仮面を剥いだ騎士
ラッセルの報せを受けたジェイクは、教会へと全速力で走っていた。
あたりはもう真っ暗で、汚れた裏通りにはネズミしかいない。暗闇の中を、乱れる呼吸も気にせずに走っていた。
グラッドは、屋敷にいる。
それが示すのがどういうことか、言われなくてもわかる。
教会に閉じ込めたグラッドは、偽物だ。
一番心配なのは、グラッドを見張っている二人の仲間の男だ。
(くそっ、ミルに任せておけばよかった)
グラッドの正体がなんなのかはわからない。だがミルを見張りとして配置しておけば、もしグラッドが逃走を試みた場合、止められるはずだ。
考えながら必死に走っていると、腐りかけの教会の裏口の扉が見えてきた。
勢いよく扉を開けて、かびくさい中へと入る。
すでに中にはカレンとラッセル、その他十名ほどが集まっていた。目が慣れてくるまで気が付かなかったが、ミルも隅のほうで腕を組んで立っている。
「遅いよ、少年」
「ごめん……それで、地下は!? グラッドは!?」
ジェイクが言った途端、全員が沈黙した。おつも場の雰囲気をある意味で和ませているラッセルも、硬い表情をして黙った。他の仲間は、うつむたり、唇を噛んだりしている。
最悪の事態が起きたのだと、すぐに察した。
「トニーとアランは、やられた」
「なっ……!」
聞いてすぐ、ジェイクはいてもたってもいられなくなり、地下へと駆け出した。
埃を舞い散らせながら、ギシギシと音を立てる階段を駆け下りる。心臓の音が耳のそばで鳴っているように感じる。
地下に降りて、グラッドを閉じ込めていた物置部屋の扉の前に来て、ジェイクは言葉を失った。
同時に、ひどい衝撃。
頭をガツーンと殴られたような感じがした。
暗い廊下にはっきりと見える、赤いしみ。
花瓶を床に落とした時のように、一面に広がっている。
うつ伏せになって倒れている二人は、動かない。もう、動くことはない。
「誰が……」
誰が、なんて答えはわかりきっている。物置部屋に入って確認するまでもない。
第一、足が動かない。
「そういうことだよ、少年」
後ろからラッセルの声がした。ひどく冷たい声。
「……緊急事態だ。上に戻って、作戦を立てる」
ジェイクは振り向けずに、しばらくそこに立ち尽くしていた。
「残念だけど、僕らは動くしかない。リーダーだろう、来てくれないか」
「…………ああ、」
今行く、という言葉は、喉がカラカラに乾いていて出なかった。
金色で埋め尽くされた、城の大広間。
いくつものろうそくが、金色の燭台の上であかあかと燃え、不気味に揺れている。
分厚い絨毯を踏みしめながら、一人の男が王の座る玉座のほうへ近づいてきた。「グラッド」になるために顔に塗っていた薬品はきれいに落とされ、青白い肌がまわりの光を受けて金色に見える。
王は、男を唇の端を吊り上げながら見て、彼の言葉を待った。
「ただいま帰りました、陛下」
「ご苦労だった、イーガー。わしの期待通りの成果はあるか?」
男は、目にかかった長い銀髪を手で流しながら、報告する。ろうそくの炎に照らされた胸の紋章が、不気味に赤く光っている。
「もちろんです。奴らの居場所を突き止め、構成員を把握し、計画を聞き出しました」
王は珍しく、上機嫌でうなずきながらイーガーの話を聞いている。
イーガーは王が唯一信頼する、忠実な騎士だ。
剣を持たせれば彼に並ぶ者はいない。
「よくやった。それで、“あいつ”は居たのか?」
「彼が首謀者です」
断言したイーガーに、王はさして驚きもせず、それどころか愉快げに目を細めた。
「それと、反逆者どもの中に、ソルの“死神”も加わりました。……申し訳ございません。これは私の失態です。しかしさして仲間意識も強くはないようですから、『あれ』で十分に対処できると思います」
「お前がそういうのなら任せるわい。『あれ』は誰でも使えるからな」
「では、今すぐ潰しにかかりますか?」
イーガーの灰色の瞳が、放った言葉とともに輝きを増した。狂気を孕んだその瞳に、ろうそくの炎が揺れる。
「いや、いい。ここで優雅に迎え撃ち、ゆっくりといたぶってやるのもなかなかおもしろいのではないか? お前は特に好きそうだがな。“死神”もいるとなれば、より楽しめるだろう。まあ、野蛮王国の小娘なんぞに負けるとは思わんがな。荒々しい奇襲より、じわりじわりと攻めるほうが得意であろう、イーガーよ」
「……は。私の命にかけて、陛下をお守りし、反逆者たちの首をひとつ残らず討ち取ってやります」
王もイーガーも、同時に禍々しい笑みを浮かべた。
「ローザ、帰ってきたのね。……大変なことになってるの」
偵察を終えて城から帰ってきたローザは、教会に入るなり異様な雰囲気に包まれ、動揺している。
事情を聞いた彼女は、目を見開きかすかに震えていた。
だが、ローザだけではなく、ここにいる全員が同じような状態だ。
例外はミルくらいだ。いつもと変わらない表情で、小柄な身体を闇と同化させて背筋を伸ばして立っている。
何が起きても動じないミル。
彼女は、取り乱してしまっている自分たちにとって今、かなり頼りになる。
頼りになると言えば、同じくらいラッセルも落ち着いている。
リーダーだというのに、仲間にたよることしかできないような気がしたジェイクは、拳をにぎりしめた。手のひらに爪が食い込んで痛かったが、殺されたトニーとアランはもっと痛かったのだと思う。
