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幕末蹴球(ばくまつしゅうきゅう)  作者: ミズガミ豪士郎
2/2

幕末蹴球其の2 『誕生』

※土佐弁やら方言を間違えて使用すると興醒めなので、ひとまず使いません(関西弁が混ざるのは、ご愛嬌と流してくださいませ。そのうち、高知出身の友人に訳して貰おうかしら)。

 泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)

 たった四杯(しはい)で夜も眠れず



 嘉永6年(1853年)4月、相模国 浦賀沖に、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー率いる艦隊が現れた。いわゆる『黒船来航』である。

 浦賀沖特設蹴球場で行われた歴史的一戦は、観戦した人々の度肝を抜いた。

 腐っても徳川幕府軍。たとえ異国が相手だろうと、打ち負かしてくれるはず。そう気楽に考えていた観衆の思いは、開戦直後に打ち砕かれた。

 大人と子供かというぐらいの体格差、腰の引けたサムライと傲岸にもとれるヤンキー。

 ロングボールとハイボールによるフィジカル押し。正直、観る者には物足りない作戦ではある。しかし、だがしかし、である。ここまで圧倒されると清々しささえあるし、うっかり憧れさえ抱いてしまった者もいたに違いない。


 高さと強さが全然違った。

 4発、日ノ本完敗。

 数字以上に手も足も出なかった徳川幕府軍。

『鎖国』に慣れていた民衆の、異国スタイルの蹴球への脅威と興奮が綯い交ぜになった感想こそが、冒頭の狂歌である。



 その試合を18歳の坂本龍馬も無銭観戦していた。

 運命か、はたまた必然か。それが彼が世界と邂逅した瞬間であった。

「世界には、こんな戦の仕方もあるのか。異国と戦になれば鎖国など役に立たんじゃないか。」

 龍馬は目を輝かせた。が、それはただの憧憬だけではなかった。

 もっと知りたい。世界の蹴球を。そして、


「勝ちたい。」





 〇●〇●〇


 時代は遡って。


 坂本龍馬は天保6年(1835年)土佐藩の郷士(ごうし)の家に5人兄弟の末っ子として産まれた。

 龍馬が産まれる前の晩に母・幸は、龍が天を飛ぶ夢を見たと言う。それに因んで、龍馬と名付けられた。その龍の手には金色に輝く球が握られていたらしい。

 産まれた龍馬の背中には(たてがみ)のような毛が生えており、その毛に隠れるように蹴球用の球のような痣があったという。

 父の八平は親馬鹿を存分に発揮し、寝る赤子の枕元に球を置いて、龍馬が一流の蹴球選手になる事を夢見た。


 坂本家は下士ではあったが、商家の才谷屋の分家であり非常に裕福であった。ゆえに、子供たちが文武とも何をするにつけても必要な道具は不足なく与えられた。

 そんな恵まれた環境ではあったが、龍馬は学問にも運動にも何につけても才能の片鱗も見せなかった。それどころか、見せるのは一片の輝きどころか愚鈍さばかりであった。


 水泳すると、沈む。朝起きれば、寝ションベン。常に青い洟を垂らし、坂本の阿呆ボンと呼ばれていた。


 12歳の時、漢学・楠山塾に通っていた龍馬は、毎日のように苛められては泣いて家へ帰っていた。

 なかなか字を覚えられない龍馬。何をやらせてもグズグズしている龍馬は、格好の苛めの対象であった。


 そんな日常の繰り返し。


 ある日のこと。いつもの帰り途。

 堀内という上士の子息とその取り巻きにからからかわれた。

「お前の姉貴、あれは何じゃ!」

「あれは女と違う、男やで。」

「いやいや、あれは人間とちゃう。熊や」嘲笑混じりに、言い放つ。


 自分が何を言われようが、龍馬は耐えられた。悔しさに涙を流そうが、耐えられた。

 しかし、大切な家族の事を馬鹿にされたのなら、話は違った。

「なんじゃと~、お前ら許さん」

「おお、洟垂れに何ができるんじゃ」堀内が挑発する。「かかって来いや」


 球が龍馬の目の前に転がされ、龍馬が触れるか触れないかの瞬間に堀内が襲いかかる。

「悔しかったら、俺を抜いてみい」

 ガツガツと龍馬の脚を削りながら、球を奪おうとする。

 足の裏で球を引き、サッと半身になる。人数をかけて突っ込んでくる堀内の取り巻きたちも、一人躱し、球を一跨ぎして二人目と三人目が同じ動きをした瞬間に二人の間を球と共に突破する。

