第四十七章:光射す街の深い影
四十七章 アンゾールマ編に突入しました。
乾いた蹄の音が、街道に絶え間なく響き続けていた。
オルダ一行を乗せた馬車は、通常の商隊なら一週間はかける行程を、わずか数日で駆け抜けようとしていた。
「……残り、数時間というところか」
アンゾールマの首都はもうすぐそこまで近づいている。御者台で手綱を握るオルダが、低く、押し殺したような声で呟いた。その視線は、遥か高天に浮かぶ月へと向けられている。
「月の蝕まで、二年半……いや、もう『二年半もない』と言うべきか。アルトとラッシュの技量を実戦レベルまで引き上げ、周辺諸国の膿を出し切る。一日たりとも無駄にはできん」
その言葉に、隣のエルキアが静かに頷く。
「ええ。アンゾールマの正常化は、物価の安定だけじゃなく、この大陸全体の均衡を左右するわ。ここで足止めを食らうわけにはいかないわね」
客車の中では、重苦しい沈黙が流れていた。
アルトは膝の上で拳を握りしめている。自分の中で芽生えてきた自立心は現状、己の実力に見合っていなかった…。刻限までに、エルキアを守ると誓った自分になるよう、より一層研ぎ澄まさなければならないという気持ちが焦りを生んでいる。
「……練習、してもいいかな」
アルトが小さく呟くと、対面に座るエネアウラが、深い湖のような瞳を向けた。
「その志は尊いけど焦りは禁物よ。ルートシアに着けば、嫌でも実戦が待っているから大丈夫よ」
「アルト君、よかったらこれ食べてなさい。栄養つけるのも大事よ」
エネアウラが、保存食の干し肉を差し出す。彼女の明るい振る舞いも、今はどこか強張っていた。彼女もまた、この旅の重圧を肌で感じているのだ。
やがて、街道の景色が一変した。
大陸南部五大国、その筆頭たる経済大国アンゾールマ国。
視界に飛び込んできたのは、アルブール王国の古風な街並みとは似ても似つかぬ、洗練された「人工美」の世界だった。
「……何だ、これ。全部、新しいじゃないか」
窓の外を見たラッシュが、呆気にとられたように声を漏らす。
通り過ぎる宿場町はどれも白亜の石造りで統一され、道路は完璧に舗装されている。道行く人々は、まるで舞台役者のように整った身なりをし、路上のゴミ一つ落ちていない。
そして、ついに彼らは首都ルートシアの関所を抜けた。
制服に身を包んだ警察機構の隊員たちが、威厳を持って街を練り歩く。
「王都のような頑丈そうな城門はないんだね」
アルトが不思議そうに話す。
「なんだか、事前に聞いていた雰囲気とは違うっすね。街はキレイだし、ギャングや麻薬の匂いなんて……全く無縁だ」
ラッシュは、拍子抜けしたように腰の剣から手を離した。
「もっとこう、路地裏からドス黒い気が溢れてるのかと思ってたなぁ」
「あぁ、アンゾールマは五大国の中心だからな、モンスターに襲撃されないという想定で街が作られているんだ。それに流石に首都は、警察機構もしっかり働いている。表面上はな」
オルダが馬を止め、冷ややかな視線で広場を見渡した。
「だがな、アルト、ラッシュ。この光り輝く石畳の下には、膨大な奴隷の骸と借用書が埋まっていると思え。ここから一歩『旧市街』に踏み込めば、そこは別世界だ。光が強ければ強いほど、その裏に落ちる影は深く、濃い」
「……旧市街」
アルトがその言葉を繰り返す。
「ああ。ここでの戦いは長丁場になるかもしれん。まずは宿を確保し、滞在しながら目ぼしい『拠点』を探すぞ。俺たちの城となる場所をな」
オルダの指示に、一行は緊張感を再び引き締めた。
磨き抜かれた都の美しさが、かえって彼らには、巨大な怪物の化けの皮に見えていた。
宿で一息をつく間も無く、オルダは『拠点』を探すべく街に消えていく。エルキア、エネアウラは必要な日用品の買い出し、アルトとラッシュ、りっちゃんは土地勘を身につけるために、首都の街を散策することになる。背中越しに投げられた指示。その声の硬さに、アルトは改めて「一刻の猶予もない」という事実を突きつけられた気がした。
一歩、首都ルートシアの大通りへ踏み出せば、そこは人の激流だった。
「な、なんだよ……みんな、年の瀬でもないのになんで急いでいるんだ?」
ラッシュが肩をすくめ、正面から突進してくる紳士を間一髪で躱す。
行き交う人々は一様に無表情で、懐中時計を何度も確認しながら、まるで何かに追われるように早足で駆けていく。アルブール王国の穏やかな昼下がりとは、流れる時間の密度が違った。
「わわっ、すみません!」
キョロキョロと周囲の石造りの建物を見上げていたアルトが、危うく荷車と衝突しそうになる。
「イルファーンと全然違うな。王宮に向かう大通りがあって…とかがないから、どの道を進めばいいのかがわからなくなる、迷子になりそうだ」
「……確かに。道が網目みたいに複雑で、どっちを向いても同じような高級店ばかりだ。どこを歩いてるのか分からなくなるよ」
『ちょっと! あんたたち二人とも、田舎者丸出しじゃない! シャキッとしなさいよ!』
