10.青髭夫妻と熊さんとお嬢さん 一泊目!
あの後、お嬢さんは真っ青から真っ赤になって、しまいには膝を抱えてぐすぐすと泣き出してしまいました。
熊のこともあるので、四人はさっさと伯爵の城に戻り、女性二人は着替えに、男性二人は難しいお話をしに別れることに。
着替え終わり、よろよろと扉を押すと、「にゃーん、にゃーん」と扉に向かって鳴く伯爵家の猫ちゃん―――お嬢さんは「ひぅ!?」と怯えて尻餅をついてしまいました。
「にゃー……」
「あらあらべーちゃん、仲直りしたかったの?」
「にゃーん」
ちりりん、と鈴の音が聞こえます。
もしかしたら飼い主の足に甘えているのかもしれません。お嬢さんは深呼吸一つをするとゆっくり立ち上がって、そっと扉を開けました。
「イリアさま、あの…えっと、」
「まあ可愛らしい。―――ふふ、ヴェルンハルト様とモントノワール子爵がまだまだお仕事のお話をするそうなので。……少しだけ、私と付き合ってくれますか?」
「は、はいいい!!」
手荷物を脇に、夫人は猫ちゃんと一緒にお部屋にお邪魔します。
控えていた侍女が椅子を引き、静かにお茶の準備を始めました。
「いやはや、吃驚しましたねえ」
「はい……熊、初めて見ました」
「あら、子爵は熊には見えないので?」
「も、もう見えません!それに……熊よりも、優しい匂いがします…」
「まあ…!もうお二人は匂いを覚えてしまうほどの仲に…!?」
「えっああああああああ違うんです!!違うんです!」
「ふふふ、顔真っ赤ですよぅ?ふふふ!」
「―――~~っ、い、イリア様は意地悪です…」
「ごめんなさいね、でもこうやって恋の話をするのは初めてだったから」
「そ…なのですか?」
「ええ!ヴェルンハルト様があっちそっちと女に喧嘩売るようなことしてきてくれたせいで、お茶会に行っても嫌味ばかりです。…まあ、本人が楽しそうに私の手を引いてくれるので、許してますけど」
愛されてるなあ、伯爵。―――とお嬢さんが面白くなく思っていると、膝の上に猫ちゃんが飛び乗ってきました。
うにーんと伸びて、猫ちゃんの鼻先がお嬢さんの顎に当たって、少しくすぐったいです。
「猫ちゃん…猫ちゃんは、人懐こいですね」
「ええ。"誰かさん"と同じで。…手が離れていくのが怖い、臆病な子なのですよ」
「お、臆病なのに山に連れて行ったのですか…」
「べーちゃんの限界を試したくて」
こんなぺろぺろと舐めてくる猫ちゃんの限界……夫人は何を目指しているのでしょうか。
お嬢さんが猫ちゃんの頬を撫でては胸がきゅんきゅんしていると、夫人は「ああそうだ」と思い出したように、カップから口を離して、
「ね、モントノワール子爵とはどこまでいったので?」
「へあ!?」
「ふふ、モントノワール子爵は見かけに似合わず紳士にエスコートしてくれそうですよねえ。子爵の爪の垢を煎じてヴェルンハルト様に飲ませたいくらいです」
「……伯爵、の方が、いいなって思うこともあります」
「ふむふむ?」
「近っ………あ、あの、あの……」
やたらと楽しそうな夫人にびくびくしながら、お嬢さんはぽつりと呟きます。
「優しすぎて……いっそ、強引に、連れ去ってくれたら、って」
―――例えば。
例えば、子爵がお嬢さんを妻として強く求めたとしても。
お嬢さんが「いや」と言えば子爵は「ごめんなあ」と言って引いてくれるでしょう。
お嬢さんがふと、キスして欲しいと願っても、お嬢さんの臆病な性質を知っている子爵は優し過ぎるあまりに気付いてくれない。
つまりです、何でもかんでも受け身のお嬢さんは、怯えも葛藤も、全部子爵に担いでほしいのです。「言い訳」が欲しいのです。
けれど子爵も人間です、神様じゃない―――口に出されなければ、分からない。察しろと言われたって、限度があります。
でもお嬢さんは無理を言い続けるのです。卑怯にも、彼の同情を引いて。
「……ヴェルンハルト様も、強引に見えますけどね、とても臆病なのですよ」
「え?」
「あなたはまだ若いのです、まだ"受け取るだけ"でもいいのでしょう。――でも、いつかそんな自分とさよならをしないと」
「……」
「私は押し付けるばかりの人間でしたから、あなたの悩みは少ししか分からない。…だけど、きっと」
「……きっと?」
「相手の、全力の本音を知るとき、あなたのほんの少しの勇気で、きっと変わりますよ。子爵も、世界も。―――あなたも」
甘えられるときなんてすぐ終わるのだから、今のうちに愛されなさい。甘え続けなさい。
十分満たされたら、今度はあなたが与えなさい。たっぷりと。
―――夫人はそう微笑むと、ゆっくりと指輪を撫でました。
青い、二人だけの指輪を。
