雇われた"死神"
肩で切り揃えた黒い髪を揺らしながら、早足で歩くその少女が通ると、市場で買い物をしていた人たちは皆一歩後ろに下がった。腰に剣を提げた黒装束の少女。そんな格好では、市場で目立つのは当然のことである。眉をひそめて少女を怪訝そうに見る
者、目を大きくして驚いたような顔をする者、明らかに怖がる者。
面白い反応だな、とその注目されている本人ーーミルは思った。数ヶ月前までは、姿を見せただけでどんな者でも一目散に逃げて行ったのに。平和なことだ、この国の奴らは。
ぱっちりした大きな丸い目に艶のある黒髪、色の白い肌。しなやかな身体は怪しげな黒装束をいとも簡単に着こなし、腰に提げた剣もまるで宝飾品のように見える。ぱっと見ればミルは、間違いなく美少女である。
しかしそれはあくまで、彼女の通り名を知らない者が抱く感想だ。"死神"。不気味なことこの上ないが、そう呼ばれるに至った経緯はもっと恐ろしい。暗殺者として育てられたミルはわずか十歳にして、体格のいい男をいっぺんに何人も殲滅してしまう戦闘能力を持っていた。「通った道に必ず屍を転がせている」という表現は決して大げさなものではなかった。
とはいえ、ミルは誰彼構わず血祭りにあげて快楽を得るような、残酷な殺人鬼ではない。
無法地帯だったミルの故郷の国では、百歩歩くごとに強盗や人殺しに遭遇し、そんなならず者を撃退しているうちに噂が広まってしまったのだ。あちこちの集落を襲い悪事を働いていた者ばかり倒していたので、"死神"に感謝する人々もいた。集団戦に長けた山賊が十人がかりでかかってきても、怯まずに立ち向か
い、あっさりと倒してしまう化け物ではあったが。
そして今、"死神"ミルは荒れ果てた故郷を捨て、隣国レーヴェスへと辿り着いたのだった。
レーヴェスは、国民の半分が骨になったような国と比べれば平和、なのだが。
「あれっ、もうパン売り切れたのかい!」
バスケットを提げた買い物客の女が言った。まだ昼前だというのに、パンを売っていたその店は空っぽだ。そばかすだらけの売り子の少女が申し訳なさそうに言う。
「すみません……最近小麦が入ってこなくて。焼いた分はすぐに売れちゃいました」
「ああー、農作物も相当絞り取られてるって聞く
ね。うちの親戚も農家なんだけど、やつれた顔してたわ。まったく、女王陛下の時代が懐かしいよ。あの無能国王の城、ぶっ壊してやりたいね」
「そっ、そんなの兵士に聞こえたら大変です
よ!!」
売り子の少女は顔を青ざめさせ、ひそめた声で必死になって客に注意する。なるほど、少し離れたところに銀色の鎧を身につけた兵士が立っているのが見える。
どうやらこの国もあまり穏やかではないらしい。本来なら賑やかな、活気に溢れかえっているはずの市場には殺伐とした空気が漂っている。
「……暗殺者が儲かるかもな」
市場を通り抜け、ひっそりとした民家が並ぶ通りに出たミルは、ポツリと呟いた。内乱が続いていた故郷ソル王国では、暗殺者であった父はひっきりなしに依頼を受けていた。幼かったミルも、たまに家に帰ってきた父親の黒装束にこびりついているものは何か、言われずとも分かっていた。国が乱れているときは、物騒な職業が儲かる。
独り言のつもりだった。しかし、返事をする声が後ろから聞こえた。
「そうだ、その通り。こんにちは、お嬢さん」
声の主がいる後ろをばっと振り返る。長年の癖
で、ミルは剣の持ち手に自然に手をかけていた。
目に危険すぎる光を宿したミルを制するように、声をかけてきた恰幅のいい中年の紳士は両手を振って見せる。おどけた調子だが、額には汗が浮かんでいた。ミルが放つ殺気は尋常なものではない。
「勘弁してくれよ、お嬢さん! 怪しい者ではないんだ。本当だよ、だから剣から手を放してくれ……」
焦りや恐怖からか、上ずった声で紳士は叫んだ。
確かに、羽虫も殺せなさそうな男だ。怪しいかどうかは別として、何の脅威にもならない。男の懇願通りに、ミルは無意識のうちに握っていた剣を手放す。
「何だ」
「いきなりだが、お願いがあるんだ。君がソル王国で噂の"死神"なんだろう?レーヴェスにやってきたって情報は本当だったんだな」
「お前、何者だ?なぜ私のことを知ってる」
再び殺気を放ち、紳士を睨む。
