プロローグ 屍の世界から
そこには、"死"そのもののような光景が広がっていた。
荒涼とした大地。飛び回る黒いカラス。冷たい風が吹くたびに、転がっている屍の破れた服がはためく。辺りには死臭がたちこめ、灰色の雲が蓋をしているかのようだ。壮絶な戦の舞台となった地。いったいどれほどの血が流れただろう。無数の骸の血を吸ってなお乾いてひび割れた地面は、もっともっ
と、と人の血を欲しているのかもしれない。
そんなところに、カラス以外にも動くものがあった。十才くらいの少女だ。カラスと同じくらい黒い髪は肩で切りそろえられ、淀んだ太陽を受けて藍色に光っている。
ふらりふらりと歩くその姿は頼りなく、そのうち少女もこの"死"の光景を形作るパーツとなるように思われた。
しかし、少女の足は止まらない。一心にある方向に向かって歩き続けている。
しばらくして足を止めたのは、一体の屍の前だった。
無表情にその屍を見下ろす少女。真っ黒な瞳はかすかに潤んでいる。
少女がじっと見つめるその屍の手は、しっかりと何かを握りしめている。
鈍く光る、一振りの剣だった。
「父さん、これはもらってくからね」
少女は剣に手をのばし、屍となった父親の手から引き抜いた。
近くに落ちていたその剣の鞘を拾い、刀身をそっと納める。
少女はまた歩きだした。歩き続けるうちに辺りが暗くなっても構わずに。
すっかり日が暮れた頃、少女の前に三人の男がぬらりと現れた。その目はどろりとしており、そして獣のようだ。
長く続く内乱で荒れきったこの国は文字通り無法地帯になっており、身ぐるみを剥がれるなど日常茶飯事。何処からか出てきたこの男たちも、生きるために非道を行うつもりなのだろう。
唸り声を上げ、一人が棍棒を振りながら少女に襲いかかる。
俯いていた少女の瞳が、仄暗く陰った。
数秒後、全てが終わり、その場には三人の男の死骸だけが残された。
苦悶の表情を浮かべる死骸を振り返りもせず、少女はまた歩きだす。その小さな体には不釣り合いな程大きな剣を、大事そうに抱えて。
数年後、内乱は終わりを告げた。しかし荒れ果てた国に光がさす気配はなく、人々は身を隠すように生きていた。
そして、絶えない略奪や殺人に怯えながら暮らす人々の間ではある噂が囁かれていた。
「こらっ! いいかげん戻って来ないと"死神"に命とられちまうよ!」
崩れそうなあばら家の中から母親がそう叫ぶと、表で水を汲んでいた子供は一気に青ざめ、家の中へと入った。
「かーさん、来ないよね? "死神"…」
「あんたがトロトロ水汲みしてるから言っただけだよ、安心しな」
"死神"。
まだ内乱の最中、今よりもっと強盗や殺人が多かった頃。
歩いた道のりに必ず屍を転がせているという少女がいた。少女だからと見くびって襲いかかった者たちはことごとく殺され、いつも屍を連れているようなその姿から少女は"死神"と呼ばれるようになっ
た。
"死神"の行方を知るものは誰もいない。しかし噂は語り継がれ、現在も口にしただけで皆青ざめるほど恐れられている。
「やっと、着いた」
山を降りた一人の少女。
何年かかったことだろう。内乱でぼろぼろになった故郷の国を出て、やっと目指していた国へと辿り着いた。
ーーそれにしても。
「この剣には、随分世話になった」
真っ黒な瞳を腰に提げた剣に向け、その少女ーー"死神"は、うっすらと笑った。