16.迷子になる、私
「………」
「…テディ、少しは落ち着けよ。飯にありつけない熊みたいになってんぞ」
「……ああ、うん……」
「大丈夫だ。全部上手くいくように俺らもやることはやったし、あとはローゲルテあん畜生の足止めをして―――あいつも、恐らくまだあいつに会っていないはずだ」
「…………」
馬車の中。
伯爵はそう言いつつも何度か足を組み直して、父の代理に叙勲式に顔を出す子爵はぴくりとも動かしません。
組んだ手で口を隠すと、子爵はゆっくり目を閉じました。
「……悪かった」
「ん?」
「…乗っ取りまであと少しだったんだ。……交渉失敗した俺の責任だ。殴ってくれていい」
「………いや、べーちゃんのせいじゃないよ。きっとお嬢さんのお母さんは、どうあっても俺と結婚させたくなかっただろうしね」
子爵は組んだ手を、額に当てて。
初めて、お嬢さんの名前を呼びました。
「どうか無事で―――リーゼロッテ……」
*
お嬢さんの頬に、黒のレースの手袋に包まれた女性の指が触れました。
髪色に映える白いドレスを黒の這うような模様が引き締め、黒檀の髪には白い花飾り―――幼さの抜けない、けれど春の雰囲気の程遠い……冬の精のような、生気の無い人形のような女性です。
「マリアと申します」
どこまでも静かなその声音は、彼女に神秘さを与えるばかりです。
「……リーゼロッテです。……」
お嬢さんは答えると、不安のあまり部屋を見渡しました。
どうにも、この部屋は無理に明るくしようとした気配がありまして、綺麗に置かれたプレゼントの山はどれも女性用です。―――女性用?
「ここ、は?」
「私に与えられた部屋です」
「侯爵、は?わたし、侯爵に―――」
言い終わる前に、マリアは「ふふふ、」と病んだ気配を匂わせてお嬢さんの首に手をかけました。
「―――わたし、いつかあの方にこうしてほしいの」
途端にお嬢さんの肩が跳ねて、震える手でマリアの手に触れるけれど、彼女の手はどんどん首を圧迫してきて。
口をパクパクするお嬢さんに、マリアは薄らと微笑みました。
「そして、あの方の気に入った女性を、こうしてしまいたいの」
押し倒されて、お嬢さんの頬にマリアの黒髪が流れ落ちます。
露わになる白い右の耳朶に強く輝く紅玉は、最高級のピジョン・ブラッドでした。
「でもね、できないの。臆病だから。ずっとずっと、この鳥籠の中から放り出されるのが怖かった………」
マリアは、「"考える"のは苦しい」と呟いて、そっと首から手を離しました。
何度も荒い呼吸を繰り返すお嬢さんをぼんやり見つめるだけのマリアは、ずれたファーショールも直さずにお嬢さんの上に乗ったまま。
やがて息の整ったお嬢さんは、―――「帰らせてください」、と訴えました。
「わたしは、こんな鳥籠は嫌です。囚われるなら、テディさんの腕がいい。帰りたい、帰して、帰してぇぇ…っ!」
ここしばらく不安定な生活を強いられてきたお嬢さんの、心からの想いでした。
(こんな、こんな変な人に殺されたくない。こんなところで飼われたくない。私だって、幸せになりたい)
緩くなった涙腺からは途切れることなく涙が溢れて、お嬢さんの銀髪に落ちては光り。
情けなく泣きながら、「テディさん、テディさん……」と何もできないお嬢さんは助けを求めるのです。
そしたら不意に、黒のレースに包まれた手がお嬢さんの頬に触れて、
「あなたは、…きっとあなたが、あの方が求めた心の持ち主なのね」
「は―――ぇ……?」
「素直に真っ直ぐと求めてくれる心。―――あの方が私に求めたもの。あなたはそれを持っているのね」
「わ、たし、が……?」
「羨ましいわ、」
涙をちろりと舐めあげると、お嬢さんの耳元で囁きました。
「………ころしたいくらい。―――私、きっとあなたのこと、嫌いなままなの」
ぞっとする言葉の後、マリアは静かに立ち上がりショールを直しドレスの乱れを払いました。
