4.君はその手で、
がたんっ…と、はしたない音をたててお嬢さんは部屋から飛び出します。
それを追う城主様の手には剣。かしゃんかしゃんと駆ける城主様に合わせてポケットの中の鍵も喚きます―――
「待て!!」
「お断りですわ、その物騒な物を放り投げて抱きしめてくれると言うのなら考えますが」
「ほう、じゃあお前を抱きしめて背骨を折ってやろうかっ」
「嫌ですわ旦那様。そこまで情熱的でなくて良いのですよ?」
スカートの裾を翻して、お嬢さんはついでに持って来てしまったワインの空き瓶を抱いていつものように話しました。
対して城主様は「ちっ」と舌打ちをして、少しばかりふらつく足で追いかけます。
―――何故こんな大人版追いかけっこをしたのかと言いますと、
『…誰なんだよあの男は。誰なんだ…!』
『旦那様…』
ぎりぎりとお嬢さんの、縫い物しかしたことのない腕を握り締め、城主様は胸が痛すぎて泣きそうになる感情を目に灯して問いたのです。
お嬢さんは城主様の不機嫌そうな顔ではない、初めて見た表情をなぞるように空いた手でお顔に触れました。
『私はあの日、神父様でも神様でもなく、あなたにお仕えする事を私に誓ったのです。私は決して私を裏切りませんし、浮気は当然しません』
『嘘だッ!今までの女は全員口だけ…!お前は違うって思ってた、お前は俺に媚びないし…だけどっ、それが余計に不安になる…!』
『旦那様…』
酒の香りがふわりとお嬢さんに降りかかって、お嬢さんは伏目で―――
『嫉妬していただけるほどなんて、嬉しいです』
ふにゃ、と笑ったその顔に、邪気はまったくありませんでした。
最初の頃は「お前なんか嫌い」と言ってばかりのツンツンした城主様が、デレというかドロというか、まるで「好き」に思ってくれてるような発言をしてくれたら、そりゃあ嬉しいものです。
……ですが、城主様からしたらどうでしょう?
酒の力も不安もあって、ついついポロっと洩らしてしまった言葉に、真剣であった悩みに、「嫉妬してくれたの?うれしーいー♡」なんて言葉で返されたのです。…付け加えますと、城主様は弄られるのが嫌いです。
『ふふ、城主様は可愛らしい』
そこに嬉しくてふわふわの、こんな時に限って空気が読めず危機察知も出来ていないお嬢さんの止めの一言です。
城主様はどこかでプツンと、何かが切れたのを感じ―――「あ、やべ」とやっと気付いた顔のお嬢さんが全力で逃げだす、……そして今に至る訳で、
「こんの…アバズレ女が!」
「え?靴擦れ?大丈夫ですか?」
「お前の耳がな!」
「あら、私の耳は正常ですよ。ちゃあんと先程の可愛いお言葉が聞こえましたもの」
「じゃあその耳揃えて切り落してやるよ!」
「食べれませんよ?」
「食べねーよ!?そこまで落ちぶれてないわ!!」
「だって旦那様は食いしん坊であらせられますから」
「――――~~ッ、生意気言えないように唇を縫ってやる…!」
どうやらお嬢さん、ヒールの低い靴を履いていたようで、酔いの覚めない城主様との距離を何とか保っています。
…けれども、一応鍛えてある城主様ですから万が一でも逃げ切るのは難しい―――お嬢さんは凶悪な顔をした城主様に振り向くと、ワインの空き瓶を投げました。
「はっ―――あ、っぶな…!?」
ワインが当たる前に剣で斬り捨てる隙に、お嬢さんは疲れてきた足を叱咤して距離を稼ぎます。
殺意は無かったとはいえワインを投げつけられた城主様はその後ろ姿に余計に血が上がって、絶対捕まえてやると意気込んでスピードを――――
「わぶっ」
ちょうど城主様に背を向けて、モップで廊下を掃除していた女中が撒いた水に足をとられ、慌てて体勢を直します。
城主様も吃驚ですが女中はもっと吃驚したようで、更にバケツをひっくり返し…お嬢さんが角からこちらを覗いているのに、駆け出す事が出来ません。
「こう見えても奥方ですので、城内の清掃時間、場所も全て把握しているのですよ」
