7.劇場にて、
「これが劇場のオーナー、モントワ―ルくそったれだ」
「よろしくねぇー」
「…い、イリアと申します…ヴェルンハルト様がいつもお世話になっております」
「はっはっはっ!怖がらなくていいよぉ~!そりゃ俺さ外見は熊みたいだけんども、お嬢さんを喰ったりせんから!」
……そう、お嬢さんの目の前で山賊一歩手前の風貌のモントノワール劇場支配人、モントノワール子爵は豪快に笑います。
笑い方がとても朗らかで、子供にすぐ懐かれそうなほどに良い人オーラが溢れています―――が、如何せん「熊」のように大きく眼帯を越えて走る傷だとか何か諸々の事情で山賊に見えます…。
「めんこい奥さん貰ったんだぁねぇ。べーちゃんは幸せもんだ」
「ベーちゃん……っ…」
「笑ってんじゃねえぞド貧乏がッ…テディもいい加減にしろ」
この風貌でテディ―――お嬢さんは「ベーさん」呼びに腹を抱えるべきか分からなくなりました。
お嬢さんは二ヤけそうな顔をモントノワール子爵に向けると、案外円らで優しそうな目の子爵は笑顔を浮かべました。
「今日は俺んとこに来てくれてありがとねぇ。俺ぁこんなんだが、劇自体はイイもんだから、楽しんでってくれると嬉しいよ」
「はい。劇を観たことが無かったのでとても楽しみです」
「こいつスッゲー貧乏だかr…痛!?」
「おーおー、仲睦まじいこった。そんな二人には俺から特別サービスでうんまい飯食わせたるな」
「特別サービス…!」
「…おい、たかがそれだけで目を輝かせるな恥ずかしいから」
「だって特別サービスですよ!?」
魔法の言葉にお嬢さんがキラキラとした目で子爵を見つめ―――むぅ、と膨れた城主様は思いっきりお嬢さんの頬を摘まみました。
「その顔止めろッ無駄にイキイキしやがって!俺がドレスくれてやった時は重いだ葬式だと文句付けてたくせに!」
「あなたも葬式だって言っといて何ですか!私が何に喜びを感じたっていいでしょうっ」
「だから…恥ずかしいだろっまるで俺が何も食わせてないみたいな!」
「あーあー、二人共仲良いのは分かったから。もう席に入ってお話してようなー」
頬から手を放さない城主様の手の甲を抓りながら、二人はぴゃーぴゃーと…白い目で二人を見る他の客に気付いた子爵の剛腕によって、二人は仲良く指定席へと通されました。
指定席―――バルコニー席のふかふかの椅子にどっかり座ってそっぽ向く城主様は、お嬢さんが恐る恐る座るのも見ずにワインを一本開けてしまいます。
慌ててグラスを持って来た給仕から受け取ると、そわそわとしているお嬢さんにグラスを一つ、渡しました。
「……ここで飲んでいいんですか?」
「劇が始まる前ならな。…ほら、貧乏丸出しだからこのワインでも飲んで落ち着け」
「………」
当然ながら余裕のある城主様の言葉に苛々しつつ、お嬢さんはチロッと舌を触れさせるだけでワインを飲みません。…だって酔いが回って初めての劇が台無しになったら嫌ですからね。
下では他の観客達が賑やかに賭け事なり何なりと興じている声が聞こえます。
「……劇場って、もっとこう……」
「―――高貴な物だと思ったか?」
「あ、そんな感じです」
「今じゃあ民衆にも人気だからな、バルコニーから下はお貴族様とは別世界だ。…休憩入っても変な所行くなよ」
「………心配して、くださるのですか?」
「俺の顔に泥塗ったくられたくないだけだ」
「素直じゃない子は可愛くないですよー」
「うっせぇ」
「……あれ、ヴェルンハルト様、その服……」
「!」
「ちょ、私が可愛いと思って付けたあれやそれどうしたんですか―――!」
「……そっちかよ…!」
「あんなに丁寧に直して作ったのに!可愛らしく作り直せたのに!」
「馬鹿たれ、あんな女々しいもん誰が着れるか!着てやっただけありがたく思え!」
「何ですかその反抗的な態度―――!」
「お母さんは悲しいです」と顔を背けるお嬢さんに、城主様は「テメーに育てて貰った記憶はねーぞ貧乏娘がッ」と言い捨ててワインを飲み干します。
新しく注ごうと瓶に手を伸ばしたら、黒い絹の手袋に包まれたお嬢さんの手が城主様に自分のワインを渡しました。
「ワインは嫌いです」
「…だからって残りを俺に飲ませんのか」
「勿体無いではないですか?」
「………お前……いや、もういい。染みついてんだろうしいだだだだだだだだッ」
「そんな事を言うのはこんなお口ですかー?」
「―――~~ッ」