何も言わなかったかのような顔で薄らとした微笑を浮かべると、「いらっしゃい」と手を差し出します。
「淑女同盟を結んでいたの。…ふふ、お家に帰れるわよ、もう二度と来ないでね」
マリアは優しげに作った声でさらりと毒を吐くと、扉に手を掛けます。
お嬢さんは希望と不安の両方に揺れて足元がおぼつかないまま、マリアの背後に恐る恐る付いて行きますが―――早い。
(ううん、わたし、が。……遅いんだ)
ずっと吐いてばかりで、足に力が入りません。貧血気味でもあります。
けれどここで倒れたらまた地獄に落とされるような気がして、お嬢さんは必死で付いて行ったのです。マリアは何度か「大丈夫ですか」と言うけれど、事務的な響きであり、その足は緩むこともありませんでした。
(きらい、か……そうよね、嫌いになるもの)
侍女も従者も頭を深々と下げるこの人は、高級品を送られレース一つとっても金のかかる物を着ているマリアは。……どう考えてもローゲルテ侯爵の妻。…のはず。
上手く噛みあわぬ会話でしたが、恐らくマリアは侯爵を真っ直ぐかどうかはともかく、愛しているのです。その人が自分以外に求めた女性なんて、どう頑張っても不快です。
お嬢さんはふと、自分と子爵にそれを置き換えて想像して、思わずぽろりと泣いてしまいました。……情緒不安定なのでしょう。
(―――でも……)
お嬢さんは、チラリと頭を下げる使用人たちに目を向けます。
(どうして、皆―――)
侯爵の許可を得ずに連れ出そうとするマリアを、誰も止めないのか。
イリア夫人と違って、注意も文句も駄目出しすらも、何も言い返さなそうなマリアです。なのに何故にここまで怯えているのか。
「グレーフェンベルクって、すごいのね」
「…え?」
唐突な言葉に、お嬢さんは驚いて転びそうになりました。
なんとか持ち直し、開いてしまった距離を一生懸命取り戻しながら、続きを待ちます。
「吃驚したの。色んな物があるのねえ。綺麗な色だったわ」
「は、はあ……」
「芸術で賑わっていると聞いていたのだけどね。……まさかお母様の言っていた噂話が本当だったなんて」
「………噂?」
「お金もほとんど使わずに済んだし、たっぷり貰えたし。顧客情報は洩れないように受取人は伯爵夫人。……ふふふ、貴族というのは罪深いものねえ」
まったく読めない会話も、もう終わりです。
マリアは外に繋がる扉に手を掛けると、僅かに開けて微笑みました。
「23本分が、あなたの価値よ」
どういうこと、と聞き返そうとして―――巻き上がる風に、薄茶の髪と青のドレスが靡くのを見て。
お嬢さんは、思わずマリアの隣までよろよろと近づいて。
「お迎えりあがりました。……もう、大丈夫ですよ、リーゼさん」
両手を差し出すイリア夫人に、お嬢さんは数秒固まった後、泣きながら―――夫人に抱きつきました。
夫人の腕の中はお日様の匂いがして、懐かしくて恋しいその香りにお嬢さんは目を閉じて。
大きくてごつごつしたあの手の持ち主を、強く思い出していました。
(ああ、私―――もう、大丈夫なんだ……)
*
「マリア様。リーゼさんを逃がしてくれてありがとうございます。……これ、約束の品です」
お嬢さんを馬車に乗せるように指示を出した夫人は、朗らかな声のあと小声でぼそぼそと言い合うと、黒い包みを差し出しました。
マリアは微笑んで受け取ると、「……あなたとは良い関係が築けることを願います」と裏のなさそうな声で言いました。……どうやら、夫人には多少の好意か何かを持っているようです。
「ふふ、私もですよマリア様。友人も少ない身なので、"今後ともよろしく"お願いしま―――」
しかし夫人はマリアを警戒しているのか、若干作り声でした。
その途中を遮ったマリアは、両の腕で大事そうに包みを抱きしめたまま夫人の前に立って、そっと、頬にキスをしました。
(こ、の人……舐めたりキスしたり、案外スキンシップ激しい、なあ……)
お嬢さんはじーっと無邪気そうな、しかし病んだ雰囲気のマリアが夫人を見つめるのにそう思ってしまいます。