「てんめぇ…!!」
「ふふ、まるで裏の城主様のようではありませんか?"表の城主様"、こちらですよー」
「こんの…城主は一人だけで十分だ―――!!」
…と、捕まえる動機がだんだんズレて行くにも気付かず、追って来れなかろうとニコニコ顔のお嬢さん目掛けて走り出しました。
お嬢さんはすぐに顔を引っ込めると、洗濯物や野菜を運ぶ使用人の中へと潜り込みます。
「何でこんな、人間が…」
「ふふふー、この時間帯は使用人の皆さんが最も忙しい時間帯、特にこの廊下は混むので大変なのですよ」
「だったら通るなよ!?知ってて迷惑かけんな!!」
流石に剣を鞘におさめて、城主様は使用人を掻き分けながら階段を駆け降りるお嬢さんに叫びます。
何とか抜け出して階段から階段へと飛び降りてショートカットを試みる城主様の後ろ姿に、使用人は「仲良いなー」と見遣るだけでした。
「馬鹿め!庭に出たら終わりだ!」
よいしょ、と手摺から庭へと駆け出すお嬢さんに、城主様は勝利を確信した声で哂い、自分も庭に飛び出してお嬢さんに手を、
「ケコー!」
「コックォー!」
「コケッコー!」
遮るように、急に割って入った鶏数匹に邪魔され、城主様は思わず足を止めてしまいました。
視界の隅では、丁度開け放したばかりなのだろう使用人の男が、卵を手にオロオロしています。
「ふふ、その子達はしつこいですよ…私も何度か戦ってやっと引っ付いて来なくなったのですから」
「戦ったの!?」
「コケコッコー!!」
「それでは旦那様、落ち着かれたら私をお探し下さい。…あ、今日の夕飯は鶏肉のたくさん入ったシチューですよー!」
「おいっそんな事言われるとやり辛いだろ!…ちょ、ま、」
淑女の如く礼をすると、お嬢さんはたったかと遠くへと逃げてしまいました。
目の前には戦闘態勢に入った鶏達が、城主様に――――…
*
「―――ふう、疲れた……」
そう言って、散々遠回りしたお嬢さんは城主様のベッドに倒れ込みました。
自室に戻ろうかとも考えたのですが、そうすると執念深いというか幼稚というか、鶏を振り払って追いかけて来た城主様に突撃されてしまいます。
客室は流石に気が引けるので、案外戻って来なさそうな城主様の部屋に入って来た訳です…が。
「んん、旦那様のベッド…私のよりふかふかです…」
多分違いは無いのでしょうが、お嬢さんは「いいなー」と靴をきちんと揃えて並べてお布団の中にもぞもぞと入り込みました。
流石に"城内鬼ごっこ"はキツかったのでしょう、ああ、もうすでに目がトロンと。
「見つけたぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ひっ!?」
実は城主様はこれと似たシーンを何度もやっているし、女性の反応も嫌というほど予想できるのですが……まさか反射的に枕の下に頭を隠すとは思いませんでした。
人生で妻を追い詰めて来た中でも、一番間抜けで滑稽かもしれません。
「だ、旦那様!?予定では一人おかしく鶏たちとじゃれ合っている筈…!」
「残念だったな!この城で強者は俺一人でいいんだよッ」
「…じゃあ、何故こんな早く…」
「ふんっ、探しまわっている途中で使用人に聞いただけだっ」
何故か枕をしっかり抱いて話さないお嬢さんの腕を掴んで引っ張り上げると、腰に差した剣をすらりと抜いて、
「正直に話せ」
腕から喉へと掴み直して、剣先を突きつけて城主様は低く命じました。
お嬢さんは城主様の締め付けてくる手に手をかけながら、剣先をちらりと見て答えます。
「…しょうがない、ですね。鬼ごっこに負けたのは私ですもの」
「ああ。敗者は勝者に従え」
「……でも、旦那様の性格だと怒ってしまいそうで…けほっ」
「浮気だなんだでなければ考えよう」
「………」
きゅ、と唇を噛んで、お嬢さんはぼそりと、
「…………ました」
