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八百屋の王子

  暗い教会の、もっともっと暗くてじめじめした地下の物置。じたばたと暴れる太った紳士を、数人の男が取り押さえている。


「ほら、もういい加減あきらめろ。殺したりしねえからよ」


「嘘だ! 秘密を知ったからには生かしておくわけにいかんとか、どうせそんなこと考えてるに決まってる!! 縄をほどけ! 誰にもここのことを喋ったりしないから、お願いだ!」


 グラッドの抵抗もむなしく、物置には見張り役の男が一人残され、他は出て行ってしまった。


「あ、ああ……」


 かび臭い地下室に、グラッドの悲痛な声だけが響く。

 



 上に戻った男たちは、ジェイクに無事にグラッドを閉じ込めたと報告した。彼は「ありがとう」と言って、先ほど仲間に加わった少女、ミルに目を向ける。


「どうして、グラッドと知り合った? あとついでに、今までどこで何をやってたんだ?」


 これを聞いて皆に説明しないと、さすがに分かってもらえないだろう。仲間たちはずっとジェイクを信じてきてくれた。しかしそんな彼らでも、突然自分たちの居場所を嗅ぎ付け、見張りのトムを倒して侵入したミルを何も言わずに受け入れてはくれない。


「道を歩いていたら声を掛けられた。これまではソル王国にいて、特に何もしてない」


 ミルはこれ以上ないほどに簡潔に答える。どうやら余計なことは喋らないらしい。

 短い返事には、興味をひかれる単語があった。――ソル王国。過激な内乱で国土は灰と化し、内乱が終わった今も国民は苦しい生活を強いられている国。王族は逃亡し、無法地帯になっている、混乱を極めた国。そんなところから来たのか。ジェイクは軽く衝撃を覚えた。


「ソル王国で、一人でいたのか? どうやって生活してた?」


「次から次と、聞くことの多い奴だな。その通り、一人でいた。大体は人の武器やらを奪って金にしていた」


「なっ……奪ったって!」


 強盗してたのか、と言いかけて、ジェイクは口をつぐんだ。だってあの荒れに荒れたソル王国だ。生きるためにしていたことを、非難できない。誰かから何かを奪わないと生きられないほどの状況には直面していないジェイクには何も言えない。

 言葉を失っていたジェイク。だが、不意に誰かが思いついたように声を出した。


「あっ……もしかして、“死神”じゃないか? ソル王国に伝わる噂の……」


 “死神”の単語を出した金髪の青年のほうをぎろりとミルが睨んだ。正確には睨んだわけではないのだが、青年は思い切り怖がって、先ほど壁に縫いつけられたグラッドのように固まってしまった。


「“死神”って何だ? 大丈夫、固まらなくていいから説明してくれない?」


 ジェイクはすっかり興味をひかれ、青年に説明を促す。青年はまだしばらくの間「あ、あ、あ」と混乱していたが、やがて決心したように喋り出した。


「えと、まだソル王国が内乱の状態にあったころ、いつも後ろに屍を連れているって言われた女の子がいたんだ。えっとその……み、短い黒髪で。噂が流れ始めたころは十歳かそこら。ソル王国では結構、有名な話らしい……」


 本当に言ってよかったのかと額に冷や汗を浮かべ、自分に刃物が飛んで来やしないかと心配する彼を哀れに思い、ジェイクは「ありがとう、もういいよ」と話を切った。

 その場の空気が明らかに重たくなっている。青年の話は恐ろしいものだった。そしてその噂の主が、今同じ空間にいるのだ。全員の視線が、ミルに集中する。


「言っておくが、手当たり次第に人を殺してたわけじゃないからな。正当防衛だ」


「向こうから襲いかかってきたのか」


 改めてミルのいた国の惨状を知らされる。比べるのは不謹慎だが、レーヴェスはまだ安全なほうなのか。

 絶句するジェイクをよそに、今度はカレンが何か言いたげにミルに近寄った。


「それで、あなたはその“死神”なのね?」


 真摯に見つめる茶色い瞳には、緊張の色が浮かんでいる。怖さを抑え込んでいるのだ。

 ミルはこくりとうなずいて噂の“死神”であることを認めた。誰かが「ひっ」と漏らした。


「何度も言うが私は敵じゃない。国王を追い出すんなら、国王に味方する奴は全員殺ってやる」


「ずいぶん物騒な考え方なのね」


「普通だ」


 全員殺ってやる、とは普通の人間は言わない。いったいどこまで苛酷な人生を生きてきたのか。カレンはまだ心配だった。見張りを倒した時の素早さや、グラッドの服だけを狙って刃物を投げたときの命中力などから考えても、ミルの戦闘能力は相当なものだろう。彼女が仲間に入ればかなりの戦力になる。だがそれだけに、もし国王側だった場合は悲惨だ。全滅させられかねない。