赤くなった顔を擦りながら、城主様はワインを一気に飲み干します―――お嬢さんはそれを見て、「もっと味わえばいいのに…」と勿体無く思いました。
――――代わりに給仕が置いて行った水に手を伸ばし、ちょこちょことお嬢さんが飲む頃にはもう、バルコニー席は鮮やかなドレスで埋め尽くされています。
「……今、『あーあ、何で葬式ドレスなんだろー』とか思ったろ」
「正解です」
「即答すんな。誤魔化せよ」
もう何杯目かのワインを飲む城主様に即答すると、下の方で「もうすぐ開演になります」と伝える声が聞こえ―――どんどん明りが薄暗くなっていきます。
コトンと城主様はワインをテーブルに置くと、だんだん静かになっていく観客に合わせて、小さな声で言いました。
「今度は明るいのにしてやる」
ぶっきらぼうに、城主様は相手の顔も見辛いのを良い事にお嬢さんに言いました。
「…ヴェルンハルト様は、明るいものより暗いものの方が好きなのだと思っていましたが」
「お前の顔が童顔だから、もっとこう……大人びた物が良いと思っただけだ―――まあ、葬式状態になったがな」
「……ドレスを見た時に気づくでしょうに…」
「……お前な、男がドレス選ぶのにどれだけいらん勇気がいると思うんだ」
「あら、ヴェルンハルト様はそんな儚い御心をお持ちだったのですか?」
「俺ほど儚い者はいないな」
「…強いと言ってみたり儚いと言ってみたり…どっちなのですか」
「お前の好きな方にとれ」
「………」
やがてぱったりと静かになった劇場に合わせて、二人は黙り込みました。
小さな人形にも思える歌い手が舞台に出てくるのを黙って見ていた城主様は、不意に服を引っ張られ、
「……じゃあ、次は私と一緒に、選びましょうね」
「……………………時間がかかりそうだな」
そう言い捨てたけれど、服を掴む手は離れませんでした。
*
『――――どうせ私は"売られた"花嫁よ!』
舞台がいっそう盛り上がる頃。
女性の、この劇での決め台詞を高らかに上げる声に何の関心もなくなりつつある城主様―――の視線は、隣で船を漕ぎそうなお嬢さんに向いていました。
(おま…確かに『寝そう』とは言っていたが……)
普通、そういうのは照れ隠しとかで使う―――だろ、とは言い切れないのがこのお嬢さんでした。
「……おい、」
「………」
「…おいって、起きろ、馬鹿」
「………」
「……これ、お前の為にわざわざ取ったんだぞ」
「………」
寝こけていても城主様の服を放さないお嬢さんは、その幼げな顔の通り幼く見えました。
普段は強気というかからかってばかりの彼女の、こうして気の抜けた顔を見るのは初めてで―――城主様は、ハッピーエンドを迎えつつある劇を一度だけ見たあと、
「………おい、"イリア"」
もう、劇が終わるぞと、紅を塗った唇に――――…。
*
「大変です。まったく覚えてません」
「だろうな馬鹿め」
「でもご飯美味しいのでまた来たいです」
「………お前なあ…」
もきゅもきゅと口に入れるお嬢さんに、城主様は呆れた溜息を吐くと肉を口に突っ込みました。
「ヴェルンハルト様は最後まで見てたんでしょう?どんなもんでしたか?」
「どんなもんって……女の好きそうな話だったよ。つまらん」
「へー…結局なんか…金持ちか何かの人とは結婚無しになったんですか?」
「元々付き合ってた男が…ってお前、どこまで見てた?」
「……………」
「黙るな」
急に黙りこんでサラダに夢中になり始めたお嬢さんに、城主様は冷たい目で言います。
お嬢さんはむぅ、と眉を寄せて返答に悩んでそわそわと目を泳がせて―――そんな姿に思わず嘲笑を浮かべた城主様の、蝋燭の明かりできらりと光った指元に目が行きました。
それはいつかの日のルビーではなく、真っ青な宝石に小さなダイヤの粒、……真っ青な宝石の?
「ヴェルンハルト様、その…手の、」
「あ?――――あっ」
「私と一緒……え、もしかして、これって、」
「いやいやいや、何自惚れてんだ、違うから、これはおま…割と安かったんだよ!」
「安物は付けないって言ってたくせに!?」
「そ―――こそこ、高かったんだよ!」
「どっちですかちょっと!」
「―――~~っ、何でもいいだろ、さっさとサラダかっ込んでろばーか!」
「馬鹿って何です馬鹿って!………せっかく、」
「…せっかく?」
「ヴェルンハルト様が、認めてくれたと……思ったのに………」
思わず、城主様の手からフォークが転がり落ちました。
*
ハッピーエンドの旗が立ちそうな……。