2.熊さん、お嬢さんを羞恥で苛める
"美味しい野菜があるよー"
―――なんて、お誘いの言葉に添えられているのを見て、彼女は頭痛が酷い事になりました。
しかもこの字、あんな山賊まがいの姿をしてるくせに、どうしてこんなにも丸っこくて可愛いのでしょう。捨てるのを躊躇ってしまうではないですか。
(……ま、まあ、上着を貸してくれたし…お礼はしないと)
そうと決まれば、今度は動きやすい服で行きましょう。
彼女は銀色の髪を一房弄りながら、そっと羽ペンをとりました。
*
―――やっぱり、この人からはお日様の匂いがします。
だけど、涙で歪まないというのに………やっぱり、子爵の顔は怖いんだと思います。
「あっはっは、いやー、来てくれてありがとう!これ、つまらんもんだけど」
「えっ、ちょ、」
「さっき採った野菜だから美味しいよー。たんと食べてねー」
「どさぁぁぁ」と従者の手に野菜を落とすと、モントノワール子爵はポンポンと従者とその傍で固まっているお嬢さんの肩を叩きました。
しばらく、馬までもが空気を呼んで無言をその場に満たすと、屋敷の方から「テディ!」と誰かが呼んでくれまして。
駆け足で近付いてくるその人は、少々目のキツイ、けれど美人な―――男装の麗人です。
従者は急いで貰った野菜を馬車に入れると、「お時間に迎えに参ります」と逃げました。お嬢さんは絶望しました。
「女性をそのままにしているでない。さっさと屋敷にエスコートせねば、」
「ん?ああ!そうだったそうだった」
「まったく……そうだからお前、女が寄りつかんのだ」
「はっはっは、すまんすまん、お嬢さん、お手を拝借?」
「……もう少し違う言い方が出来んのかお前は」
こう言うと、誤解されそうですが。
お嬢さんは不意にこちらを見つめる真っ直ぐな目に、頬を染めてしまいました―――麗しい、熊さんのお姉さんに。
更にお姉さんはそれを誤解してしまい、「よかったな、テディ」と肩をポンポンと(なんというか、ボディタッチの多い一族です)叩くと、親指をグッと立てて、
「では、私は婚約者の顔を見に行かねば」
「えっ」
「今寝込んでいてな」とだけ残すと、お姉さんは従者が連れて来た馬に颯爽と乗ると、王子様よろしく駆け出しました。
対照的に固まっているお嬢さんは、気付いていない子爵に「はっはっは、じゃあ家入ろうかー」とエスコートのような子供を連れてるような仕草でお嬢さんを家に入れたのです。
ばたん、と閉まる音でやっと自分を取り戻したお嬢さんは、想像していたのと違って慎ましやかで所々可愛らしい屋敷に吃驚です。
だって、どう見ても「子爵の屋敷」どころか「別荘」みたいな……。
「いやー、親父がなぁ、おふくろにベタ惚れで。こんな感じに改装したのよー」
「………」
「はっは、地味だったらごめんなー!」
「………いえ、素敵です」
家族の絵を、ほんの少し羨ましく思いながら、お嬢さんはか細い声で答えました。
この前まではあんなにきゃーきゃー言えたのに。人間というのは不思議なものです。
「………そっか!」
なので、何となくそっぽ向いていたお嬢さんは、子爵が照れながらそう言ったのを見ていませんでした。
そのままぎくしゃくと先へ進むと、また家族の絵です。……だけど、それは子爵もあのお姉さんも幼くて。
「あっ……アリア作だ…!」
絵の端っこに、流れるような文字で「アリア」と。
この繊細で天使の羽のような儚げな描き方は、今は亡きルーディン夫人―――そう気付くと、お嬢さんは頬を染めて絵を食い入るように見つめました。
(この光沢の表現が素晴らしいわ。赤子の頬も、とても愛らしいし。夫人の髪の流れが美しいわね……あ、やっぱり。猫の小物があるわ。アリア先生は本当に猫が好きなのね)
アリア"先生"とは勝手にそう呼んでいるだけで、教えを乞うた事はありません。
アリア・ルーディン夫人は病気で若いうちに亡くなってしまい―――女性で絵描きというのも少ない上に評価は低いのですが、彼女の作品は静かな、けれど根強い人気があるのです。
「お嬢さんは、絵が好きかい」
気付くと、子爵はモロに素を出しているお嬢さんを見下ろしていました。
その顔は、山賊というよりは、人懐っこさと無邪気さがあって。
「……す、好きです……」
―――と。思わず、初めて家族以外の誰かに伝えたのです。
