貴族青年と地味娘
一週間後、再び反乱勢の集会が開かれた。薄暗い教会内には、押し殺したような声で話し合う人々の声がかすかに響いている。
扉を見張っているのは、ミルだ。まだ彼女への警戒心が解けない者も少なからずいることと、何より腕が立つことから、彼女は見張り役に指名された。たとえ兵士が何十人がかりでやってきても、ミルは傷一つ負うことなくあっさりと倒してしまうだろう。
集まっている仲間たちの中に、ひときわ目立つ青年がいた。
輝くようなさらさらの金髪に、空のように青い瞳。すらりとした長身を包むのは上質なコートとぴかぴかに磨き上げられたブーツ。腰にさしているのは、豪奢な装飾のなされた細い剣。
どこからどう見ても上流階級の、とびきり品の良く人受けのしそうな彼は、城下町にほど近い田園地帯を治める貴族、ラッセルだ。亡き父の後を継ぎ、若くして国で一番広く、一番恵まれている領地を治めることとなった。今、レーヴェスで一番力のある貴族である。
「全員集まったみたいだな」
「この間はごめんね、ジェイク君。どうしても抜け出せなくてさあ」
国で一番の貴族とは思えないほど砕けた口調で、ラッセルはジェイクに話しかけた。
「それにしてもびっくりしたよ、僕のいない間にまさかあの“死神”を手に入れてるなんてさ。あとおまけで端くれ貴族も手に入ったし」
ラッセルはちらりと、ミルと未だに縛られたままのグラッドに目をやった。ミルのほうは完全に無視か、興味がないような様子だ。グラッドはと言えば、何も言い返せずただうつむいている。
「誰だか忘れたけど、いったい誰から聞いたのさ? 僕らのこと。あれ? 今日はこのオッサンの尋問ってことでいいんだよね?」
「……半分当たってるけど、半分ハズレよ。密偵を連れてきたんでしょう? そっちのほうも話し合わないと」
呆れたようにため息をつくカレンに気が付かないのか、ただお気楽なだけなのか、ラッセルはけらけらと笑って「ごめんごめん」と謝る。
「それで、その密偵って? 今ここにいるのか?」
「うん。いるよ、やっぱりわかんなかったか。おーい、ローザ」
のんきな口調でラッセルがその密偵の名前を呼ぶと、仲間たちがかたまるように集まっていた中から、誰かがゆっくりと進み出た。
いままで誰も彼女の存在に気付かなかった。全員が息をのむ。
「……えと……」
皆の前に姿を現したのは、ミルやジェイクと同じか、それとも少し年上くらいの少女。
レーヴェスでは最も多い明るめの茶髪。背丈は高くも低くもない。そして太くも細くもなく、ほくろやそばかすなどの特徴もない。目の色もこれまた国内で最も一般的な茶色だ。
要するに、あまりにも平凡な少女。特徴的なのは平凡すぎることぐらいか。
「彼女はローザ。先月うちの屋敷から家宝を盗み出そうとした子でさ、これがまた優秀なんだよね。見つけたのが僕一人で良かったよ、他の誰かがいたら処刑せざるを得なかったからね」
「盗むって……」
ラッセルの屋敷は王城と張り合えるほど警備が厳重で、忍び込むなど不可能に近い。一体どうやって彼女はラッセル邸に侵入したのか。
「うちのメイドとすり替わって、機会を狙ってたらしいんだ。ぜんっぜん気付かなかったんだよ、あんだけ上手く変装してりゃ当たり前だけど」
「変装か……」
自分の姿を他人のものに変えてしまう。それができれば――
「城に、潜入できるかしら」
カレンの赤茶色の瞳が途端、真剣さを帯びる。カレンの頭の中では、ものすごいスピードで計画が構築されていっている。こういうときの彼女は、皆を黙らせるような迫力がある。
「朝飯前だよ。ね、ローザ」
注目の的となってどぎまぎしていたローザが顔をあげる。ふわふわとした明るい茶髪に囲まれた顔は真っ赤だ。きっと今までこんなに注目されたことなどなかったのだろう。ローザはごほんとひとつ、咳をしてから答えた。
「あ、はい……がんばります」
ミルのときとは比べものにならないほど穏やかに新たな仲間が加わったので、一同はどこかほっとした。見張りの意識をとばし、主人を人質にとって刃物を投げつけたり剣を突き付けたり。あれは悪い夢だったかのように、皆思った。そんな光景を見ていなかったラッセルは、表情をゆるめる仲間たちを不思議そうに見ている。
