第78話
一刀たちは荊州の撤退戦を終え、自分達の領土に帰っていた。
しかし、今、一刀達が引き揚げている経路は、漢の領地であるため、できるだけ目立たない様に旗なども掲げずに行動していた。
その道中、愛紗がよく後方に目をやっていたが、それを見た愛香が疑問に思い愛紗に声を掛けた。
「義姉上、後ろを気にしているみたいですがどうかされましたか?」
「ああ…、今の状況ではありえない話だが、もしかしたら桃香様が私を追い駆けて来て、こっちに帰って来てほしいと言ってくると思ってな…」
「もしかして…義姉上は、蜀に仕えることをまだ躊躇っているのですか?」
「否…それは無いな。だが今でも私は桃香様の事を尊敬している。そして桃香様の言われていた理想を叶えるためには、私が蜀に属することで理想を叶えられる一番の早道だと思っている」
「それに不本意な話だが、今の私自身に桃香様の目を覚めさせる為の力が無い…。だから一刀様の力を借りて、何とか桃香様の目を覚まして上げたいのだが……心って弱いものだな。蜀に仕えると決めたが、まだ心の何処かでは桃香様のことを思っている…」
「それは仕方ないわよ。桃香さんとの関係、そんな簡単に割り切れるものではないでしょう?」
二人は発言した者の方に顔を向けるとそこに一刀と紫苑が立っていた。しかし紫苑は驚いている二人に構わず話を続けた。
「愛紗ちゃん、私たちは貴女が仲間になってくれたから、どんなことがあっても私たちは貴女の事を信頼するわ。ただ一つだけ守って欲しいことは、決してご主人様を裏切らないこと。これさえ守って貰えれば問題ないわよ」
「えっ!?それでいいのですか?」
「あら何か問題があるかしら、愛香ちゃん。愛紗ちゃんと桃香さんは元々生死を誓いあった仲。それが離れ離れなっても、お互い想いやるのは当然の事でしょう。それに一番苦しいのは愛紗ちゃんよ。知らない人から見たら、愛紗ちゃんが桃香さんの事を逆恨みして蜀に仕えたように見る人は見るわよ」
「でも…こんな気持ちで蜀に仕えても宜しいのですか?」
「問題はないわ。愛紗ちゃんが、桃香さんを裏切るような真似をする子ではないとご主人様や私たちは、分かっているわよ」
「ですが…」
「紫苑の言う通りだ。愛紗、桃香の事を気にするなとは言わないけど、このまま悩んで戦場に出たら君の命も危なくなる。桃香もそんなことは望んでいないはずだ。それに君に約束するよ。もし桃香と戦い、こちらが彼女を捕えた時は、決して命は取らないと」
「一刀様……」
そう言って一刀は、愛紗に向けて柔らかい笑みを浮かべて見せた。愛紗は、一刀の言葉に安心したのと同時に無意識であったが、愛紗は頬を赤くなっていた。
と言うのは愛紗たちが、呉に攻められている中、真名を交した理由だけで自分の命を顧みず助けに来て、そして桃香と戦った場合でも桃香の命を保障する。愛紗が今まで見聞きした君主にそのような人物がいるかと想像したが、思い浮かばなかった。桃香の場合、通常であれば、愛紗や鈴々という身近な仲間が危険なら助けに来てくれかもしれない。ただ真名を預けただけの関係で助けに来てくれるかどうかは分からないだろう。
しかし一刀や紫苑、璃々たちは、それにも拘わらず助けに来てくれた。今、愛紗の頭の中には、一刀に対して、今までに無い感情を持ったのと同時に戦いの前に星に言われた言葉をまた思い出していた。そしてそんな複雑な心境の愛紗の心は、ドキドキと早鐘のように鳴り出したのであった。
そんな愛紗の表情を見た紫苑は、何か考え付いた様な顔をしていたがこれはまた別の話である。
「ご主人様―――!!」
そんな空気を破るかのように、後方から大声を出す璃々が現れた。
