6.熊さん、今回は珍しくお嬢さんを苛めず
「は、ぁ……はっ……」
―――熱い。揺れてる。揺さぶられている。痛い。
意識は天から地に叩き落され、また昇る―――お嬢さんは「もう…らめぇ…!」と子爵に縋りました。
子爵は大きくて熱い手でお嬢さんの背を撫でると、
「うん、でも今やっちゃえば楽だからね」
子爵は子猫のように騒々しいお嬢さんを抱きかかえながら、何とか………薬を飲ませてました。
「やらあ!」
「あーはいはい、これね、苦いけど俺の家に伝わる酔い止めだから。大丈夫、ね?」
「やーらー!」
「あと半分だから。あとで辛い思いするのお嬢さんだからね。この薬はべーちゃんもお世話になったやつだから安心して、」
「伯爵キライー!」
「あらら…ま、とりあえず飲もうねえ」
お嬢さんの唇をつんつんすると、酔いどれお嬢さんはぱくりとその指を食べました―――おお、これはめっけもん、と思った子爵はグラスでつんつんとお嬢さんの唇を突くと、後は傾けてしまうだけで素直に飲んでくれます。
「うん、良い子良い子」
「にがいー」
「もう終わったよ。…果実でも食べるかい」
「たべるぅー!」
……まあ、切ってあげたところでお嬢さんは爆睡しちゃったのですが。
小鳥が五回鳴いた頃、お嬢さんは二日酔いにあまり苦しめられませんでしたが、記憶がすっきり抜けてるのに焦っておりました。
「わ、わわわわ私!昨夜は何をしていましたか!?なんで同じベッドにいるんですか!?」
「昨夜はねえ、すごい甘えん坊だったよ」
「」
「ちなみにここ、俺の部屋ね。客室なんて用意してなかったんだ。母さんは初めからこのつもりで俺に案内させたんだよ」
「」
「ま、母さんも婚約を交わしてないうちに手を出す奴じゃないの分かってるから、からかい半分『面倒見てあげなさい』の半分だったと思うけど」
つまりです、あの夜の夫人の言葉は、
『いいわね?お前、ちゃんと(やること)しなさいね。場所は分かっているでしょう(客室なんて整備してないのですからね)?』
となっておりまして、夫人は最初に出会った時からお嬢さんを逃がす気がなかったという地味に恐ろしい事態だったのであります。
……まあ、お嬢さんが本気で嫌がれば夫人は残念がるだけであっさり引き下がるかもしれませんが。
「も、もう帰ります…帰してください……」
「馬車の手配するから待ってて―――あ、」
お嬢さんがこのまま手籠めにされたらどうしようと(だってベッドの上で明らかに力強そうな熊さんが目の前にいる訳ですからね)怯えていると、子爵はあっさりと頷いてくれました。
よくある「お貴族様お得意のお持ち帰りコース」の実話が脳内エンドレスだったお嬢さんはその反応に吃驚する半分、「やっぱり、」とも思いました。
(この人、本当に良い人だもの…)
何と言いましょうか、「笑顔を壊すようなこと」はしないのです。顔と大きな体で誤解されがちですが、子爵はとても優しいのです……たぶん。
(……でも部屋に連れ込まれたのは解せぬ)
あんまりどっぷり信用するのも……ああもう頭が痛い、とお嬢さんはさり気なく後退していたのに気づいたかとびくびくしてたら、常人よりも耳の良い子爵は扉の方を見まして、
「おはようお嬢さん!ふふふ、おめかししましょうねえ!」
「」
「おはよう母さん。ノックぐらいして欲しかったなあ」
「あら、だってあなたなら私の足音に気付くでしょう?…ふふふ、たくさんドレスを持ってきたのよ。テレーゼったらどれも着てくれなくてねえ」
「……ふ、夫人、わたし、このまま帰ります…」
「やだわあ、小母さんって呼んでちょうだい?いつか『お義母さん』って呼んでくれる日を待ってるわ」
「え、あ、あの…」
「それよりどーう?この青!あなたの綺麗な銀髪に似合うと思うの!黒も良いわねえ。薔薇乙女みたいな感じもいいわねえ。銀様風にしちゃう?」