少しばかり怪しい格好をしているが、ミルは普通に街を歩いていただけだ。レーヴェスに入ってから抜刀したことはない。隣の国にまで、"死神"の噂が伝わっているとは驚きだが、それにしてもどうして会った事もないのに、血生臭い世界とは無縁のようなこの男が、自分のあだ名を知っているのか。
「ここでは都合が悪い。私の屋敷へと案内するよ、だからそこで話そう」
紳士は二重顎をさすりながら提案した。
「断る。今ここで話せ」
「……こんな道のど真ん中で、暗殺者に仕事の依頼なんてできないだろう? 頼むよ、こんなに勇気出してるのに……」
暗殺者。
その単語に、ミルは敏感に反応した。父親の職
業。そして、自分もなる予定だった職業。
そういえば、自分が呟いたのだった。「暗殺者が儲かるかもしれない」と。その上剣を携えた黒装束では、そう思われるのも納得がいく。
仕事の依頼。十中八九、危険な任務だろう。引き受ければ結構な金が手に入るかもしれない。ソル王国を彷徨い歩いていた頃、襲いかかってきた者達から奪った剣やら棍棒やらを売った金も、底をつきかけている。
上質な服に、たるんだ身体を包んでいるその紳士を鋭い目つきで見ながら、ミルは返事をした。
「いいだろう、案内しろ。でも不審な動きをしたらすぐに叩き斬る」
この上なく物騒な返事に、紳士は目を見開き肩を震わせた。ただの脅しではなく、ためらいもなく本当に斬りかかってきそうな口調だ。紳士は自分の首に剣を突きつけられているような錯覚に陥りながらも、何とか馬車を拾い、ミルに乗るように促した。
「遠いのか、屋敷は」
初めて馬車に乗るミルは、窮屈そうに顔をしかめながら問う。
「いや、それほど離れてはいないよ。……い、一応言っておくけど、連れ去ろうとかそういうつもりでは全くないから……!!」
びくびくしながら答える紳士を一瞥し、ミルは流れる景色を眺める。随分速いものだな、と思った。歩けば相当な時間がかかるというのに。
しばらくして馬車が止まった。屋敷に着いたのだろう。降りてみると、目の前に大きな家が見えた。
「ここが私の屋敷だ。さあ、入って」
門をくぐり抜け、噴水のある、広い庭を進んで行く。紳士が玄関の前に辿り着くと、待っていたかのように扉が開き、中から丸眼鏡をかけた執事が顔を出した。その執事は「お帰りなさいませ」とだけ言い、奥へと引っ込んだ。
通された部屋は、入ってすぐの応接間だ。重厚な調度品や大きな絵画のある、ミルが見た事もない豪華な部屋。紳士が扉を閉めて、椅子に座るように言った。座面がふかふかとした大きな椅子。
「……立ったままでいい。こんなもの落ち着かな
い」
「そ、それならいいが……。やはり、何年間もソル王国からレーヴェス目指して歩いたというのは本当なのか……」
紳士が驚嘆したように呟く。ミルは怪訝そうな顔をして、疑問を全てぶつけた。
「さっきから何なんだお前は。どこまで知ってるんだ? どこの誰から聞いた」
「あ、いや、どうか穏やかに聞いてくれ。……ごほん。私はここら一帯を取り仕切っている貴族でな、ここは国境に近いから、隣の国の情報もある程度入ってくるんだ。君のことは、数年前にソル王国から亡命してきた商人から聞いた」
一旦言葉を切った紳士に、ミルは先を促す。
「それで? なぜ私を見ただけでその噂の主だと分かったんだ」
「あー、まず、外見的特徴が一致していたからか
な。黒髪はレーヴェスでは珍しい。それに、剣を持ってる女の子なんて滅多にいない。多分そうだと思ったんだ」
黙って聞くミルを見てようやく信じてもらえたと思った紳士は、本題に入ることにした。
「えー、私の名前はグラッドだ。グラッド•ストーンヒル。君は何ていうんだい?」
「ミル」
「そうか。じゃあミル、この国に今反乱勢が密かに結成されているのは知っているかい?」
グラッドはやや声を落として、ゆっくりとミルに問い掛けた。
「知るわけないだろう。私がレーヴェスに来たのはつい最近だ。……で、その反乱勢を潰せと?」
「いや、そこまではしなくていい。奴らの居場所を突き止めてくれるだけでいいんだ。そこで私が陛下に伝えて……」
嬉々として語るグラッド。その目に見えているのは、反逆者たちを捕えた功績を称えられる自分の姿だろうか。まったく、ろくでもない奴についてきてしまったものだ、とミルは呆れた。