「俺ぁ、こんなもんだから、芸術は分からんけどもなぁ」
「…殿方なんて、大半はそうなんじゃないですか」
「そうかなあ。…そうかもなあ。俺の親父も、おふくろが来るまで全然だったしなあ」
「………」
「嫁馬鹿だなあ、って思ってたけど。でもその気持ちも分かるなあ。…俺な、お嬢さんの絵を見て、初めて感心持ったから」
「えっ」
頬をぽりぽりと掻く子爵を、お嬢さんはもう一度見上げました。
―――実は、お嬢さんは絵描きでして。何度か伯爵が開催する芸術祭に絵を送った事があります。
憧れのアリア夫人の描き方を真似して、何度も何度も描き直して……けれど、やはり女性の身ゆえに評価は低くて、娘の夢を否定していた母はそれ見た事かと何度言い捨てた事でしょう。
けれど、去年だけは、入賞出来て……そういえば、あの年の作品は、誰かに買い取られたような気がします。
「べーちゃんの開催する芸術祭、いっつも親父が面倒見てたんだけど、おふくろと遊びに行きたいからって、代わりに俺が顔出してなぁ。べーちゃんに相談したら『空気読め』って。いやー困った困った」
「……べーちゃん?」
「とりあえず一緒に見て周ってくれたんだけどなあ。そしたら、何て言うか、その場に消えてしまいそうな程に―――あ、気を悪くしないでおくれよ。何せ両隣が派手だったもんだから」
「……むぅ」
「でもそれが逆に気になってなあ。近づいて見たら、水面の絵だった。猫が水面の花に手を伸ばそうとしてて、可愛かったなあ。水の表現も、幻想と現実が混じったようで、べーちゃんは『ちゃんと水面を見た事が無いのか』って言ってたけど、俺は好きだったなあ」
「………」
ええ、彼女はまともに陽の下に輝く水面を見た事がありません。
身体が弱い故に、外の描写は難しいのです―――でも、だからこそ、外が描きたいというか。
お嬢さんは自分で送っておいて内心失敗だったと思っていた作品だったので、現在「ああああああああ」状態です。死にたいです。
「作者を見たら、お嬢さんの名前が書いてあって…他にはどんな絵を描いてたんだろうって思ってたら、べーちゃんが部屋に売れずにあるから欲しいならやるって」
「」
「全部貰って、とりあえず飾っといたのよ。ほら、こっちこっちー」
「」
例の芸術祭には、画商も多く見に来ます。
例え賞が取れずとも、画商の目に留まれば買い取ってもらえる事もあるのです。……ですが、お嬢さんのようにまったく売れない子も居る訳で。
なので伯爵に会った時、売れずに城の中で腐ってるだろう絵を回収しろとか言われるのではないかと……ああ、思い出すと置いてけぼりにした伯爵の顔に絵具の溶かされた水を投げてやりたいです。
(……ていうか、私の絵って、無価値ってこと……)
豆腐メンタルが崩れそうなお嬢さんは、子爵に背を押されて部屋に入ると、
「あっ」
一面に飾られたお嬢さんの絵は、ちゃんと、丁寧に飾られていました。
温かな雰囲気の部屋に、たくさん―――お嬢さんは、いつか夢見た光景に、吃驚してもう何も言えません。
子爵はそのうちの一つに触れると、
「俺、特にこれが好きだなぁ。"鳥の足下"!上から見下ろして描いたの?」
「う、ん……」
「"死の恋人"も、落ち着いてて好きだよ。月の光がとても綺麗だ」
「………」
「ん?」
他人に「素敵だ」と褒められて、自分も改めて見ると、雑な所に目が行ってしまいます。
(ああああああああ何てこと、あそこ色間違えてる!色薄過ぎるぅぅぅぅぅぅ!!!)
羞恥の波に、お嬢さんは今すぐ家に帰って自分のベッドで足をバタバタしたくてしょうがない衝動にかられています。
子爵は俯いたお嬢さんの顔を覗いた後、へら、と笑って、
「俺ぁ、こんな絵を描く人はどんな人なんだろうって、ずっと気になっててなあ。だから、会って話がしてみたかったんだあ」
「……!」
―――こんな絵を、描く人はどんな人だろう。
それは、本当に純粋な興味です。
容姿だとか、家柄だとか、そういうものに惹かれた訳ではない、真実、純な。
子供の頃なら誰だって思い浮かぶその感情を、皆生きていくと薄れてゆくというのに。
子爵はその感情を、綺麗なままに持っていて。
(本当に、"私"を知りたかったんだ)
そう気付くと、お嬢さんはその場に座り込んで俯いてぷるぷるしてしまいました。
*
ヒロインが描いた物を全部集めるって、割とドン引きされそう……。