「あ、あの……」
お嬢さんは病弱とは思えない夫人に腕をとられ、慌てて子爵を見上げました。
子爵は「楽しんできてねー」とにこにこと手を……え、ちょ、とお嬢さんが絶望している間に、夫人によって拉致されてしまいました………。
*
「似合うねえ」
「……そうですか」
結局、割と無難そうなチョコケーキのような可愛らしいドレスを頂いてしまったお嬢さんは、物足りなさそうな夫人の"診察のお時間"のおかげで助かったわけです。
解放されたとふらふらしているお嬢さんに、素直にそう述べる子爵。……ええ、ちょっと嬉しかったのですが。お嬢さんはツンと返してしまいました。
(助けてくれてもよかったじゃない)
お嬢さんの不満を察したのか、子爵は先回るとしゃがんでお嬢さんの目線に合わせ、ニカッと爽快に笑って、
「お嬢さん、美味しそうだよ」
紅の塗られた唇に、子爵はどこにしまっていたのか、魔法のようにシュセット(棒付きお菓子)の綺麗な包装紙の先を何故か当てて。
おどおどと受け取ると。―――ああ、とても可愛らしいお菓子!
ユニークさは無く、子供向けというよりはお嬢さんくらいの女性向けのデザインです。
「わあ……!」
何分、甘いものをお土産に買ってきてくれた父が亡くなってからはなかなか甘い物が食べれず、お茶会に誘われても緊張のあまり手を付けなかったものですから。……お嬢さんは頬を林檎のようにして―――そんなお嬢さんに、子爵は大きな手のくせに繊細な動きで魔法のようにどんどんシュセットを出すと、お嬢さんの小さな手に握らせました。
「さっき届いたんだ」
「さっき…」
「そ。注文していてね…予想通り、母さんのアレは長くて助かった」
「……!」
何だか子爵も実の母を上手く扱っているようで、案外強かな人なのかもしれません。
でもまあ、お嬢さんも成人とはいえ根っこはまだ子供、お菓子に動かされそうになるのは子女の本能というかなんというか。
「……し、子爵」
「ん?」
「あの、……一人じゃ、食べきれないので、一緒に食べてくれますか?」
「……うん、一緒に食べようか!」
「作戦成功だわー」と聞こえた気がしましたが、お嬢さんは小さく笑って聞かないふりをしました。
そうして―――子爵のエスコートで庭園に行き、曲線の可愛いベンチに座ってもそもそとシュセットを食べたのですが。
ふと、子爵はとても優しい顔でこちらを見たのですが、……その顔がどうにも、『俺が決める』と告げた時のような、男らしさがあって。……。
「お嬢さん、俺と結婚を前提にしたお付き合いをしない?」
「へっ?」
「キープ扱いでもいいよ。だから―――」
「キープ…?」
すっぱり言い切ったかと思えばまさかの「キープでも可」発言。
子爵からしたらお嬢さんを気にしての発言なのかもしれないけれど。でも、これはお嬢さんを「そういう女」として見たということです。
お嬢さんは瞬時にカッとなって、思わず手を上げ―――ようかと思いましたが、子爵がしょんぼりした熊のような顔で
「…どうにも、女っ気のない人生だったもんで、駆け引きが分からんなあ…」
…と言うから、少しだけ血圧が下がりました。
「……子爵、失礼です、とても」
「はい。…ご、ごめんなあ…」
「キープとか、するのもされるのも嫌です」
「う、うん…」
「……駆け引き駄目でもいいです。私も苦手ですから。……だから、せめて素直に仰ってください」
「うーん…」
どんどん硬い口調になるお嬢さんに、子爵は情けない顔で頬を掻きました。
女の途切れぬ、友人である青髭伯爵の真似をしてみようかと思ったらこれですので、お嬢さんの言い分に今度は素直に従うと決めたようです。
「…だってなあ。俺、外見が熊なもんで、うん、お嬢さんみたいな別嬪さんに振り向いてもらうの、難しいと思ったんだよ」
「……」
