6.金を積まれても買えないもの
それは、ある昼の頃。
お嬢さんが部屋でせっせと城主様の服を改造(城主様からしたら改悪)していると、ノックも無しに城主様が部屋を蹴破り―――両手に抱えていたものをバタバタと床に落としました。
「まあヴェルンハルト様。物も大事に置けない子に育てた覚えはありませんよ」
「俺もお前に育ててもらった覚えは無い。…いいからその趣味の悪い手を止めてこの箱の中身を嬉しそうに開けて久々の飯を貰った乞食のように俺を崇めろ」
「素直に『プレゼントやるから感謝しろ』と短く言えばいいのに…」
ふう、と溜息を吐いてお嬢さんは子供の我儘を聞くかのようにのろのろと近づくと、膝を着いて適当に小さな箱から開けて行きました。
「何ですかこれ」
「あ?これはアレ…何だ、頭に飾るアレだろアレ」
「ヴェルンハルト様…」
「おいその憐れむような目を止めろ。……ていうか小さい箱から開けるなよ、普通大きい箱から開けるだろうが貧乏め」
「小さい箱は幸多きものと相場が決まっているではないですか―――あら、」
軽口を叩き合いながらもう一つ箱を開けると、黒と青のドレスが出てきました。
飾りといいドレスといい、どれも細かい所まで丁寧に縫い付けられているし、とても美しいです。どんな馬鹿な人間でも、高価な物だと分かります―――が、
「……重い……」
ドレスが、というか、雰囲気が。
下手すると葬式用になってしまいそうな、何とも危ういドレスです。
「俺が選んでやったんだ。ありがたく泣いて喜んで受け取れ」
「……なるほど、ヴェルンハルト様の趣味はこういう胸元破廉恥な物でしたか…うわー」
「言うほどそこまで酷くないだろ、お前のその芋臭いドレスよりか肌を出してるだけだ」
「でも―――というか、何故に今、こんな重くて派手なドレスを?」
「今夜劇場に行くからな」
「えっ?」
「おら、」とぞんざいに靴の入った箱を開けて艶々とした中身をお嬢さんの前に置くと、城主様は懐から二枚のチケットを取り出してお嬢さんに突きつけます。
「"売られた花嫁"…何ですこれ、喧嘩売ってるんですか?」
「俺の友人が経営している劇場でやるらしくてな」
「私、歌劇なんてすぐ寝ちゃうんですが…ていうかこんな私に喧嘩売ってるような劇なんて嫌です」
「寝るな。ローエングリンと悩んだんだぞ馬鹿野郎」
「そのグリルだか何だかの方がいいです」
「何だよグリルって……それに最後ヒロイン死ぬんだぞ。売られた花嫁だったらまぁ…俺観たこと無いけどハッピーエンドらしいし。女はそういうの好きだろ」
「タイトル変更して下さい」
「無茶言うな」
きゅっきゅっと靴の艶を指先で追いかけて、お嬢さんは気乗りしませんとばかりの態度です。
城主様は「あー…」と濁らせた後、チケットのタイトルとお嬢さんを見比べて言いました。
「しょうがないだろ、この二つしかしばらくやんねーって言うんだ。だったら売られた花嫁の方がいいかと…」
「……」
「あとアレだぞ、売られた花嫁ってヒロインがキレてそう叫ぶくらいでアレ…アレだから、別に当てつけじゃねーから」
「………」
「お、俺だって本当はローエングリンが見たかったし!白鳥の騎士の登場シーン見たかったし!」
お互いそっぽ向いていると、城主様の背後から執事長―――城主様の爺やが「ほっほっほ」と陽気に笑いながら、若い二人に声をかけました。
「奥君、他人に興味の"きょ"の字も無いヴェルンハルト様が三日間もドレスを吟味するほど、楽しみにしていたのですよ。夫婦初めての"遊び"場も何処にしようかと悩んでおられる程に。ですからそんなつれない事を言わずに」
「……三日間…?」
「爺テメっ、余計なこと言うな!」
「おや、でしたらば老いぼれは下がりましょう」
好々爺の執事長が「ほっほっほ」と笑う声が聞こえなくなるまで、二人は沈黙を保ち―――お嬢さんが、不意に口を開きました。
「……何時頃ここを出るのですか?」
「行くのかよ」
「…………偶には、まぁ………ケチ付けに観に行きます」
「付けんな」
「ヴェルンハルト様もちゃんとした格好してくださいね。…あ、ご飯は?」
「劇場でとる。…七時にはここを出るからな。芋臭い姿で出てくんじゃねーぞ」
「芋臭くないですっ所帯染みてると言ってください」
「それはそれでババア臭がするな…まあいい。ちゃんと装って出て来いよ」
どうしても喧嘩口調になってしまう二人は、お互い言うだけ言うと自分の部屋に引っ込んでしまうのでした。
*
「……葬式じゃねーか…」
「言わないでくれます?ご自分で選んだドレスなんですから失敗しても『馬子にも衣装だな』と言うだけに留めてくれます?」