「た、大変だよ。今、後方にいる翠お姉ちゃんの部隊から連絡があって、漢の軍勢がこちらに迫って来てるの!」
その知らせを聞いて、皆は驚いていた。まさかこの時点で、漢の軍勢の追撃が間に合うとは予想していなかった。
漢の追撃が一刀たちの予想を上回った原因は、焔耶にあった。
呉からの追撃要請があった時、漢の軍勢は襄陽に駐屯していた。そして呉からの使者が、「この軍勢は、蜀軍の可能性がある」と言う言葉に蜀に恨みを持つ焔耶が過敏に反応してしまい、猛撃な追撃を行った。
結果的にはこの焔耶の追撃が功を奏したのか、一刀たちに追い付いたことができた。
しかし、流石に兵の疲労も酷く、休息も必要であったため、後から追い付いた白蓮は攻撃を控えるよう焔耶に命じ、しばらく様子を見ることにしたが、焔耶はこの命令に納得していなかった。
「どうして攻撃をしてはいけないのですか!」
「お前な…、兵も疲れているだろうし、それに敵軍の正体が完全に掴めていない。いきなり調べもせず戦いに挑む奴がいるか?」
「敵は蜀の連中に決まっています!桃香様に敵対する関羽を助け、そして北西方向に逃げて行く。これが証拠ではありませんか!」
「それでもだ!流石に兵も疲れているから休息は必要だ。敵の編成が分かっていない以上、迂闊に攻めるのは危険だし、一旦敵の様子を探る必要もある。それを見てから動く。分かったな、焔耶」
主将である白蓮から正論な事を言われると流石の焔耶も命に服するしかなかった。
一方、一刀たちは後方にいた翠も集まり、緊急の軍議が行われていた。
今回、追撃しているのが公孫賛と魏延の部隊であると把握したが、特に公孫賛は、白馬義従と呼ばれたくらい騎兵の用兵が巧みで、呉の歩兵部隊中心と違うため、いくら翠がいるとは言え、まともに戦うと兵が少ない分こちらに分が悪かった。
「ですので、ご主人様は当然先に行って貰うとして、殿に誰が残る話だけど……」
紫苑が説明して、部隊の殿の誰を残すか話し合おうとしたが、ある人物が殿を務めることに名乗り出た。
その人物を見ると皆が驚いた。何と名乗り出たのが愛紗であった。その愛紗の名乗りには皆が困惑した。
「愛紗さん、貴女、劉備軍相手に戦えるの?」
「愛紗、君が俺たちの役に立ちたい気持ちは分かるが、無理して桃香の軍と戦う必要ないよ」
「そうよ。ここは私たちに任せて、貴女はご主人様と一緒に先に撤退しなさい」
涼月、一刀や紫苑、それに璃々、翠、星もそれぞれ言葉を尽くしたが、愛紗はこれを拒絶。だが断る姿は、以前の様な頑迷な姿では無かった。
「ですが貴女たちより、私の方が殿を務めた方がいいのです。ぱ…公孫賛殿とは桃香様と旗揚げした時から知っており、最悪捕えられても命まで奪われる可能性は低いでしょう。それに…これは私なりのケジメです」
愛紗はこれから漢と戦う事を決意、そして自分なりにケジメを付ける為、殿に残ると言ったのであった。
「義姉上が残るであれば、私も残ります」
「俺も残りますぜ」
愛紗が殿を務めることで、義妹の愛香と部下の周倉も残ることを主張すると一刀や紫苑は他に良い手だてが浮ばなかったので、ここは愛紗に一任することにした。
「愛紗、決して無理をする必要はないから、どうしても危険になった時は降伏したらいい。決して桃香は君たちの命は奪わないから」
一刀がそう言うと愛紗は無言で頷いた。すると
「ふむ…お主らだけに良い恰好をさせる訳には行かぬな。ここは私も残ろう」
「あっ、星ずるいぞ!お前ばっかり、いい処持って行ってるじゃねぇか!ここは私が残る!」