「頼もしいわね。問題は、どうやって城に忍び込むかよ……さっき、メイドにすり替わってたって言ったわよね」
「うん、心配しなくていいよ。城のメイドを買収すればいい話だから」
「は?」
買収、という単語に目を丸くするカレン。
「買収だよ。金の力って偉大だよねー」
「……ああ、あなた、そういえば貴族だったわね」
「なにそれ? れっきとした貴族ですけど」
頭が痛い、と言わんばかりにカレンが赤髪をかき回す。それを見ていたジェイクがぷっと噴き出した。
「それはもう、あなたに任せるわ。そんな世界のことよくわからないから。で、その買収したメイドに、ええとごめん、名前……なんだっけ」
話している途中にローズの名前が思い浮かばずに、気まずそうに聞くカレン。ローズは苦笑交じりに自分の名前を教えた。笑顔がかすかにひきつっている。これまで何度も名前を覚えてもらえなかった経験があるのだろう。
「じゃ、じゃあローズが、ラッセルが買収したメイドに変装して王城の様子を探ってくれればいいわね。時間がないから、来週あたりにでも」
「そうだよ、時間がない。だからさ、このオッサンの尋問始めようよ。どっから僕らの情報が漏れたか、聞かないわけにはいかないよね?」
美しい青い目をあやしげに輝かせてグラッドを見下ろすラッセルの顔には、歓喜の色が浮かんでいる。こういうときのラッセルはとてつもなく危険だ。何をしでかすかわからない。
「おいラッセル、手荒なことはするな」
ジェイクが諌める。ラッセルはわかってるという風に肩をすくめて見せた。不穏な空気に感化され、カレンもラッセルにつっかかる。
「まさかあなた、ローザにもその物騒な尋問したんじゃないでしょうね」
「しないよ。僕は女性に優しいんだから。それに、尋問は尋問でも古風で野蛮な手を使ったりするわけないだろう。ただ精神的に追い詰めて、自白してくれるのを待つだけだよ」
「それかなりたちが悪いじゃない!」
「まあまあ二人とも、落ち着いて。それより話を進めないと」
普段あまりリーダーらしいところを見せないジェイクが、ラッセルが加わると至極まともなリーダーに見える。カレンとラッセルは何か言いたげにジェイクのほうを見て口を開けていたが、やがて二人とも大人しく黙った。
「尋問なんて表現はしないでくれよ。俺たちは平和を目指すための組織だ」
「平和を作るのにも犠牲は必要だよ、少年」
ラッセルはジェイクのことをよく「少年」と呼ぶ。それがジェイクはあまり気に入っていない。そのうえ厳しい現実をそれとなく指摘され、渋い顔をした。
平和のための犠牲。国王を追い出す計画を実行したら、血を見ることになるのは間違いない。成功したとしても、その成功のために傷ついてしまった人々は出てくるのだ。
だがそれでも、自分たちは戦わなければならない。平和のために、ゆがんだ政治にに心まで支配されないために。
凛とした顔をあげ、気を取り直してジェイクはグラッドの取り調べを開始することにした。
「遅くなったけど、グラッド。質問に答えてもらうよ。まず、誰から俺たちのことを聞いた?」
グラッドの額は汗が浮かんでいるのか、通気口から射し込む月の光に照らされてやけにきらきらと光っている。重たげに唇を動かし、グラッドは自白し始める。
「貴様らのことは、二週間ほど前にこの城下町へ来たとき、通りがかりの行商人から聞いた。それだけだ」
あっさりとしたグラッドの供述に、ラッセルがさも不機嫌そうに顔をしかめた。ジェイクはラッセルの腰に差してある、宝石のついた美しい剣に目をやる。まさかグラッドを突き刺したりはしないと思うが、ラッセルの目にちらつく不穏な光を見ていると不安だ。そう思ったジェイクは、すらりとした小柄な身体を扉にもたせかけているミルに手招きをした。気付いたミルは怪訝そうに見つめ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「何だ」
「いや、悪いけどここにいてくれ。ラッセルが何かしでかしそうになったら止めてほしいんだ。いや、何も起こらないことを願ってるけど」
ミルに気付いたラッセルは、瞳にちらつくあやしい光を消し、興味深そうに彼女をまじまじと見る。
「ラッセル? こいつのことか」
「はじめまして、“死神”さん。君の噂は僕も知ってるよ」
