2.滅茶苦茶に壊してやりたい、
お嬢さんが東屋で刺繍をしていると、ちょうど森から獲物を手に戻って来た城主様が。
お嬢さんが「あら、」と顔を上げる頃には城主様も気付いたようで、苦々しい顔でお嬢さんを見つめます。
「おかえりなさいませ」
縫っていたものをバスケットの中に入れると、お嬢さんは侍女に部屋に戻させて自分は城主様の元へと歩み寄りました。
「狩りは楽しめましたか?」
「ハッ、女のお前には分からない程度にはな。お前はどうせ一日暇だったんだろ」
「そうですねぇ。男の旦那様には分からない程度には楽しゅうございました」
「……………」
「あら、鴨が獲れたのですね。美味しそう」
「………少しは怖がれよ」
「お昼前ですので、旦那様」
そっとハンカチを手に握らせたお嬢さんは、城主様が気にせず顔の汚れを拭いた―――あと、「あっ」と固まった城主様をニコニコと見上げました。
「勝手にハンカチを握らすな!」
「申し訳ございません。ですがいつまでも汚れたままの身では、城主様もお嫌だろうと思いまして」
「だからってお前のはいらん!俺の―――ん?…俺の…?」
「まあ、私があれだけ口を酸っぱく言いましたのに、忘れてしまったのですか?」
「う、うるさい!」
「ふふ、城主様はいつも狩りの前日になると天候を気にしたり外をそわそわしながら見てたりと、他の物が疎かになってしまいますものね」
「……何で知ってんだ」
「いつも見ておりますから」
「……………………………あっそ」
ふいっと顔を逸らして、城主様は―――お嬢さんのハンカチを、ポケットにしまってしまいました。
「…どうなさいました?」
「このハンカチをお前が持ったら汚れるぞ。……………ドレスがっ」
「あらあら。城主様はお優しいのですね。イリアは感激のあまり泣いてしまいそうです」
「白々しい女だ――――…そうだ」
「はい?」
不機嫌そうな顔から悪巧みを企む顔になって、城主様は不思議そうに見上げるお嬢さんの腕を引っ張りました。
「遠駆けに行くぞ。……お前に荒馬の恐ろしさを教えてやる」
「まあ。どれほど恐ろしいのでしょう?」
「その人を苛々させる口から今日の朝飯が戻って来るくらいにはな。ほら、乗れ」
「お心は嬉しいのですが、もう暫しお待ちいただけませんか?」
「……何?」
「折角のピクニックですもの。お昼ご飯も持って参りましょう?」
「…ぐちゃぐちゃになるぞ」
「慣れております。……それに、このドレスが汚れてしまいますから、着替えさせて下さいませ」
「ドレスぐらい何枚もあんだろうが」
「駄目です。ドレス一着がどれだけ高いと思っているのです?」
「……貧乏性め」
「それに―――旦那様が、くれた物ですから」
「え、」
「汚れてしまったら困るので、旦那様の服を貸して下さい」
「………俺のはいいのかよ…!」
「だって女用の乗馬の服を持ってませんもの。旦那様だったら腐るほどあるかと」
「腐るほどは持ってな……ああもういい、付いて来い、貸してやればいいんだろっ」
案外、こういうのが「気まぐれ」と言うんじゃないかと溜息を吐く城主様は、お嬢さんの身体に出来るだけ合う服を探して―――30分かかりました。
本当は適当に投げて寄こしたかったのですが、流石に乗馬でぶかぶかの服は危険です。
お嬢さんは城主様の部屋の衝立に隠れながら、さっさと着換え、城主様は衣擦れの音に苛々しておりました。
「…あら。旦那様、このお洋服のボタン外れそうですよ?」
「俺のガキの頃のだ。そりゃ外れそうになるわ」
「……ふふ、旦那様は思い出の品はとっておく方だったのですね?」
「城の誰かが勝手にとっておいただけだ!」
「良かったですね」
「あん?」
「思い出の品をいつまでも保存していられて。いつか、良かったと思える日が来ますよ」
「ああ―――お前の家は貧乏のあまり売る物も無かったものなっ」
「ええ。……オルゴールくらい、とっておきたかった…」
「………オルゴール?」
「ええ。お母様の、嫁いだ頃から大事にしていらしたオルゴール。…遺品として譲ってもらったのですけど、良い値で買われました」
「…ふーん」
「春の花に、猫が隠れた―――面白味のあるオルゴールでした。至る所に猫が隠れていて、だけど一か所だけ、猫が身体を出して身を寄せ合っているのです」
「猫か……珍しいな」
「でしょう?子供らしいはずなのに、なぜか大人びたオルゴールなのです」
「匠の腕が良かったんだろう。……ていうか、お前もう着替えたのか…」
「はい。どこかおかしい所はありますか?」
「全部」
