決行の日
空には灰色の分厚い雲がかかっている。日光を遮っているそれは、まるで街全体を閉じ込めているようだ。
城下町では、住民はみな外に出たり、窓から顔を出したりして、この異様な緊迫感はなんなのかと、首をかしげていた。
ほどなくして、ひとりのパン屋が、城にむかって行進するものものしい兵士たちを見た。
「なんだ、ありゃ?」
「さあ……」
「今日、なんかあるのかね」
「今日はいたって普通の日だよ。今日も、苦しい生活を続けるいつもの毎日さ」
城下町の人たちは、不思議でたまらないという表情で話し合っている。
そこに、一人の老人が杖をつきながら近づいてきた。真っ白いひげをたくわえ、杖に支えられてやっと立っているような弱弱しい老人。
だが、彼の目にはまっすぐで、鋭い光が宿っている。
「首に巻いた赤いスカーフ、あれは、ラッセル家の兵じゃ」
震える声で告げる老人。声こそ震えているが、それはのどの調子が良くないだけであって、しっかりとした意志が感じられる。
怪訝な顔をしていた住人達も、まるで何か神聖なお告げをするかのような調子で話すのを聞いて、ごくりと唾を飲み込む。
「我らが手を取り合い、自分たちの身を守るときが、来たんじゃ」
「おい、それって――」
「反乱じゃよ」
聞いて、目を見開いた肉屋の主人が、持っていた包丁を取り落とした。
肉屋は反乱の四文字を聞き、恐れをいだいているかのようにわなわなと肩を震わせていた。周りにいた、ほかの城下町の人間も同じだ。
しかし、恐れおののいているかのようなその場の人々は、一人残らず胸の高鳴りを抑えることができなかった。
「おい」
全身黒装束に身を包んだ少女が、濃い茶髪の、険しい表情をした少年に話しかけた。
彼らは、城をぐるりと取り囲む、高い城壁のそばにいた。人気はなく、そびえ立つ茶色い壁が雲をくぐりぬけてわずかに届く日光を遮り、夕方のように暗い。
「なんだ、ミルか。見つかったと思ったじゃないか」
「兵士なら見かけたものは全員倒してきた。心配しなくていい、小心者」
「な、小心者じゃねえよ! つかお前――」
言いかけて、ジェイクは口をつぐんだ。
先ほどミルは「全員倒してきた」と言ったが、一体何人、彼女は殺してしまったのだろう。
いや、殺してはいないかもしれない。気絶させる方法なら、ミルはいくらでも知っているはずだ。 しかし、もし殺したのだとしたら……。
「殺してはいない。ちょっと動けなくしただけだ」
言って、ミルは黒くとがった刃物をズラリと指の間からのぞかせた。曲芸のような動作にジェイクは驚きぽかんと口を開けた。
「は、相変わらず間抜けな奴だな。そんなんじゃすぐ殺されてもおかしくない」
ミルはずいぶんと口が悪い。前々から思ってはいたが、何よりも団結が必要な大きな戦いを前にして、この言いようはなんなのか。
腹は立ったが、今はそれどころではない。ジェイクはミルが持っている刃物の先端部分が濡れているように光っているのに気づき、質問した。何か、塗っているのだろうか。
「痺れ薬だ」
「痺れ薬?」
「ああ、こいつで刺せば、相手はたちまち膝をつき、動けなくなる」
「そうだったのか……」
意外な仕掛けに、素直に驚く。まさかミルがこんなことをするとは思わなかった。
自分たちの作戦では、極力人を殺さないことを念頭に置いていた。
そんなぬるい姿勢ではたちまち敗北してしまう、と反対する者もいたが、ジェイクは譲らなかった。
グラッド、いや正確にはグラッドになりすましていた者が、仲間二人を殺して逃亡した。
仲間の死体を見たとき、やっぱり、犠牲なんか出したくないと思った。
殺された仲間にも、家族がいた。友達もいた。仲の良い近所の人もいた。
彼らが死んでしまったことによって、彼らの周りの人々がどれほど悲しんだかわからない。
「誰も、死ななくていいんだ。誰も」
独り言のようにつぶやいた。
ミルは、それに返事をしてきた。ため息が混じった声は意外なほど真剣だ。
