8.これが幸せ
※糖分過多注意!
※少量の艶(を感じるかもしれないので)注意!
「ヴェルンハルト様、机に向かってガリガリガリガリするだけの職務はどうされたのですか?」
「……休憩してんだよ」
侍女のようにこざっぱりとした服装で菜園の面倒を見ているお嬢さんの後ろで、背後霊のように付いてくる城主様に、お嬢さんは呆れたような声で問いたのでした。
「あと言っておくがな、俺は優秀だが下っ端も優秀で、だからガリガリ署名するだけで大体大丈夫なだけなんだよ。俺を無能扱いすんな」
「分かっておりますよ。ヴェルンハルト様は全てにおいて秀逸された御方。剣の試合でも優秀な成績を残すも偏頭痛のせいで欠場されてしまいましたが、文武両道で小鳥どころかカラスにまで愛される方ですもの」
「お前が俺を嫌いだってことがよく分かった」
「あら、誤解されてしまいましたね」
軽口をしながら苺を摘むと、お嬢さんは片手で持ったバスケットの中に、
「貰った」
……入れる前に、城主様がその手をとって口の中に放り込んでしまいました。
その手には―――青い、お嬢さんに与えられた指輪と、同じ指輪が輝いています。
「……ヴェルンハルト様、これは私用のなんですが」
「はんっ」
「勝手に奪っておいて何ですかその反応は。今日はヴェルンハルト様の嫌いなアスパラガス盛りだくさんコースですからね」
「おい待てふざけんな。アスパラとか食いもんじゃねーだろ」
「アスパラさんに失礼ですよ」
「失礼も何もな―――んぐっ」
「小さいのであげますよ」
「酸っぱ!?」と口に手を当てる城主様に、お嬢さんは「よく味わってくださいねー」と声をかけ、ご自分は大きく実った苺を優しく摘んで籠の中に入れます。
城主様は恨みがましそうに見て―――むぅ、と眉間に皺を寄せました。
「……お前、指輪は?」
「え?部屋ですが」
「何で部屋に置きっぱにしてんだよ!あれは……アレだ、普段から付けてろ!」
「あら、それはもしかして…」
「ち、ちが…俺だけ付けて馬鹿みたいだろ!」
「私はそんな"お馬鹿さん"な所が愛しいです」
「んなっ」
「―――なんて、ね。…土で汚れてしまうのが心苦しくて、大事に閉まっていただけですよ」
「―――~~っ」
「これが終わったら、綺麗な指に嵌めてずっとニヤニヤしていたいです」
「すんなばーか!」
「あら、じゃあ嵌めないという―――」
「嵌めろばーか!」
「ふふっ、じゃあ嵌めますね」
例の劇場以来、二人はだいぶ距離も縮まってきました。
城での生活にも、「こういう日々」にも慣れてきたお嬢さんはさっそく城主様をからかっていますが、城主様は特に不快でもなさそうです。
「………か」
「え?」
「……今日のご飯…アスパラなのか」
「………」
「………」
「……ふふっ」
「!」
―――そして、最近のお嬢さんは薄ら頬を染めて、隠しも取り繕いもしない笑みを見せてくれるのです。
「机に向かってガリガリしているだけのヴェルンハルト様。入りますよ」
「入んなばーか。一生扉ガリガリしてろばーか」
「あら、折角三時のお菓子を持って来ましたのに…」
「……爺、入れてやれ」
「ほっほっほ、了解にございます」
命じると同時に書類の三分の一を押し付けると、城主様は踏ん反り返って入室者を迎えます。
気を利かせてお嬢さんを招いた執事長は一礼の後、静かに部屋を出ていき―――真新しいバスケットを抱えたお嬢さんと不機嫌な顔を取り繕った城主様だけが部屋にいました。
「何でバスケットなんだ」
「お外で食べようかと…でもまあ、曇り空になってしまったので―――此処に置いても?」
「いいが…なんだ、あれ…お前が作ったのか?」
「そうですよ。ほら、」
「苺のタルト…」
「ヴェルンハルト様の所の土は本当に良くてですね、この子達も実りがよくて助かりました」
「……ああ、さっき摘んだ…」
「ええ、ヴェルンハルト様がつまみ食いした苺ですよ。切り分けますのでもう少し片付けて下さいな」
「…ソファとテーブルがあんだ、そこで食えばいいだろ」
「良いんですか?」
「"二人で"食うんならこっちの方がいいだろ」
そう言ってバスケットの中の温められたポットとカップを引っ張り出すと、ソファの手前のテーブルに置いて淹れてしまいました。
