルやらがごちゃっと置いてあり、生活感が溢れている。


「あれ?」

 ぼくは声を上げた。

「どうした?」

 医者が不思議そうな顔で見てきた。

 なんだか、奇妙な感覚に襲われたのだ。なにか、足りない?なにか、あるはずのものがないように思えた。まあ、ないものはたくさんあるよな、ぼくの実家とくらべたら。どうにも違和感の原因が掴めないので、ぼくは笑って誤魔化すだけにとどめた。


 その後、トイレ、いくつかの病室、診察室、待合室、図書室、二階にある三兄妹の部屋や屋外の物干し場、洗い場、などに案内された。妹の部屋と病室は遠慮してもらいたいが、ほかの場所は自由に出入りしてくれていいよ、と雑な説明を受けた。小さい家に不釣り合いな、やたら大きな図書室がかなり僕の気を引いた。しばらくは退屈しなくてすみそうだ。そして最後に、裏口のすぐ外に設けられた階段に行き着いた。

「ここは、地下室の入り口だ」

「地下室?」

 階下は明かりがなく、まっくらでなにも見えない。

「ここにはなにがあるんだい?」

 ぼくの質問に彼は曖昧に笑って、めずらしく強い口調で言った。

「ここには近づかないようにしてほしいんだ」

「なになに? なんかやばいもん隠してんの~?」

 ぼくのからかいに、彼は微笑を浮かべたまま答えない。

 なんだよ、えらく不穏じゃないかい。

 ぼくはふと笑いを消して言った。

「それは、規則かい?」

 不思議そうな顔をする医者に向けて、もう一度聞く。

「ここで安らかに暮らすための規則かい?」

「そうだよ」

 医者は一言、そう答えた。

「そっか。それならいいや」

 なにがあるやら気にはなるが、規則なら仕方ない。ぼくは興味をなくして自分から裏口に戻った。規則というやつは、やぶったらろくでもないことしか起こらない。ぼくは今の所、好奇心より安心が欲しいんだ。

 ぼくのしらけた様子に医者はすこぶる安心したらしい。ぼくの前に駆けてくると、裏口のドアを開けてくれた。

「お昼に軽く診察をするから、それまでは自由にしててくれ」

 ぼくの部屋の前で、見学会は解散となった。閉めたドアの背後から、ぱたぱたと階段を駆け上がる音が聞こえる。すねた妹を迎えに行ったのだろう。


 さあて、ぼくはどうしようかな。とりあえず布団に潜り込んで窓を見上げた。 なぜだか窓はすごく高い位置にあった。

「なんでだろう」

 ぼくはひとりごちたが、今日は不思議なことが多過ぎて。

「まあいいや」

 ぼくはごろりと寝返りを打ち、そのまま考えるのをやめた。



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