「お前は甘い。絶対に死人は出るよ、その死人はお前かもしれない。死にたくなかったら目の前の敵をためらわず刺せ。容赦なんかするな。まったく、毒塗るなんてめんどくさい真似させて。お前が死んだら墓に痺れ薬盛ってやるからな」
ミルはそう言って、分厚い雲を見上げた。
どんよりとした空を見つめる彼女は、どこか遠い目をしていた。見たことのない表情……いや、違う。前に見た。グラッドに剣をつきつけたときの表情。
暗い影を落とした顔。
“悲しげ”という表現が、頭にぱっと浮かんだ。
そのとき、ミルが横顔をじろじろと見ていたジェイクをにらんだので、ジェイクは目をそらして、それから余計なことを考えないで気を引き締めた。
城の真正面、大きな鉄の門の前に、おびただしい数の兵士たちが押し寄せていた。
兵士たちはみな、首に赤いスカーフを巻いている。名門貴族ラッセル家が治める豊かな領地でよく採れる、リンゴの色と同じだ。
赤いスカーフを巻いた兵士たちは、いろいろなところから集められたらしく、鎧のデザインや持っている武器もばらばらだ。だが、きれいに整列して、「時」を待っている。
鎧がぎしり、ぎしりと音を立て、迫力を演出している。
大勢の兵士たちの先頭に立つ若い金髪の男は、ラッセルだ。
いつもとかわらない、優雅だがどこかのんきそうな表情をして、存在感たっぷりに立っている。
遠くで雷鳴が低くとどろいた。
まるでそれが合図であったかのように、ラッセルが手に持った剣を振りかざすと、厳しい顔をした兵士たちが一斉に突入した。赤いスカーフが何百枚も揺れる。
同時に、中にいたもうひとつの軍勢が駆け出す。数は同じくらいだ。レーヴェス王家の紋章が入った槍を構え、ラッセルの軍に向かって突進してくる。
ふたつの軍勢がぶつかり合い、高らかな金属音が響いた。いくつもの剣と剣がぶつかり合う音が、場にこだまする。
城から出てきたほうの軍勢、国王側の兵士たちは、前のほうの者たちこそ歯を食いしばり戦っているが、なぜか後ろのほうは、歩いている。
「おいっ!! 何してるんだ! 来い! 戦え!!」
最前列でラッセルの軍と戦っている、隊長らしき大柄な男が目を血走らせて叫んだ。
が、後ろでだらだらと歩き、手にした槍も切っ先を地面に向けている兵士たちは、聞いている気配はない。
そして、敵を迎え撃とうと槍を構えていたものも、一人、また一人と、後ろの戦意のない兵たちに加わっていった。
一体どうしたのかと、動揺と焦りで隙を作ったその男は、剣を交えていた兵士に蹴り飛ばされ、地面に転がってゴホゴホと咳をした。
「君たちさ、ボスに魅力がなさすぎるんだよ」
耳がおかしくなりそうな金属音のなかで、唇の端を愉快げにつりあげたラッセルがつぶやいた。
「ここまでぐちゃぐちゃとは思ってなかったけど……」
門がびりびりと震え、けたたましい金属音は鳴りやまない。
だが上空から見ると、赤いスカーフがうねる蛇のように、城にむかって少しづつ進んでいくのが確かに分かる。
やがて巨大な赤い蛇は、城のふもとまでたどり着いた。
ジェイクは、ミルとともに走っていた。
城はかなりの広さだ。日々どっさりと野菜の入った箱を持ち運びしていても、こんなに走っては息が苦しい。
前を行くミルは、まったく呼吸が乱れていない。軽やかな足取りで、風を切って走っている。
すでに正門からラッセルの率いる軍が突入しており、裏庭には誰もいなかった。遠くのほうから、剣と剣がぶつかり合う耳をつんざく金属音が聞こえている。
ラッセルらの無事を祈りながら、ミルにおいて行かれないようにジェイクは必死に足を動かす。
命を懸けた反乱の最中なのに、ジェイクは何より懐かしさを感じていた。
そんなもの感じている暇なんかない、と頭を振るが、目が、体が覚えている。やわらかな黄緑色の芝生におおわれた、品のいい中庭。雨上がりにここで走って、滑って転んでとても痛かったのを思い出す。
突然、ミルが足を止めた。なんとか踏みとどまって、ぶつかるのを防ぐ。
どうしたのかと聞こうと思ったが、とてもそんな呑気な質問ができる雰囲気ではない。
何者かはわからないが、敵がいるのだ。