黒檀の髪のせいか幼げに見えるマリアは、そっと首を傾げて微笑を浮かべました。
あざとさとか計画的とか、そういう一切のない声音で、
「あなたが初めてなの。……またお茶会に呼んでね」
返事を聞く前に優雅に踵を返したマリアは、「また後ほど」と夫人が馬車に乗るまで見送ると、動き出す馬車と一緒に侯爵の城へと戻って行きました。
質の良い馬車の中で、クッションを抱いて息を吐くお嬢さんは、隣で髪の乱れや上着をかけたりと世話を焼いてくれる夫人に、掠れた声で尋ねます。
「イリア様……あの、包みって……"23本"と関わりがあるのですか?」
「!」
「私の、価値は23本だと、言っていました」
さっきまでニコニコと微笑んでは安心させてくれた夫人は、一瞬黙ると―――「聞いていたのですね」と硬い声で呟き。
お嬢さんから目を逸らすと、「……"こちらとしては"解毒薬も保持しているので、安いものだと思ったのです」と言います。
「やすい、もの?」
「ええ……何でも、向こうはあなたの身柄の引き渡しと、今回の貴族間の争いにローゲルテ侯爵はもう口出ししないとまで言ってくれました。その代わり、こちらは……」
口出ししない?
そんなこと、出来るのか。公爵夫人の分際で?……お嬢さんが首を傾げていると―――
「あの中身は毒薬。苦しい思いをさせて、医師が来る前に死んでしまうのです」
…グレーフェンベルクの、お得意さんで売られているんです。手配したのは私なので、ほとんど無いでしょうがあの商人が捕まれば、彼女ではなく私がひっ捕らえられるのでしょう。―――夫人は静かに微笑みました。
「そ、んな……危険なこと……!」
「ふふ、大丈夫ですよ。その商人も表向きは香水屋さん。ヴェルンハルト様お抱えの……まあ、貴族ならこういう姑息な手札も用意しておかないと」
後に知りますが、昔、モントノワール家との交流も無かった戦乱時、当時のグレーフェンベルク当主は毒を多用して領地を守ってきたそうです。
やがて新しい毒を産もうとして様々な新技術が出て、今の芸術部門に優れた領地に変わったのだとか。
―――お嬢さんはもっと空気を読めばよかったかな、とどうしても希望に湧く胸を宥めました。
ふう、とため息を吐いたのは夫人もで、夫人はくす、と微笑んだ後、何ともいえない顔で続けました。
「だから、正確には23"人"なんです」
ただそれだけの指摘なのに、何故かお嬢さんの背に悪寒が走りました。
*
「本」と「人」の違いの意味。
補足:
お嬢さん⇒イリア :格好良い!すごい尊敬してます懐いてます。
お嬢さん⇒マリア :変人超えて怖い。正直、もう会いたくないです。
マリア⇒お嬢さん :グレット様に気に入られた女。死ね。
マリア⇒イリア :なんか気の強さとか諸々がグレット様に似てる。仲良くなろうかな
イリア⇒お嬢さん :可愛い妹分。幸せになってね。
イリア⇒マリア :お、おう……よ、よろしく……。
・だいたいそんな感じの思いを持ってます。なお、マリアの「仲良くなろうかな」はグレットさん(=ローゲルテ侯爵)に「友達一人くらいは作れ(できれば明るい人でお願い)」と言われたので。
負けん気が強い、目の色が一緒、困って袖を引いたら何だかんだ言って助けてくれそうな所(=ほとんどグレットさんの特徴)がマリアちゃんのお気に召しちゃったようです。
・キスしたり舐めたりが多いのはコミュニケーション苦手からくるもので、グレットさんにやると機嫌が良くなるので「こうすると喜ぶ+嫌われない」と認識しています。
まあ異性にはしませんが、同性には何も考えずにします。
・マリアちゃんの部屋の「無理に明るくしようとした部屋」は実は一番見晴らしが良い部屋で、グレットさんはそういう所からマリアちゃんの暗さを除こうとしました。
プレゼントの山は「殴ってごめん」と送り主は否定するけど気付いたら買ってた系の山。
結構大事にされてるヤンデレでした。




