3.僕は君の旦那様、君は僕の…?
「……お前が貧乏性であるのは分かり切っていたことだが…ここまでするか!?」
「物を大事にする"もったいない"精神を馬鹿にしないで下さいませ」
―――と、珍しくツンと言い返すお嬢さんの周りは城主様の服だらけ。
解れた釦も何もかも、可能な限り直しているのです。
「第一それはもう着ない気だったんだ!捨ててしまえ見苦しいっ」
「あら、この服の生地、旦那様の瞳によく似合った色ですのに」
「……それもだ!舞踏会の服なんざ二度も着るか!」
「旦那様の御容姿によく映える出来栄えですのに」
「そのシャツ!」
「ああ、これは菜園の作業着に丁度良さそうなので、勝手に頂きました」
「頂くな!」
ワインをがんっと机に叩きつけて、城主様は勝手に弄くりまくっているお嬢さんに突っ込み―――ハッと"気付いて"しまいました。
「え、ちょ、そこの出来あがった服…」
「ああ、暇だった時に作ったコサージュを付けてみました。可愛いでしょう?」
「男に可愛さを求めるな!」
「今のように顔を真っ赤に染めてお話して下さる旦那様はとても可愛らしいですよ?」
「喧嘩売ってんの!?ていうかお前はどんだけ性悪なんだ!」
「性悪?私が?」
ふふふ、と定番になりつつある笑みを浮かべ、お嬢さんは「そんなことありませんわ」と言うと、睨みつけてくる城主様に、ふにゃりと笑って言いました。
「可愛らしく見えてしまうくらい、好きだと言うことですよ」
今まで何度も聞いてきた、着飾った愛の言葉よりも幾らか地味でそっけない言葉に、城主様は目を点にして―――呼吸も止まってしまいそうになって、慌てて顔を背けました。
「俺の事は"どうとも思ってない"んじゃ無かったのか?」
「それぐらいの親しみは持てるようになりました」
「親しみ…」
「親しみです」
「……照れ屋め」
「まあ!ふふふふふ」
指摘されて薄ら紅に染まった頬をチラチラと見る城主様と、照れ笑いの止まぬお嬢さん。
だんだんと素の面も出し始めてきたお二人は、結婚されてから半月が経とうとしています。…これは、今までの城主様の結婚生活を思い出すと、かなり長い方です。
一言言えば二つ三つと返すお嬢さんとの生活は、案外気楽でそれなりに楽しいようで、
「なあ、」
「はい?」と首を傾げるお嬢さんに、
「その、」
ポケットの中の、…"金の鍵"を渡すべきか、悩んでいるのでした―――。
「……お前って、毎日何してるんだ」
「へ?」
―――まあ結局、城主様は躊躇って鍵を渡さずにいるのです。
だって嫌な顔せず自分の服を(勝手に)のんびりと繕ってくれて、ツンツンした城主様の言葉に笑顔で突き刺して持ち上げてくれて、…そして多分、いいえきっと、お嬢さんは城主様を認めてて、分かろうと努力していて、城主様に合わせて歩み寄ろうとしてくれているのだと思います。
城主様も、それに応えてみようかと少し、ほんの少しは思います。
お互いがお互いに、それなりに良い想いを抱えているのだと、…まあ、分かっています。きっと今、彼女を抱き寄せてキスをしても、彼女は「ふふふ」と笑ってくれる程度には好きであってくれるのではないかとも、なんとなく予想できるのです。
「珍しいですね、旦那様が私に…荒探し以外で興味を持ってくれたのは」
「煩い、…毎日毎日、お前が音もなく横にいるからだ。流石に気になるだろ」
「大丈夫ですよ、尾行してるわけではありませんから」
「嘘くさい…」
疲れたのか、縫うのを止めて縫い終わった服を畳み始めるお嬢さんに、城主様はワインを片手に椅子の背にお腹をくっつけてぶらぶらして言いました。
中々酔わない体質の城主様は飲むと決めたらどんどん蓋を開ける方ですが、お嬢さんがお輿入れして一月目に説教されてから制限されるようにったのです。
……思えば、正座で説教を受けたのは(多少酔っていたとはいえ)生まれて初めてのことでした…。
「…実はですね、城主様が歩かれると、小鳥も付いてくるのですよ」
「……え、マジで」
「マジマジです。…きっとお菓子の匂いに釣られるのでしょうねー」
「!…お、俺は菓子なんか好きじゃない!」
「あら、あんなに美味しそうに食べてらしたのに」
「腹が空いてただけだ!」
「食いしん坊さんですものね」
何となしに手を加えた上着をツンツンした城主様の姿に当てて見るお嬢さんは、「ああ、」と思い出したような声を上げて、「小鳥だけではありませんでした」と続けます。
「カラスも旦那様に追従していましたわ」
「カラス…それは俺が生臭いという事か…」
「旦那様の御身が輝かしいあまりに付いて行ってしまっただけやもしれません」