「……どいつもこいつも、相当噂話とやらが好きなんだな」
「ああそれとも、ならず者を退治して人々を救ってきた女神とでも言うべきかな。まあどちらにせよ想像通りだ」
まるで会話が成立せず、ミルはだるそうに足を交差させる。
「質問を続ける。その行商人はどんな奴だった?」
「どんなと言われても……特に変わったことはない。どこにでもいそうな、三十代くらいの男だ。その男とは初対面で、牛乳を買ったときに少し世間話をした。男は、城下町がぴりぴりしていて、反逆者がひそかに動いているに違いないと言った……」
「ふーん。それで、僕たちを捕まえたら国王に気に入られるかも、って?」
馬鹿にしたような口調でラッセルが問いかける。グラッドは数秒経ってから、うなだれるように力なくうなずいた。
「だってさ。バッカだよねー、君みたいな田舎貴族が何したって、国王は記憶に留めやしないのにさ」
「ラッセル、余計なことは言わなくていい。……それで、それ以来行商人とは会ってないのか?」
「ああ、それっきりだ。……陛下の悪評から考えると、その話も本当だとおもったんだよ。それだけだ」
「そうか。わかった、それだけだ。……グラッドを地下室に戻そう」
ジェイクがそういうと、ラッセルが不満なのか、子供のようにだだをこねはじめた。
「ええーっ、これだけ? もっと色々聞かないの? 僕はやだよ、こんなので終わっちゃうなんて。ありえないって!」
「うるさい。ラッセルにはやってほしいことがあるんだ」
「え?」
「グラッドを閉じ込めてからもう一週間だ。本人は屋敷を出るときしばらく旅に出ると言ったそうだが、あまり長くなると怪しむ奴が出てくるだろう。だから、グラッドの家に手紙を送ってほしいんだ。たとえば、彼は道に迷っていたので私の屋敷に招くことにしましたとか、とにかく何でもいいからグラッドの屋敷の人間を安心させるようなものを書いて送ってほしいんだ」
「そんなのならお安い御用だけど。うちの紋章が入った手紙ならおまえのところの主人は拘束している、とか書いちゃっても向こうはなんにも言えないと思うんだけどね。……冗談だってば」
赤茶の瞳を燃やすように睨むカレンにたじろぎ、さすがのラッセルも軽口をたたくのをやめた。
仲間がグラッドを地下室に連れて行き、ふたたび反乱勢はジェイクやカレンを中心に計画を練った。主に、ローザの潜入についてだ。こんどこそラッセルも真面目な顔で参加し、ミルは再び扉の見張りについた。
「ローザには、城のあらゆる情報を集めてきてほしい。特に、内部の構造、間取り。兵士たちの配置や数、交代の時間……どんな些細な事でもいいから、できるだけ多く見てきて」
ローザがうなずく。真顔だが、特に緊張した様子はない。こういった任務には慣れているのだろう。
「カレン、悪いけど少し俺しゃべっていいかな」
「ええもちろん」
ジェイクが申し出た。皆、なんだろうとジェイクを注視する。
ジェイクの表情は硬い。そしてなかなか喋り出さなかった。いつもと違う彼の様子に、水を打ったように場が静まり返る。何か重大なことを聞かされるような予感がしたカレンは、汗ばむ手を握りしめた。
「あくまで、伝説みたいな話なんだけど……王家に伝わる、魔術書がある」
魔術書。
夢物語のような言葉に、ぷっと噴き出したのはラッセル。
「何言ってるんだい、少年? 確かに君が昔王城にいたのは事実だけど、そんなのお伽噺だよ。どうして信じるんだい?」
ほかの仲間たちも困惑した顔をしている。それでもジェイク続けた。
「俺もそう思うけど、やっぱり軽く扱えないような気がして。小さい頃、勝手に国王の部屋に入ったとき、小さな本があったのを覚えてる。すぐつまみ出されたけど、あのとき何かものすごく気持ち悪い感じがした。……それだけなんだけど、ああ、やっぱりこの話、忘れてくれ。ごめん、変なこと言って」
次第に声を小さくし、自信なさげに話すジェイク。皆肩透かしを食らったようだが、カレンは真剣な顔をしていた。
「いえ、それは確認しておくべきだと思うわ。レーヴェスの歴史は古く、伝説は侮れない」
「じゃあそれも、ローザに調べてきてもらえばいいんじゃない?」
「そうね。ローザ、仕事が増えるけれど、頑張ってほしい」
月が高くのぼっていた。夜がふけないうちに、反乱勢は解散した。