反乱勢。国王に牙をむき、王座から引き摺り下ろしてやろうと計画する者たち。
市場での、買い物客とパン屋の少女のやり取りを思い出す。彼女たちの会話では、国王はさんざん叩かれていた。どうやらろくな政治を行っていないらしい。国王の味方は国民の敵、国民の味方は国王の敵かーー。
「……それで、報酬はいくらだ?」
「二十万レーヴでどうだ?」
二十万レーヴ。ちなみにパン一個はだいたい三十レーヴだ。一つの任務に払うには、かなりの大金。そんなにしてまで、国王に認められたいのか。
ややあって、ミルはゆっくりと頷いた。
「いいだろう」
グラッドの顔がぱっと輝いた。
「……ここが、城下町だ。北に見えるのが、陛下の住まわれる城。この街のどこかに、反乱勢がいる」
馬車に再び揺られること数時間。辺りが暗くなり始めた頃、ミルとグラッドは遠く離れたレーヴェスの都に着いた。
「城壁に囲まれているのが、城下町か? 狭いんだな、すぐ見つかるぞ」
「ああ、しかし奴らも馬鹿ではないだろう。思わぬところに潜んでいるに違いない。よろしく頼むよ、ミル。私はここで待ってるから見つけたら伝えに来てくれ」
「お前も来い」
「は?」
予想もしない言葉に、グラッドは呆然として間抜けな声を出した。
「お前も来い、と言ったんだ。今日会ったばかりの奴のことを信じるのか?」
"死神"の威圧感ある声に気圧されて、グラッドは何も言えなかった。固まる彼を尻目に、ミルはついて来いと言わんばかりに歩き出す。どうしたものかと、しばらくグラッドは迷っていたが、やがて仕方なく足を踏み出した。
さすが都というだけあって、人の数が多い。田舎の市場では目立っていたミルも、たまに視線を送られるだけだった。もっとも、ただならぬ雰囲気の、剣を携えた黒装束の少女が都では一般的、というわけでは断じてないが。
完全に日が落ち、通りに出ている人の数もまばらになった。
街のあらゆるところに視線を走らせ、早足で歩くミルの後ろを歩くグラッド。日頃から馬車での移動が多く、用事も殆ど召使任せの彼にとって、長時間の歩行は苦しいものだった。ひいひいとあえぐ後ろの中年男のことなど全く気に掛けずに探索するミルに、とうとうグラッドは声を掛けた。
「す、少し、休ませてくれ……ふう、ふう、足が棒になりそうだ」
「何を言ってる。……もう少し我慢しろ、そろそろ見つかる」
呼吸を整えることに集中していたグラッドは、ミルが「そろそろ見つかる」と言ったのを聞いて、ゴホゴホとむせ返った。
「ほ、本当か!?」
「静かにしろ」
「すいません……」
逆らうと冗談抜きであの世行きになる。だからグラッドは余計な事を喋らないように手で口を押さえたが、溢れる期待でつい笑い声が漏れた。すかさず振り返ったミルが、呆れた顔で言う。
「……お前には緊張感というものがないのか」
「すいません……」
ため息をつくミル。しかしその顔が一瞬にして真剣なものに変わる。彼女の周りの空気まで、身を刺すような鋭さを帯びた。
「あそこだ」
グラッドはミルが目で示した方向を見る。そこには、民家に挟まれた古びた教会があった。外壁には緑というよりは黒に近い蔦が絡まり、民家との間には細く真っ暗な路地がのびている。いかにも不気味な教会だ。古めかしく重たげな扉は、何百年も閉じられたままのように見えてしまう。
「どうしてここなんだ?」
まさか自分もこの中に入れと言われるのではないかと内心びくびくしながらグラッドが問う。
「さっきから横の路地に入る連中がちらほらいる。俯きながら。それに、中から話し声が聴こえるだろう」
言われて耳を澄ましてみるが、グラッドにはさっぱり聴こえない。どんな聴力だ?
「入るぞ」
躊躇なく言い放ったミルに、グラッドははっとして慌てて彼女を止める。
「待て! どうするつもりだ!? 奴らの根城を突き止めるだけでいいんだ! こんな正面から入ったら怪しまれるに決まってるだろう!」
必死に訴えるグラッドを冷たい目で見やり、「面倒臭い」と吐き捨たミルは彼の腕を掴んで引っ張った。重たいはずのグラッドの身体は細腕にいとも簡単に引きずられていく。
「おい! やめるんだ、命令違反だ!! 聞いてるのか、"死神"!!」
"死神"と、慣れ親しんだあだ名を呼ばれたミル
は、顔を陰らせ、薄笑いを浮かべた。