「それはそれで嫌だ!」
「まあそれで、小鳥であれカラスであれ、蛾の燐紛のように旦那様に付いて行ってしまうのでね、すぐに居場所が分かってしまうのですよ」
「蛾って…せめて蝶と、」
「駄目です。そんな例え方をしたら遊び人みたいではありませんか」
「だからって蛾もどうなんだ…」
ぷぅ、と珍しく頬を膨らませるお嬢さんの例えに、城主様は何とも言えない顔です。
だって「蛾」ですからね。そこは嘘でも「蝶」とかにしろと思ってしまいます。
「―――まあ、俺の居場所が分かる理由は…いいが、それ以外は何してんだ。お前、気まぐれに現れてくるけど暇なのか?」
「いいえ?忙しゅうございます」
ワインを口に言えば、お嬢さんはぐにーっと身体を伸ばして答えます。
「縫い物をして縫い物をして縫い物をしてますよ。…あと菜園の様子を見たり」
「インドアなのかアウトドアなのかどっちなんだ」
「どちらだと思います?」
「……遠駆けのあのスピード狂いを思うに、アウトドア派か」
「あら正解。…また乗らせてくれますか?」
「駄目だっ!俺はあんな暴走馬に乗れん!!しかもあの馬、あの後にはもう野性化したんだぞ!?」
「では歩いてみましょうか?秋になったら栗を拾って投げ合いましょう」
「それは殺し合いと言わないか」
「じゃあ冬には雪玉を思う存分投げてみますか?日頃の鬱憤を晴らすようにね」
「……それも殺し合いに近いだろ」
城主様の想像の中の二人は大変な姿になっております。
お嬢さんは眉を潜める城主様にふふふと笑うと、両手を胸に、「じゃあ、」と伏せ目にして強請りました。
「じゃあ、美術館に行ってみたいです」
「…美術館?何で?」
「何でも何もありません。…ただ好きなのですよ、絵が。風景画が特に好きなのです」
「ふーん…」
「…でも、一枚だけ、人物画ですけど、見てみたい絵があるのです」
「ほぅ?」
「城下の東にある美術館で飾ってある作品です。……でも、入場料が高くて、幼い頃に見たきり…」
「…………」
もっと言うと、お嬢さんは城下の南、…いえ、城下の外れに屋敷をかまえたものですから、そうそう行くことも出来ないのでしょう。
借金のあまり馬も手放そうかとなった家ですから、見れない理由など簡単に上げられます。
「……連れてってやるよ」
「え?」
だから、城主様はそれを憐れんだのかもしれません。……もしくは、滅多に強請らない彼女の願いを、聞いてみようかと気まぐれを起こしたのかもしれません。
喉から駆け上がった感情を誤魔化すようにワインを流し込むと、城主様は掠れた声でもう一度「連れてってやるよ」と繰り返しました。
「来週とか…予定もないし」
「来週…」
「来週だ」
「…約束ですよ?誓ってくれますね?…私に」
「お前にか」
「私にです。もし嘘つきの神様にでも誓われたら困りますからね」
「俺はそこまで性悪じゃない。…お前が何かしでかさない限りは約束してやる」
「やったぁ!」
「…」
幼い部分を曝して喜ぶお嬢さんから、城主様は空になったワインをぶらぶらさせて目を逸らしました。
……耳の奥で、「かちゃん、かちゃん」と幻聴が転がり続けるのです。
「………なあ、」
「はい?」
「……ゅび……お前、もう少し身形を気にしないのか?」
「へ?」
「仮にも俺の妻だぞ。んな質素な格好されたら貧乏じゃないかと疑われるだろうが」
「でも…成金みたいじゃないですか」
「付け過ぎりゃあな」
「あまり宝石に詳しいわけでもないし、ドレスとか身体を測る時点で疲れますし」
「…女としてどうなんだ、それ…」
「流石に公の場では旦那様に恥をかかせないようにそれなりの格好はしますから、気にしないで下さい」
よいしょ、と立ち上がって、城主様が飲まれたワイン2本のうち一本が転がるテーブルに畳んだ服を乗せると、お嬢さんは城主様の手からワインの空瓶を取り上げて二つ纏めて腕に抱きこんでしまいました。
「…………お前は、俺からは何も欲しがらないんだな」
「ふふ、そんなことはありません。毎日毎日頂いてますわ」
「嘘つけ。…………欲しくないくせに」
「嘘ではありませんし、欲しくないわけではありません。…ただ、しっかりケジメを付けたいと言いますか―――」
「―――…その、"ケジメ"とやらは、」
慎重に慎重に、幻聴を小さくして、城主様は逃げないようにお嬢さんの腕を掴みます。
城主様は真っ赤になりそうな視界を必死に押し戻しながら、悩み悩んで―――素直に、吐いてしまいました。
「お前の、ケジメとやらは、…夜中に会っている男と、何か関係があるのか?」
*
金色の鍵の分岐点。