*
「お前も、面倒な家の娘を好きになったもんだ」
夫人とお嬢さんが甘い紅茶を飲んでいる一方で、殿方二人は紅茶にブランデーを垂らして内緒話。
前回の内緒話は「金の鍵の部屋の死体処理」に関するちょっとしたお願いだったので、今回はなんだか気楽さを感じてしまいます。
「ああ、やっぱり大変なことになってる?」
「そりゃ、あそこの家が今なんとかなってるのはあの娘の美貌と母親の意地汚さのおかげだぞ」
「……借金か」
「調べさせたけど、まあ娘を嫁にくれる代わりにって吹っかけるんなら、イリアよりも金かかるぞ。あの家の金品売っ払うんなら分からんが」
まあ、夫人の時は伯爵的にも同情した面と、援助すればこっちにも利益があると踏み、目論見通りになったから良いものの。
子爵は紅茶を半分ほど飲んでしまうと、「払っちゃおうかなあ」と呟きました。
「ぞっこんなのはいいがな、あの家に一回金をくれたら何度でもへばりつくぞ」
「ま、食事の席に皿が二品三品無くなるだけと思えば」
「二品三品で済めばいいがな」
鼻で笑う伯爵ですが、子爵は本気です。
すでに頭の中では資金繰りを始めていました―――それに呆れたような何となく分かるような、複雑な心に眉を寄せた伯爵は、「まあ聞け、」と子爵の計算にストップをかけました。
「―――俺に全部任せろ」
若干あくどい顔の伯爵は、キョトンとした子爵の返事を待たずに言いました。
「お前はまったくストレートだからな。ごり押し的な意味も含めて。今回の相手はそれだと手間と危険がかかる。
しかしだ、俺はこういうことは得意なんでね、金の工面もあの娘の家も何とかしてやる」
「お金も?流石にそりゃあ悪いよ。夕飯奢るのとは訳が違う」
「何もタダじゃない。これは俺からお前とその妻への、祝い金だ」
「祝い金?」と繰り返す子爵に、伯爵は「ああ―――表向きな」と笑って、
「これはモントノワールとグレーフェンベルクの、"堅牢なる仲"への投資だよ。
なあ次期当主?この薄汚い貴族の世界で、"お前は俺の絶対の味方だよな…?"」
親父があれだけ面倒見た陛下の"恩返し"じゃ、足りないかもしれないだろ?人間なんて、明日にはコロッと死ぬかもしれないんだからな。
"仲良し"はいっぱいいた方が、安心ってもんだよな……?
―――伯爵がそう、ちろりと舌舐めずりすると、子爵は急にプッと笑いだしました。
「べーちゃんは寂しがり屋だとは思ってたけど、まさかストレートに言われるとはなあ」
「お前みたいな馬鹿にあれこれ策を弄じるのも勿体ないってもんだ。……なんだよ、つまんねーな」
「そりゃ、俺とべーちゃんの仲はどこまでも"対等"だからさ。べーちゃんの不祥事には全て俺と親父が手伝っている。いざとなればそのカードをきれる」
「お前の嫌なところが、その割り切りの良さだよ。まったく」
伯爵は眉根を揉むと、足を組み直して紅茶を一気に呷りました。
「ま、そういう訳だからこっちは任せろ。でもあの小娘から目を離すなよ」
「ん?」
「ローゲルテがあの娘の家とちょっと仲良くてなってきてな。下手するとあいつ、妾にでもされちまうぞ」
「仲良くねえ……」
「あの馬鹿、こっちの商売にも喧嘩売り始めたからな。ちょっとシメておく。…まあ、あいつ馬鹿だからな。背後からぶすっとされて終わるだろうが」
「敵が侯爵一人で済めばいいけどね―――さて、じゃあべーちゃんの好意に甘えようかな」
子爵は人の良さそうな顔で伯爵に笑いかけます。
「ムカつく顔しやがって」と伯爵はそっぽ向いて頬杖を突いてしまいます。
その手には、青い大粒の宝石の指輪が、暖炉の火を反射して輝いておりました。
「―――そうそう、これお母様が大事にしていた特注のオルゴールなんですよ」
「ふあああああああ!!すごい!!こ、これをアリア先生が…!」
「にゃーん」
「あ、開けてもいいですか…?曲を聴いても良いですか…!?」
「かまいませんよぉ。ほら、べーちゃん、クッキー齧るのやめなさい」
「にゃーん」
「ひゃあああああ!アリア先生の匂いがする!なんて上品な―――」
「あ、それはヴェルンハルト様の香水です。ちょっとカビ臭かったので……」
「アリア先生のオルゴールを、あんな伯爵の香水でリセ●シュしたのですか!?」
「にー」
「ちょうど良かったので。でもこの時代にリセ●シュ発言はいけませんよ。べーちゃんも薔薇を齧るのやめなさい」
*
拍手文変更しました!
補足:
ヴェルンハルト様が熊さんの家との仲の強固を求めるのは「自分が何かあった時に」イリア姐さん(もしかしたら生まれてるかもしれない子の)の後ろ盾というか、面倒を見て欲しかったからです。