「でも、キープでも関係を保つことが出来て、時間もかければさ、少しは慣れてくれるかなって……ごめんなあ、本当にお嬢さんをそういう人だと思ったんじゃないよ。べーちゃんの真似したら、成功するかなって……はあ」
「………ました」
ん?と心底落ち込んでいる子爵に、お嬢さんは俯いていたのを止めて、そっと子爵の瞳を射抜くような、それで。
「―――慣れました」
「……え?」
「あなたの、そんな熊か野獣か大熊みたいな容姿、慣れました」
「えっ」
「あんな伯爵の真似なんかしなかったら、今までの殿方の中でもとても好意的に想っていました」
「えっ」
「伯爵の真似なんかするから、嫌いですっ」
「えっ」
そこでお嬢さんは息を吸うと、赤くなった頬を隠すように、暗い声で続けます。
「…でも、そんなの関係なしに、あなたとも、誰とも結婚しません」
「絶対?」
「はい。……幸い外見は良いので、遠い街で誰かに雇ってもらいます」
「―――娼館行きになる前に?」
「そ………え?」
子爵の口に相応しくない単語が飛び出して、お嬢さんは吃驚して。
大きく目を見開いていると、子爵は「昨夜にちょっとね、」と濁しました。
「君の思ってるほど、一介の商家が貴族の家を牛耳るだなんて簡単ではないんだよ」
「!」
「しかも、下手したらお家が逆に潰されかねない。リスクのあることだよ。…まあ粘着する人には理屈なんて無いのかもしれないけど」
「…ど、どうして…」
「なーいしょっ。―――とにかくさ、君みたいな若い子が娼館行きか危ない家出かの二択に怯えてちゃだめだよ。大人を頼っていいんだよ」
「わ、私は子供じゃないです…!し、子爵は分かってないんです、母は、嫁の分際であの家を乗っ取ったんです!騙すのだって上手いし!貴族の何人かとも繋がりがあるんです!」
「そうだね。―――でも、俺も貴族なんだよね」
「だ、だから!?」
「うん、貴族としては、相手を引きずり落とすのも仕事みたいなもんだから」
「は……」
「まあ落ち着きなさい。俺の家はまったく心配がないからね。お嬢さんの味方はそんな少なくないんだ。がっしり構えてて」
まったくもってさっぱり分かりません。
心配するなと連呼されても―――まだ狭い世界しかしらないお嬢さんは、母があらゆる手で商売敵を沈めて乗っ取って食い潰す様を見て来たので、子爵の言葉が信用できません。
子爵もそれに気づいていたのか、苦笑いで、
「本当だってぇ。俺だって人脈はそれなりにあるんだから。荒事なんてべーちゃんと一緒にいて慣れてるしねえ」
「……」
「信用できなかったらキー」
「信じてます!」
「はは、お嬢さんは誠実というか、まじめさんなんだなあ。……安心した」
上手く丸め込まれた気がしますが、お嬢さんは頭を撫でてくる子爵を睨み上げるので精一杯です。
そしてやっぱりその手は髪を一房伝って撫で降りてきて、お嬢さんはまたもドキドキしてしまうのです。
「まあ、まだもっとお互い知りたいし、長くお付き合いしたいと思ってるから。『結婚は嫌!』っていつか拒否してくれてもいいよ」
「……」
「聞くかどうか分からんけどもね」
「は!?」
「だって俺、お嬢さん以外に恋できなさそうだから」
「……わ、私が、……外見は良いからですか」
「いや?泣き虫だったり怖がりだったり。甘え下手なところが好きだなあ。不器用に優しいから、にやにやしちゃうし」
「にっ…」
噛みつくように反論しようとしたら、急に子爵が抱きしめてきました。
あまりにもしっかりした広い胸板に、お嬢さんは何を言おうとしたのかどころか何をしていたのかもパンクしてぐちゃぐちゃになって、「あ」とか「う」とかしか出てこないのです。
「好きだよ、お嬢さん」
その後、パンクしたお嬢さんは、何故かこくんと頷いてしまって、実家に戻って後悔するのでした。
*
そろそろあの夫婦を出したいです…。