1.ある日森の中な熊さん、お嬢さんを泣かす
彼女はとても美人でした。
その為こぞって求婚されましたが、彼女はあれこれと駄目な所を上げ連ねて追い返しました。
「あなたはじゃが芋みたいね!」
「あなたは死神みたい!」
「人参みたいな鼻して……兎にでも求婚なさいな」
―――ああ、まるで「つぐみの髭の王様」のようでしょう?
けれど童話のそれとは違い、彼女は……商人の娘なのです。
もっと言えば、これは今まで散々母に放置され、しかし娘の求婚の嵐を見て――やっとあれこれ手を焼き始めた母に対する、薄暗い復讐でもありました。
だから、彼女はつぐみの王に矯正される姫にはなれません。もし彼女にふさわしい物語があるとしたら―――それは、もしかすると……?
「あ、あなたは……」
―――そんなある日の、彼女の求婚者はとある伯爵様です。
母が開いた茶会で―――二ヵ月前に離婚した伯爵様は、大変不機嫌そうでした。
けれど彼女が伯爵に好感を持てたのは、彼が今までの求婚者のように厭らしく値踏みをしなかったこと、そして伯爵の仕事ぶりに素直に尊敬していたからです。
ですが……ここで何かしらのイチャモンをつけなければ大変なことになります。今までのように身体的な面での悪口は目の前の伯爵では見つかりませんし、それは幾らなんでも不敬すぎます。
彼女は自分の身を守る為、復讐の為にツンツンしては攻撃してきましたが、その内面はとても脆くて、この異様な空気に泣きたくなりました。
「……向こうに散歩しないか」
「えっ」
―――何故かそわそわしている伯爵に、彼女は咳込んで取り繕うと、「はい、」と返事をします。
心臓がどんどん早くなって、彼女は俯いてエスコートもされないまま森の中へと、伯爵に従いました。
そしてどんどん先へ進んでいた伯爵は、不意に立ち止まって、
「じゃっ」
「えっ」
―――と、片手をピッと上げて、……置いてけぼりにしたのです。
慌てて追いかけようとしましたが、実は彼女は身体が弱くて運動音痴なのです。すぐに転んで枝の先でドレスの肩の部分を裂いてしまいました。
ああ、彼女は「青髭」の妃にすらなれなかった。
「……う、うぅ……あんの青髭伯爵ぅ……いや、髭無かったけど……尊敬してた私が馬鹿みたい……」
豆腐メンタルな彼女はそのまま俯いて少しずつ少しずつ涙を落としていると、どたどたと走って来る足音がします。
もしかして戻って謝りに来たのだろうかと、彼女が見上げると。
「おっ嬢さぁーん!ちょっと俺と茶ぁ飲みましょうや!」
……でかくて、がっしりしてて、山賊みたいで、ぼさっとした髪がなんともまあ、今まで見た男性の中でも酷いものでした。
「きっ」
「ん?」
「きゃああああああああ!!!」
だから、割と箱入りなお嬢さんが逃げ出したのはしょうがない事なのです。
これが皆さまの良く知る肝の据わったお嬢さんだったならば、「いいですよ?ある殿方を正座で説教させた後でよろしければ」とにこやかに返答し、置いて行った伯爵に拳の一発でも入れたでしょうが、こちらのお嬢さんは豆腐メンタルですから無理無理なのです。
「ちょ、待って待って」
「いやっ来ないで!」
「待ってー」
「いやぁ!」
「ははっ、何か楽しくなってきた」
「えっ」
涙目で振り返ると、貴族あるまじき男性はとても楽しそうです。
例えるなら、親戚の子供と遊んであげてるような感じ。きっと彼からしたらとてもほのぼのした、スキンシップの一環と思っているのかもしれません。
その顔に少しスピードを落とすと、お嬢さんは木の根に足を引っ掛けて転んでしまい、この意味不明の鬼ごっこは終わってしまいました。
「……っ……ぅぅ……」
「えっ、あれ、泣いてる?あ、あー…っと、大丈夫大丈夫、ドレスそんなに汚れとらんし、足だって……」
「!―――触らないで!!」
まったくこの不作法者は何なのでしょうか?
お嬢さんは威嚇する子猫よろしく男性の手を叩き落とすと、ドレスがぐちゃぐちゃになるのもかまわず這って距離をとろうとします。
(どうしてっどいつもこいつも、お父様のような紳士さが無いの!)
ぐすり、と鼻をすすります。
お嬢さんの父―――は、ええ、とても悲しい事がありまして。
今では、お嬢さんの心の中で、若干補正のかかった人になっておられます。
「…んー、えーっと、アレだ。太腿が見えとるよ?」
「えっ」
優男で笑顔の似合う父と正反対の、この目の前の山賊に見える男性はちょっと困った風に指差します。
その困った顔が昔飼っていた大型犬に似ていて、ちょっと警戒心を解けかけて―――慌てて、お嬢さんは指差された場所に目を向けると。
(……ドレスどころかドロワーズまで……裂け…さ、け……)
「きっ」
「あ、上着どーぞ」
「えっ、あ、どう……見た!?」
「綺麗な足だねえ」
「馬鹿――――!!」
マイペースなこの男性に、絹ごし豆腐メンタルのお嬢さんはもういっぱいいっぱいです。
けれど睨みつけるだけで終わってしまうのは、涙でよく見えない男性の顔が、何か怖いような気がするからでしょう。
「お嬢さん泣き虫さんだなぁ!はっはっは、感情表現豊かなのは良い事だ!」
「う、うぅ……!」
「とりあえず、うん、俺ぁこんな顔だけども、別にとって食ったりしないからちょっと付き合ってくれると嬉しいなぁ」
「……名乗りもしない人となんかっ」
「モントノワールでーすっ」
「」
「テディって言うんで、よろしく」
はっはっは、と朗らかな笑顔で、男性は両手を握って後頭部に当てて―――「熊さん」なんておどけてみせます。
(モントノワール…子爵って、"熊殺し"って言われてたような……)
素手で絞めたとか何とか。……いえ、当然噂ですから、色々尾ひれも付いているだろうことぐらいお嬢さんだって分かります。
でも、(涙でぼやける)目の前のモントノワール子爵は、その大きな手で熊の心臓を貫けそうな気が…。
(私みたいな小娘なんか、きっとすぐに黙らせちゃうんだわ)
―――そう思えば思うほど、怖い。
…それもこれも、今までなよなよした男性しか会えなかったせいでしょう。ガタイの良いモントノワール子爵は遠くから見るだけでも「もういい」と思ってしまうほどですし。
「はい、"テディ"ー?」
「え?」
「呼んで呼んでー"テディ"?」
「………」
「テ、デ、ィー!テ、デ、ィー?」
「………」
もうこの時点でお嬢さんのライフは、真っ赤だったとだけお伝えしましょう。
勘弁して下さい、と、思わず心の中で敬語を使ってしまったお嬢さんは、このよく分からない事態と馬鹿にされてるようなノリと目の前の子爵を前に、膝に顔を埋めて本格的に泣いてしまいました。
(………ん?)
でも、その時、膝にかけていた上着の存在を思い出させるように香ったお日様の香りが。
………何故か、忘れられなかったのです。
―――だから、お嬢さんは散々なお茶会の後日、この子爵からのお誘いに乗ってしまったのかもしれません。
その日から、彼女は野獣に見紛う子爵に付け狙われるのでした。
*
森の熊さん(別名:熊殺し)×豆腐メンタルなお嬢さん