新たに配下になったばかりの愛紗たちだけが残るというのは武人としての誇りが許さないのか、星と翠が残ることで言い争いを始めたが、結局、璃々の提案でくじ引きをすることとなり、結果、翠が残ることが決まった。
その後、話し合いした結果、将はこの四名が残ることとなり、後は撤退部隊となった。
一方、兵に休息を取らせながら、一刀たちの動きを何とか探ろうとしていた白蓮たちであったが
「チィ!まだ、敵の正体や動きが分からないのか!」
「落ち着け焔耶、必ず動きがある。それまで待て」
白蓮らは、まだ一刀たちの正体や動きが分からないため、焔耶は苛立ちを隠せずにいた。
そんな中、偵察に出ていた兵が戻り
「申し上げます。敵に動きがあり、この先の峡谷に待ち構えています」
「よし、分かった!それで敵はどれくらいいる?」
焔耶の質問に兵が困った表情を見せたが
「そ、それが敵は三人です」
「はぁ?そんな訳ないだろう!他にもっといるはずだ!」
「言われることはごもっともですが、私たちも付近を調べましたが、現在のところ伏兵の姿は確認できていません」
「分かった。お前の言うことを信用しよう。それでその三人の正体は分かるか」
白蓮の質問にその兵は、さっきよりも更に言いにくそうな顔をしていた。
「どうした。呂布でも現れたのか?」
「呂布ではありませんが…」
「いいから早く言え!」
焔耶が早く説明するよう癇癪が出ると、その兵も漸く説明した。
「はい、その三人は、緑の『関』旗を掲げ、我々を待ち構えています」
「まさか……」
「……はい。公孫賛様のご想像の通りです」
兵の説明に答えが分かってしまった白蓮は苦虫を潰した表情になっていた。
「それがお前の答えか…」
白蓮は誰にも聞こえないよう、そう呟いていた。
一方、漢軍を待ち構えている愛紗は以前とは違い表情が明るくなっていた。
それを見ていた愛香は蜀に降って良かったと思っていたが、旗持ちとして同行している周倉は、愛紗の様子が明るさの理由の一つが分かっていたので、きちんと愛香に説明した。
「愛香様、違いますよ。愛紗様はあの方に惚れているんですよ」
「あの方とは?」
「北郷様ですよ。さっきの軍議の席で、愛紗様が北郷様の見る目が普段と全く違っていましたからね」
「へぇ~漸く義姉上に春が来たんだね」
「な、何を言っているんだ。二人とも!第一、一刀様には紫苑殿や他にも大勢の妃がいるんだ!わ、私みたいな可愛い気の無い無骨な女など見向きなどされるはずがないだろう!」
「そうですかね?自分が言うのも何ですが愛紗様、十分綺麗で可愛いと思いますがねぇ?」
「そうだよね。義姉上は、もう少し素直になればもっと可愛らしく感じると思うんだけど」
「な、な、何を言っている。そ、そんな軟弱な話はそこまでだ!」
愛紗がこれ以上、二人にからかわれるが嫌になったので強引に話を打ち切った。そしてしばらく雑談していると
「ムッ……二人とも、話はここまでだ。さて…敵が来たぞ」
接近しつつある敵に気付いた愛紗は先程までと違い、戦乙女の表情に戻っていた。
しばらくすると愛紗は、近付いてきた部隊の先頭に顔見知りの人物を発見した。
「久しぶりです。白蓮殿」
「まさかここでお前に会うとは思っていなかったよ、愛紗」
愛紗は桃香たちと桃園の誓いを立てた後、一時期白蓮の処で世話になっていたのであるが、その際にお互いの真名を交しあった仲でもあった。
「お、おい関羽将軍に関平殿や周倉までいるぞ」
「どういうことだ?」
愛紗たちの姿を見た兵たちの間に早くも動揺が出ていた。しかし白蓮は、兵たちの動揺した様な声は聞こえたが、それを億尾に出さず会話を続けることにした。
「でも、白蓮殿もよくぞご無事で」
「ああ、何とか袁紹の手から逃れて、今は桃香のところに世話になっているよ」