ジェイクはうつむいていて、近づいてきたミルに気が付かなかった。
自分の真正面に立ったミルに気が付いたのは、頭をスパーンとひっぱたかれた時だった。
「って!!な、何すんだよ!」
「寝てたのかと思ってな。おかげで目が覚めただろう」
しれっとしてそう言うミル。
「寝てなんかねえよ!」
「じゃあ何だ? やっぱりお前は変だな。仮にも首謀者だろう、あいつらをまとめなくていいのか」
はっとした。
そして、自分の愚かさに気付き、頭が痛くなりそうだった。
「ぼーっとしてると、殺されるぞ」
静かだが、説得力のある声だ。
たぶん、彼女が経験してきたことから言っているから、なのだろう。
その通りだ。ぐずぐずしていると、ここにいる全員処刑されてしまう。
ジェイクはミルにたたかれた頭を、もう一度自分でたたいた。
「……何してるんだ」
「気合い入れたんだよ。ありがとな、ミル。あ、あとお前もまとめられる側だから、忘れんな」
「ふーん、まとめる? できるんなら早くやれって言いたいけどな」
ミルが笑った。ジェイクはびっくりしてその顔を見る。
笑顔というよりかは、嘲笑だった。
しかし勇気づけられ、ジェイクは輪の中心に向かって一歩ふみだした。
仲間たちの視線が、ジェイクに集まる。
何を言うべきか整理して、作戦を練り始めた。
「ラッセル、お前のとこ、兵はどのくらい用意できる?」
「かなり集めた。期待してくれていいよ。他の領主たちの中にも、協力してくれる人はいる。まあ、王城にはかなわないかもしれないが」
「王城の兵は、寝返るかもしれない」
控えめだがはっきりとした口調でローザも話に加わった。
「王は、一日に誰か一人はしょうもない理由で地下牢に放り込んでます。地下牢を見てきたら、かなりの人数の兵士がいました。王を恨んでいるものがほとんどです」
「そうか……他には? 魔術書のこととか」
「すみません。魔術書については一切……」
眉を下げたローザを、ジェイクは慰める。
「いいよ、俺もやっぱり変なこと言ったと思った。魔術書の存在は確かじゃないし、どのくらいの力があるのかわからない。魔術だって迷信だ」
「そうですか……あ、あと、クリスティ王女」
大勢に注目されながら話すのが苦手なのか、赤面しながらローザは喋る。自分が潜入して、見聞きしたものを、ひとつ残らず。
「王女は、国王と仲が良くないと感じました……はっきりそう言ってたわけじゃないけど、少なくとも国民の敵になるような人ではないかなって……」
それから、ローザはカレンが持っていた紙とペンを借りて、城の内部の図を描き始めた。すらすらと出来上がっていく図を見ていた一同は感心した。
「よくやったね、ローザ。これで話が進むよ。どこからどう入って王の間にたどりつくか」
ラッセルが顎に手を当てて考え込む。
図を食い入るように見つめていたカレンが口を開いた。
「主要戦力は、ラッセルの兵と、ミル、ラッセル」
ラッセルの兵は数が多く統率も取れているし、ミルは言うまでもなく、ラッセルも剣の腕は相当なものだ。
「ミル、一人で大丈夫かしら」
皆が驚いてカレンを見て、それからミルを見た。正気なのかという顔で。
「カレン! いくらミルだからって――」
「ああ、大丈夫だ」
「ミル!」
全く動じない涼しい声で、ミルは答える。きれいに整った顔からは何の感情も読み取れない。
きっと止めても無駄だ。絶対に聞かない。
ジェイクは直感的にそう思った。
いくつもの死地を潜り抜けてきたミルの、どこからかにじみ出てくるような凄みが、そう感じさせるのかもしれない。
「……ジェイク、仲間を信じないと、勝てないと思うの。ミルは単独で侵入して、奥から倒していく。ラッセルたちは正面から一気に。非戦闘員は、民衆に呼びかけて行進して。できるだけ多く。町の兵士は、束になってかかれば大したことないはずよ」
一気に言ったカレンは、一呼吸おいてジェイクに話しかけた。
「ジェイクは、城をよく知ってるわよね」
よく知っているも何も、幼少期をあそこで過ごしたのだ。覚えている。
何度、夢に出てきたことか。
「……まさか、こんな形でまた帰るとはおもわなかったけどな」
風に乗って消えてしまうくらい小さな呟きは、誰にも聞こえない。
「ジェイクは、地下牢の兵士たちを寝返らせてほしい」
「え?」
思いがけない言葉に、ジェイクは間抜けな声で聞き返した。
「そんなんで大丈夫か、少年? ……君は王族の血を引いているからか、人を惹きつける……ような気がする。と、カレンは言いたいんじゃないのかな」
ラッセルが目配せすると、カレンはうなずいた。
「まあ、ラッセルの言ったとおりよ。私なんかがのこのこ行っても、怪しまれるのがオチよ。王子なら大丈夫」
「王子って……」
たしかに、王子は王子なのだが。自分のことを覚えている兵士がいるとも思えない。
しかし、これ以外に自分ができることは、ろくにない。城を追い出されてから野菜とだけ付き合ってきたからこれといって戦うすべも持たない。
「……いいかしら、リーダー」
これまで見たことが無いほど、とびきり真剣な目で、カレンはジェイクに確認する。
ジェイクは息を吸って、仲間たちの顔を見回した。ラッセル、カレン、ローザ、……最後にミルを見たとき、雲が晴れたのか教会の天窓から月明かりが入ってきた。
「ああ」
腕を組んでいたミルがふいにまっすぐ立ち、腰に差してある剣を撫でた。
「明日、決行する」