りっちゃんは腰に手を当て、現場監督のように仕切る。
『迷子や、有事の際に最短で近道を駆け抜けるための散策なのだ。アルト、ラッシュ、しっかりその目に焼き付けよ!』
「へいへい。……けどよ、これが夜になったら『夜の顔』になってわかんなくなるんだよな~」
ラッシュがニヤリと笑い、アルトの肩を組んだ。
「なあアルト、後で師匠たちに許可をもらって、夜の街にも繰り出そうぜ? 本当のアンゾールマは陽が落ちてからだって聞くしな」
「うん、そうだね……」
アルトが答えようとした、その時だった。
洗練された街の騒音に混じり、耳を刺すような湿った衝撃音が聞こえた。
「――待って! 何か聞こえない? ……あっちだ!」
「ちょっと、アルト!?」
思わずりっちゃんがアルトの肩から飛ばされる。制止する声を振り切り、アルトは一筋の路地裏へと飛び込んだ。
「待てアルト!主様の主が路地裏は行くなと言っておっただろ!ええい!ラッシュ、お前も行くのだ!」
アルトが一歩、その路地裏の角を曲がると、表通りの輝きが嘘のような、陽の光を拒絶した澱みの空間だった。そこには三人の男たちが、地面に這いつくばる小太りの男を、代わる代わる蹴りつけている。
「オラァ! 期日までになんで金を全部持ってこれねぇんだ!」
「ぐえっ! ……ですから! お借りしたお金はお返ししたではないですか!? 完済したはずだ!」
「あぁん? 利子分がまだなんだよ! 端数だのなんだの合わせて、金貨300枚だ!」
「そんな! お借りした分以上の利子ではないですか!? 殺生な……!」
「もっと痛い目に合わないと、計算の仕方がわからねぇようだな……」
ごろつきの一人が、嫌な音を立ててナイフを抜いた。
「やめろ――っ!!」
鋭い叫びと共に、アルトが影のように割り込んだ。
男が驚愕に目を見開いた瞬間には、その手からナイフは消失していた。アルトの指先が、流れるような動作で凶器を奪い取っていたのだ。
「なんだ、このガキは!?」
「野郎、まとめてぶち殺してやる!」
逆上した男たちが一斉に飛びかかる。だが、今のアルトにとって、彼らの動きは止まっているも同然だった。
アルトは宙を舞う木の葉のように、最小限の動きで攻撃を躱す。殴りかかった男たちの拳は空を切り、自らの勢いに振り回されるように、石畳の上を無様に転がった。
「野郎…なめやがって」
よろめきながら武器を握り直す男たち。
その醜悪な顔を見た瞬間、アルトの脳裏にかつてティアズ国で両親が蹂躙された、あの救いようのない暴力の光景がフラッシュバックした。
「…!!」
アルトの瞳から光が消え、深い闇のような色が宿る。
周囲の空気がピリピリと震え、路地裏に満ちる魔力が、アルトの右拳一点へと収束していく。それは、ただのごろつきを追い払うための力ではない。対象を、その存在ごと消滅させんとする、破滅的な純度の魔力だった。
「――お巡りさーん! こっちです!! 乱闘ですよー!!」
鼓膜を震わせるラッシュの怒鳴り声が、臨界寸前の空気を切り裂いた。
「チッ、ヤベェ! 逃げるぞ!」
『お巡りさん』の名を聞いた途端、ごろつき達は腰を抜かさんばかりに驚き、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
沈黙が戻った路地に、アルトの荒い呼吸だけが響く。
収束しかけていた魔力が、行き場を失って霧散していく。
「おい! アルト! 大丈夫か!? 落ち着け!」
ラッシュが駆け寄り、アルトの肩を強く揺さぶった。その顔は引き攣っている。ラッシュは見てしまったのだ。今、このアルトが放とうとした力が、どれほど危険なものであったかを。
「あぁ……うん。ごめん、ラッシュ。力が入りすぎちゃった」
アルトは自分の手を見つめ、困惑したように呟いた。指先が、まだ微かに震えている。
「『入りすぎ』なんてレベルじゃなかったぞ……。まあいい、警察なんて呼んでねぇから安心しろ。ハッタリだ」
ラッシュは安堵の溜息をつくと、地面で呆然としている商人風の男に手を差し伸べた。
「おい、おっさん。動けるか? ……アルト、とりあえずこの人を連れて、みんなと合流しよう。ここに長居は無用だ」
アルトは頷いたが、逃げていった男たちが残した「悪意」の残滓が、胸の奥でいつまでも冷たく居座っていた。
ラッシュは安堵の溜息をつくと、地面で呆然としている商人風の男に手を差し伸べた。
「おい、おっさん。動けるか? ……アルト、とりあえずこの人を連れて、みんなと合流しよう。ここに長居は無用だ」
アルトは頷いたが、逃げていった男たちが残した「悪意」の残滓が、胸の奥でいつまでも冷たく居座っていた。
四十七章読んでいただきありがとうございます。ここまで3月の間で設定を膨らましていましたが、これからは本文作成しながらの細かい設定制作の同時作業になります。一ヶ月で20万文字オーバーのペース、、これをなんとか守っていきたいです。