「馬子にも衣装って…普通そこは、」
「ヴェルンハルト様に『綺麗だね♡』なんて言われた日には鳥肌が立つかご病気を疑います」
「お前って日増しに毒舌になってきたな」
「どうも」
「褒めてねーぞ」
ですがお嬢さんのドレスよりもシュールなのが、お見送りの使用人たちのニコニコ顔でしょう。微笑ましそうなその笑顔に、城主様は何度舌打ちされたことでしょうか。
「まぁいい。逆にお前にはこれぐらいキツイ物のが似合いだろう」
「ちょっと、どういうことですかそれは」
「お前の凡々な顔も少しはマシだっつってんだろ。ほら、さっさと乗らねーと"お前を"売るぞ」
「もしも売られたならば、私は舌の根が裂かれて乾いてもヴェルンハルト様に悪態をつき続けて主にヤキ入れて頂きましょう」
「……お前、本当に貴族の令嬢なんだよな?」
「失礼ですね、今のは最近流行りの"暴れん坊令嬢♡リリスのサディスティックライフ"のある台詞を引用しただけですよ」
「何その奇怪な本!?」
「嫁入り道具として持って来たものの一つです。もしヴェルンハルト様がしょうもない最低屑だった時の対処法として使おうかと」
「使うな!!ていうかお前結婚生活をそれなりに期待してたくせに何てもん持って来てんだ!?」
「まあそう言わずに。男性にも人気の本ですので、ヴェルンハルト様も読まれますか?」
「結構だ!!……ほら、さっさと行くぞっ」
「あっ」
ぐいっと腕を引っ張られて、お嬢さんは馬車の中へと引きずられて行きました。
それを見守る使用人たちは全員頭を下げて、馬車が門を過ぎるまでその姿勢を保ちます―――
「もうっ、もうちょっと優しくエスコート出来ないんですか?」
「知るかじゃじゃ馬が」
「じゃじゃ馬ではありません―――って、何です、じろじろ見て……」
「……いや、おま…用意しといた、ドレスに合わせた指輪は?」
「ああアレですか?ぶかぶかだったので丁重に戻しておきました」
「アレでぶかぶか…さっすが、貧相な指をお持ちだ」
「華奢と言ってくれます?」
「もうどっちでもいいだろ…あーあ、ただでさえ貧相なのに指から貧乏臭さが浸透してるな」
「ヴェルンハルト様は名前から性格の悪さが滲み出てますよ流石です」
「………いいかド貧乏娘、俺の隣を歩く女が芋臭くて鼠みたいで場違いだなんて恥ずかしい女なんて嫌だからな、ちゃんとした格好をしろ―――ほら、」
「何です、今日は箱のセール日和なんですか?」
「ああ、それもお前の好きなくそ小っせぇ箱だ。ほら、さっさと付けろ」
「……こんな貰い方した小箱に、幸せなんて……あ、」
薄明かりの中、普通なら恥じらったりやらしい雰囲気が流れる筈なのに、二人の間は相変わらず幼いままです―――が、城主様が投げて寄こした小箱のおかげで、ある意味和やかだった空気に罅が入ります。
金の金具にはお嬢さんが何度も見てきた、城の紋章が押されていて……慣れないせいでもたついて開けると、真っ青な宝石に小さなダイヤの粒がちょろりとある、小さな指輪が輝いていました。
全体的に華奢なその指輪を摘まんで薄明かりに透かすと、「遊んでいないでちゃっちゃと付けろ」と城主様に尖った声で窘められたので頬を膨らませて中指に通します。
「おおー、何か貴族みたいですね、私」
「…………お前は生粋の貴族だろーが…」
「……訂正します、何か…あの…ご婦人って感じです」
「もう喋んな。貧乏が丸分かり過ぎて恥ずかしいったらありゃしない」
「純朴と言ってくださいっ」
がたんがたん、と揺れる馬車を操る従者はそんな微かに聞こえる声に苦笑いしつつ、遠くに見える劇場の門へと馬を歩かせます。
「ああ、もう着いたか」と賑やかな声にお嬢さんよりも早く察した城主様は、「ド貧乏娘、お前が主役の劇まであと少しだぞ」といらん毒を吐いて―――馬車の中に備え付けのクッションを投げられたかのような音がしました。従者はもう暗くなったこの世界に感謝したのでした。
「……城主様、奥方様、モントノワール劇場に只今着きました」
「分かった。…ほら、不貞腐れてんな」
「不貞腐れてませんー」
がたがたとひとしきり騒いだ後、城主様は馬車から下りて、……流石に人目があるので、恐る恐る降りるお嬢さんの補助をしてあげます。
お嬢さんはそんな城主様に一瞬固まった後、「ぷふー」と笑ってしまいそうな口元をしっかり結んで、トンッと石畳の上に足を着きました。
「それでは、楽しんでらっしゃいませ」
恭しく従者が頭を下げる頃には、お嬢さんと城主様はまた、飽きもせずに幼稚な騒ぎを起こしていました……。
*
長いので分けました。