「お前が荊州で義勇軍を立ち上げて呉と争っていたという話を聞いて、私たちも呉との同盟関係もあり襄陽に派遣された。そこで正体不明の軍勢にお前が救われ、呉の軍勢を蹴散らしてから行方が分からなくなっている。それでだ、愛紗。お前がここにいるということは……今、誰に仕えているんだ。」
「………すでにここにいる時点で分かっているとは思いますが、今は蜀に仕えています」
「そうか…それがお前の答えなんだな。敢えて聞くが、こっちに戻って来る気はないか?」
「白蓮殿、お心遣い申し訳ないですが、今の桃香様では戻ることは出来ません。桃香様にこうお伝え下さい」
「私は桃香様の目を覚ます為にはどんな事でもします。そして必ずそちらに伺いますと」
愛紗は、桃香に対する宣戦布告とも言える言葉を白蓮に託した。しかしそれを今まで黙って横で聞いていた焔耶が、愛紗の言い分が勝手な言い分に聞こえたため
「何、勝手な事、言ってるんだ貴様!桃香様を裏切り、蜀に仕えた貴様などに伝える言葉はない!」
「うぉぉぉぉぉーーーーー!」
修行の成果で、以前より重い超重量の鈍砕骨を力任せに振り上げて、愛紗に突撃を始めた。そして愛紗に目掛けて鈍砕骨を振り下ろしたが、すでにその場所に愛紗はおらず、地面に穴を開けただけだった。
「貴様などに桃香様と私たちの何が分かる!そんな貴様にこれをくれてやる!」
「我が魂魄を込めた一撃、受けてみよ!」
愛紗は焔耶の一撃を躱した後、がら空きになっている焔耶の脇腹に青龍堰月刀をみねうちでぶち込むと焔耶は見事に吹き飛び、そして倒された焔耶の目の前に青龍堰月刀を突き付けていたが、
焔耶自身は愛紗の一撃で見事に気絶していた。そして一言
「まあ、此奴を切っても…桃香様が悲しむだろうから命だけは救ってやろう」
この光景を見た漢の兵士たちは一気に下がり、そして少数ながら兵の中には元愛紗配下の兵もいたため動揺が一気に広がってしまった。
そこで周倉が合図とばかりに旗を大きく振ると狭路の奥に控えていた翠の軍勢が現れ、そして蜀の旗と共に翠の旗印である錦旗を掲げた。
「天に掲げた錦の御旗! 我が名は錦馬超なり!私の槍の錆になりたい奴どこからでも掛かって来い!」
「お、おい錦馬超が出てきたぞ」
「それに、蜀の旗があるということは、関羽将軍たちが蜀に降ったのか…」
漢軍の将兵は旗を見るとたちまち恐慌状態に陥り、そして翠の威勢のいい啖呵を聞くと漢軍の方が、兵が多いにも関わらず更に怖気付いてしまった。
「なあ愛紗、私たちはこれ以上追撃しないことを約束する。申し訳ないが、此奴を返してくれないか」
兵たちの動揺した姿を見た白蓮は、これでは戦にならないと判断し、今、捕えられている焔耶の身柄交換を条件に軍を撤退する事を申し出た。
愛紗は少し考え、これを承諾。ただしこの場に白蓮と気絶した焔耶を運ぶための兵数名を残し、軍を先に下げるよう指示すると、白蓮はこの条件を受諾して軍を後方に下げた。
約束通り、軍を下げたので愛紗は焔耶を白蓮に引き渡すと白蓮は無言で、この場から撤退した。
(「白蓮殿、桃香様の事お願いします」)
去りゆく白蓮に愛紗は、心の中で桃香の事を託した。
そして漢軍が去って行くのを見て翠が愛紗に声を掛けた。
「愛紗…大丈夫か?」
「ああ心配を掛けたな、翠。問題ない」
愛紗はそう言いながらも漢の旗が見えなくなるまでその場を動かなかった。
漢軍が完全に視界から消えてから愛紗たちもようやく撤退して、一刀たちと合流。こうして全員、無事長安に帰還したのであった。
ご意見・ご感想あれば喜んで返事させていただきます。(ただし非難・誹謗等は止めて下さいね)