「…旦那様は意地悪な方でいらっしゃる」
最悪一時間かかるんじゃなかろうかと今までの経験から思っていた城主様。
珍しくお嬢さんが膨れ面をしたのを見て、少しだけ気を良くしました。
「とりあえず、どこに行くのでしょう?」
「適当に……ああ、飯も食うんだっけか…じゃあ湖の所でいいだろ」
「安直ですね」
「うるさい」
…ですが、お嬢さんの笑顔での一言に苛々が増していくのでした…。
*
ぱかぱかぱか…と、黒馬はお嬢さんと城主様を乗せて呑気に森へと進みます。
しょうがなくお嬢様を抱き込む形の城主様の表情は少しばかりわくわく顔でした。
「意外です。旦那様は最初っから盗んだ馬で駆け出す方だと思っていました」
「盗んでない。ていうかお前は俺を何だと思っているんだ」
「旦那様」
「…………急に馬を走らせるのは身体に良くないだろう。人間と一緒だ」
「お優しいのですね」
「ハッ。乗り潰したくないだけだ」
「それでも、十分優しいと思いますよ―――っと」
「せいぜい舌噛まないようにしてるんだな!」
チッと舌打ちと共に馬を走らせる城主様と、ランチボックスを大事に抱えているお嬢さん。
しばらくするとギュッとお嬢さんが城主様の腕に抱きついてきたので、城主様は念願の引き攣った顔が見れるかと―――
「あらあら。卵サンドが他の物をサンドしてますわ」
「俺の卵サンド……ちゃんと見ておけよ!」
「申し訳ありません。まさか自分の好物が入っているのに本当に駆けだす御方がいらっしゃるとは思わなかったので」
「馬鹿にしてると馬から叩き落とすぞ…!」
「馬鹿だけに?」
「―――~~このッ馬鹿!!」
案外こいつもくだらないこと言うんだな、と頭の片隅で思いつつ、お嬢さんのくすくす笑いが耳に障って城主様は更にスピードを上げました。
お嬢さんは怒った気を察して、城主様の腕の中でだんまりを決め込ん――――
「旦那様の服を着て旦那様にくっついていると、まるで世界が旦那様だらけになっているようですね」
ぽそっと。
きっとぽそっと言ったからこそ、城主様は手綱の手を乱してしまったのでしょう。
「――――ふふ、やはり乗馬はあそこまでスピードが出てこそ、ですねぇ」
「……この…スピード狂が…!」
「何を仰います。手綱を握っていたのは旦那さまではありませんか」
「煽ったのはお前だ!」
「ええ?『聞こえない聞こえない…』とぶつぶつ念じてらっしゃったのに?」
「うるさい!!」
凄い勢いで水を飲む馬から離れた所で、お嬢さんは「よいしょ」とシートを広げました。
城主様は苛々苛々とランチボックスを持って靴を律義に揃えると、お嬢さんから離れた所で座―――ろうとしたら、音もなくお嬢さんが隣にいました。
思わずビクッとした城主様をスル―して、お嬢さんはランチボックスを開け……閉めました。
「…予想と違って、だいぶシェイクされてます」
「だろうな。……まあいい。さっさと食うぞ」
「旦那様は食べ盛りですものね」
「そ――そんなもんはとっくの昔に過ぎた!」
「あら。じゃあ旦那様は食いしんぼうなのですね……はい、卵サンド」
「の、残骸だろうが…!」
「お好きなのでしょう?」
「だからってコレはないだろっ」
「では私のトマトとチーズをサンドしたのは如何でしょう?」
「トマトは酸っぱいから嫌いだっ」
「まあ、野菜をちゃんと食べない子は大きくなれませんよ?」
「十分大きいだろうが…」
「背ではありません。心です」
「心!?心と野菜に何の関係がある!?」
「この野菜を作る為にかかった面倒、苦悩、喜びを噛みしめながら一口一口を有難く頂くと、必然と心豊かな立派な城主様になれましょう」
「………ふ、ふん。一理あるな」
「旦那様は今でも十分立派なお方ですが、野菜を食すことで更に高みを目指して欲しいのです」
「……………高み…」
その言葉に惹かれるものがあるのか、城主様は「むぅ」とトマトとチーズサンドをじっと見た後―――そろそろと手を伸ばしました。
普段のニコニコと言うよりはただ優しいだけの、柔らかな表情のお嬢さんに見つめられながら一口。もう一口。その感想は、
「……く、苦労して作られた味…だな(多分)。チーズと味がよく…合ってる。案外食える」
「それは美味しいと言う事でしょうか?」
「ま、まあな!」
「…………良かった。そのトマト、私が作ったものなのです。実家からずっと大事に大事に育てていたのですよ?」
「」
またも謀られた、城主様でした……。
*
そのすかした顔を滅茶苦茶にしたい、城主様。
実際こんな夫婦が目の前にいたらほのぼのしちゃうレベル。…な青髭夫妻