 だというのに、なぜかカレンもすんなりとミルを受け入れそうになっている。ジェイクが言った、「嘘をつきそうに見えない」という言葉。あれは、当たっている。こうして目を見て話すと自然にわかる。まっすぐで素直な、前しか見ない人間。

 カレンはふっと息を吐いて、緊張を解いた。そしてミルに片手を差し出す。


「よろしくね、私はスカーレット。みんなはカレンって呼んでるわ」


 握手の経験がまともにないミルはどうしていいかわからないような顔をする。周りの仲間と言えば、カレンまでもがミルを歓迎したのでこちらも困惑した表情を浮かべている。


「じゃあ、今日は新しい仲間が一人加わったわけだ。あ、二人か。一応あのオッサンにも協力してもらうからな」


 リーダーの一声で、その日は解散になった。







 月明かりに照らされながら、ジェイクは家路を急ぐ。


(母さん、また寝込んでないかな)


 病弱な母親の顔が浮かぶ。荒れてひび割れた手も、苦労で刻まれた皺も。

 そうして早足で歩くうちに、自分の家が見えてきた。狭くて古い、八百屋の二階。ジェイクは下の八百屋で働いている。陽気な赤ら顔が特徴的な店主はもう何年も前、行き場をなくしていた自分と母に親切にも声を掛けてくれた。それからここが自分の家になった。

 しかし今でも時々、この家を見るたびに思い出す。華やかな城を追われ、城下町に放り出され母と二人、絶望的な気持ちでこの通りを歩いた日のことを。

 店の横にある、二階へと続く階段を上る。ぎしり、と音を立てる、今にも割れそうな腐りかけの木。そんなものでも慣れてしまえば平気になるから不思議だ。

 同じく腐りかけた木の扉を押し開く。狭い室内にあるバッドには案の定、母が横たわっていた。母はジェイクに気付くと、弱弱しい笑顔を向けてきた。それがかなり、痛々しい。心臓のあたりがちくりと痛むのを抑える。


「ただいま。母さん、大丈夫か? 薬はもう切れてたっけ?」


「ええ、大丈夫よ。お薬なら今日貰ってきたわ。心配しないで」


 大丈夫、と言った矢先に、母が咳き込む。ジェイクは知らず知らずのうちに唇を噛んでいた。

 寝込む母の姿を見ると、いつも思い浮かぶ顔がある。威厳に満ち溢れた、しかしその威厳を決して良いほうには使用しない、この世で最も憎い男の顔。

 唇を噛みしめながら思い浮かべるその憎い男は、紛れもない父親だった。

 現国王である、アントニオ・レーヴェス。自分の父であり、母を捨てた男。

 あいつさえ――あいつが、あんなことさえしなければ。


「ごめんね、ジェイク」


 はっとした。いつになくか細い声で謝る母。

 もしかして、今の心でつぶやいたことは口に出ていた? あいつが、あんなことさえしなければ。その言葉を聞かせてしまった? 

 まずい。きっと母は、自分のこととしてとっているに違いない。


「母さん! 今のは違う、母さんのことじゃない!! 親父のことだよ!」

 

 必死で否定するがもう遅い。もっとも母はジェイクの言い分はわかっているだろう。息子は自分を責めたりしないと信じてくれてはいる。

 しかし、ジェイクの言葉によって思い出してしまったであろう過去は、また一晩中母を襲うのだ。

 自分の不注意さを呪いたくなる。


「母さんが、陛下にあんなことを言わなければ、きっと今もお城で暮らしていたかしら」


 遠い目をして、母が言う。

 こんなにみすぼらしくなっても、側室として王宮で暮らしていた母の優雅さは失われていない。それが余計にむなしい。狭くて汚い一室に似合わない、華やかな母の存在。また国王の顔が頭をよぎった。

 ああ、消えろ。消えてしまえ。

 頭を振って、思い出したくもない顔を追い出そうとする。


「どうしたの?」


「……なんでもない。もう寝るよ。母さんもしっかり休んどきなよ」


 もう十分休んだわ、と鈴のように笑い、内職道具を取り出す母。冗談じゃない。弱っているうえに夜更かしなんてしたらまた体調を崩すに決まっている。


「だめだ。俺がやるから」


 母の手から内職道具を取り上げる。帽子やら小物やらに、針と糸とはさみ。裁縫仕事だ。最初は全くできず、何度も指に針を刺して血が出たが、もう慣れたものだ。すいすいと縫い上げていく。


「ごめんね、あなたは本当に頼りになるわ……母さんももっとしっかりしないと」


「いいよそんなの。もう寝な」


 ちくちくと無心に針を進める。いつのまにか憎んでも憎み切れない父親の顔は頭から消えていた。

 だから内職は好きなんだよなあと思ううちに、ジェイクは夢の中へ誘われていった。

 

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