「動くなよ。死にたくなけりゃせいぜいそこで指くわえて見てろ」
返事をする時間も与えず、ミルは勢いよく地面をけり、空中にふわりと舞い上がった。
それと同時に、木の陰から長い槍が突き出してきて、ミルが一瞬前までいた空間を貫いた。ジェイクは息をのむ。
飛び上がったままミルは身をひるがえし、手から黒い刃物を放った。
鮮やかに手から繰り出されたそれは、狙いを定めた場所に一ミリも狂わずに飛んでいき、二、三人のうめき声が聞こえた。
あまりに早い決着。ジェイクを庇いながらの一対複数で。
「……行くぞ。ぐずぐずするな」
立ち尽くすジェイクをちらりと見て、ミルは何事もなかったかのように再び走り出した。あわててジェイクはその背中を追う。
走りながら横目で襲ってきた兵士たちを見ると、ぐったりとして倒れていた。腕にはミルの刃物が刺さっている。
(わざと急所を外したのか……)
黒い背中は答えない。ただひたすら、前を見て走る。
暴れる心臓を押さえつけながらただただ足を動かしていると、前方に冷たい色の鉄扉が見えてきた。
「あそこだ! あそこから中に入れる」
召使専用の出入り口だ。好奇心が強いことが幸いしてか、王子として城にいたころに、城内はすべて探検していた。まさか自分が、十年後に王城を襲いに行くとは思ってもみなかったが。
ここは昼間は開いている。手で押すと簡単に開いた。
中に入った途端、喧騒が聞こえてきた。
きんきんと高いメイドたちの声や、野太い料理人の声。さまざまな使用人たちの、動揺した声がわんわんと響いている。
「ちょっと、外で何が起こってるの!?」
「これ、どう考えても戦の音だぜ……おい、俺たちもやばいんじゃないか? 逃げないと」
「けっ、城の中まで入ってこれやしねえだろ!」
「でも、音がだんだん大きくなってるわ。こっちに近づいてきてるんじゃない?」
涙目で叫ぶメイドの言葉で、その場にいた者たちが青ざめる。
ジェイクとミルは、その横を通り過ぎた。混乱しているので、誰一人気付かない。ジェイクは心の中でラッセルに感謝した。
細い通路を進み、薄汚れた暗い階段を下りていく。
記憶にある、きらびやかな城内とは全く違う。ここは城で働く者たちの領域なのだ。ジェイクは小さなころ、よくこんな薄暗くて汚い所に好んで来ていた。もちろんあとで叱られたが、王族たちの領域である上階は、まぶしすぎて落ち着かなかったのだ。
ここも、思い出の通り。懐かしいにおいが、ぷんぷんする。
だが、感傷に浸ってなどいられない。
ここからが自分に託された大仕事だ。
「見張りがいる。ミル、頼めるか」
「当たり前だろう」
すっと、ミルの指の間から刃物がずらりと顔を出した。
彼女にとってみれば、牢屋の見張りを倒すことなど赤子の手をひねるようなものだ。
「行くぞ」
言って、ジェイクとミルは狭い踊り場から一気に駆け出し、地下へと降りた。
見張りの男二人は突然の侵入者に目を見開く。
そして、口を開く前に痺れ薬の塗られた黒い刃物を腕に刺され、がくりとひざを折ってその場に倒れた。
「じゃあ、もうこれでお別れだ。お前みたいな軟弱者に付き合ってやったんだ、感謝しろ」
こんなときまで、ミルはとことん口が悪い。
「ああ、ありがとう。心配ないと思うけど……気をつけろよ!」
言い捨てたきり、遠ざかっていくミルに言葉を投げかける。たしかに、ミルに「気をつけろ」なんて言うのはおかしかったかもしれない。だが言わずにはいられなかった。
薄暗い廊下で、ジェイクは一人になった。自分を奮い立たせ、牢屋への入り口を見つめる。
不安はある。あるに決まっている。いくら王が恨まれているとはいえ、全員がそうとは限らない。罪もないのに牢屋にぶち込まれてもなお王を裏切ろうとしない、想像を絶する忠誠心を持つ囚人もいるかもしれない。
だが、ひるんでいいはずがない。
地下にまで聞こえる、ラッセルたちが戦う音。
仲間が体を張っているというのに、リーダーが臆するなんて冗談もいいところだ。
きっと前を見据え、ジェイクは一歩を踏み出した。