「あ?聞こえねーよ」
「…………して、ました」
「答える気あんのか?」
…と、城主様を苛々させるほどにぼそぼそと答え、―――やっと、はっきりと答えました。
「……内職、して、ました」
「は?」とずるりと剣先を下ろし、首を絞めていた手も解いて、城主様はポカーンとした顔をお嬢さんに向けました。
「…じゃあ、最初から言えばいいだろ…まあ断るけど」
「言う意味無いじゃないですか」
「貧乏臭ぇんだよ。趣味で刺繍とかならまだしも内職って…恥以外の何でもないだろ」
「恥ではありません。…だから旦那様には言いたくなかったのです。……ばか」
「ほーぅ?」
「馬鹿っ」
「はっきり言ったな!?」
初めて不貞腐れきったお嬢さんをニヤニヤしながら見ていると、はっきりと、しかもこちらも初めて「馬鹿」と言われ、城主様は青筋立てて声を荒げます。
「貧乏に貧乏なんて言ってはいけません」
「貧乏のくせに面倒臭い事言ってんな」
「……成金!」
「成金で城主にはなれねーから」
流石にムカっとくると言語が不器用になるらしい所に何故かホッとして、城主様は喉を掴んでいた手を放して自分の前髪をかきあげて溜息を一つ。
何だかもう、全てが馬鹿らしく見えて―――剣をベッドから払い落して、お嬢さんの傍に落ちていた枕を引っ張って顔を埋めて、ベッドにごろり。
「…何で内職してたんだ?」
「…………貧乏臭い女の口から言う事はありません」
「…分かった、"貧乏臭い"から"垢抜けない"に変えてやるよ」
「…じゃあ、旦那様のこと、"馬鹿"から"大馬鹿"に変えて差し上げます」
「お前のそういう言い返す所が可愛くねーんだよ」
「旦那様のそういう口の悪い所も可愛くないです」
「いや、可愛さいらないだろ」
ゆっさゆっさと城主様のベッドを揺らすという攻撃を止めて、城主様は枕に顔を埋めたままお嬢さんを見上げます。
お嬢さんは「むぅ、」と見返すも、やがてプイッと顔を逸らして真相を口にしました。
「―――借金を、返したかったのです」
「………え、お前何か…」
「違います。私個人では無く―――旦那様が求婚してきた際に払ってくれた、お家の借金です」
「ああ……ああ!?おま、あの額は内職で払い切れる訳ねーだろ!?」
「で、でも!私は嫌だったのです!」
「結婚が!?」
「違います!借金が―――お、お金で買われたみたいじゃないですか…」
「……まあ、実際そんなも…いだだだだだっ!!てめ、抓ったな…!」
「私は嫌なのですっ結婚にそういう暗いというかドロドロなの嫌なのです!借金分を旦那様に返すまで、私はずっと褥を共にする気はありません!」
「おい馬鹿ふざけんな。テメーがババアになっても出来ねーじゃねーか。愛人作るとか面倒臭いことしなくちゃいけねーだろ」
「…!…私には誠実を求めておいてあなたは不誠実に振舞うのですね!」
「いや、だって後継ぎ…」
「旦那様の馬鹿っ…返し切れたら、旦那様に甘えてみようかとか妄想していたのに」
「妄想っておま……え、甘える?」
「……一緒に舞踏会、行ってみたいとか、ドレス選んで欲しいとか。……結婚指輪、とか…」
言っていて、段々冷静になってきたお嬢さんは今までの素を思い出し、慌てて「思ったり何だりしたかもしれませんねっ」と取り繕います。
城主様はその姿に「ぷっ」と笑うと、身体を起こして、
「……可愛い奴」
お嬢さんの唇に、そっと。
「え、あ、ちょっと待って下さい。借金返済までそういうのは勘弁して下さい」
「…………」
「あと近いです。そのまま寝ててください」
「……め、……空気読めよテメ――――!!」
「きゃー!?」
*
君はその手で、色んなフラグを折りまくった。
補足:
浮気(笑)現場を発見したのは城主様。
そしてお嬢さんの元に出入りしていた男性→内職して出来た品物を商人に渡すための使用人。
モブモブ過ぎて誰かとか分からなかった城主様でした…。