22.抱きしめられる、私
※暴力表現注意。 拍手文変更しました!
お嬢さんは逃げます。よろよろ、よろよろと。
足は擦り切れて、手は打撲の痕で醜かった。ぐしゃぐしゃに泣きながら、「どこか」を目指しているのです。
途中、この城に働く人が見えたけれど、もしかしたらあの怖い人の仲間かもしれない―――その疑心のままに、お嬢さんはどんどん人気のない方へと進むのです。それは、まさに。
(死人、みたい……)
彼岸を渡るには、今の姿もぴったりかもしれません。
ひくつく喉に張り付く髪を乱暴に払うと、お嬢さんは震える足を絡めて転んでしまいます。剥げた爪が痛くて、「テディさん、」と何かの呪文のように唱えようとしました、が。
(……こえ、でない…!)
魔法の言葉が出せなくて、お嬢さんは倒れたままみっともなく泣き続けました。
イリア夫人のおかげでやっと前に進めそうだったのに、弱いが故に、もう、
―――カツン。
ヒールの、音でしょうか。
この高い音は女性用のヒール…のはず。お嬢さんは恐る恐る顔をあげると、黒い靴が見え、お嬢さんと同じく銀髪の少女が見下ろしていました。
その姿は黒ばかりで、お人形のよう。手には箱があり、何だか火薬みたいな匂いがします。
少女はまったくの無機質な目でお嬢さんを観察すると、何かを思い出したような顔でお嬢さんに手を差し出しました。
(ど、どうしよ……)
躊躇うお嬢さんですが、ぐいっと無理やり手を掴まれ立たされます。
無言のままに少女に連れられた先は埃被った部屋―――お嬢さんが咳き込むのも無視して、少女は大きな箱の中へとお嬢さんを招きます。
(……荒らされた後がある…)
――とりあえず隠してくれるようなので、お嬢さんは自分よりも年下に見える少女を信じました。
そろりと傷ついた足を入れ、小さくなって少女の分も開けようとしたら、彼女は無言で箱を閉じようとするのです。慌てて、綺麗な服の袖を掴みました。
「………」
少女は首を振ります。足元に置いた火薬の匂いのする箱を見て、お嬢さんを見ました。
その際に、耳に赤い宝石が、見えて。
(あ、れ、って……)
ふと脳裏で自分の首を絞める、あの病的な少女を。思い出して。
「待って」と口を動かそうとしたけれど、少女は気にせずお嬢さんを箱の中に閉じ込めたのです。
(……今、どれくらい、経ったかな……)
もしかしたら、そんなに経っていないのかもしれない―――お嬢さんは震える膝を抱え込んで、拳銃に縋るように撫でました。
正直、もう使いたくないです。撃つとその余波が痛いし、音が怖い。傷なんて、見たくない……。
(テディさん、何でまだ来てくれないの……)
熊の時も、幽霊の時も。お嬢さんが怖くて震えると、泣き出してしまうと。すぐに駆けつけてくれた。
あのもしゃもしゃした顔で、にかっと笑いかけて欲しい。温かくて大きい手で、よしよしと撫でて欲しい―――そう願って、お嬢さんは暗闇の恐怖を忘れようとしました。
(さむい……いたい………テディさん……)
―――こつ、こ……つ、こつ、…こつ
「!」
足、音。
あの少女の足音ではありません。何だか不安定な歩き方をしてるような――まさか、
(アナトールって、人だったら。どうしよう……!!)
どんどん近づく足音。近くの扉を開ける音まで聞こえてきました。…次は、まさか…?
―――こつ、こつ、こつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつ
ひっ、と。お嬢さんは口を押えました。
急に早歩き、か何かでこの部屋の前に?どうして?…お嬢さんは自分の足が濡れているのに気付きました。
(ま、さか。怪我した、足の……)
お嬢さんは呼吸の仕方が分からなくなりました。
たぶん、足音から察するに、部屋の前で止ってる。何をしているのだろう、何を考えているんだろう――お嬢さんは気が触れてしまいそうでした。
(や…だ。やだやだやだやだやだ!!テディさん、テディさん助けてぇ…っ!)
カタカタ震える銃を必死に宥めて、お嬢さんは声も出ないのに彼の名前を呼びました。
それに応えるように「ぎぎぎ」と扉は開き、こつ、こつ、とやたらゆっくりと近づきます。
もたついた音の後にがしゃん、と音がして、真っ暗闇に薄明かりが差しこみ、微笑が見えて。
「ああ、やっと見つけた……!」
そっと、手を伸ばしてきて、
「手間かけさせやがってよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
お嬢さんの顔に、べとりと血と、唾がついて。
頭を掴まれて、箱の縁に頭をぶつけられました。
「ふざけんなよブス!お前がどこか行ったら金がパーだろうが!!出てこい!出て来いって言ってんだろおおおおお!!」
「っ、…う、うぅ……!!」
「生意気な豚がよぉ!お前ら女なんて皆そうだ!男が下手に出りゃあ偉そうに!侍女なんて茶汲みしかしねーのに何で厨房の下っ端よりも給金が上なんだよ!そのくせ汚いだ愚図だと馬鹿にしやがって、ああ!?何か言ってみろよ!金か顔が良くなきゃお前らみてーな性格ブスにすり寄るわけねーだろ!!謝れ!今までのこと全部謝れって言ってんだろ!!」
「…ふ………」
お嬢さんの視界が、霞んできました。
アナトールの言葉は感情の高ぶりで滅茶苦茶で、ついにお嬢さんの頭から手を離すと、首を掴んで。
絞める、絞められる、その瞬間、
「何をしている」
ガッ、とアナトールの頭を掴み、まるで卵を割るように、箱の縁に抉りつけて。
べしゃっと飛んだ血よりも、ぶるぶる震える芋虫のような手が、まるでピアノでも弾くように動く様が恐ろしく。
"王子様"はさっきの冷え込んだ声から一転、優しい声で、
「お嬢さん、ちょっと目、閉じててね」
耳に心地良くて、お嬢さんは静かに閉じました。
最後に微かに、古びて切れ味の悪そうな斧が見えたけれど―――
「ぎっ、が、あががっががががっがががが」
何度もたたきつける音と、水音。ごとん、という音が四回して、獣みたいな叫びに混じって、「ごき、ぐちち、」と汚い音が聞こえて、ばたんばたんと跳ねた後に静かになりました。
やがて擦る音がすると、お嬢さんの震える手に温かい手が触れて、そっと拳銃を取り上げます。
「もういいよ」と言われて大人しく従うと、"汚れ"の酷い子爵が心配そうにお嬢さんを見ていて。お嬢さんは冷えた指先で子爵の頬の汚れを拭ってあげました。
子爵は耐えきれずにお嬢さんを強く抱きしめると、「ごめん、」と泣きそうな声で謝ります。
「ごめん、本当に。ごめんな……」
痩せてボロボロの、疲れ切ったお嬢さんを抱きしめる腕から、ほんのりと熱さが伝わって来て、
「もう、怖い思いなんてさせない。―――無事でよかった、リーゼ……」
この苦しいまでに早く聞こえる鼓動の音が、とても愛しかったのです。
(―――ああでも、つかれた、な………)
それを子守唄代わりに、お嬢さんはぷつんと、幕を閉じて。
*
正統派ヒロイン、お嬢さん。