 悔しさや憎しみから始めた勝負であったが、途中から龍馬の頭は冷静で相手の動きが手に取るように見えた。

「調子に乗んなや!」堀内が必死の形相で身体ごとぶつかって来ようとする。

「ここだ!」

 極限まで高められた集中力。明瞭な道筋。

 龍馬の身体は、考えるよりも先に動いた。すると、堀内をひらりと躱し、ここにいる全ての人を驚かせた。これがあの坂本の洟垂れかなのか。

 しかし、1番驚いていたのは、誰でもない龍馬自身であった。

「この感覚はいったい?」


 想像だにしなかった展開に呆然と立ち尽くした堀内たちだったが、ハッと我を取り戻し、また突進する。更に激しく、更に汚く。脚を蹴るだけではなく、腕を振って龍馬の胸部を殴打し、肘を強く龍馬の顔面へ叩きつける。

 みるみる間に身体中に痣が出来、動きにも翳りが見て取れた。それでも、龍馬は1度も球を取られることはなく、堀内たちを翻弄した。

 観ていた学友たちも、近所の人々も次第に堀内たちへの非難と龍馬への声援を挙げた。

「いけー、龍馬!」「いいぞ、龍馬!!」

「堀内、汚いぞー」「正々堂々勝負しやがれ!」


「お前ら、何しとるんじゃ!!」「私闘は禁止なんは知っとるやろなぁ」土佐藩の侍が、人混みと盛り上がる歓声に気づいて割り込んで来たのだ。

「げっ、逃げろ~!」

「お、おいっ、待て!」

 蜘蛛の子を散らすように、逃げ去る子供たち。

 残された龍馬。彼は大の字に、その場に倒れたのだ。身体中の痛みだけが原因ではない。

 ーーー蹴球、楽しい。

 流れていく雲を半分潰れた眼で見ながら、笑顔となっていた。




 その後、龍馬は楠山塾を退塾となる。

 けしかけたのは堀内らだったのだが、龍馬は言い訳もせずに受け容れた。

 漢字を覚えるよりも、大事なものを見つけたからだ。




 〇●〇●〇


 そんなどうしようもないながらも一筋の光明がさした龍馬に、不幸が訪れた。

 最愛の母・幸が病気でこの世を去ったのだ。

 今で言うマザコンだった龍馬にとって、母の死はこれ以上ないほどの衝撃であった。ようやく一歩を踏み出しかけた龍馬は、足を停めた。何なら二歩下がって、泣いて過ごす日々を送った。泣いていない時は、ほうけた様に動かなかった。


 甘えられる存在を失った、抜け殻のようになった龍馬の道標となったのが、すぐ上の姉・乙女であった。

「龍馬!泣いてても母上は帰ってこんし、喜ばへん!」

 彼女は龍馬の尻を叩き、叱咤激励を繰り返した。


 母代わりとなり、厳しく鍛えた。そして、少し甘やかした。


 乙女はその時代の女性としては破格に恵まれた体格=身長5尺8寸、体重30貫(174cm、112kg)を活かし、男たちに混ざって蹴球の守護者(ゴールキーパー)をしていた。普通このポジションは『守護者』と呼ばれているが、一部の絶対的守護者の事を畏敬の念を込めて『守護神』と呼んでいた。乙女はまさにそう呼ばれ、また『仁王』と恐れられていた。



 龍馬をおとこにする為に。

 優しい乙女姉さんを喜ばせたい。

 龍馬は立ち上がり、顔を上げた。


 乙女の飴と鞭を巧みに使った特訓が、乙女の愛が龍馬の潜在能力に磨きをかけていった―――


 泳げない龍馬にロープをくくりつけて川に放り込み、バシャバシャと溺れながら助けを求める龍馬に幾つもの球を投げつけた。

 初めのうちは、単に球をまともに受けては沈みそうになっていたが、しばらくするとヘディングで打ち返すことが出来るようになった。そのうちに川面から全身を出し、胸でトラップ、脚を使ってのトラップ。遂には、ダイレクトボレーで乙女まで球を返すまでに至った。


 ある時は、峠の坂道へ龍馬を連れていき、坂上から球を転がした……多数の大きな石に混ぜて。

 石にぶつかり、誤って石を蹴った。

 倒れ、呻き、泣いた。倒れている龍馬に対して、容赦なく球を投げつける乙女。

「龍馬、立ちなさい。寝ているだけでは、何も変わらないわよ」

 その仁王像のような乙女の表情の下には、優しい顔をした、止めどなく涙を流す姉がいたーーー龍馬、ごめん。やけど、今が頑張りどきや。

 龍馬の将来の為に、心を鬼にして、見えている顔を鬼にして。龍馬に球を思いっきりぶつけた。




 そのようなスパルタ練習の数々が、日々行われた。

 蹴球だけではなく、剣術や学問も乙女は教えた。

 世界へ翔くためには、視野の広さも必要である。と。


 この頃の鍛錬は、龍馬の心身を数回り大きくした。



 ―――のだが、更なる開花の時を迎えるのにはもう少しばかり時間が必要であった。



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