お嬢さんはその姿を数秒見守った後、くすりと笑って城主様の隣に座ります。
「俺のは大きめに切れよ」
「おかわりすれば良いでしょうに」
「切った瞬間から味が落ちてくんだ。なら最初っから大きめに食いたいだろ」
「じゃあこれくらいで」
「……それはデカ過ぎだろ」
ふざけたお嬢さんの、指輪を嵌めたその手に大きくてごつごつした、男らしい手を乗せると、城主様は「こんくらい」と切ってしまい―――「お前のはこんくらい、」とほぼ同等の大きさに切り分けてしまうまで、お嬢さんは動きが止まってしまいました。
「…太っちゃうじゃないですか…」
「はっ、そん時は"雌豚"って罵ってやるよ」
「じゃあ私の分も差し上げますよ。そして太ったあなたに"豚城主"と囁いてあげます」
「言っとくが俺はなかなか太らねー質だからな」
「…私も、なかなか太りませんもの」
「ほーぅ?」
今度は拗ねてしまったお嬢さんに、城主様はニヤニヤとしながらタルトを口に放り込みました。
お嬢さんは「"いただきます"も無しですか…」と内心思いつつ、タルトに手を着けません。
「おい、食えよ。不味くなんぞ」
「…差し上げます」
「何拗ねてんだ」
「拗ねてまーせーんー」
「うっぜーな。……ほら、口開けろ貧乏が」
それでも開けないお嬢さんの唇に無理矢理タルトを押し付けてくる城主様。
お嬢さんは意地でも開けないと耐えていたのですが、ドレスに落ちてしまいそうなのを見て、慌てて口を開きました―――ああ、悲しきかな貧乏。
「むぐっ。……もぐ」
「お前口周り汚いぞ」
「もふっ…あなたが押し付けるから…!」
「開けないお前が悪いんだよ」
「むぅ…」
じーっと睨むお嬢さんを無視して、城主様は二口目を切り取ってまた頬張ります。
目線はタルトのまま、フォークを咥えたまま。城主様は咀嚼の後、言いました。
「美味しいな、タルト」
いつかの日のように誘導する訳でも、言えとせっついた訳でもないのに、城主様は何てことのないように言うのです。
そして思わず目を見開いたお嬢さんの方を向くと、その間抜けな顔に苦笑いして、腕を引っ張って……。
*
ふと目覚めた時、お嬢さんの傍に城主様はいませんでした。
少し冷えた空気はお嬢さんの頭をすっきりさせて―――なんだか、何てことのないように思わせました。
―――思えばその予兆は、確かにあったのです。
不安で嫉妬した日から。
唇を許してもいいかと顔を近づけて。
名前を呼べと言われ、隣を許してくれて。
重々しいドレスを選んでくれて。劇場に連れてってくれて。
――――指輪を、くれた。
『今度の休みにでも、美術館に連れてってやるよ』
お嬢さんがそう眠りの海に落ちてしまう前に、城主様は確かに約束してくれました。
今は此処にいない、連れない人だけれど、お嬢さんは。
その不器用さが愛しいと――――
がたがたがたっ
「…風、強い…」
甘ったるい思考を咎めるような強風に、お嬢さんはとりあえず髪を手櫛で梳いて、さっさと身づくろいをすると執務室に顔を出します。
あら、いない…と何となく周囲を見渡すと、棚の隅の隅にいつも追いやられている鍵の束が、ありませんでした。
『ねえ旦那様、この鍵の束は…?』
『宝物庫やら地下牢やらの鍵だ。何回か点検しないといけないものがあって―――めんどくさいから置きっぱなし』
『不用心ですねぇ』
『……ちなみに部屋は鍵と同種の錠前で開く。…つまり、銀の鍵なら銀の錠前ってな』
『え、そこまで聞いてないんですが』
『お前な、物欲ってモノが無いのか。もう少し喰いつけよ、逆に不安になんだろ』
『そうは言われましても…あ!』
『…なんだ?』
『この鍵の束、可愛くないので花飾り付けても』
『却下だ馬鹿が』
………。
…………ということは、城主様は例の"点検"なるものをしているのでしょうか―――こんな、風の強い日に。
今の季節、春とはいえ夜は寒いのです。お嬢さんは近くに落ちていたガウンを胸に抱き上げると、廊下に出ます。
とりあえずそれらしい所を歩き回ろうとして数歩歩くも、あまりの寒さに向こうにある自分の部屋にかけ込んで、マフラーを引っ張り出したのでした。
*
おやおや、何だか旗色が……。